公開しているブログの引っ越しに伴い内容を若干改訂しています。
3~6話の記事の掲載順序がバラバラになっていますがご容赦ください。
前エピソードの記事は次になります。
あらすじ
京の都と後醍醐天皇、日野俊基
鎌倉を出奔した足利高氏(真田広之)とその腹心の一色右馬介(大地康雄)は京都在所の伯父上杉憲房(藤木悠)の屋敷に逗留していた。
上杉家は母清子の実家にあたる。
伯父の退屈な話の後、京の街に出た二人は鎌倉とは比べ物にならない賑わいと人の多さに驚きつつ、米を量り売りに群がる人々を見つける。米不作の中、米の値段の暴騰を止めるため幕府の反対を民のためと押し切って天皇が商人から米を集め、値段を固定した上で売っているという話を聞く。
「今の帝は令名ただならぬお方と・・」と右馬介が評判を聞いてくる。
「闘犬や田楽踊りにうつつをぬかしているようであれば、北条執権殿は先がありませぬな」と笑う右馬介。
鎌倉に比べると京都市中は大路も広く、行き交う人々も多くにぎやかに描写される。ことさら人々の着ているものが華やかなで色とりどりで、質実剛健を絵に書いたような鎌倉とは大違いである。
雑踏の中で右馬介とはぐれた高氏は、鎌倉で出会った山伏に教えられた醍醐寺を訪ねる。寺院ではちょうどお忍びで行幸していた後醍醐天皇(片岡孝夫:現片岡仁左衛門)の姿を目にする。天皇の取り巻きの貴族や僧(文観:麿赤兒・・ウィキを見て驚いた大森南朋の父親とのこと。知らなんだ)に見つかり正体を誰何されているところに、かの山伏こと日野俊基(榎木孝明)が現れる。
片岡孝夫の登場シーンはセリフもない短時間でかつ高氏視点なので遠景での登場でしかないのだが、神々しいばかりの存在感は際立っていて、圧倒された。
日野俊基は高氏に、帝は「詮無き話を致すために」この寺に時折行幸すると言う。
「詮無き話?」
「・・我らは鎌倉殿を北条殿を討ちたいのです。この10年、北条一族なかんずく得宗家の専横は目を覆うものがある。・・それらを討ってまつりごとをたださなけれなばならない・・。」
思わぬ話に高氏は落ち着きがなくなる。
日野俊基はそんな高氏に構わず、じっと目を見据え話を続ける。
「・・北条が己の栄華のためによろずの民をないがしろにし、人としての誇りを奪い去ったということです。その事は足利殿にも心当たりがおありのはず」
このまま日野俊基が主人公でいいんじゃないの、と言っていいほどの場面。周囲を完全に食って見応えがある。
日野俊基は北条と戦う同志を探すため諸国の御家人を密かに訪ね歩く中で、新田義貞から、源氏が動けば天下が動く、源氏を動かすには足利を動かす必要があると言われた、という。足利殿が動かねば、北条は叩けない・・と。
「その事は新田殿のみならず、諸国で言われました。ことに畿内の楠木殿ははっきり言われた。足利殿のお気持ちはいかがか?と」
「楠木殿?」
「楠木正成殿です。無位無官の河内の住人。御辺はご存知ないだろうが畿内随一の武士と身共はにらんでおります。
・・足利殿、御辺の立場、足利家の立場は重々存じ上げております。なれど一度だけ、この日野俊基にたばかられたと思うて、その楠木正成なるものにお会いになりませぬか?いかがです。よろしければこれよりすぐに案内仕ります」
グイグイ迫って煽りまくる日野俊基に高氏はたじたじとなり、「此処は鎌倉にあらず、京の都じゃ。よろず夢語りと思うて」と最期は押し切られる。
淀の津
高氏と日野俊基は連れ立って京都南部郊外にあり当時の物流の拠点であった淀の津に向かう。
淀の津では、土佐の一条家から興福寺に献上された木材に対して、収容しようとする興福寺の一党と、借金のカタに取り立てたい北条方の商人とが小競り合いを起こそうとしていた。
木材を積んだ舟が到着し周囲が騒然とする中、淀の津一帯を治める地の有力者として楠木一族の楠木正季(赤井英和)が登場し、「船荷も蔵も楠木のものなので、北条だろうが手は触れさせぬ」と大音声で周囲を圧する。北条は出ていけ、という声が高まる中、北条方の商人一行が追い払われる。
楠木正季は日野俊基がいるのを見つけ、六波羅の透破がうようよしているので気をつけろと告げる。日野俊基は後ろを振り返りつつ人混みの中にまぎれ立ち去ろうとする。
俊基の後を追おうとする高氏の袖を引くものがいる。馬を連れた右馬介だった。
六波羅が日野俊基を追っており、「周囲を六波羅のものが取り囲んでいる」と高氏に告る。
日野俊基が六波羅の手のものに取り囲まれたところを高氏は馬を駆り、日野俊基を助けあげる。
淀の津は木津川、宇治川、桂川の三川合流地点、淀川の起点にあたり、山陽・南海両郷の諸国貨物の奈良・京都への陸揚港として栄えた、とある。巨椋池あたりとの地理的関係はよくわからない。
佐々木屋敷
夜、京都市中は警邏の六波羅の兵が満ちており、あちこちに篝火が焚かれている。
二人は目立たぬように、日野俊基に案内されるまま近江守護の佐々木高氏こと佐々木道誉(陣内孝則)の屋敷に向かう。
