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歴史、ミリタリー、ウォーゲーム/歴史ゲーム/ボードゲーム

ASL Starter Kit Expansion Pack #2 (MMP)入手する

アドバンスド・スコードリーダー・スターターキット(以降、ASLSK)の追加シナリオ集である「Advanced Squad Leader Starter Kit Expansion Pack #2」が到着しました。

 

昨年発売された太平洋戦域を題材にしたASLSKシリーズの4作目(以降、ASLSK #4)の追加シナリオ集になります。
今回は、追加された8シナリオのうち7シナリオまでが1942年までの太平洋戦争前半まで、もっと言えばガダルカナル以前の戦いを扱っているため、ガダルカナル戦以降でほぼすべて日本軍対アメリカ軍という設定ばかりであったASLSK #4のシナリオとは雰囲気がかなり変わっています。シナリオ設定(マップ、登場ユニット、設定、・・)によってここまで雰囲気を変えることができるというのもASLの素晴らしいところです。

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コンポーネント

  • 追加マップ2枚(マップk、マップl)
  • 地形オーバーレイ 1枚
  • カウンター(252枚)
  • 追加ルール/兵器データ 4ページ分
  • 戦闘結果表等のチャート類 4ページ分
  • シナリオ8個

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追加カウンター/中国軍ルール

当方は「Gun-Ho」も「Rising Sun」*1も持ってないので中国軍は初めてです。

中国軍(中国国民党軍)ユニットはドイツ軍ユニットの色に似た青地に、ソ連のユニットに似た黄土色で縁取りがしてあります。
一部のエリート部隊は自動小銃装備のようで日本軍の一線級分隊やエリート分隊よりも火力に勝れるなど性能が良いです。ただし通常の一線級部隊は日本の一線級部隊よりも劣ります。
なお今回は登場しませんが、中国共産党軍はソ連軍のパルチザンユニットを用いるとされています。

中国軍のためのルールがいくつか用意されています。

  • 人海戦術を発動できます
  • 決死隊を指定できます
    初期配置の10%のユニットを秘密裏に指定しておき、敵が一定距離内にはいった際に自発的に狂暴化できる

マップ

今回追加マップが2枚ついています。
1枚は市街地マップ。もう1枚は平坦な郊外を表したマップです。
市街地マップにしろ野外マップにしろデザインにおいて太平洋戦域の特徴を表すようなものではなく、従来からのマップと同様に汎用的なデザインになっています。

シナリオ

S74 IRON FIST

第二次上海事変(1937) 中国国民党日本海軍特別陸戦隊

第二次上海事変初期、まだ陸軍部隊は派兵されず海軍陸戦隊のみで日本人街を守備していた時期を扱うシナリオです。
ドイツの軍事顧問により訓練された中国軍エリート部隊が日本軍の前線に浸透戦術を用いて攻撃してきます。日本軍は中央の建物を守り切れるか。

海軍陸戦隊は、通常の日本軍ユニットを用います。
日本軍側に92式重装甲車が登場します。武装は砲塔に軽機関銃クラス、車体に重機関銃クラスの機銃を装備しています。ただ武装軽機関銃クラスで装甲は無きに等しいです。特別陸戦隊はエリート分隊です。
中国軍も一部はエリート分隊です。分隊数では中国側が日本の2.5倍います。
今回付属の市街地マップとSK #2に付属のマップから1.5枚分のエリアを用います。

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S75  THEY ALWAYS RETURNED

第二次上海事変(1937)。中国国民党日本陸軍

第二次上海事変に陸軍が本格的に部隊を送り込んだ時期を扱います。
今度は中国側にヴィッカースMk.6という軽戦車が登場します。47ミリ砲搭載。
日本軍は例によって爆薬以外に対戦車兵器を保有していませんが、砲兵器としてホ式十三粍高射機関砲(12.7ミリクラスの連装機関砲です)を持っています。ただしこれは特別ルールで登場する中国軍側の対地航空支援に対する防御兵器になりますので、日本軍は対戦車攻撃手段のメインは爆弾を用いた近接攻撃になります。
今回付属の市街地マップを使用します。
市街地マップの半分だけを使い、ユニット数も多いシナリオですのでかなりの市街戦になるのではという印象です。

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S76 A LESS PEACEFUL CHRISTMAS

フィリピン戦(1941)フィリピン軍台湾軍日本軍

日本軍の上陸後4日目の戦闘です。フィリピン軍は有効な防御線を張れないまま後退していますが、そこへ日本軍の先遣部隊が攻撃を開始してきます。日本軍の攻撃に対処しながら部隊を脱出させるというフィリピン軍の撤退戦を描いたシナリオです。

フィリピン軍はもともとアメリカ軍ユニットの中の初期アメリカ軍とされているユニット群を使用します。
今回付属の野外マップの半分を利用。マップも広くなく、双方とも歩兵とその支援火器のみが登場しますので、歩兵ルールだけでプレイできます。
今回製品付属の野外マップを使用します。

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S77 DUTCH TRUCK

ジャワ島の戦い(1942)日本軍対オランダ軍(植民地部隊)

ジャワ島に上陸した日本軍に対して、オランダ軍は手持ちの戦車・装甲車からなる部隊を持って反撃をしてきます。日本軍の対戦車戦闘手段は、日本軍の戦記を読むと必ず登場する、連隊砲(山砲)と大隊砲(歩兵砲)です。
オランダ軍は日本軍の防御線を突破して進撃を続けることができるか?

オランダ側に装甲兵器として軽戦車・装甲車それぞれ複数台ずつ登場します。

ヴィッカース軽戦車1936年式(VCL M1936)。中機関銃程度の機銃装備、装甲は無きに等しい車輌です。

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Marmon Herrington CTLS-4 (Combat Tank Light Series)
機銃装備(MMGクラス)、装甲は若干。

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Marmon Herrington Mk.3 装甲車は重機関銃相当の火力を持っていますので、オランダ軍3車輌の中では最も火力が大きいです。さらに装輪車輌のため移動力も大きいので、対戦車兵器を持たない日本軍には結構厄介な印象があります。

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日本軍側は砲兵器として94式37粍速射砲、41年式山砲(75ミリ)が登場します。

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ASKSK #4の野外マップ1枚と今回付属の野外マップ1枚を用いますが、プレイに使うのはその中のハーフマップ程度の広さになります。

S78 NO JAPANESE WITHIN 100 MILES

ジャワ島(1942)オーストラリア軍日本陸軍
オーストラリア軍はイギリス軍ユニットを用います。
歩兵同士の戦闘のため、歩兵ルールだけでプレイできます。
分隊数の比較では日本軍がオーストラリアの1.5倍近く持っています。
ASLSK #4付属の野外マップ1枚を使用します。

S79 POLITICS, LOGISTICS, AND PRIDE

ビルマ(1942)中国国民党軍対日本軍。
日本軍侵攻時(1942年)のビルマに中国軍?と思ったのですが、ビルマ戦初期にはビルマ中国遠征軍というのがいたようです。しかもその総指揮官はアメリカ陸軍から出しています。
マップ中央部に配置された飛行場/滑走路をめぐる戦いになります。
日本軍は火炎放射器と爆薬がある他は、通常の歩兵装備(若干の機関銃、重擲弾筒)です。中国軍には75ミリの榴弾砲が1門有る以外は歩兵部隊です。
ASKSK #4付属の野外マップ1枚を使用します。

S80 SPRING AND SUMMER

ニューギニア(1942)オーストラリア軍対日本軍。
ジャングル戦です。
隠匿配置されるオーストラリア軍に対し、数に勝る日本軍が迫る展開の模様。
日本軍にはお馴染み92式歩兵砲(大隊砲、70ミリ)がありますが、ジャングル戦で有効に使えるでしょうか?可搬性に優れる重擲弾筒のほうがまだ使い手があるような印象はあります。
ASLSK #4付属のジャングルマップを使用します(さすがニューギニア

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S81 NOT A MAN AFRAID

インド(1944)イギリス軍対日本軍。
インパール作戦時の日本軍の最大進出点のあたりの戦いです。
両軍とも歩兵同士の戦いなので、歩兵ルールだけでプレイ可能です。
ASLSK #4付属の野外マップ1枚と今回同梱の野外マップ1枚を使用します。

 

先に書いた通り太平洋戦域の前半戦までの戦いが多い印象で、車輌なども見慣れない初期の軽戦車・装甲車が多いため興味深いです。
歩兵同士の戦闘を扱うシナリオも多いため、ゲーム会などでの対戦にも使いやすいという印象を受けました。ぜひとも対戦に活用したいところです。

 

*1:「Gun-Ho」はアバロンヒル社がASLのコアモジュールとしてかつて販売していた作品。中国軍ユニットがはいっていたという。「Rising Sun」はアバロンヒル社からASLの権利を引き継いだMMP社が太平洋戦域を題材にして販売したASLのコアモジュールのひとつ。これにも中国軍ユニットがあった模様。「Rising Sun」は現在絶版中で再販が期待される製品。

大河ドラマ「太平記」16話「隠岐配流」:世情は乱れ、各人物の思惑が錯綜する

前回のあらすじ

伊賀の国に逃れたという楠木正成武田鉄矢)らしき人物が、田楽猿楽*1踊りの花夜叉(樋口可南子)一座にまぎれているところを捕らわれる。
足利高氏真田広之)は一座の一員であることを証明するため正成に舞をみせるように命じる。正成はその場で艶笑譚の夜這いの踊りをみせ、高氏は正成本人と認めつつも、一座の通過を許す。
その後、高氏は正成より「負けるとわかっていても、戦わなければならない時がある」と文をもらう。

京では後醍醐派に代わり、持明院派が幅を利かせるようになっていた。中でも、長崎円喜フランキー堺)に近い西園寺公宗長谷川初範)は、高氏に冷たく仕打ちする。
足利直義高嶋政伸)は高氏に対し京における後醍醐先帝の評判として、「この世を正さんとする気概など人一倍で現在の光厳天皇などに比べものにならないことは京の民ばかりか、幕府や持明院統の公卿も知っているため、皆先帝を畏れている」と報告する。

高氏兄弟は鎌倉に戻るが、幕府は父貞氏の弔い法要を禁じる旨を伝えてきた。
高氏は、元執権の北条高時片岡鶴太郎)に法要実施の件を直訴しようとするが、長崎高資西岡徳馬)により邪魔をされる。
長崎高資の退席後、北条高時は高氏に自らが書いた如来の仏絵を見せながら、長崎父子より後醍醐先帝を弑逆するように言われていると告げる。

yuishika.hatenablog.com現在1331年、鎌倉幕府の滅亡は1333年。
再度京へ出兵する途中の足利高氏が幕府に反旗を翻す訳だが、当面の注目はこの高氏の決心がいついかなる形でなされたか、という点だろう。

 

弔い法要

後醍醐帝(片岡仁左衛門)の隠岐への配流にあたって護衛は佐々木道誉陣内孝則)が勤めた。

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道誉は道中様々な配慮を行い、帝より感謝されるが、その様子は一色右馬介大地康雄)から逐一高氏に報告されていた。
「・・佐々木判官殿の帝への傾斜は、尋常にあらずと申す他なく候・・」

右馬介の報告を読んだ直義は言う。
「佐々木殿はわからぬ御方でございますなぁ。ただの節操無しと思うておりましたが、節操がないだけなら追い払われる先帝に今更傾いてみせる必要はないわけでございましょう。やはり判官殿は本心は宮方に・・
「・・皆の正体を急ぎ見定めていかねばならぬ。のぅ直義。」と高氏。
「見定めていかがいたします?」
「直義ならどうする?」
皆の力を結集し、北条殿を撃ちまする
きっぱりと言う弟直義

そこへ執権赤橋守時勝野洋)が足利邸を訪問したいという連絡がはいる。

「・・亡き貞氏殿の法要はそも幕府の手により盛大に行うべきところ、世情乱れたる折節なればやむを得ず差し止める仕儀と相成り、誠に心苦しく・・」
生真面目に丁寧に詫びをいれる守時に対し、高氏は貞氏の弔いは足利の庄にて目立たないようにこじんまりと執り行うとやわらかく答える。
「今朝ほどそれを聞き及び、わざわざ足利の庄までお運びかと、重ね重ね相すまぬ事だと・・」とまた頭を下げる守時。

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かつては「共に幕府を変えよう」とまで言って改革の意思が高かった赤橋守時だが、我が身ひとつではどうしようもない北条家内の権力構造の中で、堂々とした風は影を潜め、どちらかというと足利家の機嫌をとるかのように見える。

高氏から話を振られて、高氏の母清子藤村志保)が口を開く。
「・・赤橋様、・・さほどに気をおつかいなさいまするな。我らの望みはどこまでも北条殿と穏やかに手を携えて暮らしゆくこと。亡き貞氏殿もそれを願っておられよう・・。弔い事など取るに足らない事よ。のぅ、高氏殿、直義殿」
ひたすら恐縮する様子を見せる守時に対し、清子の言葉に複雑な表情を浮かべる高氏と直義、さらにはその後ろに控える足利家内の重臣一堂。
「それをお聞きし、この守時いささか肩の荷が降りましてございます。ありがたき仰せ」

