吉川英治原作「私本太平記」を原作に1991年に放映されたNHK大河ドラマ「太平記」を見た。
もともとは音楽を担当している三枝成彰の劇伴でも聞こうかといった軽い気持ちで見始めたのだが、思いの外はまってしまった。本記事は別のブログで書いていたが歴史テーマということなのでこちらのブログに引っ越ししてきた次第。
主人公足利尊氏は真田広之。当然のことながらかなり若い。
あらすじ
源氏の棟梁と幕府・北条家の支配体制
鎌倉時代末期1285年(元寇は1281年)、有力御家人安達泰盛と内管領平頼綱との対立が激化し、頼綱方の急襲を受け安達一族郎党は討ち滅ぼされる“霜月騒動”が冒頭に描写される。
ちなみに足利尊氏の生年は1305年。
足利家は鎌倉幕府においては源氏将軍家一門と縁戚関係にあり、源氏将軍家滅亡後は源氏を束ねる有力御家人として幕府・北条家から重用される一方、警戒されていた。
ドラマは霜月騒動後も続く北条による残党狩りの中で訴追を受けた吉見一族のさらにその一族であった塩屋氏一族郎党が女子供も連れ足利荘に難を逃れようと救けを求めてきたところからはじまる。
屋敷にいた尊氏の父、足利貞氏(緒形拳)は、源氏の棟梁と見込んで助けを求めた彼らを見過ごせず塩屋一族を屋敷内に匿う。
ドラマ冒頭からかなりシリアスなシーン、武将同士が戦う合戦ではなく幼子もいる女子供を含む人々が殺されるというショッキングな場面だ。
この後も足利貞氏は足利家当主として幕府・北条氏に陰に陽に警戒され続け、それごとに耐え忍んでいくのだがこの事件は足利家がおかれた立場を印象づけるシーンとなった
この時、貞氏はひょんなことで門外に出るのが遅れた子どもを一人、そのまま留置き生かした。が、これも幕府に知られることとなる。
足利貞氏は鎌倉に戻り幕府へ出仕し、執権の元に伺候したのだが、いたのは北条家の前内管領の長崎円喜(フランキー堺)だった。
長崎円喜は貞氏を質す。
「(先の事件の際に)子どもをひとりお助けではないか?」
「これは詮議か?」
「なにを恐れ多いことを、足利殿は幕府開闢の頼朝公のご姻戚・・」
では、と立ち上がる貞氏
「待たれよ!まだ執権殿への挨拶を受けておらぬぞ」
「ワシは執権殿名代にして、円喜にあらず!控えよ」
威圧するように大声をあげる長崎円喜。
源頼朝にはじまる源氏将軍家の血が絶え、幕府の実権は執権であった北条家が握ったのは有名な話だが、実はその北条家自体も、「内管領」と呼ばれた筆頭家老格の家により実権を握られていたという二重三重の構造にあった。長崎円喜は前内管領にあたり、現在の執権北条高時の内管領には円喜の子長崎高資(西岡徳馬)が就任していた。
実態として北条家ひいては鎌倉幕府の実権はこの長崎父子に握られていたという。
幕府を牛耳る当代一の実力者、狡猾で抜け目のない人物をフランキー堺が好演している。顔は笑っていても目は全然わらってなく、するどくすわっているという演技はなかなかに難しいと思う。
これに対してじっと耐え忍ぶ貞氏を演じる緒形拳が応える。口数は多くはなくうちに秘めた思いも含めて表す演技もまた見どころ。
「さすがの足利殿にも、魔が差したということもあるかもしれぬ。子どもを救けられませんでしたか」
「そのようなものは知りませぬ」貞氏はきっぱり言い切った。
執権の間から辞した後、貞氏正室の兄であり北条家一族の金沢貞顕(児玉清)と話す貞氏。その視線の先には自分の正妻の後ろ姿があったが・・。
足利貞氏の正妻は、なにかしらの理由があって貞氏とは不仲で実家?に帰っている様子が伺えるが、このドラマ内ではこれ以上は語られない。どうもこの後も登場しない模様だ。この場面の際に実兄である金沢貞顕もしょうがないといったことを言うだけでそれ以上のセリフはなかったように思う。
足利尊氏・直義兄弟は側室の上杉清子との子であり、正妻(名前は伝わっていないしドラマ内でも登場しない)とは長子である足利高義がいる。足利高義は尊氏より8つ年上だが、20のときに早逝している。ただこの時点は7、8歳であったと思われるが、ドラマ内では足利高義自体が登場しない。
