前回のあらすじ
後醍醐帝(片岡仁左衛門)は籠城戦を行っていた伯耆国からの還幸の途中、鎌倉滅亡の報せを受ける。各地で幕府軍と戦っていた宮方の武将達は次々と後醍醐帝還幸の列に加わっていくが、中でも楠木正成(武田鉄矢)ら楠木党は列の先頭にて都入りする名誉を得た。
謁見の席で後醍醐帝は、足利高氏(真田広之)に対し、六波羅攻めの功を労い、「武士の束ねを任せる」と告げる。
功があった公家・武家による宴にて、高氏は楠木正成に再会し、自分の迷いを断ち切ってくれたのは正成からもらった手紙のお陰だと礼を言うが、正成はその手紙は自分ではなく”車引き”が書いたものだと煙にまく(当時、正成は幕府の包囲を突破するため、猿楽一座の”車引き”に身をやつしていた事から)。
高氏と正成は語り合い、都の月がいつまでも陰らぬように祈ろうと言い交わすが、正成は早くも暗雲を感じ取っているかのような発言をする。
志貴山に篭もったままで宴を欠席した大塔宮護良親王(堤大二郎)は、舅であり親王の後ろ盾である北畠親房(近藤正臣)邸にこっそりと来訪し、宴の様子を親房に訊く。
親房は「成り上がりの公家と田舎者の武家による趣の欠片もない退屈な宴」であったと言う。
親王は、「足利高氏こそ次なる北条家だ」と名指しで非難し、”足利討滅”を激しく主張していた。
親房は、高氏については直接対抗するのではなく、鎌倉に居る新田義貞(根津甚八)と競わせることで巧みに操るのが肝要と献策する。
後醍醐帝から遣わされた使者を通して、戦が終わったので、また僧籍にもどれという後醍醐帝の言伝に護良親王は激怒する。
坊門清忠(藤木孝)は親王の勘気を鎮めるための施策が必要と言い、後醍醐帝は思案の結果、護良親王を征夷大将軍、足利尊氏を左兵衛督に任じると宣言した。
高氏が征夷大将軍に任じられなかった事について、弟直義(高嶋政伸)は怒り、一方の高師直(柄本明)は淡々と分析してみせる。
「・・我らは帝のために北条家を倒したのではなく、足利一族や武家の行く末のためであった。担いだのは今の帝ではなく、作り物の帝でもよかったようなもの・・。一族の願いは殿も重々承知であろう・・」と。
高氏は師直の発言をたしなめ「時には退いて、力を貯めることも必要。また何よりも帝の新政を見てみたい」と二人に告げた。
感想
北条氏がまだ全盛の時も北条の仕打ちはひどいなという描写がなかった訳ではない。だが今回ほど、上にも下にも腐臭を放つ人々がわらわらと登場するのは、さすがに凄まじいものがあった。
高氏が見てみたいと言った「美しい世」を体現する後醍醐帝によるご新政は早くも腐りはじめていた。革命の高揚と混乱の中で、我も我もと集った人々の中に腐っているような人々も混じっていたというところだろう。
あまりにもひどいキャラクターばかり登場したのでいつものような仔細にストーリーを追うのではなく、先に感想をまとめたい。
■ ノーブルすぎて現実が見えていない後醍醐帝
後醍醐帝は公家一統のまつりごとの実現を目指し、自ら綸旨を発する独裁を始めたと説明がなされるが、結局のところ周りしか見えていなかったのだろうという印象。
大塔宮護良親王と高氏との対立は征夷大将軍任命問題で露見したため、後醍醐帝も認識がある訳だが、愛妾阿野廉子(原田美枝子)と自らの子である大塔宮護良親王との皇統を巡る対立は見えていない模様。
この両派がそれぞれ公家や武将を引き込み、それぞれの派閥としての企てと、さらには参加した個々人の思惑や企てが入り混じりはじめたので上から下からとんでもないことになりはじめていく。