「佐々木判官も志を同じゅうするもの。同心のひとりです。」日野俊基は高氏に言う。
佐々木屋敷には主の佐々木道誉が派手な出で立ちで待っていた。
後の婆娑羅大名だけあって、佐々木道誉は異様な出で立ちで登場する。身につけた着物の左右の二身はそれぞれ違う色合いで派手派手しい。
黙ったままの高氏に対し、道誉はまくしたてる。
「足利殿、・・北条殿の世はもはや末かと見透かされる。高時公御一代と申し上げたいところじゃが、ここ数年も心もとない。
・・畿内の諸大名に帝より北条を倒せと内々の綸旨がでておる。鎌倉は何も知らぬ。
・・足利殿、覚悟めされよ。古い大地にしがみついて生きおおせる世ではござらぬ」
日野俊基は六波羅の動きが不穏なので四条に戻り様子を見たいと告げ、
「足利殿は身共が思うた通りのお方じゃ。見参かない、うれしく候、また他日。」と佐々木屋敷を後にする。
高氏は残り、道誉に促されるまま宴席に呼ばれる。
「舞なぞ見ながら、婆娑羅にお話しいたそうぞ。ははは」
宴がはじまるとさっそく、隣に座った道誉は高氏ににじりより、
「これにはばかることは何もござらぬ。胸のうちをお聞かせたまえ。鎌倉をいかがおぼしめす」と訊いてくる。
「何分、京の都に来たばかり。なにもかもはじめてのことばかりにて」
言葉を選びながら慎重に答えを返す高氏。
「違う違う、御辺の心はさにあらず。ご真意を漏らし給え」
「それがしはまだ曹司の身、部屋住みにて父貞氏の命を受ける身なれば、かようなことは」
「これはまたあっぱれなおとぼけぶりよ、ははは」
藤夜叉
やがて中央で美しい少女、白拍子藤夜叉(宮沢りえ)の舞がはじまる。
「藤夜叉、これへ」舞が終わったところで、花夜叉に招かれて高氏の前に進み出る藤夜叉。
「御殿様、本日はご機嫌うるわしゅう」たどたどしく高氏に挨拶する藤夜叉。
見惚れたように藤夜叉の顔を見たまま、声を無くしている高氏。
「なんぞ声をかけておやりなされ。機嫌を損ねたと案じて泣き出すやもしれぬ」
隣で佐々木道誉が笑う・・。
本当は藤夜叉の美しさに見惚れて声を無くしているというシーンなのだと思うが、残念ながら視聴者の多大な脳内補完が必要な状態になっている。
宮沢りえの演技があまりにも・・なためである。
何度も書いているように、藤夜叉との出会いは高氏にとってのこの後の行動原理のひとつにもなるような女性だし、また一方でその反動として人生を狂わすような事態も引き起こす運命の女性なのだが、残念ながらというか致命的に宮沢りえの演技からはそれを感じられない。
夜半、酔いつぶれた高氏がふと目を覚ますと傍らに白拍子の装いを解いた藤夜叉が座っていた。
「・・いかがいたした」高氏の問いにほほえみ返す藤夜叉。
「あまりお酒は強くはござりませぬな。みなさまおやすみになられてございます」
「屋敷にもどらねば・・」起き上がる高氏。
「夜が明けねば門は開きませぬ。今宵はお守りいたすように仰せつかっております」
燭台の火が陰ったので伸ばした高氏の手に藤夜叉の手が触れ合って、思わず抱き寄せる高氏。
ハニートラップ!
翌朝、高氏が目を覚ますと藤夜叉どころか誰もいない。それどころか、高塀の外では多数の旗指し物があがっており、多数の騎馬や兵がゆく姿が見えた。
抱えていた疼痛も消えてしまうほどに目を瞠る高氏。
1324年、4000の六波羅の兵が一斉に公家や朝廷派の武家を襲った、正中の変であった。
感想
後醍醐天皇にはじまり日野俊基、楠木正季、佐々木道誉と顔見世興行のように派手派手しくドラマが展開する。シメは藤夜叉だ。
高氏は終始無言のシーンが多く、日野俊基や佐々木道誉などにひたすら圧倒されている。
この京都滞在とそこで会った人々の事はこの後の高氏の人生に大きな影響を与えるだけにそれぞれの人物については相応の説得力のある演技が求められる。
その点、セリフこそなかったものの片岡孝夫(現片岡仁左衛門)の後醍醐天皇や榎木孝明の演じる日野俊基はすばらしかった。ことさら榎木孝明は他を圧倒していたように思う。
佐々木道誉役の陣内孝則はセリフまわしが声を張り上げっぱなしの一本調子だったのが気になったが、それでも不遜で何をしでかすのかわからない不気味さをたたえた人物像はそれはそれで説得力があったように思う。
楠木正季を演じた赤井英和は”浪速のロッキー”と呼ばれたボクサーから俳優業に転身をして数年といったキャリアの頃。「兄者の声が小さい分、ワシは声が大きい」とか言っていたが、まぁ可もなく不可もなくといったところ。今後に期待。
藤夜叉の件は前記の通りだ。
ここでいくつか。
一色右馬介は六波羅の武者にも顔見知りがいた一方で、日野俊基の顔も知っているという(高氏から「なぜ知っている」と訊かれて、「後ほど」と答えをにごしていた)シーンもあるなど、幾分謎な部分がある人物のように見える。
藤夜叉を高氏の寝所にやったのは誰の指示か、という点。やはり佐々木道誉だよな?