金沢貞顕は北条家の一族に連なる人物で、この後も足利家縁戚として足利家を助けるように動く人物。この時は”連署”と呼ばれる役職にあり、幕府の中では”執権”につぎNO.2の地位にある偉い人。だが、後の回では貞顕を連署にしたのは長崎円喜で円喜のやることには口出しできないと告白するシーンがある。
後に幕府内の権力抗争の中で10日間だけ執権の地位につくことになったという。ウィキには次のような人物だったと評され、そのままに児玉清が演じている。
優秀な人物ではあったが、革新的な思考や武断的な手腕には乏しく、気配り・調整によって政権を維持する人物であった。成熟期に入った組織の運営をすることの難しさを知る者であれば、「おまえの苦労はよくわかる」と共感のもてる史料が多い
高氏の少年時代
この後ドラマは足利荘での少年時代の足利高氏・直義、また新田義貞が登場し、先の塩屋一族から救けられた少年が成人した一色右馬介(大地康雄)が足利・新田の喧嘩の仲裁にはいるというシーンがはいる。
同じ頃、村落で村を焼かれ母親を殺されたという少年が、旅芸人の花夜叉(樋口可南子)の一座に拾われていた。後に”石”と呼ばれるようになるが、この時に村を焼き母親を殺したのが足利一族に連なる武士団ということで、足利憎しの思いをずっと抱えていく。またこの花夜叉一座の中には同じ年頃で”藤夜叉”もいた。
花夜叉一座、藤夜叉、また一色右馬介は原作にも登場する架空のキャラクターだが、”石”はさらにドラマオリジナルキャラクター。
一色右馬介はこの後、足利高氏の従僕として常に高氏に付き従い活動していくことになる。ただこれを大地康雄があっているかというと少々イメージが違うように思う。大地康雄をあてることでユーモラスな雰囲気を出そうとしていたのかもしれないがいまひとつしっくりこない印象。
幕府への出仕と犬合わせでの恥辱
元服した高氏は幕府に出仕するようになっていた。
ある日、執権北条高時(片岡鶴太郎)が主催する犬合わせ(闘犬)の会が催される。
後の回のセリフにあるが、高時は、争い事が嫌い、政務も嫌いで、難しい議は全て長崎円喜と母御前に任せ、自分は田楽(踊り)と犬が大好きと公言するような人物。
次々と催される闘犬に手を打ち歓声をあげながらも高時は会場の周囲に座る御家人やその子弟をねめまわす中で、退屈そうにあくびをした高氏の姿を見つける。
自分の好きなものを侮辱したように感じたのか、高時は細い目でにらみつけながら、甲高い声で命じる
「あれはたれぞ?」
「足利殿の御曹司でございます」
「あやつに横綱をひかせよ」
最も強い犬の手綱をひいて会場を一周せよということで高氏は悪戦苦闘するが、途中犬に噛まれ装束はちぎれ泥だらけとなる。
この片岡鶴太郎の北条高時は怪演といってよいかもしれない。
小狡そうな小さな目で見回し、甲高い声で命ずる様子は独特の雰囲気を醸している。
一方の高氏、駆けつけた右馬介にこの事は家のものには言うな、と口止めし、帰宅する。
鎌倉の足利屋敷に帰ると
「兄者、これはなんとしたことか」
と弟直義(高嶋政伸)がぶんむくれている。
「嫁取りのことでございます。北条の姫君を兄者の嫁に・・」
ワシは知らんと応える高氏が後ろを見ると右馬介は憮然としている。
どうも知っている模様。
「兄者!」と呼びかける高嶋政伸が直弟直義を好演。
醸し出す雰囲気、口数が少ない兄と対比的に声が大きく周囲を巻き込むおおらかな弟役を演じている(歴史上の役割では逆の性格のようにも見えなくもないが)。
この後、この二人のコンビが討幕に乗り出しさらには朝廷との戦いと突き進む様子が早く見たい。ただその先の悲劇もまた・・
奥にいた貞氏と母清子(藤村志保)の元に行くと、父からはひょうひょうとかわされ、母親からは「ではこの話は終わりにしましょう」と答えられる。
が、この本を赤橋様のところにかえしてきてほしいと、和歌集を渡される。
感想
芸達者が要所に配されて安心して見れた(除く、少年時代)。
中でも緒形拳、フランキー堺、片岡鶴太郎の3人についてはもっと見てみたいと思わせてくれた。