後醍醐帝には、足利高氏や楠木正成のように帝の理想に共感して革命にくわわったものばかりではないということの理解があまりなかったのかもしれない。
今のところ、足利一党と、楠木正成本人はこの動きから距離を置いているのだが、どのように作用していくのかが今後のストーリーのドライバーとなっていくのだろう。
大塔宮護良親王派の面々(ただし新田義貞はまだ未加盟)。ここに出ていないのは四条隆資とか。
阿野廉子派の人々。後醍醐帝に近いというところは有利な点。
■ 美しくない事柄から距離をおこうとする足利高氏
足利高氏は周りが見えているのだが、美しくないものからは距離を置こうとする。
ひとつに自らが陰謀に加わったり、裏で暗躍したり、相手に対して卑怯で悪辣な施策を積極的に推進するといった役回りはできないというは大河ドラマ主人公ゆえのキャラ造形上の制約を抱えているのかも知れない。
が、もともとこのドラマにおける高氏は、ずっと「美しさ」という事にこだわり続けている。吉川英治の原作ではここまで「美しさ」にこだわっていた記憶はないので、ドラマオリジナルの設定なのだろう。
かつて父貞氏(緒形拳)が健在な頃、「美しいだけでは北条は倒せぬ」と言われていたにも関わらずだ。
一種の理想主義者なのかもしれない。人々を束ね、革命を指導し成就させる人物というのはこうした理想主義者である必要があるのかもしれない。
さらに言うと高氏の理想主義のしわ寄せが弟直義や、高師直にいき、最終的には「観応の擾乱」につながっていくのかもしれない。
いずれにせよ、「美しさ」にこだわる高氏がどうなっていくのかを見ていく。
高みの見物ではなく、美しくないものには近づかない高氏(でも高師直との会話などからすると、いろいろ気づいている風はある)。
■ 足利直義と不知哉丸/足利直冬との出会い
貴族や武士という支配階級での争いの影響を受けているのが藤夜叉(宮沢りえ)に代表される庶民階層。かつて住んでいた伊賀の家は焼かれて、隠れ住んだ三河一色村も戦火に焼け出され、京に流れ着いて鰻売りをしている、藤夜叉は語っていた。
今回、藤夜叉の子不知哉丸、のちの足利直冬と高氏の弟直義との出会いが伏線として置かれたのはよかった。
”石”(柳葉敏郎)について行くことを拒否していた藤夜叉だが、不知哉丸が偶然にも足利家中のものと関わりを持ったことに驚き、”石”にと共に和泉に行く事に同意する。これも日野俊基からずっと続いた伏線だ。
まさに運命の出会い
■ 兄弟物語
このドラマでは結構兄弟キャラが強調される。おそらく後の「観応の擾乱」における高氏と直義の争いを踏まえて、他家の兄弟はどうなのか、といったところから描いているのだろうと思う。
が、足利直義以外の弟キャラはロクなのがいない。いずれも小人物だが偉大な兄の足を引っ張るような事をしているので挙げておく。
まず新田義貞の弟は脇屋義助(石原良純)。
幕府滅亡後の鎌倉で、足利家中のものと新田家家中のものとが起こす諍いについて、鎮めるどころかいっしょになって足利家へ対向しようとさえしている。
もうひとりは楠木正成の弟、楠木正季(赤井英和)。完全な脳筋男としてこれまでも思慮が足りない事事を起こしてきたが、今回、護良親王の取り巻きの破戒僧”殿の法印”の元で足利高氏暗殺を企んでいることが判明。
”石”はこの正季の手のものなので、主人とどっこいどっこいの思慮が足りない人物といったところ。
兄弟物語① 脳筋 楠木正季・・・思慮深い兄正成とは正反対の脳筋派。今までも正成の静止にも耳を貸さずに数々の無茶をしてきた。ただ最期は兄に従い、共に果てることとなる。