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その夜、寝屋にて高氏と登子。眠れないでいた高氏に妻登子が語る。
「今日は安堵致しました。兄上も母上様のお言葉で安堵致しましたでしょう。この数日、足利殿に悪い、申し訳無い、と執権でありながら力が無い故に足利殿に迷惑をかけてしまう。さりながら、足利殿がお腹立ちまぎれに短慮を起こされれば、執権として物申さねばならない。・・私にもつらいと申しておりました。・・
親に早う死に別れて育ちました故、兄妹で何でもしゃべる悪い癖がついてしまいました。わたくしが足利のものとわかっていても、兄上はつい昔の癖で会えばようしゃべります。・・近頃は泣き言ばかり。よほど執権の勤めが身にあわぬようでござります。・・時々、愚にもつかぬことを思いまする。いっそ兄上も北条を辞めて、登子のように足利のものになればよいのに、と。そうすれば千に一つ、何事が起こっても殿と兄上が争うことは、敵味方に分かれることはござりませぬもの・・

高氏は静かに言う。
「・・なにゆえ、そのような・・愚にもつかぬことじゃ。・・案ずるな・・思い過ごしじゃ、思い過ごしじゃ」となだめ、登子を抱き寄せる。

「なにゆえ」「案ずるな」「思い過ごしじゃ」などと高氏は言っているが元を正せば、初夜の寝所で高氏自身が「・・この高氏が仮に北条家に弓を引き、そなたの兄をも敵とせねばならぬ時」と言っていたことだからな。登子が心配するのも当然。(詳細は以下を参照)

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足利の庄、鑁阿寺にて行われた貞氏法要。
足利家本家、諸国の分家ばかりか、鎌倉より金沢貞顕児玉清)、また周辺の源氏として新田義貞根津甚八)、岩松経家(赤塚真人)らが同席している。

ja.wikipedia.org

伯父(義理)金沢貞顕は貞氏との昔話として貞氏の碁が、我慢強く思慮深いだったと語り、
よいか高氏殿、何事も我慢じゃ。お父上のお心がいつまでも高氏殿の中に宿らんことを切に願っておりまするぞ」と高氏に念を押すように言う。若干上から目線が見え隠れする。うやうやしく頭を下げる高氏。

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金沢貞顕は、かつて高氏が反幕府活動家の日野俊基と密会していたという疑惑で侍所に囚われた際など保釈に向けて奔走するなどドラマの中でも常にと言って良いほど足利家を擁護したり支援してきた。いつまでも高氏が危なっかしく見えるのだろう。

新田義貞岩松経家は高氏を屋敷の外に連れ出し、話をしたいと言う。
「・・いますぐ本心をお明かし給えとは申しませぬ。だが、足利殿のお心次第ではこちらにも相応の覚悟をいたせねばならないことがございます。」と切り出す岩松。
実は隠岐におわす帝をお救いいたそうと思うとるのじゃが、いかが思し召さる?・・幕府が宮方の動きを畏れ、隠岐の帝を害し奉るという噂もございまする。その先手を打ち、島からお連れ致すのです・・」
主に話すのは岩松。新田義貞は近場で黙したまま。
「・・幕府と戦となりましょう。その時、足利殿はいかがなさりまする?
「はて、降って湧いたはな恐ろしいお話じゃ。」
高氏は言質をとられぬように言葉を選ぶ。
「左様でござるか。・・それがし吉野の山中に潜んでおられる楠木正成殿の一党に馴染みがございます。その一党が申しております。楠木殿は伊賀で足利殿に命を救われた。なにゆえ楠木をお助けされました?・・

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楠木一党とやらも、高氏から助けられたということをべらべらと岩松に話しては駄目だろう、という一幕。

終始黙っている新田義貞に高氏が訊く。
「新田殿は岩松殿とお立ちになられるのか?」
「新田殿は岩松の軽々しい企ては危なっかしいと申されるのじゃ。」と代わりに岩松が答える。

あまりにも義貞が口を開かないので高氏から切り出す。かつて少年時代に義貞から言われたことを言う。
「北条は我らの所領を奪ったもの。足利はその北条と同じ汁をすすっている犬じゃ。我らは共に源氏、ゆめゆめ北条の犬になりさがるではないぞ。その時言われたことが、今でもそれがしの中に・・
この高氏、その時申された事と毎日張り合うて行きてきたようなものじゃ」

「もはや新田は畑を切り売りせねば、京の大番勤めの掛かりも払えぬ。・・北条相手に弓引くとて、兵を集めても100、200に過ぎぬ。戦にならぬ。」と自嘲気味に言う義貞。
「岩松は阿波で悪党をやり、兵を蓄えておる。ワシにはそういう器用なことはできぬ。いまのワシはこう申す他はない。足利殿、御辺が立たれる折あらば、この新田も加えてくだされ。
「新田殿、それは逆じゃ。新田殿が立たれるなら、足利も従いまする。われらはともに源氏。新田殿を見殺しにはせぬ。

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今回エピソードの半分の時間を費やして描かれたのは、弔い法要を巡る各人各様の反応が見どころの場面。今後の動きや反応を考えると、清子と登子、また新田義貞あたりが注目。

  • 足利高氏・直義兄弟 +高師直ら足利家重臣(北条に対しネガティブ)
  • 清子(足利貞氏妻、高氏・直義兄弟の実母:実家上杉家は源氏。平和が一番)
  • 登子(足利高氏の妻、現執権赤橋守時の妹:実家赤橋家は北条一族。夫も大事だが兄も大事、心情的北条派?)
  • 金沢貞顕足利貞氏の正妻の兄、貞氏の義兄にあたる:北条一族、前執権)
  • 岩松経家(御家人尊王、帝を連れ出し挙兵すると打ち明ける)
  • 新田義貞(源氏の流れをくむ御家人尊王というより北条のやり方に対する不満が大きい様子

 

遠島

後醍醐先帝(の遠島に際し護送を担当したのが佐々木道誉陣内孝則)。約1ヶ月あまりで伯耆国の美保関まで送ることとなる。

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道中、途中、「花見と称して酒を出し」、先帝が疲れたといって付近の村から艾(もぐさ)を集めるなど様々便宜を取りはからい、美保関の船着き場で先帝より言葉を賜る。
「・・長い旅路であった。そちの心遣い忘れぬ。・・」
と道誉の肩に手を置く後醍醐。
惜しいやつよ。なんで爾は公卿に生まれず、鎌倉武士などに生まれついた?
生まれ直せ。まだ若い。時しあれば、生まれ直せぬこともあるまい。生まれ直して朕のそばに来ぬか?・・また会おう。
感激して平伏する道誉。この後醍醐と道誉のやりとりを見ている阿野廉子原田美枝子)のカットが意味深。

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隠岐への護送の一部始終を追っていたのは一色右馬介大地康雄)。ある時は狩人、ある時は漁民に身をやつし護送の列を監視し続ける一色右馬介は使う側から言えばかなり便利な人間だが、右馬介本人からすると、よくも裏仕事を引き受けているなという印象もある。

道誉の行動は、右馬介だけではなく、長崎円喜・高資の知るところとなり、道誉は長崎父子の責めを負うこととなる。

 

楠木再挙兵とその波紋

1332年11月から年末にかけて、吉野にて大塔宮が再挙兵、幕府が占拠していた赤坂城を楠木正成・正季等楠木党が奪取。やがて河内全体が楠木党の支配下に入り、六波羅も手出しができなくなっていると報せが届く。

「楠木は討ち滅ぼした。都はおだやかになった。そう申したではないか。わずか1年で元の騒々しさよ。これは誰のせいぞ。」
長崎円喜・高資父子を前に怒り心頭なのは北条高時片岡鶴太郎)。
高資、そちの政(まつりごと)はどこかおかしゅうはないか?何ぞ申してみよ。」
高時に促されて話を継いだのは、高時の母覚海尼(沢たまき)。
「円喜殿、過日ある僧侶が申しておりました。諸国の土地を北条家が力任せに奪い過ぎはせぬか、と。また諸国の守護、地頭などの職を北条のものが独り占めにしてはおらぬか、と。その不満が諸国に有る故、かかる謀叛が止まぬのではないか、と。

覚海尼の厳しい詰問に平然と答えるのは長崎円喜
「恐れながら、それを申せば都の公卿衆はいかがでございます。我ら武家よりもさらに広大な土地を有し、官の長を一手に一人占めしておりまする。その公卿ばらが北条をですぎた者よ、と逆恨みをいたし、悪党どもをそそのかしてのこの騒ぎにございまする。・・高資をお責めになる前に悪党楠木を、その楠木を操る公卿や先帝をお責めになるべきかと存じまする。」

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長崎円喜の回答は筋は通っているように聞こえるが、自分たちの事は棚にあげて、公卿のほうがもっと悪いことをしていると言っているにすぎない。覚海尼のせりふとあわせて、この時代の社会構造の問題点が指摘されている。

「ところがこともあろうにその先帝に媚へつらう御家人が我らの近くにおりまする。全くもって許しがたき輩。

話を転嫁されたのは呼びつけられて席に来た佐々木道誉
これを機に高時と覚海尼は退室し、部屋には長崎父子と道誉が残される。

「判官殿、申し上げようと思いながらうかうかと時をすごしてしもうた。
先帝を隠岐に流したてまつった折の警護のなされ方、さすが判官殿よ、と皆敬服致したと聞き及びましてな。」
穏やかに話を切り出し、まずは道誉を持ち上げる高資。
「先帝が御身に親しゅう肩に手をおかれたそうな。御身は院庄にて艾(もぐさ)をかき集め、道々、花見と称して先帝に酒をふるまわれたそうな・・。
先帝は咎人(とがびと)ぞ、ゆえに流罪となった。物見遊山の旅ではないわ!
最後は道誉を怒鳴りつける高資。

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いつもの傍若無人さはなく怯えるような表情を浮かべる佐々木道誉
「高資、その御方は従五位の下、近江源氏の棟梁ぞ、おそれおおかろう。」
円喜が高資を止める。さながら尋問室の良い警官悪い警官の二人組のよう。
「それにつき円喜殿に申し上げたい」と道誉が弁明とばかり勢い込んで言うのを円喜が遮る。

「判官殿、確か隠岐の島をあずかる隠岐判官佐々木清高殿はご辺のお身内でございましたな。さすれば隠岐は判官殿の離れの庭のようなもの。先の帝は判官殿の庭にあらせられるのと同然じゃな。ははは・・」
何ぞ?という顔の道誉に対し、円喜が続ける。
「まだおわかりになられぬか?河内の悪党どもが騒ぎ立てるのも隠岐の先帝故よ。先帝さえおわさねば、すぐにも消えぬ徒花よ。そうではござらぬか?
判官殿の庭で何が起ころうと、我らは感知致さぬ。のぅ、高資?」
高資が道誉の肩に手を置く。
判官殿、鎌倉に忠義を証たてるよき潮だと思うが、いかが?
薄ら笑いを浮かべる円喜。

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先帝弑逆を使嗾するする円喜。呆然とした表情の道誉・・

 

楠木再挙兵の情報は足利屋敷にも届く・・。
「・・再び我らも出兵か?」と直義。
「いや、此度の乱には帝も公卿もおりませぬ。ただの土豪相手。北条殿は面目にかけてお身内だけで事にあたりましょう。」と高師直が冷静に分析する。

去年の戦の掛かりが大きな借金になり、どこの御家人衆も渋い顔だ。しかも勝ち戦にあったにもかかわらず、北条殿はまだ恩賞もでていないと別の重臣達が口々に言う。

「・・足利家に兵を出せとは此度は言いにくかろう。」高師直
「いや、あの長崎のことじゃ、臆面もなく言ってくる」と言うのは直義。
「その時はお断り申せばよい。・・ただ隠岐におわす先帝が動かれ、それを楠木がかついだ時、楠木はただの土豪ではなくなります。そしてその時、北条殿はなりふりかわまず足利に「出ろ」と申せば、要はその時、我らが北条殿につくかつかぬか、そこが思案どころか、と。」
「そっか、その時か!」合点がいき声を大きく反応する直義。

「気になるのは隠岐におわす先帝の身でござりまする。」最後は声を潜めて言う師直。

そこへ佐々木道誉から屋敷に来て欲しいという旨の急な書状が届く。 

 

感想

新田義貞配役の事

新田義貞が、萩原健一から根津甚八に交代している。ウィキによれば病気のためとのこと。
萩原健一新田義貞は2話での闘犬の場面と足利貞氏健在の頃に安東の乱に乗じて対北条として挙兵を使嗾しようとしたシーンの2回くらいの登場となった。
確かに萩原健一新田義貞像は違和感があったのは確かだが、萩原健一自体が持つ何をしでかすかわからない不気味な雰囲気は印象的だった。代わった根津甚八新田義貞萩原健一に比べるとまっとうな印象で意外性は大きくない。
個人的には、萩原健一による新田義貞で、鎌倉炎上を見たかったかなと思う。
ちなみに根津甚八は2016年、萩原健一は2019年にそれぞれ亡くなっている。

