京都を脱出した後醍醐帝は笠置山に籠もり寡兵ながらいったんは六波羅軍を退ける。驚いた幕府は鎌倉より大軍を差し向けようとするがその中には父貞氏を亡くしたばかりで喪中にあった足利家も含まれていた。 朝廷側も期待したようには味方にたつ武士がなかなか…
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