兄弟物語②:脇屋義助・・・現時点不明だが兄義貞を上回る器ではないことは確か。新田義貞と行を共にするが、最期は別のタイミングで戦死する。
兄弟物語③ 有能 足利直義・・・京都市中警護を司り、近頃悪相になっているシーンが多いが有能。有能が故に後の悲劇が起こったのかもしれない。
■ 恐妻家新田義貞
今回のエピソードでも異彩を放ったのが地元の上野国から鎌倉に来た新田義貞の正妻保子(あめくみちこ)。派手派手なピンクの袿に、グリーンの派手な小袖姿で現れ、大きな声でまくしたてる。いつも冷静な義貞が保子の来着を聞いて動揺するのがおかしかった。
まぁ先の話しだが、義貞が勾当内侍に耽溺してしまうのも仕方ないや、と同情してしまう。
新田義貞が足利高氏に対して様々なコンプレックスを感じているのは常々描かれてきていたが、保子の発言の数々は、無自覚に義貞のコンプレックスを逆なでしてしまう。
互いに認め合い尊重しあっていたはずの高氏と義貞がたもとを分かつことになる遠因のひとつにこうしたコンプレックスと無自覚に圧力をかける保子の存在、さらに今回護良親王派の企てから発せられた親書のことが影響してくるのだろう。
こうした要因の積み重ねがどのように作用していき、義貞の野心に火をつけ、膨張の末、ついには高氏の対向軸に変わっていくのか、注目点のひとつだろう。
正妻保子に話しを戻すと、義貞のために新調したという、亀の意匠がはいった直垂のセンスが悪いこと。加えてサイズも大きめで合っていない。
ドラマ中では語られていないが保子の実家は東北の安東一族らしく、セリフの中でも、「此度の勝ち戦、里の父はさすが婿殿とことの他の喜び様でござりまする。」
とあったりする。
「思えば、頼朝公のご勘気を被って以来、140年、新田は源氏の嫡流なれど無位無官。足利殿に遅れをとって参りました。ようやく殿のお力で汚名を濯ぐことがかない、国元の者は皆沸き返っておりまする。妾(わらわ)も鼻が高うござりまする。」
「恩賞もさぞや、と皆待ち焦がれておりまする。楽しみでござりまする。」
「・・将軍ともなればさぞたいそうなもので・・」
「待て待て、ワシは将軍ではないぞ」と義貞が否定するにも
「ではもしや足利殿が?・・」
「では殿は執権でござりまするな。」
「まぁ、帝は何をしておられるのでござりましょう?殿を放っておかれるとは」
「いつもながら甲斐のないお答え」
「では鎌倉をお捨てになられるのでござりまするか?」
「帝に拝謁してはっきり申し上げるがよろしい。新田義貞ここにあり、と。北条を滅ぼしたるは新田義貞なり、と。・・足利殿に遅れをとってはなりませぬぞ!」
言っているセリフひとつひとつこれでもかと義貞のプライドを逆なでしていくようなものだ。ひたすらしゃべりまくる保子に対して、口数少なく応える義貞がひたすら可笑しいシーンであった。
言わずもがなだがこの義貞正妻保子の描写は、高氏の正妻登子(沢口靖子)と対比されていることは言うまでもない。
本エピソードの冒頭、鎌倉市中で新田家の家中のものと、足利家の家中のものとが市街で争いを起こそうとしているところに通りかかり、それを止める登子。
こちら輿に乗っているのは高氏正妻の登子。実家であった赤橋家は北条一族滅亡により断絶してしまったので、いまや寄るすべのない立場にある。
足利と新田の確執・・
鎌倉では攻略戦で実質的な指揮をとった新田義貞率いる新田家と、嫡子千寿王を送り込むことで源氏方の武将の多くを引き込む要因となった足利家のそれぞれの部下が市中のあちこちでいがみあい、ケンカをするような事態になっていた。
名代となっていた千寿王の人気がそれに拍車をかけた。
新田義貞に、弟義介が言い立てる。