新田義貞足利高氏のその後の関係性の変化は注目

久々に登場した新田義貞
今までも遠征費用の負担が重く田畑を売るだの、借財をするなどの発言があったが今回も兵の動員能力は100~200人だと言っている。動員能力が1万を超えるという(どうかすると2万だという話も以前あった)足利一族に比べると家格の差は大きいように見えるが、その割には高氏は新田が立てばその下に立つなどと言っている。
この後、鎌倉幕府滅亡後、さらに後醍醐帝の新政に対して足利高氏は叛旗を翻し、新田義貞とは敵対関係になるのだがそこに至る経緯は、幕府滅亡後のひとつの着目点かもと思う。

国力・動員能力に関する考察

戦国時代の換算値をそのままあてはめて計算すると足利家の動員1万だとすると40万石、2万だとすると80万石程度の国力があることになる。以前、家督相続の際に足利高氏は上総と三河の2か国の守護だと言われていた(9話)。上総と三河を足すと70万石を超える程度なのでちょうど動員能力の数字に近くなる。
一方の新田義貞だが、動員能力200人と言うのであれば8千石程度か?*2

やりこめられる佐々木道誉

前回15話は、高氏をめぐる朝廷や幕府それぞれにおける息苦しい状況が印象的だったが、今回やりこめられているのは佐々木道誉
佐々木道誉に対する直義の「・・ただの節操無しかと思うていたが」というシーンは面白かった。

 

 

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*1:

今まで花夜叉の一座を”田楽”踊りの一座と書いていたが、17話で花夜叉こと「卯木」(花夜叉の本名)は猿楽一座の男と駆け落ちした、と何度もでてきた。一方で北条高時は田楽と闘犬が何よりも好きと公言しているセリフがあって、では「猿楽」と「田楽」は何が違うのかというと次のようらしい。

www.the-noh.com

*2:実際は戦国時代よりも開拓や田畑あたりの生産能力などは低いと思われる点、いわゆる戦国大名とは異なり、守護とはいっても領内には多数の朝廷の土地や北条家の土地など権利関係は複雑であっただろうから、国の大きさよりも動員能力や財力は小さかったのではないかと思われる。

「幸村外伝」(ツクダ/GJ)を対戦する

千葉会にて「幸村外伝~真田幸村大阪夏の陣~」を対戦にて初プレイしました。

Amazon | ゲームジャーナル別冊 幸村外伝 ~真田幸村 大坂夏の陣 ...

戦闘正面も限られ、取り得る作戦も限定された中での、大部隊同士の戦いなので、考えることも少ない、一種のパーティゲームなのではないかと想像していたのですが、実際プレイしてみると、予想外に楽しめるゲームでした。

 

ゲーム概要

ゲームスケール

いずれも明記はないので推測

  • 地図からの目測で1ヘックス=100メートル程度(大きくても1ヘックス=150メートル程度かと思われる)
  • 1ターンは15分~20分と見る*1
  • 1ユニット=500人弱

ゲーム概要

  • 移動-防御射撃(相手側)-攻撃の各フェイズからなるプレイヤーターンを交互に実施
  • 敵ZOCにて移動停止。戦闘後後退以外でのZOCからの離脱は不可
  • スタック 1ヘックス=1ユニット
  • メイアタック
  • ユニットは騎馬隊・槍隊・鉄砲隊の3種類
  • ユニットには戦闘力-士気-移動力、属する大名家、一部に武将名が記載
  • 武将名が記載されたユニットは、性能値が一般ユニットよりも優れる場合があるが、指揮範囲、指揮修正等のルールはない(除:選択ルール採用時)
  • 関東方先攻でプレイヤーターンを交互に行うオーソドックスな進行。
    プレイヤーターンの手順は、”移動”-”防御射撃”(防御側)-戦闘。
  • 戦闘フェイズでの攻撃方法は白兵戦と射撃戦。防御射撃は射撃戦として解決。白兵戦は戦力差、射撃戦は火力による解決表になっている
  • 射撃戦と防御射撃は鉄砲隊のみが実施可能
  • 射撃戦は一方的に相手に損害を与えることができる
  • 戦闘結果は除去、士気チェック後士気値をオーバーした数値分のヘックス後退の2種類
  • 後退途中に通過したヘックスにいたユニットは連鎖後退のチェックのため士気チェックを行う。さらも連鎖後退中に通過したヘックスに存在する他のユニットにも後退が発生する可能性がある
  • ステップロス無し、補給・補充等のルール無し

概して戦闘ルールはいわゆるNAWシステム。
防御射撃の考慮と連鎖後退含む後退ルールのみ注意
全体には後退の結果が多いのでオーソドックスに包囲戦法が有効(特に数が少ない西軍)。

  • 徳川の移動制限】徳川本陣の部隊は5ターンまで、または接敵するまでは毎ターン2ヘックス北に向かって移動する必要がある。また徳川家康ユニットは毎ターン1ヘックスの決められた移動方向に移動する必要がある。違反するとペナルティとしてポイントが大阪方に加算される
  • 大阪方は選択ルールを採用しない限り援軍等は無し。関東方は指定されたターン以降ターン毎にダイスを振り援軍多数参陣
  • 勝敗はポイントの比較。
    ポイントは除去ユニットの数。
    他に、関東方はマップ北端(大阪城方面)からの脱出、茶臼山の占領等
    大阪方は、徳川家康ユニット除去、関東方が徳川家康ユニットの移動制限に抵触する違反を犯した場合等に得点

その他選択ルール

外伝を謳っているとおり、ifケースをメインとする様々な選択ルールが用意されている。ざっとあげると次の通り。
その多くは真田ファン・大阪方への判官贔屓が強い人であれば感涙もの。

 

プレイ

当方は大阪方を担当。
選択ルールは採用せず
ゲームジャーナルより提供されている伊達藩ユニットは差し替え済
マップ写真は手前側が大阪方で北になる。

1~2ターン

関東方は、徳川本陣の移動制限ルールに従い2ヘックス北上。

大阪方は、最前線の部隊を左右に延翼しつつ中央部の毛利隊他を前進。関東方の前衛部隊の動きにあわせて最前線の部隊を整理する。左翼を若干下げ、右翼の真田隊を上げる。

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1ターン終了時。大阪城側から大阪方(オレンジ・赤色)とその向こうの関東方(薄紫・紫・緑色)の布陣を臨む。徳川本陣はこのさらに奥側、徳川家康ユニットはその最後列に位置しており、遥かに遠い。

3ターン

関東方の前進後、大阪方は全線で接敵し攻撃を開始。
関東方も鉄砲隊ユニットを隣接して配置することにより、防御射撃の火力を高めて応戦するが、士気が高い大阪方は頑強に抵抗。

東翼(写真左側)では若干突出してきていた上野沼田藩真田信吉*2)の部隊を拘束すると、中央部隊との間に開いた間隙に毛利勝永らの騎馬隊を滑り込ませる。
中央部の関東方先鋒である上総大多喜藩本多忠朝*3)、常陸真壁藩(浅野長重*4)、常陸宍戸藩(秋田実*5)はいずれも戦闘力や士気が高くないため大阪方の中央部隊で抑え込まれ、早くもあちこちで連鎖後退が発生する。
西翼、真田隊の前面には関東方の越前福井藩松平忠直*6)1万5千人が前進。真田隊は移動速度が高い騎馬隊を最西翼に遣り、後方への突破を図る。

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3ターン終了時。全線で両軍が激突。大阪方は東翼と最西翼で後方へ突破を試みる

4ターン

上野沼田藩真田信吉)は開いた間隙を埋めるべく後退しようとするが、前線で大阪方に拘束された部隊等もありあちこちで包囲され除去される。
中央部では後方の部隊の前進に伴い、先鋒から第二線・第三線まで押し合いへし合い状態。あちこちで連鎖後退を生じさせているが、部隊数が違いすぎるので大阪方としては後退ではなく、少しでもユニット除去にもっていきたいところ。 

大阪方は包囲のため無理目の戦闘後前進を行っていたところを関東方の防御射撃や攻撃で後退せざるを得なくなり退却ができずに除去されてしまうユニットが出始めるが、いまのところキルレシオでいけば関東方を圧倒している。

真田隊の前面にいる越前福井藩松平忠直)も部隊数は多いものの、個々の強さとしては中庸。真田隊に抑えられている。

大阪方の懸念は前線をあげすぎていること。そろそろマップの左右から登場する関東方の増援を考慮する必要がある。

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4ターン終了時。画面上方に濃い紫色のユニットが見えてきているのが徳川本陣。家康はこの最後尾にいるためまだ写真には写っていない。 最西翼では真田幸村の騎馬隊が戦線後方まで突き抜けた状態だが、そろそろ現れるであろう関東方の増援を考慮するとこのまま突き進むべきか思案中

5ターン

心配したそばから関東方の増援として伊勢津藩(藤堂高虎)と豊前小倉藩細川忠興)が到着。東翼、奈良街道沿いに登場。関東方は増援のユニット数も半端ない。 これで毛利勝永隊側からの突破は難しくなったので防御にシフトすることにする。
関東方の部隊数がいくら多いとは言え、スタック禁止なので前線に並ぶことができるユニット数は、大阪方と変わらない。となると同じ程度の数のユニット同士では個々のユニットの性能に優れる大阪方が有利となる。

関東方の中央部は徳川本陣も接近したため、大団子状態となっている。徳川家康ユニットはこうした中でも最低1ヘックス北側(マップ手前側)に移動し続ける必要がある。

西翼はいったんは戦線突破に成功した真田幸村騎馬隊だがここから中央部の徳川家康のところまでは遠く、また松平忠直の騎馬隊などの妨害などもありえるため、ここで突破は断念し撤収することにする。ここで、「内府の首、貰い受けた!!」と”真田幸村の謀略”ゴッコをしたいところではあったが・・。*7

代わりに真田騎馬隊は、撤収途中に松平隊の横側面を襲いけっこうな打撃を与えた。

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5ターン終了時。東端の青色のユニットが関東方の援軍として登場した細川隊と藤堂隊。これだけでもかなりの数。 関東方の先鋒(薄い紫)、二段目(黄緑)、三段目(緑)は除去と連鎖後退が重なりぐちゃぐちゃになっている。そこへ最後尾に徳川本陣(紫)が現れた状態。 西側の松平忠直(赤紫)も横合いから真田隊(赤)に襲われ隊列がてんで乱れた。 関東方の重厚な陣立てに比べると、大阪方(オレンジ・赤)は薄い防衛線になってしまっている。

 

6ターン

残念ながらこのターン途中でゲームは終了した。
6ターン目、マップ西端(右端)の手前側に仙台藩伊達政宗)の大部隊が援軍として到着。
真田隊は後背から攻撃を受けることになったが、騎馬隊の主力は拘束されていなかった点、また後方に置いておいた予備部隊もあったので仙台藩の部隊の前に防衛線を引くことは可能であったと考えられる。

それ以外の戦線ではいずれも包囲を多用して関東方の部隊に打撃を与えることができていたのでこのまま地道に防衛線を維持しつつチャンスを伺うといった展開になったのではないかと想像する。

ここまでの除去ユニットは関東方20ユニット(うち10ユニットが先鋒部隊(薄い紫)、10ユニットが松平忠直の隊(赤紫))、一方の大阪方の損害はオレンジユニット2ユニットのみとなっていた。

 

 感想

冒頭に書いたように予想以上におもしろゲームであった。
大阪方から言うと、マップの半分程度までの深い縦深にびっしりと関東方のユニットが並ぶ中を、2回の射撃と連鎖後退を駆使して、数は少ないが優秀な自軍ユニットを使い、関東方の進撃を止めつつ、目指すは家康の首!というプレイができる。
今回、関東方の陣にぽっかり進撃路が拓いた時には内心歓声をあげてしまった。

また今回は使っていないがルールブックの中で選択ルールを見た時に並んだIf設定に思わず感動してしまった。ほとんどが大阪方に適用されるルールばかりな訳だが、判官贔屓、豊臣贔屓、真田贔屓であれば夢に見たようなシチュエーションが並んでいて、デザイナーはわかっているなぁ、と思ったものだ。
いつかソロでも取り組みたいものだ。

関東方は逆に王様プレイというか王道プレイができるのではないか。確かに個々のユニットは大阪方のユニットよりは性能が低く、先鋒の諸隊など不甲斐ないほどだが、それでも圧倒的な数の軍勢で押し包むように進撃する醍醐味はある
「圧倒的ではないか、我が軍は!」と家康が言ったかどうかはわからないが、たまにはこういうプレイも良いのでは?

 

 

 

ゲームジャーナル別冊 幸村外伝 ~真田幸村 大坂夏の陣~

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  • 発売日: 2016/08/20
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ゲームジャーナル71号 大坂夏の陣・前日の死闘 八尾若江+道明寺合戦

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  • メディア: おもちゃ&ホビー
 
城塞(上) (新潮文庫)

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大阪の陣の小説といえばこれが定番ですよね。
豊臣方の首脳陣の行動に何度歯噛みすることか・・。

*1:史実では正午ごろ大阪方先鋒の毛利勝永の手のものが関東方の先鋒本多忠朝の軍に撃ちかけてはじまり、その後、16時頃には大阪城は炎上したという件から、ゲームにおけるターン数から算出

*2:真田信之の子なので幸村(信繁)の甥になる。冬の陣では大阪方に負け敗走した

*3:本多忠勝の子。冬の陣の際には酒を飲んでいたことで不覚をとり敗走したことから、夏の陣では先鋒として奮戦するが討死。関東方先鋒敗走のきっかけとなる。

*4:浅野長政の子。夏の陣では敗走

*5:元は出羽秋田の出身。夏の陣では大阪方先鋒に大損害を出し敗走する。陣の15年後、幕府より伊勢での蟄居を命じられる。理由は伝わっていない。その後30年を伊勢ですごしたという。

*6:結城秀康の子。大坂の陣の少し前に家中で御家騒動を起こす。冬の陣では真田丸の戦いで損害を受ける。夏の陣では真田隊を抜くとそのまま大阪城に直進した。後に気を病み乱行が目立ったため隠居させられる。その後、豊後にて27年間を蟄居

*7:

真田幸村の謀略

真田幸村の謀略

  • 発売日: 2016/10/01
  • メディア: Prime Video
 

China The Middle Kingdom(Decision Games)を対戦する

7月の千葉会にて中国2000数百年の歴史を舞台にしたマルチゲーム「China The Middle Kingdom」をプレイしました。
戦国時代から国共内戦までの2千数百年の中国の歴史をおおよそ1日のプレイで駆け抜けるというある意味凄まじいゲームです。
プレイヤーは4人。それ以上でもそれ以下でもないようです。

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ゲームの特徴

2千有余年の間に数多の王朝が起こりまた滅亡していますので、プレイヤーは特定の王朝を担当するのではなく複数の王朝を担当することになります。正史となる中央の王朝だけではなく辺境から侵入してきた周辺民族も含め扱いますので、1人のプレイヤーが多い時で3つ程度の王朝・民族を扱うこともあります。
全24ターン、1ターンの長さは一定ではなく近代であれば数十年程度、長いところで1~2百年といったところで設定されています(実際の歴史上の王朝の交代期にあわせてターンの年数が設定されています)。

一人のプレイヤーが神のような立場で複数の対象を操作するというコンセプトのゲームとしては全世界を対象に文明の発祥から近未来までの世界史をたどっていく「7 Ages」(Australian Design Group)に似ています。yuishika.hatenablog.com

yuishika.hatenablog.com

「7 Ages」の場合、プレイヤーは担当する文明をドローしたカードの中から選ぶことになっていました。各文明は大まかに登場する時代が定められていますので、その世紀になりプレイヤーが宣言することで発生することができましたが、おおまかにしか定められていませんでしたので、時代的に近い文明同士であれば登場順が逆になったり(例えば、「秦」より先に「漢」が興る等)、登場しないままになったりといったことが発生しました。また文明の滅亡も他の文明に攻め滅ぼされるというゲーム展開によるものの他に、プレイヤー自身が滅亡を宣言することで文明をマップ上からなくすこともできるなど、自由度が高い歴史体験ができました。世界中の文明の興亡のごった煮的なゲームだったと思います。

本ゲームではゲーム展開として「7 Ages」ほどのごった煮感やバトルロワイヤル感はなく、史実に沿い整然としています。
4人のプレイヤーはそれぞれ色が決められており、自分が担当する「王朝・民族」はその色ごとに選定されています。例えば今回当方が担当した”紫”グループには主だった王朝・民族として、「韓」「秦」「羌」「蜀」「六代」「元」「太平天国」「ロシア」「国民党」といったところが割り当てられていました。「漢」「魏」「隋」「唐」「明」「清」といったメジャー級の王朝をはじめ多数の小さな王朝や周辺民族はそれぞれ他のカラーグループに割り当てられています。

各王朝・民族には登場ターン、その際の登場の仕方、勝利得点、退場のルールなどなどが定められています。
各プレイヤーは自分が担当する王朝・民族をプレイしながら、それぞれに定められた勝利得点の条件に沿ってポイントを稼ぎ、24ターン終了時点での総合計ポイントで勝敗を決めるということになっています。

概念的な説明だけでは分かりづらいと思いますので、どのような設定になっているかを歴史順に紹介します。

プレイの流れ

1ターン目

1ターン目には戦国7国と若干の周辺民族が配置されています。
1ターン目に最強国である「秦」には他国を圧倒する数の軍隊ユニットと、皇帝(Emperor)ユニットとして”始皇帝”が与えられています(皇帝ユニットは特定の王朝のみに登場するユニットで戦闘時に攻守共に有利になる等の特別ルールが付与されています)。
さらに「秦」には第1ターンの特別ルールとして1ターンの間に全軍隊ユニットの2回行動(ダブルムーブ:移動・戦闘をそれぞれ2回。通常はそれぞれ1回のみ)することができるというルールも付与され、全国統一を表現しています。
「秦」(と他の6大国)の勝利得点の条件は、他の大国のユニットの除去とエリアの占拠数です。これにより、「秦」はダブルムーブを最大限に活かしながら、他の6大国のユニットを除去するように戦争を進め、占拠するエリアを拡大するように動きます。周辺民族については除去しても得点になりませんので(またマップ端の辺境に存在するため侵略の効率を考慮すると)、積極的には行動は起きにくいでしょう。
始皇帝ユニットは1ターンのうちに除去されます(1ターンが数十年~数百年だと考えると複数ターンに渡って存在することはできないということです)。

2ターン目

2ターン目になると別のプレイヤーの担当である「漢」が勃興します。
「漢」の登場ルールは”叛乱”です。この場合の”叛乱”は、「秦」の占拠しているエリアの中から決められた数のエリアにおいて、強制的に「秦」の軍隊ユニットが「漢」の軍隊ユニットに置き換わります。どのエリアで”叛乱”が発生するかはダイスによって決めます。さらに”叛乱”が発生したエリアの周辺エリアについて”叛乱”が波及する可能性があり、波及チェックを行います。この際、文明度が高い軍隊ほど波及しやすくなります(文明度が高くない周辺民族のエリアには波及しにくい)。
「秦」の占拠エリアの中から3~4エリアがランダムに選ばれ、強制的に”叛乱”が発生します。さらに”叛乱”発生エリアの周辺に波及すると「秦」の占拠エリアはほとんど残らず、「秦」の軍隊ユニットは「漢」のユニットに置き換わることになります。さらに「漢」にはさきほどの「秦」と同様にダブルムーブの特典があり、皇帝ユニットとして「劉邦」も確か登場していたと思いますので、2ターン目のうちに「秦」は跡形もなく「漢」に置き換わる流れとなります。
「漢」の勝利得点は占拠エリア数と定められているため、領土拡張に動くように仕向けられています。
「秦」の滅亡が必然だとすると、「秦」のプレイヤーは「秦」が存在できる期間内に最大限勝利得点を稼げるように、行動するということになります。

3~4ターン目

中央部には新たな王朝は登場しません(前漢後漢の区別はありません。「新」もありません)。周辺エリア(モンゴルやカザフスタンチベットベトナム等)にいくつかの新たな民族が登場していたかもしれません。「漢」の勝利特典はエリア数ですので、占拠エリアの拡張に動くことでしょう。これにより「漢」最盛期であった武帝時代の最大版図を目指す動きなっていくことでしょう。

5ターン目

5ターン目には「魏」「呉」「蜀」のいわゆる三国が登場します。
登場方法は”叛乱”です。
「漢」担当のプレイヤー以外のプレイヤーにそれぞれ「魏」「呉」「蜀」が割り振られており、決められた順番(このゲームは各王朝毎に動く順番が決められています)に沿い、「漢」の版図の中で”叛乱”チェックを行います。さきほどと同様に”叛乱”となったエリアの「漢」の軍隊はそれぞれの王朝の軍隊ユニットに置き換わり、周辺エリアへの波及チェックを実施します。
ユニークなのは「魏」「呉」「蜀」の勝利得点はそれぞれ他の2国の軍隊ユニットの除去によってのみ得られます。この条件のため、3国は周辺民族や「漢」の残余には目もくれずにひたすら3国間で相食むように動機づけられています。
「漢」の退場ルールとして5ターン目終了時に除去とあり、”叛乱”を生き延びた「漢」の版図や軍隊ユニットはそのターン終了時には除去されることになります。

・・と長々と書きましたがこのように各王朝・民族にはそれぞれその歴史上の事績をベースに沿ったルールにより興亡していきます。「秦」より先に「漢」が興ったり、または「秦」が登場しないということは本ゲームではありません。設定された王朝・民族は必ず登場するし、また順番性が変わるわけではないです。ただ実際のプレイ中でも度々起こったのですが、「漢」のようにあるターン終了時に全ユニット除去といった強制退場のルールが決められていない王朝が、史実以上に長い期間勢力を残すということは有りえます。
「7 Ages」が文明の登場や滅亡を自由にさせていたのに対すると、本ゲームでは登場シーンと行動が書かれた脚本が予め用意されているといってもよいでしょう。ただ登場した後、どのように振る舞うかのキャラクターの性格付けはされていても具体的な演技部分はプレイヤーに委ねられているといったところでしょうか。

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実際のプレイ写真。10ターン時点で揚子江流域に「隋」が興っていますがそれほど勢力を伸ばせていない状態です。山東半島には「蜀」(紫色)がまだ残っていますが、なぜ「蜀」がそんなところにあるのかは本文内で説明します。他に北より「突厥」(青)「柔然」(赤)「南詔」(緑地に黄色)等の民族が存在しています。

大陸統一を果たしたメジャークラスの王朝・民族の扱い

「秦」や「漢」はダブルムーブのようなルールが提供されていましたが、他にも「隋」「唐」「元」「明」「清」といった大陸統一を果たしたようなメジャークラスの王朝の登場時にはそれぞれに特別ルールが用意され、また皇帝ユニットが付属することもあります(「隋」の煬帝、「元」のチンギス・ハン等)。

王朝・民族の退場パターン

退場ルールについては強制的にあるターン終了時には全除去となる王朝もあれば、別の王朝や民族にそのまま交代するといったものもあります。退場にあたって実際のプレイの中で最も多く起こり得るパターンは別の王朝・民族に攻め滅ぼされるというものです。
各王朝・民族には滅亡させられた時に、攻め滅ぼした王朝・民族側にポイントがはいることになっています。さきほど勝利得点は各王朝・民族毎に定められていると書きましたが、別の王朝・民族を滅亡させた時に形状される得点だけは共通的にどの王朝・民族も得ることができます。
この際の得点はやはりメジャークラスの王朝・民族は得点が多く、小さな王朝・民族は得点が小さいです。いずれにせよ、この得点目的で滅亡させられる王朝・民族が退場パターンとしては多いということになります。

五胡十六国時代”と”六代十国時代”*1の扱い

この2つの時代は版図が小さかったり治世期間が短い王朝が次から次へと登場した期間ですが、この扱いも感心したひとつです。
例えば前者の場合、「五胡」と「十六国」という2つの王朝カードが用意されており、それぞれ2人のプレイヤーが共同で担当します。担当したプレイヤー2人はそれぞれのプレイヤーの手番にユニットを移動させることができ、また得点を得ることができます。
後者の時代も同様です。「六代」と「十国」と2つの王朝として2人プレイヤーずつで担当します。
いずれもその直後に興ったメジャークラスの王朝に攻め滅ぼされるのですが。

ゲームルールについての補足

各王朝・民族については各ターンにおける手番がすべて決まっています。
自分の担当する王朝・民族の手番でユニットの移動・戦闘、またユニットの生産ができます。

エリアは平地(Plain)エリアと山岳地(Highland)エリアがあります。一定のターン以降で海南島へ移動可能になります。また王朝によっては海を渡って台湾に移動させることができます。
なおいわゆる中国の版図の外側のエリアは周辺民族が発生するエリアとしては使いますが、移動先や戦闘等は起きません(例えば、ロシア、モンゴル、カザフサタン、インド、ネパール、ベトナム等)。

平地エリアはスタック制限3ユニットまで、山地は2ユニットまでです(その王朝・民族の手番終了時にオーバースタックであれば、その分を除去)。

軍隊ユニットが他の王朝・民族ユニットがいるエリアにはいると戦闘となります。
戦闘は1D6を戦闘に参加するユニットの個数分振り、攻撃側が4~6、防御側は5~6が出ると相手ユニットを除去することになります。攻撃側有利な戦闘解決になっていますので、積極的に攻撃するように動機づけられています。
山地エリアの場合はその数値が前者は5~6、後者は6になります。
また「英雄」ユニットがいると数値は前者が3~6、後者が4~6になります。
山岳地エリアに存在するユニットを攻撃する場合は攻撃側のダイスにマイナス修正がつき、防御側有利となります。このためゲーム中でも王朝を存続させるために山に籠もる王朝が度々発生しました。
皇帝ユニットと同じエリアにいる軍隊の場合、自分のダイスに+1、さらに相手のダイスに-1の修正を行いますのでかなり強力です。
「元」と近代になって登場する「イギリス」「ロシア」「ドイツ」「フランス」「日本」といった列強のユニットについては攻撃時3~6、防御時6での除去となり、かなり強力です。皇帝ユニットである「チンギス・ハン」率いる「元」の軍隊ユニットなど最強と言えます。