「・・足利の奴原は何につけ、若御料、若御料と申立て、我らの気持ちを逆なで致します。」
「それがなんぞ、ご当主高氏殿ご不在なれば是非もなかろう。」
義貞は冷静でとりつくしまもない。
「兄者、足利殿は嫡子千寿王を参陣させたのであろうな?」
「言うまでもないこと。この義貞と力をあわせて、北条を討つと誓こうた証じゃ。」
「義助には、それだけとは思われませぬ。足利殿は鎌倉攻めの功を我らより掠め取らんとして・・」
「浅ましき事を考えるではない。鎌倉は任せる、と足利殿ははっきり申された。さばかりならず、今日あるは新田のお陰と、申された。ワシは足利殿を信じておる。」
「さらば何故、近辺に武士を集めおるのでござりましょうや。日に日に足利方に居を移すものが増えておりまする。千寿王の人気はいや増すばかり。のみならず、細川和氏なる後見がなかなかの食わせ者と見受けられます。ゆめゆめご油断はなりませぬぞ。」
「鎌倉攻めはすでに帝の相聞にも及びしこと。その功、この義貞にあること明白じゃ。案ずることはない。」
宮将軍の上洛
征夷大将軍に任じられた大塔宮護良親王(堤大二郎)が、叡山から上洛するにあたって、出迎えに参られるか?という高師直からの問いに対して、高氏(真田広之)はおどけて答える。
「ワシの顔を見て宮将軍の馬が驚いてもいかん。宮が手綱さばきを誤られても大事じゃ」「げにも・・」
このあたりこの主従の息はぴったりだ。真面目な顔をして高氏は続ける。
「市中の警備を厳しくするよう直義に申してある。家中のものも軽はずみは慎むようにいたせ。」
里内裏にて、千種忠顕(本木雅弘)を相手に政務を執り行う後醍醐帝。
「忠顕、北条の領せし土地の調べはいかに?」帝が訊ねる。
「得宗の所領はまことに膨大でござりまする。増して北条一門あわせますれば、その数、目もくらむばかり。それらの多くは、交通、交易の要衝でござりますれば、北条一門の権勢凄まじき様が、よう偲ばれまする。さぞや御家人共の恨みも深かったことにござりましょう。」
帝からの問いに答えになっていない、説明のための内容のようなセリフ。
やがて帝の前に、大塔宮護良親王が現れる。
「都の風雅に親しんだか?」
「親しむ風雅はもはや都にはござりませぬ。目に映るは、右も左も田舎武士。息も詰まる蒸し暑さにござりまする。」
「征夷大将軍は武士を好まぬと申すか。こは異なるものよのぅ」
「東夷(あずまえびす)は嫌いでござりまする。」
「困ったことよのぅ。・・護良、そこが高氏を嫌う気持ちはわからぬではない。が、戦の時はすでに終わりぞ。早う山のアカを落とし、朕の新しいまつりごとに力を貸してくれぃ。」
「かたじきなきお言葉、なれど、この護良、お上のご新政の行く末を思えばこそ」
「世は公家一統の世ぞ。皆、朕の王土に生くるもの。朕の新しきまつりごとには、そこの力も、高氏の力も共に大切と思うておる。そがわからぬそこではあるまい?」
不知哉丸と直義
二条河原、橋下。鰻売の藤夜叉と不知哉丸親子。
”石”は前回のような直垂姿ではないが全体にこざっぱりとした格好をしている。
”石”はかつて助けた日野俊基が書いてくれた土地を譲るという主旨の書付けを元に、和泉に行くように藤夜叉を誘っているが、藤夜叉は頑なに断っている。
市中の巡察の途中、直義は路傍にうずくまる少年を見つける。
不知哉丸であった。足をくじいた不知哉丸の手当をし、飯を食わせる。
不知哉丸が足利家の丸に二つ引きの紋を知っている事に驚く直義。
直義は不知哉丸を送り、二条の橋のたもとで、藤夜叉と初めて顔を合わせることになる。名乗った直義に驚いたのは藤夜叉。「足利様の・・・」