ある程度のエリア数を持っていると軍隊ユニットの生産ができるようになります。ただ各王朝・民族によって最大配置できるユニット数には限界があります。例えば「元」には20数ユニット与えられていますので中国大陸を席巻した最盛期には隅々に軍隊ユニットを配置することができるのですが、弱小の王朝や民族は数個ユニット(例えば3個ユニット)しか与えられていないことが少なくありません。これらの弱小王朝・民族は最大限勢力を拡大したとしてもユニット数分のエリアしか版図を広げることはできません。

その他(ゲームっぽい部分)

歴史に材をとったとはいうもののマルチプレイヤーゲームとしていかにもゲームっぽい部分もあります。
各プレイヤーにはゲーム期間中に1回だけ使える特殊能力が2個与えられます。ひとつは戦闘時のダイス修正を+1するという権利。もうひとつは各プレイヤーにより能力が異なるかもしれませんが、当方のものはダイスを1回だけ振り直すことができる権利です。

またいかにもゲームっぽい展開としては、自分が担当する王朝・民族同士で戦闘をさせ、片方を滅亡させることによってプレイヤーとしてポイントを得るということがあります。

 

実際のプレイ

さきほど三国の勃興までを簡単に紹介しましたが、実際のプレイの中での展開をご紹介します。ターン数については記録をしていませんでしたので割愛します。

三国時代

「魏」「呉」「蜀」の3国については相互に戦闘を行い除去したユニットだけが得点になることは記述しましたが、占拠したエリア数は関係ないためエリアの占拠ではなく、他2国の存在するエリアに相互に侵略を繰り返すことになります。
ただ次のターンになるとすぐに「五胡」「十六国」が興ます。
ここで「魏」が「晋」になったかは記憶が定かではないです(「魏」から「晋」へは”謀叛”ではなく皇帝の交代により簒奪されたので同一とみなされていたかもしれません)。ただ「魏」も「呉」もすぐに滅ぼされます。「蜀」だけがさらに次の「隋」の登場のターンまで生き延びたのですが、これは王朝を滅亡させた時に得られるポイントが「魏」「呉」よりも小さい最低値の1だったのでどのプレイヤーからも見向きもされなかったという訳です。

隋・唐時代

やがて「隋」が興ます。
「隋」も特別ルールにて「煬帝」ユニットとダブルムーブといった中国統一の仕掛けが用意されています。これにより中央部を中心に「隋」は勃興します。
おそらくこのあたりで「蜀」は滅ぼされたと思います。

「隋」の勃興の次のターンには「唐」が興ます。
「唐」は「隋」の版図内で叛乱を起こし、周辺に波及します。
「唐」の平和も長くは続かず、「六代」「十国」やがて「宋」。周辺でも「西夏」「遼」「金」といった民族や国家が勃興します。

元の中国統一

モンゴル「元」は非常に強力なルールが付与されています。
モンゴルとカザフスタンに大量の部隊が登場し、「チンギス・ハン」ユニット、さらに初登場するターンにはダブルムーブどころかトリプルムーブになります。「元」の軍隊ユニットは、通常の軍隊ユニットでは移動の妨げになる山地エリアも通常の平地エリアと同様に踏破できます。
こうした特別ルールの適用により、中国大陸は北の満州から南の海南島まで全て「元」が占拠することになりました。完全な中国大陸の統一が実現したのです。

「元」はある時点で占拠しているエリア数で得点した以降は、他の王朝・民族を滅亡させる滅亡ポイント以外のポイントは得られなくなります。

漢民族の反抗

完全統一を成し遂げた「元」の版図内で”叛乱”が起き、「明」が立ちます。
「明」も特別ルールで版図を広げることになります。

この時、「元」は多くのエリアを失ったのですがチベットや北方エリアに勢力を残し、実はそのまま国共内戦時代まで生き延びることになりました。それなりの滅亡ポイントもあるため、他の王朝・民族から狙われる可能性は十分あったのですが、山岳地エリアに居座ったこと、また衰えたとはいっても複数エリアを占拠していたことから1ターンで滅亡させることが難しかったため、効率を考えると他の王朝から手出しができにくくなったのが生き延びた理由です。プレイにおいては途中、侵攻してきた列強「日本」の軍隊ユニットを全滅させるなど不可思議な状況も発生したのでした。

その後

「明」の勃興の直後に早くも女真族が興ます。やがて彼らは「清」となり「明」にとってかわります。
その「清」も「太平天国」の”叛乱”を迎え、さらに海岸エリアを中心に、「イギリス」「フランス」「ドイツ」「ロシア」「日本」といった列強に蚕食されます。
「イギリス」「フランス」「ドイツ」は適当なところで撤退するのですが、「ロシア」と「日本」は数次に渡って侵略を繰り返します。
最後はそれぞれ「毛沢東」ユニット、「蒋介石」ユニットに率いられた「共産党」と「国民党」が登場し興亡を締めくくるのです。

感想

ゲームデザインセンスに唸りました

「7 Ages」でも感じましたが歴史を俯瞰し通史全体をひとつのシステムに落とし込むセンスが素晴らしいものがありました。さらに本ゲームでは、それぞれの文明・民族について登場から滅亡、また存在していた期間中の行動の動機づけも含めてそれっぽく仕込んでいたのには非常に感心しました。
各プレイヤーは担当する王朝・民族のルールに沿って行動を行すことで史実と似たような経緯をたどっていくことになります。
この点、「7 Ages」ではアバウトに感じた部分も納得感のある形で中国の通史を体感できることになったのです。

さらに午前中よりインストをはじめて夕方の少し前には最終ターンまでたどりつくことができました。飽かすことなく(ただまぁ近代になると若干生々しくはなりますが)、適度な時間内に収めるというデザインの加減は見事でした。

4人ともそこそこに中国の歴史にあたりがあると非常に楽しめるのではないでしょうか。

中国を舞台にした英語圏デザインのゲームをプレイするときの障害

最後に中国を舞台にした英語圏のゲームをすると当然のことながら国名、地名、人名等々様々な固有名称がアルファベットで記述されます。日頃中国の名詞を漢字表記で見慣れている身からすると非常にわかりづらい。今回も対訳はあったのですが、いちいち参照するのは面倒でしたね。まだ自分の担当国・人名・地名は参照しても、他プレイヤーの分まではなかなかチェックはできません。
かろうじて、デザインの関係で王朝・民族を表すカードに漢字表記があったので、親近感をもって挑むことができたのですが、これもなかったらプレイアビリティが非常に悪くなったのではないかと思います。

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小説十八史略(一) (講談社文庫)

小説十八史略(一) (講談社文庫)

  • 作者:陳 舜臣
  • 発売日: 1992/01/08
  • メディア: 文庫
 

 

*1:五代十国ではないの?という話もあるのですが、ゲーム内のカードには六代とあるんですよねぇ。もしかすると英語圏ではそのようになっているのかなと

「ミリタリークラシックス 70号」(イカロス出版)を読む

季刊のミリタリー雑誌「ミリタリークラシックス70号」です。

 

yuishika.hatenablog.com

 

第1特集は「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳

軍縮条約の関係でいったん潜水母艦として建造されその後、航空母艦に改造された艦艇。過去号で「隼鷹」「飛鷹」、「千歳」「千代田」と2隻ずつ特集されていたのでそろそろ来るかとは思っていましたが、鳳チームでまとめて3隻の登場です。

迫力のイラストに始まり、装備、艤装、建造経緯、運用と編成、艦上機運用、戦歴とあり、仮想戦記、関係人物、図解イラストページ等と続く本誌得意の手慣れたアプローチにより解き明かしていきます。他にも、細かな情報として、米軍からの評価、日本また他国における改造空母の状況等にも触れています。

他ではあまり見ることがない情報として、今回特に興味深かったのは次のような点です

  • 改装前の潜水母艦時代がどのような艦であったのか
  • 航空母艦への改造を前提として建造検討時からどのような考慮がされていたのか
  • 航空母艦改造後の各種装備(例えば、搭載機の着艦時に用いる装備や、噴進砲、電探等)
  • 小型空母ならではの艦上機運用、空地分離後の航空隊運用
  • 甲板上に艦橋等を持たない「平甲板型空母」の運用への影響(珊瑚海海戦での「祥鳳」の喪失につながったのではないかと示唆されている)
  • 唯一残った「龍鳳」の活動

第2特集はイタリア戦闘機

第2特集はイタリア空軍の主力の単座戦闘機3機種、マッキ社のMC.200/202/205です。
正直言うとイタリア機については全く知識がありません。本誌でもイタリア機を特集として取り上げるのは初めてではないかと思います。
今回の3機種、200と202/205とでは機体形状などを見てもかなり違うのですが、実際は同一の機体をベースにエンジンを空冷から液冷に換装させたシリーズとのことで、機体サイズはほぼ同一です。

  • MC200は空冷式エンジンを搭載、胴太の鈍重な印象。エンジン配置の関係で操縦席はやや後方に寄っている。操縦席を後ろに寄せた関係で視界が悪化したため、改善のため操縦席の高さを上げたら、機体形状がクラシカルな胴太なスタイルになったとのこと。
    機首エンジンのカバーになるカウリングの周囲を囲うように涙滴型の張り出しがボコボコと出ていて個人的には非常に気持ち悪い形状をしている(エンジン径を小さくするためにこのような形状にしたのだろうか?複雑な形状故、生産時の手間がかかりそう)。
    最大速度毎時500キロ。航続距離870キロ。武装12.7ミリ機銃2丁。1939年より本格生産開始。総生産機数約1100機。
  • MC202はMC200からエンジンをドイツ製の液冷エンジンに換装させた機体。液冷エンジン機らしくスマートなスタイルでMC.200とはかなり異なる。違い過ぎて、むしろ202/205のほうはドイツのメッサーシュミットBF109の親戚かと思うくらい。
    最大速度毎時600キロ。航続距離765キロ。武装12.7ミリ2丁、7.7ミリ2丁。1941年より本格生産開始。総生産機数約1100機。
  • MC205は202のエンジンを高性能なものに換装したもの。スタイルはほぼ202と区別がつかない。
    最大速度毎時650キロ。後続距離855キロ。武装20ミリ2門、12.7ミリ2丁。1942年待つより本格生産開始。総生産機数約260機。

スペックだけを見ると液冷エンジン機は高速ですが、全体には武装が貧弱に見えます。総生産機数等は他国の主力クラスの機体に比べると1桁少ないですね。
茶系統のベース等、イタリア空軍の迷彩塗装パターンは目新しいものがありました。他にも、開戦時のイタリア空軍戦闘序列、地中海から東部戦線まで広がったイタリア空軍の戦歴記事など読ませます。戦後も中東戦争で使われたりしたというエピソードもユニークですね。
他にも本誌の特集記事のパターンとして、著名パイロット、他国の同種機体との性能比較などもあります。

特集記事以外では

連載記事「海外から見た日本艦」では特型駆逐艦が取り上げられています。世界的に見ても近代的な艦隊型駆逐艦として同時代の全世界の駆逐艦設計を牽引し、大戦初期には英米駆逐艦では対向困難とされた、といった評価だそうです。まぁ対空能力・対潜能力は低いとされていますが。

四発攻撃機の「連山」、またASLで日本軍が非常にお世話になる「八九式重擲弾筒」などの記事も目を引きました。

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Advanced Squad Leader に登場する「八九式重擲弾筒」(Type 89 Heavy Granade Laucher)
50ミリ迫撃砲。射程が640メートルと実際の射程距離と同等に設定されている。またゲーム内の他国の迫撃砲と異なり隣接ヘックスにも射撃できるので、歩兵の支援火器としては有用に設定されている。
榴弾と煙幕弾を射撃可能。可搬性は重機関銃クラス。このクラスの迫撃砲は単体ではそれほどの火力ではないものの、射撃頻度があるため相手方からは”うざい”兵器になる。また日本軍は全体に火力が不足するため有力な支援火器となる。
日本軍の歩兵部隊の編成にあわせて、シナリオでの登場も重機関銃あたりよりもよく登場するため、日本軍プレイヤーはお世話になることが多い。

次号は「鍾馗」と「ISスターリン重戦車」が特集とのこと。

 

MILITARY CLASSICS (ミリタリー クラシックス) 2020年9月号
 
MILITARY CLASSICS (ミリタリー クラシックス) 2020年6月号
 

 

大河ドラマ「太平記」15話「高氏と正成」:戦場から戻った彼らを待ち受けていたのは、かくも息苦しい世界であった・・

前回のあらすじ

赤坂城落城により楠木正成は伊賀に逃れたと言われる中、足利軍は落ち武者狩りを行う。
高氏は、かつて自分の前から姿を消し、伊賀に棲むという藤夜叉母子に会いたいという思いと、会うことで厄介事に巻き込みたくないという思いに挟まれる。
一方の藤夜叉は楠木正成と共に出ていった”石”を助けたいと思い、その願いを伝える先として高氏に会わせて欲しいと、右馬介に依頼する。
かつては二人を遠ざけるように動いていた右馬介だが、その右馬介の手引により二人は束の間の再会を果たした。

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伊賀の関にて

楠木正成らしき人物を捕らえたという報に足利高氏真田広之)らは関所に向かう。

そこには捕らえられた花夜叉一座が引き据えられ、中には”石”(柳葉敏郎)や楠木正成武田鉄矢)がいた。先着していた北条軍の将土肥佐渡前司(大塚周夫)も同席する中、高氏による検分が始まる。

捕らわれたのは花夜叉一座。花夜叉は、高座の高氏らに対して、熊野神社の神事に呼ばれ、歌舞を奉納に行く途中だ、と説明する。
「・・では、その舞を披露仕れ。天下泰平の舞を所望致す。」高氏が花夜叉(樋口可南子)に命じる。
「易きことにございます。見事舞ますれば、お通しいただけましょうや?」
「うむ」花夜叉の問いに諾と答えた高氏を驚いて見る土肥前司。

が、
「待て!」歌舞の準備をする一座を高氏が止める。
そのものの舞を所望致す。そのほうじゃ
高氏は座ったままの正成を睨む。土肥前司も高氏の鋭い問いにほくそ笑む。土肥も同じ男に目をつけていたようだ。
「おそれながら、この者は車を引く者にて、舞の議は・・」
あわてて花夜叉が間にはいろうとするが・・
「舞の議は?」高氏は容赦ない。
「未熟者に候えば、お目汚しになろうかと・・」
「構わぬ!」高氏が鋭く言う。

呆然とする一座一行に、やおら立ち上がる正成。周囲に目礼をし、花夜叉のたもとから扇子を抜くと、広げた扇子片手に歌い出した。

「〽冠者は妻儲け(めもうけ)に来にけるや?冠者は妻儲けに来にけるや?・・」
正成の張りのある謡い声に、あわてて一座も手拍子であわせる。
「〽構えて二夜は寝にけるは・・構えて二夜は寝にけるは・・」
と、正成はいそいそと一座の中から大柄な乙夜叉(中島啓江)を引っ張り出す。
音夜叉も即興で袂で顔を隠し初々しい女を演じ、正成に合わせる。
「〽三夜という夜の真夜中に、袴どりして逃げけるわ・・」
憮然と踊りを見る土肥前司。心配そうに二人を見ながら落ち着かず腰を浮かしてかけている花夜叉。

”妻儲け(めもうけ)”とは妻をもうけること。真夜中にやってくるというので、いわゆる夜這いを歌った俗謡。
夜這いに行き、女連れ出したものの、顔を見てみれば意中の女性とは違う女だった、あわてて逃げ出すが逆に追いかけ回された・・といった感じだろうか。

乙夜叉のユーモラスな仕草にどっと沸き、さらには小男の正成が大女に追い回される展開に、周囲の北条軍や足利党の兵達もやんやと大いに盛りあがる。

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お見事!
踊り終わった二人が平伏すると間髪いれず高氏が声をかける。
車を引く者にしてかかるうまさよ。一座の舞の見事なること、疑いなしじゃ!
高氏は床几から立ち上がり、正成に寄る。
「その方、名をなんと申す?」
「吾平と申します」正成が答える。
「悪う思うな、その方が名高き悪党楠木兵衛に似ていると申すものがおってな。念のため詮議を致した。」
戦の最中に兜で隠れた顔が似ていると言っても、見間違うこともあるのではないかと、高氏は土肥前司に聞こえるように、言う。

そのまま一座の詮議を締めようとする高氏の言に驚き、土肥が異議を唱える。
「さりながら・・」
そこもとが見たところ、この一座に不審はない。とく放免致すべしと存ずるが・・
高氏は聞く耳をもたない。それでもしつこく食い下がる土肥に駄目を押す。
「この足利高氏!、人を見る目にいささかの自負がござる。」

軍制はよくわからないが地位としては大将軍とされていた足利高氏のほうが土肥佐渡前司よりも偉かったということだろう。最後は高氏が押し切る。
後の展開から想像すると、このゴリ押しは遠征軍の大将軍筆頭の大佛貞直経由で長崎円喜・高資父子にも逐一報告されていたといったところだろうか。

ここまで言われてしまうと下位の者としてはひっくり返すだけの手立てはない。
土肥一行は憤然と喚きながらその場を去る。
高師直が一座は通って良いと告げ、一座は平服する。

立ち上がった正成に高氏が話しかける。
そこもとが万にひとつ楠木兵衛なら、お尋ねしたきことがあった。
驚いたように高氏の顔を見る正成。

田楽一座の単なる車引きにしては眼光尖すぎるよ、このおっさん。
土肥某が正成と疑うのも無理はないな!

高氏は正成と目を合わせないまま、続ける。
「・・なにゆえ、勝ち目のない戦にたたれたのか、と。
最後にちらりと正成をみやり、高氏は立ち去る。

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しばらく後、
高師直柄本明)が高氏に訊く。
「あの者、舞ができねばなんとされました?」
「舞ならワシとてひとつぐらいは舞えるぞ。」
高氏は、平然と答える。
「ほぅ・・ああ、なるほど・・」得心する師直。

こちらのおっさんもあなどれない。高氏がゴリ押しした茶番を察していた模様。
この飄々としたところは好きですね。

そこへ矢文が射掛けられる。
矢文には・・

おたずねにお答え申し候
戦は、大事なもののために戦うものと存じおり候
大事なもののために死するは、負けとは申さぬものと心得おり候
それゆえ勝ち目負け目の見境なく、
ただ一心不乱に戦をいたすのみにて御座候
どうかお笑い下されたく候
車引き

 とあった。

西園寺公宗

11月初頭、京都に戻った高氏を待ち受けていたのは、後醍醐側大覚寺統を追い落とした持明院統の公卿からの冷たい仕打ちであった。

鎧装束のまま出仕した高氏は廊下にて、取り巻きをつれて歩く西園寺公宗長谷川初範)にゆきあたり、高氏は廊下の端に片膝つく。
「これは治部太夫殿。陣中でもあるまいにそのむさむさとしたお姿は何事ならん?
「おそれながら足利殿はさきほど伊賀より帰着されたばかりにて・・」案内の官吏が公宗に言う。
「されば着替えてご出仕なさればよいものを・・。同じ関東武者でも北条殿と足利殿とでは人と犬ほど作法が違うようじゃな。・・
手に持つ扇子で顔を隠しながらわざとらしく高氏が屈んでいる端に寄るように向かってくる。たまらず高氏は廊下から地面に降りる。
高笑いを残して去る公宗とその取り巻き。

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いやぁ、これまた強烈なキャラが登場した。癇に障る高い声といやらしい低レベルなイジメのような仕打ち。この後、敵役としてどのような活躍をするのかはわからないが、楽しみである。
西園寺家関東申次として幕府との連絡役を担ってきた家系。いわば北条家ひいては長崎家との繋がりが深い。長崎家の足利嫌いがうつってもおかしくはない。またこういう役割を担うものの常として、双方に対して絶大な権力と金が集まっていたことは想像に難くない。

あまりに強烈だったので少々調べると・・
西園寺公宗鎌倉幕府滅亡後、その役は無くなり、夢よもう一度と、地位回復のため北条家残党に対する支援を行ったりする。最後は後醍醐天皇を宴に招き暗殺を試みるが事前に露見し、高師直らに囚われ、さらに護送中に処刑されたという(ドラマでここまで描くかは不明)。明治の元老のひとり西園寺公望はこの子孫にあたる。

補足:西園寺公宗は新政が成った後、後醍醐帝暗殺を企て失敗するというところで再登場する。捕らえたのは高師直ではなく新田義貞ということになっていた。なお処刑までは描かれない。ドラマ的には中先代の乱という大事件が起こるためそれどころではなくなっていたのである。

京都の逗留場所である上杉邸で西園寺公宗の仕打ちの話を聞いた直義(高嶋政伸)が高氏に言う。
「兄上、それは挨拶されておいたほうがよいかもしれませぬぞ。
・・やはり笠置に立たれた先帝は立派なお方であったということです。学問においては朝廷に並ぶもの無しと言われ、世を正さんとする熱も度量も人並み外れた大きなお方であった。楠木兵衛殿が勝ち目のない戦に乗り出すだけの理由はあったんです。
・・そういう御方を敵の持明院統は怖れた。幕府も怖れた。よって追い落とす。
だが、都のみんなは知っております。新しい帝より先帝がはるかに立派な御方であった、と。西園寺卿もどの公卿もみなそれを知っている・・。
・・西園寺卿は北条得宗家、とりわけ長崎円喜殿と親密だと申します。
・・行き先大事を行うならここは持明院統に睨まれるのは得策ではない、と・・」
「直義からそのような説教を聞くとは思わなんだ・・」と高氏が返す。

楠木正成の弟正季ほどの猪武者ではないにしろ、直情径行の気があった直義にしてはいつになく冷静な分析。京都在中期間中にキャラ変したか

先帝の様子は如何かという高氏の問いに対して、六波羅の後醍醐帝に対する仕打ちがひどいと直義が言う。
「・・下屋に灯りもいれず、この寒さに火桶もいれず、並のものならとうていもたぬようなひどいものだと」

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旧暦11月なので現在の12月、京都は寒く、直義も火鉢の炭を熾しつつ、寒い寒いと口にしている。
で、この寒い寒いという描写は次の後醍醐帝の軟禁される六波羅の描写に続いていく。

囚われの先帝

「探題を呼べ!仲時を召せ!」
と軟禁された部屋から叫ぶ後醍醐(片岡仁左衛門)の声。
「かかる仕打ちやある!仲時まいれ!
火がのうては寝るにも凍える。かかる仕打ちやある。疾く火をもて!・・誰かある!誰かあーる!」

仲時は六波羅探題北方の北条仲時の事。
後醍醐天皇役の片岡孝夫片岡仁左衛門だが、見目の神々しさは今までも再三見てきているが、ここまでの声を張り上げるようなセリフや長々しいセリフは初めてだと思う

「お上、火桶の議ならば忠顕より重ねて探題に申し伝えます。なにとぞ御自らお声をかけますることは・・」
真っ暗な部屋の中で申し訳無さそうに、はたまた帝の玉音を直接外の者達に聞かせるのは恐れ多いと思うのか、声をかけるのは後醍醐の側近、千種忠顕本木雅弘)。

「よい、こうして声をあげれば体もあたたかる。後一度吠えれば今日は終わりじゃ。カーッカッカ」後醍醐はそんな忠顕の心配などまったく気にしていない。生きていればヒゲも伸び、垢も出ると自嘲げに言う後醍醐。
「・・ようやく朕にも人間の匂いがしてきたぞ!見ておれ、朕は、必ず、生き抜いて見せるぞ」自らに言い聞かせるように口にする帝。

そこへ、
「鎌倉殿の命により本日より、お給仕の労を相勤めまする佐々木判官にございまする。
・・これまで御座に火桶一つ入れ賜らんとは、知らぬこととは申せ、恐懼の至りにございまする。この佐々木が給仕を相勤めまする以上、火桶、灯り、朝夕の給仕に万不足の無いよう致す所存。帝にこの旨ご奏聞くださりますよう。」

声を張り上げて芝居がかった節回しで登場したのは佐々木判官こと、佐々木道誉陣内孝則)。またもやお前かの感が強いが、幕府内でもうまいこと泳いでいるということなのだろう。

「いまひとつ!」
さらには道誉は忠顕に対し、後醍醐の愛妾阿野廉子(三位局)(原田美枝子)も連れてくることが可能と、帝に「ご奏聞くだされ」と告げる。

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美しゅう都

その年の暮、幕府は後醍醐の隠岐の島への流刑を決める。

高氏は京からの辞去に挨拶に西園寺公宗の館を訪ね、またも公宗より絡まれる。
「これは誰かを思えば、今頃何の御用でまかりこされた」
「はっ、治部太夫、京にまかりこしたこの折にご尊顔を拝したてまつりたく・・」
「はて、ご尊顔を拝すにはいささか遅うはないか?」
「その議、面目なく候へば、一言暇を申して鎌倉に罷りたたぬと存じ・」
ぶった切ったのは公望
「暇なら、北畠殿や大覚寺の方々に申されてはいかがかな?」
取り巻きの中から嘲笑が起こる。
「それとも、先帝が隠岐へ流し奉られる議をお聞き及び、あわてて我らに寝返りあそばされるか?
「先帝が?隠岐へ?」
ご存知なかったか。おいたわしや。先帝は隠岐の島へ配流と決したそうじゃ
またもや嘲笑・・。今度は後醍醐とその周囲の者達への嘲笑だろうか。

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辞去後、門前で待っていた直義に、高氏は言う。
「直義、京の都も鎌倉を同じになってしもうた。美しゅう都ではのうなった。
ワシには帝は今でも先帝お一人だと思われるのだ。・・直義、鎌倉へ帰ろう・・

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天下安泰

表向きは隠居している長崎円喜フランキー堺)が風邪をおして出仕しているところに、現内管領長崎高資西岡徳馬)が訪ね来る。円喜の周りは官吏が取り巻いている。
円喜の元には、遠征軍へ参加していた長崎高貞*1からの書状が届いていた。
円喜は遠征の顛末として、護良親王楠木正成を取り逃がしたことを嘆く。
「・・2万もの兵を送り込んで何をいたしておるというのじゃ。はーぁ、執権貞時公ご存命の折にはかかる手落ちなど思いも及ばなんだら」
「ははは、父上はあれこれお気になされすぎじゃ。先帝は捕らえたのです。都の勅許さえでればすぐにでも隠岐へ送り奉ればよい! これで我らに矢を向けるものも意気阻喪しましょう。もはや天下は安泰じゃ! 」
自身満々な高資は「のう?」と周囲の官吏の同意をとるように言う。
「さようかの?」と言いながら手元の紙で大きく鼻をかむ円喜。
「この円喜には此度の戦いぶりには解せぬものがある。とりわけ足利殿の戦いぶりには解せぬ。六波羅探題は何も気づいてはおらぬが、この円喜の目はごまかせぬ。足利殿の戦は戦にあらず。