藤夜叉は戻ってきた”石”に、和泉に行くことを了承する。
「・・ここにいること、足利のお殿様にしられたくない。・・わたし不知哉丸と二人生きていくつもり。
・・そうねぇ、足利のお殿様のいる町で、同じ空の下にいて、同じ空気を吸うられるといいなぁ、と。
・・ここにいたら、いつかお殿様に会いそう」
京の治安
幕府瓦解後の混乱の中、京では盗賊・火付けが横行していると解説される。
六波羅奉行所に蔵破りの罪で4人の僧形の悪党が縄をかけられ、直義の前にひきすえられていた。悪事に及ぶものは斬首と言われる中、不敵な笑みを上げ、直義を睨み返す。
その様子に、単なる強盗ではなく宮将軍の手のものではないか、と部下が耳打ちする。
やがて土蔵破りはやはり宮将軍の手の者であることがわかる。
護良親王の部下の僧”伝の法印”が高氏のところに犯人を引き渡せと押し通そうとしてきた。
高氏のセリフ中に登場する僧”伝の法印”は悪名高い破戒僧。六波羅探題攻略の際も護良親王の軍の一隊として市中に入り、さんざん略奪悪行を重ねたことが伝わっている。
高氏からの相談に直義が答える。
「都の安寧を守るは我らの勤め、宮であろうが、武家であろうが、上に立つものが無理を通せば道理が立ちませぬ。引き渡すべきではない、と存じます。」直義はまっすぐだ。
「そう一途に申すな。宮がお身内を引き連れての上洛とあらば、いささか市中も騒がしくなると思うていたが・・」
「市中の警備は直義に任せられると兄上は仰せられた。直義はなによりも市中の平和が大事と考えまする」
「ワシも同じじゃ」
「されば迷うこともござりませぬに・・。」
高氏は頷き同意した。
話しついでに直義は、市中で会った不知哉丸の話題を持ち出す。
「そなたの口からわっぱの話しを聞くとはおもわなんだのう。これはそろそろ嫁を娶らねばならぬかのぅ」
にわかにうろたえる直義。
「あのぅ、足利の人気が都のわっぱにも聞こえておると言いたかっただけじゃ。されば、足利たるもの、身を慎まねばならぬ、と・・」
「何をそうむきになっておるのじゃ?」からかうように言う高氏。
二人して笑い出す。
こういう何気ない会話を自然に演じるこの二人、上手いわ。と思わせてくれる良いシーン。
陰謀~足利高氏暗殺計画~
護良親王派のものが親王を囲み酒宴を行っている。
”殿の法印”、赤松則村、四条隆資・・。
囚われた部下を足利家のものが返してくれない、宮将軍の手のものと知るとますます高姿勢になった、と訴える”殿の法印”。
「・・弟の直義が高氏に輪をかけた無粋の堅物でやっかいこの上もない輩。」と四条隆資(井上倫宏)が唱和する。
「まこと、都の風に馴染まぬ東夷(あずまえびす)よ。」護良親王も言う。
護良親王は、北畠親房(近藤正臣)からの献策だとして、足利高氏には新田義貞をぶつけ、うまく操れという策を開陳する。その上で、鎌倉にいる新田義貞を呼び寄せたいと言う。
これに対して、赤松則村からは東国の武家にとって鎌倉は特別な土地なので、新田義貞もなかなか鎌倉から離れないのではないかという意見が出される。
「・・上洛せざれば恩賞にありつけぬと、大げさに言うてやれば良い。帝に拝謁せざれば、恩賞の綸旨は下されぬ、とな。さすれば、あわてて上洛すること必定じゃ。」言ったのは四条隆資。
護良親王もこの意見に大いに賛同し、新田義貞あてに書状を遣わすことになる。
そこへ護良親王に近寄った”殿の法印”から驚くべき事が告げられる。
「宮、さりながらこの法印。義貞の上洛を待つばかりでは気持ちが収まりませぬ。それまでにも高氏の命を・・。」