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鎌倉へ帰る

高氏らが鎌倉の屋敷に戻る。無事を喜び合う一行だが、難題が待ち受けていた。
遠征に出る直前に逝去した父貞氏の弔いについて、幕府が禁じてきたのだ。
足利家の弔いともなれば諸国より一族・郎党が参集することになり、この”世情乱れたる折節なれば穏やかではない”という。執権赤橋守時も、やむをえぬ沙汰だと、申し訳ないと言ってきた。
父の弔いをやらぬとあらば、かえって北条殿に恨みを抱く一族もあらわれよう。このまま引き下がるわけにも参らぬ。この議、得宗殿に直々にお願いいたそうぞ

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慈悲の心は犬に食わせてしもうた

仏の絵を書きながら愛妾顕子(小田茜)と戯れている元執権北条高時片岡鶴太郎)。執権職は退いたものの北条家宗家を表す”得宗”の座には居続けている。
訪問したのは、長崎高資と高氏の二人。
「足利殿、ようまかりこされた。よーうおかえりなされたのぅ。」ゆっくりとしたしゃべりをする高時。
得宗殿におかれましては、お変わりもなくご健勝と拝し、お慶び申し上げまする。」
「うん。そこもとも此度の戦は大義でござったのぅ。京都での御働き逐一聞き及んで感じ入っておった。なにはともあれ勝ち戦。慶賀よのぅ。」
「はっ」頭を下げる高氏。

水を差すのは高資。
「戦勝の祝い事はいずれまた執り行いたい所存にございますれば、本日は足利殿のご用件のみお伺いいたしまする。」やりとりを遮り、用件を高氏に促す。
「おそれながら、我が亡き父貞氏の弔いごとにつき・」と高氏が切り出すと、
「その議なれば執権赤橋殿よりお話が・・」高資が遮る。が、負けじと高氏が声大きく反駁する。
「聞きおよびましたが合点がいかず」
「合点がいかねばなんとなされる」
高資も高氏も互いに顔も見合わせずに言い合いとなる。
改めて高時に対して話を切り出す高氏。
得宗殿、広大なるお慈悲にすがり鎌倉にて弔いごと、その願いの議これなる書状に」と高氏がたもとから書状を出し高時の前にだすと、高資は扇子の先で書状を払った。
「ならぬと申しておるのじゃ」
これには高氏も怒り
「理不尽なる申されようじゃ」と言う。
「なにぃー」高資も下がらない。
「高資!、足利殿に対して口がすぎようぞ」高時はいったんは高資を諌めるが、「もうよい、もうよい」そっぽを向いてしまった。
高資はそのまま座を辞し去ってしまう。

残された高氏と高時。高時は色をつけようとしていた如来の絵を高氏に見せる。
「足利殿、近頃ワシはこのような絵を書いておる。これを書きながら念仏を唱えれば極楽浄土に行けると母御前が教えて賜うたのじゃ。が、どうもわしには極楽は見えて来ぬ。
ある僧侶がこう申した。仏の顔は我ら凡俗には生涯見え申さぬ。信じる他はない。信ぜよ。・・顔も見えぬ仏をどうやって信ぜよというのか?ワシにはとんとわからぬ。」

表情がない金壺眼。やや甲高くゆっくりした話し方。どこまで本気かわからず、どこに行くのかわからないその内容・・。聡いのかそうではないのか、よくわからない。母御前(覚海尼)とおそらく長崎円喜には従順。田楽踊りと闘犬が何よりも好き・・。

「足利殿。目に見えぬものを信じられるか?」
「信じたくございます」
「例えば何を信じる?」
得宗殿のお慈悲の御心を・・
・・慈悲の心は犬に食わせてしもうた。・・長崎がそういたせと申すのでな。・・長崎は先帝も隠岐で殺してしまえと申す。それが世の安泰のためじゃ、と。おそれがましきことよのぅ。だが母御前は長崎と仲よーいたせと申す。それが鎌倉のためじゃ、と。ワシにはとんとわからぬ。先帝を殺したてまつり、浄土も見よと申すのか?
・・とは申せ、この高時あるは、母御前のおかげ、長崎のおかげじゃ。先帝を殺し、浄土も見ねばならぬ。ワシは忙しい。
高時と高氏が話す背後で顕子が仏絵に朱の絵の具を垂らして遊びはじめる。それを見た高時はニヤリと笑い、そのまま顕子を背後から抱くようにして、仏絵や衣が汚れるのも気にせず戯れ始める。
高氏が提示していた書状は戯れの中で破られ、ぐちゃぐちゃにされる。高氏は、「これ、足利殿!」と呼び止める高時の声を無視して、その場を立ち去る。

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「犬に食わせてしもうた」とのセリフのところで思わず笑ってしまった。
北条高時が登場するような歴史ドラマ・映画はそうそうないと思うが、この片岡鶴太郎が演じた高時像は強烈すぎて、これを超えるのはなかなか難しいのではないかと思えるほどの怪演。
セリフが一切ない顕子との戯れのシーンなど狂気がはいっていたように思う。

 

 感想:かくも息苦しく生きづらい世に・・

「帝の兵に1本の矢も射たなかった」と北条家による命令に対する一種のサポタージュを貫徹したことに溜飲を下げながら、戦場から戻った高氏を待っていたのは、西園寺公宗に代表される持明院統の公卿達からの蔑み冷笑と誂い、さらに鎌倉での長崎円喜・高資父子からの悪意に満ちた仕儀。

なんと生きづらい、息苦しい世界だろうか。
一族郎党、家族も含め数万の足利党の惣領として舵取りをしなければならない高氏の苦労は大変なものがある。家の取り潰しはそのまま死を意味する時代だ。
このような情勢では、確かに女性問題ひとつにとっても長崎家の揚げ足を取られるようなことは慎まなければならないであろう。かつて父貞氏が、右馬介に命じて藤夜叉を遠ざけようとしたのもそういうことなのだろう。
また貞氏もこうした幕府からの冷たい扱いに汲々として世を過ごしたと高氏にかつて語っていた。

幕府からの仕打ちに怒り、暴発するは簡単だが、それは鎌倉時代の中で度々発生していた有力御家人の叛乱と同じで鎮圧されるのは必至。一時、長崎円喜も貞氏をけしかけて、足利家取り潰しまで考えていたような描写もあった。

佐々木道誉は、長崎父子より暗殺者を差し向けられた時、長崎円喜の足元に泣いて這いつくばって許しを請うたが(道誉の事なので多分に演技がはいっていたのだろうが)、誇り高い高氏には道誉のような手のひら返しはできないだろう。

冒頭パートの”車引き”こと楠木正成からの文が敵味方を超えたさわやかな関係を見せていただけに、京都での新秩序また鎌倉での足利高氏を取り巻く状況の厳しさは改めて足利党・高氏の置かれた立場を思い起こさせられた。

一方で逆に考えると、長崎父子はここまで足利一党を追い込む必要があったのか、という点がある。北条高時金沢貞顕、現執権赤橋守時のいずれも足利家に対してそこまでの敵対的な態度をとっているわけではない。むしろ懐柔し穏健な関係を取り結ぼうと相手側から足利側に働きかけていたような状態だ。
唯一、長崎父子だけが高圧的で冷たい対応をしているように見える。

 今回もうひとつ描かれたのが後醍醐帝の人徳という点だ。
笠置山挙兵のエピソードの記事の際に、なぜにここまで各地の豪族達が後醍醐天皇を支持したのかという点を指摘したが、今回のエピソードではじめて高氏の口を借りて語られた。
最後に久々に登場した鶴太郎ならぬ北条高時
セリフの内容やセリフまわしのひとつひとつもそうだが、最後に愛妾と戯れてみせるその様子は狂気をはらんでいるようで、彼自身もおかれた立場の中で煩悶し、あげくは現状逃避を図っているように見えた。

 

いずれも、今後の足利高氏謀叛に向けた布石が打たれたエピソードとして印象に残る回となった。

 

 

yuishika.hatenablog.com

 

 

*1:長崎高貞は長崎円喜の子。長崎高資の弟にあたる。

「歴史群像 162号(2020/8)」を読む(本誌分)

歴史群像162号。
このところ夏の号ではボードゲームが付録として付けられる事が恒例化している。
付録ゲームのほうはプレイ後に別途書くとして、今回は雑誌本体を見ていく。

 

カラーページが面白い。

カラーページ冒頭は志布志湾本土決戦準備」
1945年秋に予定されていたアメリカ軍による南九州上陸の一番の候補地であった志布志湾に構築された防御陣地と想定されていた作戦概要を日本軍視点で書かれた。
震洋・回天の特攻兵器による攻撃に始まり、重砲によって密に構築された火線網、水際陣地とその作戦、後置された逆襲用の装甲部隊・・等々。
アメリカ軍の上陸地点をしっかりと読み切っていた(ウィキによれば日付含め読み切っていたと書いてある)という一方、対戦車兵器の不足から対戦車戦闘は基本、爆雷を抱えた肉弾戦が想定されていたという点や、練度の不足から地形を利用した後方での戦闘は無理と、水際での作戦遂行が想定されていたといった実態も含め、つくづくここで留めておけてよかったという思いを強くした。

「94式軽装甲車」の記事では、豆戦車というにはさらに弱体なこの車両が、日本軍が想定していたある作戦に用いるために設計されたと紹介している。欧米の軍にはない日本軍ならではの特殊な事情と想定作戦に少々複雑な思いをいだいてしまう。

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ASLに登場する同車両。
軽機関銃クラスの機銃装備の砲塔。一人砲塔なので砲塔の回転速度は遅く、車長が砲塔上に露出している場合は機関銃の射撃は不可。機関銃の機械的信頼性はやや劣る。車体サイズは”very small”。装甲は無きに等しい。被破壊時の操作班生存可能性は高くない。不整地走行性能にやや問題あり、といった性能。
といった情報がユニットカウンタ上から読み取れるというASLの車輌ユニットの様式美。凄まじい情報量(操作班の生存可能性の情報だけはユニット裏面に記載)。
軽機関銃1丁程度の火力で、装甲も期待できないとなると、前線ではなかなか使いようがない装甲車両。

 

 

付録ゲームにあわせてか「ウォーゲームの歴史」ということで兵棋演習などにはじまったウォーゲームの古代からの歴史の紹介記事も面白い。
GMTの「ネクストウォー」シリーズが海兵隊の学校で使われたという写真が紹介されている。

 

第1特集はキスカ島撤退作戦」

時系列を言うとアリューシャン攻略としてアッツ・キスカ島の占領は1942年6月。
翌1943年5月にアッツ島玉砕。7月までに実施されたのがキスカ島からの撤収作戦。
夏でも天候が変わりやすい北太平洋島嶼においていかにして作戦は遂行されたのか?詳細に語られる。
ただ当初の島の占領自体が作戦目的が見えづらく、悪手だという思いは拭えず、そうなると撤退作戦も、いかに”奇跡”だったと言っても、そもそものマイナス分をややゼロのほうに戻しただけに見える。
ミッドウェイ戦がうまくいった場合は、アリューシャン攻略後に違った展開があったのだろうか? (過去号に掲載されていそうなので後で探してみよう)。

第2特集はネプチューン作戦」

ノルマンディー上陸作戦における海上作戦全般、艦砲射撃、輸送、補給等々の全てを統括した作戦名らしい(対する地上作戦がオーバーロード作戦)。
大規模上陸作戦はすでに北アフリカ、シシリー島と経験してきていたとはいいながらも、物量・兵站などを考慮するとどれほどの計画、また実施にあたっての管理・運営だったのか、と実施陣容や労力なども非常に気になる。

他にも、立見尚文伝」桑名藩藩士として戊辰戦争を戦い、その後日清・日露戦争で活躍する、司馬遼太郎の「坂の上の雲」では賊藩の出身だったため軍司令官にはなれなかったが稀代の戦上手として印象深く描かれていた人物を、一次資料を元に描いた。

また戦国大名の軍隊は兵種別編成だったのか?」という記事は、ゲーマー視点で大変興味深い。

 

 

歴史群像 2020年8月号 [雑誌]

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  • 発売日: 2020/07/06
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大河ドラマ「太平記」14話「秋霧」:かつての想い人との7年ぶりの再会に何を思うか?

前回までのあらすじ

後醍醐天皇が籠もっていた笠置山が落城。
京都に戻った足利高氏北畠顕家後藤久美子)の訪問を受ける。
顕家の依頼に応じて会った北畠親房近藤正臣)は高氏に対して、後醍醐天皇が暗殺などに遭わぬよう守って欲しいと頼んできた。

高氏のかつての腹心、一色右馬介大地康雄)は伊賀に攻め入る足利軍の先駆けとして情報収集や地元豪族の懐柔工作を続ける一方、具足師柳斉として藤夜叉(宮沢りえ)とその子不知哉丸が暮らす里へも通っていた。
その右馬介に対して、田楽一座の花夜叉(樋口可南子)は、伊賀に落ちてくる楠木正成武田鉄矢)を助けるように高氏に伝えて欲しいと頼んでくる。

楠木一党500人が籠城する赤坂城では1ヶ月を超える攻防の後、兵糧・矢などが尽き、これ以上の抵抗は不可能と開城する。楠木正成は自らの戦死を偽装した上で、農民に身をやつし、”石”(柳葉敏郎)の案内で伊賀に落ち延びようとしていた。

 

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伊賀始末

赤坂城が落城した時点では足利軍はまだ伊賀から河内への進軍中であったが、落城によりその役割は城攻め・包囲から、残党狩り、謀反側の武将や公卿達の落人捕縛に役割が変わることとなった。
殿、無念でござりまする。我が軍は矢を一本も射たずして鎌倉に帰らねばなりませぬ。
帝の兵には矢を射たないという高氏の意を汲んでか、高師直柄本明)は言葉とは裏腹にしてやったりという表情で言上する。

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「まだ落人狩りが残っておる。油断いたすな。その書状にある通り、このまま伊賀を突っ切る。」

高氏が休憩のためにはいった寺の講堂には頭巾で顔を隠した右馬介が忍んでおり、伊賀周辺の豪族対策が終わっていることを、高氏に報告する。
「・・後は、楠木一族の始末だけでござりまする」
「やはり、伊賀に落ちて参ると思うか。・・大佛殿は伊賀の道道に関所を作り取り締まれをいたせと申してきておる。捕らえ次第、首をはねよ、と。
此度の我が軍は北条の縁者も多く、見逃すわけにはいくまい。楠木殿が伊賀に逃げてこないことを祈るだけじゃ。ワシは伊賀なんかに来るのではなかった。」
「やはりお気にかかりまするか?藤夜叉殿のご様子が・・。この山をひとつ超えた里に藤夜叉殿が・・」
「申すな。・・この7年、そちを頼りに、心に置かぬよう、思わぬよう、己に強いてきた。ところが、鎌倉を出てから日に日にそれがかなわぬようになってきたのじゃ。・・この伊賀の里に、まだ見ぬ我が子がいると・・こうして伊賀に来るとは・・
「さほどにお気にならさるのであれば、いっそお会いなされますか?」
会うてみたい、会うてみたいが、さすれば母子とも白日の元にさらすことになろう。・・この先、ワシの身に何事か起ころうとも、無縁の者なれば誰も手出しはせず、穏やかに生き延びていけよう。会うて名乗ればそうはいかぬ。・・違うか?右馬介」

落ち武者狩り

赤坂城落城の4日後、伊賀の藤夜叉達の里に”石”(柳葉敏郎)と楠木正成武田鉄矢)が落ち延びてくる。

花夜叉は正成の妹、卯木として助力を申し出るが、正成は一度勝手に出奔した妹に関わることはできないと断る。花夜叉は、一座が世話になっている地場の豪族服部小六より正成の支援を命じられており、その命に従い、正成を支援すると申し入れ、ようやく正成は同意する。

楠木正成と花夜叉が兄妹であったという設定はたしか原作由来のものだが、ここまでのドラマの中では1、2回少しだけ触れられたことがあるだけだったので、若干とってつけた感がある。原作では、卯木の夫も登場しており、日野俊基の活動や逃亡に関わる市井の人々代表としてけっこう筆が割かれているのだが、そうしたパートはなく、妹設定だけが残った印象だ(今回原作の再チェックは未済)。

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その夜、足利軍の陣に、北条軍から使者として土肥佐渡前司(大塚周夫)が遣わされてくる。楠木正成らしきものを追い込み、ちょうど足利軍が駐屯している山間に追い込んだと言い、木戸を設け山への出入りを厳しく詮議し、さらには山間に散在する里の家々をひとつひとつ調べるべしと言う。土肥の部隊も同道すると高氏に伝える。

土肥役の大塚周夫は俳優業よりも声優として有名な方ですね。*1
土肥佐渡前司は「太平記」の中で、遠征軍の侍のひとりとして名前があがっている模様だが不詳だ。(宿題)

 翌朝、早朝家々ひとつひとつの検分がはじまり、農民達は小屋から外に引き出される。
その騒ぎは山向うの藤夜叉のところにも伝え来る。

”石”は、身をやつした楠木正成を一座に加えた花夜叉一座に同道するべく出立しようとするが、藤夜叉が止める。
”石”は、楠木正成が幕府を倒せば日野俊基が言っていた良き世の中になるのだ。そのためにもここで楠木様をお助けしなければならない!、と藤夜叉に言うが、藤夜叉は納得しない。
・・せっかく行きて帰ってきたのに、そんな先の事、どうでもいいから!
「放せ。・・お主とは夫婦でもなし、ワシが何をしようが、どこで死のうが勝手だろう。ワシラ、赤の他人の兄妹ぞ。・・つつがのう暮らせ」
「石!」一人残される藤夜叉。

 愁嘆場にふらりと現れる柳斉こと右馬介。
「石殿は一座といっしょにお立ちかの?無謀なことを。この辺りは幕府の兵で囲まれているというのに」
「つかまりますか?」
「わかりませぬが、楠木殿と共に捕らえられれば命はない。さりとて、あの勢いでは止めようもない。」
足利高氏様にお願いすれば救うていただけますか?お願いでございます。足利高氏様に会わせていただけませぬか。

再会

部隊を進めながら付近の村々の検分を進めていく高氏の元に、右馬介が馬を飛ばしてくる。
「この辺りの里には楠木の残党は見当たりませぬ。このまま北へお進みください。」
「これから先はそちに道案内を頼む。先駆けせよ。」

途中、右馬介が高氏に言う。
「このさきはしばらく人里がござりまする。ここは湧き水のうまい里でござります。しばし休まれてはいかがか・・」
おそらくこの時には右馬介の計に乗るという示し合わせがあったのだろう。高氏は応じ、部隊には小休止が命じられる。
中軍に位置した高師直柄本明)が
「何故、このようなところで、飯時には早かろう?」
と首を捻っていたところを見ると、彼にも真意は伝えられてなかったものと思われる。

右馬介に案内された民家の前、ちゃんばら遊びの子供らを見る高氏。
「不知哉丸!」
子供追い家から出てきたのは藤夜叉。
「我ら通りすがりのもの、あれにおわすは我が主でござります。なにとぞ水を1杯いただけませぬか。」右馬介が藤夜叉に言う。
「水でよろしければ・・」

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藤夜叉が差し出した柄杓の水を口にした後、高氏が訊く。
「さきほどのお子はおもとのお子か?」
「はい」
「健やかなお子とお見受けしたが、はや7、8歳か?」
「7つになりまする。ああして戦のマネごとばかりして遊んでおります。大きくなったら武士になるのだと。
父親は戦で死んだ侍大将と小さい時から教えて育てました故、己もきっとそうなるのだと。困り果てております。」

「それがしになにかできることはござらぬか。通りすがりとは申せ、大事な水を頂戴いたした。」
「こたびの戦は大きな戦の前触れじゃと申すものがござります。真でござりましょうか?お願いでございます。これ以上、戦を大きくしないで。恐ろしいのです。戦があると皆変わってしまいます。皆離れていくのです。”石”も一座も、世の中を良くするためだと、皆怖い顔でいってしまいます。昔のように、のんびり、歌ったり踊ったり、皆親子や兄弟のように。そういうことがどんどん遠くなって・・。
この先、不知哉丸が大きくなってあの子まで戦に、もしそうなったら、もしそうなったら・・
今日も石は出かけてしまいました。楠木様を助けるのだと申しまして。楠木様がどれほど偉い御方なのか存じませぬ。でも私には兄妹の”石”のほうが大事なのです。幼い頃よりいっしょに育ったのです。乱暴ものですが、心根は優しい者です。
もし楠木様といっしょに捕らえられても、どうかお力をもって命だけは・・
どうか”石”を・・。どうか”石”をわたしのところにお返しください・・。この通りです・・。」
「落ち着いて、しかと申されよ。その”石”とやらは楠木殿といっしょにおられるのか?まだ遠くへは行かぬか?・・おもとが大切に思うておるものか?」
「はい」
「わかった。及ばずながら力になろうぞ」

そこへ楠木正成らしい人物を関で検分中との事を伝える急使が来る。
「ん、すぐ参る。」
最後にもう1杯水を飲み、柄杓は藤夜叉に返される。
「案ずるな。・・馳走になった。お子を戦に出されぬよう。大事になされ。御身も身体をいとわれよ。」
「御殿も・・」

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高氏は去る。

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感想

赤坂城落城後の残党狩りを遠景にして、叙情的なストーリーメインで展開するという、歴史を描いてきた大河ドラマとしても珍しいのではないかと思われるエピソード。エピソード中、半分弱の尺を投じて描かれた後半のシーンが出色!・・となったか?

7年振りにかつての想い人に会うという時、人はどう反応するのだろう。
ある種ベタな、一歩間違うと三文ドラマに陥ってしまう、でもそれだけに脚本にしても演出にしても挑み甲斐がありそうなテーマではないか?

男はかつての想い人に会ってみたいという。また会うことが叶わなかった自分の子を見たいという。ただそれによって母子を大事に巻き込むことには慎重でいる。
女のほうが男に会うのは、男が権力を持つ人物だから。自分の大事な人を助けて欲しい、とそれだけを願い、依頼してくる。

脚本はやはり男性脚本家のためか男性寄りの視点。演技演出は宮沢りえが最初の頃の硬さはとれているものの上手くはないわなぁ・・。
せっかくの高氏の思いや、再会にあたっての男女の思いの違いなどはさらりと見ていると残らない印象。

シーンで流れる劇伴はとても良い。
この後のドラマの中で高氏と藤夜叉が顔をあわせる機会はそれほど多くはないはずなので、聞ける機会も残り少ないということか・・。

藤夜叉役の宮沢りえは3話などの登場時点からすると演技はよくなっているのだが、柳葉敏郎と絡んだ二人だけのシーンになると、二人して上手くないのでどうも質が落ちて、陳腐に見えてならない。
柳葉敏郎の演技はどこまでいっても、柳葉敏郎にしかならないのはどうしたものか。というか、”石”の存在自体が不要なのではないかとさえ・・。

 

補足:ここまでのドラマの中での足利高氏佐々木道誉の関わり

佐々木道誉足利高氏にとって因縁の相手。敵であったり味方であったりとなにかと絡んでくる。前エピソードで佐々木道誉が久々に登場したが記述するのを漏らしていたため、前回の補足として、これまでのドラマの中での高氏と道誉との因縁についてまとめた。

  • 日野俊基が高氏に佐々木道誉を紹介する。
    道誉は高氏を酒宴に招きいれ、さんざん酔わせた上で女を紹介する
    高氏は藤夜叉と出会い、藤夜叉は高氏の子を身ごもる。(3話)
  • 道誉は、高氏が日野俊基と密会していたと幕府に密告する。
    高氏は六波羅や鎌倉の侍所の詮議を受けることとなる。(4話~6話)
  • 佐々木道誉は、高氏の詮議の場に証人として登場する
    道誉は言を翻し自分が見たのは別人だったと証言したため、高氏は保釈される。(5話)
  • 道誉は、花夜叉から藤夜叉が高氏の子を身ごもっていることを聞きつけ、そのまま藤夜叉を自分の鎌倉屋敷に軟禁する(6話~7話)
  • 北条高時主催の流鏑馬の席で、道誉は高氏に藤夜叉が高氏の子を身ごもっておりお望みなら引き合わせてやろう、と持ちかける。(6話)
  • 高氏は、道誉に言われた刻限に佐々木屋敷に向かうが、寸前、”石”と、一色右馬介の忍びチームが藤夜叉を佐々木屋敷より開放する。その後、佐々木屋敷では藤夜叉がいなくなったと大騒ぎとなる。(7話)。(翌日、藤夜叉は高氏との約束を違えて、”石”と共に伊賀へ落ちていく。)
  • 北条高時による、高氏・登子の婚儀を祝う田楽踊りの席で、道誉は高時や登子らの出席者のいる前で、高氏が花を手折って路傍に捨てたと暗に藤夜叉のことを言い立てる。(8話)

ここまでが高氏19歳から20歳の頃。以下は7年後で現在進行中だが高氏26~7歳といったところだろう。

  • 佐々木道誉鎌倉市中で長崎派による夜討ちに遭い、足利屋敷に庇護を求めてくる。高氏は道誉の求めに応じ、長崎屋敷までの護衛を引き受ける。(9話)
  • 京都北畠親房邸で道誉と会う。道誉は高氏の北畠邸訪問の真意の探りをいれ、「まだ早い」と言う。(13話)

 

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佐々木道誉 (平凡社ライブラリー)

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足利直冬 (人物叢書)

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*1:チャールズ・ブロンソンなど洋画の吹き替え。息子の大塚明夫も声優、こちらはアナベル・ガトーなんかもやっているので父子そろって声が渋い。