タイミング良くのこのこ現れたのが楠木正成の弟、楠木正季(赤井英和)。
「正季殿、よきところに参られた。例の話しじゃが・・」
さっそく”殿の法印”が、正季に切り出す。
「心得ております。日時はいつ?」応える正季。
これには今度は護良親王が驚くが、法印が言う。
「この法印、勝手に動きますること、是非ともお許しいただきとう存じます。」
独断専行とはまさにこの事。
「そは性急な!」四条隆資も驚く
「宮将軍はご存知なきこと。法印と正季二人の企みとして、貫き通す所存。」
いやいや、そうはいかないだろう、というところだが・・
「正季、正成は存じておるのか?」さすがの親王も腰がひけたのか、正季に訊ねるが、脳筋弟は何の思案もなくしゃあしゃあと答える。
「兄は兄、それがしと思いは別にございます。帝の新しき世に高氏は必ずや害となりましょう。害は一刻も早く除くが肝心。」
赤松則村も驚きの顔を浮かべる。正季の何の思案も窺えない答えに、護良親王は目を剥いたままで何も言えないまま、杯を干す。
ここまで意気軒昂に高氏討伐などと主張していたはずの護良親王が、部下の”殿の法印”による高氏暗殺計画を聞いた途端に動揺し始め、何も言えないままに酒に口をつけるしかなかったというシーンは傍目におかしかった。
のこのこやってきた楠木正季が脳筋全開に、自分は兄正成とは違うので、兄者の意見など聞いていないと言い始め、法印自身も「法印と正季の二人による企てと貫き通す」などと殊勝を装って全然言い訳にならないような事を言うに至っては、あまりの中身に親王自ら突っ込みたくても突っ込むことすらできない・・と風が読み取れた。
いっしょに怪気炎をあげていたはずの赤松則村もさすがの展開に”ドン引き”状態などと、早くも護良親王陣営が喜劇になり始めていた。こんなところに政治感覚もないまま、巻き込まれる新田義貞にはひたすら同情してしまう。
今まで楠木正季と高氏との直接的な関わりと言えば、高氏若かりし頃、日野俊基に連れられて行った”淀の津”で会っているくらいか・・(第3話)。
ただその時は名乗っていないので、正季側に認識があったかは不明。その後は正成を介して、高氏が伊賀の関で正成を見逃したり、高氏の挙兵により、千早城の囲みが解けたりと間接的な関わりはあったはず。
「害となる」と言われるほどの事はなかったような・・
新田義貞の上洛
山伏姿で京に姿を表した一色右馬介(大地康雄)。
市中で、武士数人に追われる女を助けると、商売女で
商売の邪魔をするな、と逆に怒られてしまう・・。
暴漢等から助けたはずの女性からあれはプレイだったと言われて「いけず」と頬を張られてしまう、むさい山伏姿の一色右馬介
「・・すでに一族をあげて準備を始められた由にござりまする。」鎌倉の細川和氏からの情報が高師直から報告される。
「大塔宮の強い誘いに応じられたとのことでござりまする。」
「鎌倉の守りは何よりも大事。されば新田殿に任せたのじゃが。」
高氏も失望の表情を隠さない。
義貞が鎌倉を出ると聞いて、あからさまに機嫌が悪くなる高氏。
「さりながら新田殿の評判は我が千寿王殿に比して、はななだ芳しからざるものでござりまする。このままでは足利の風下に立つとの、あせりがあるのでござりましょう。
・・新田殿が大塔宮につかれるとなりますると、都の情勢はややこしくなりまするなぁ。」
高師直有能。
残念ながら新田義貞方にはこれだけの感覚をもった部下はいないし、義貞自身の感覚も田舎侍の域をでていないように感じられる。
「離れていると思いがまっすぐに伝わらなくなるもの。良い折じゃ、新田殿とお会いできる日を楽しみに待つとしようぞ。」