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「BAPTISM BY FIRE」(MMP)を試す (3)事前準備篇

9月千葉会での対戦に向けた準備です。
ゲームはMMP社「BAPTISM BY FIRE」。副題にカセリーヌ峠の戦いとあるように、1943年2月から3月にかけての北アフリカ戦線チュニジアが舞台です。
このゲーム、MMP社が発売しているゲームシリーズの中で、BCS(Battalion Combat Series)のシリーズ2作目にあたります。1ヘックス=1キロ(ゲームによって異なり、本作では1ヘックス=1.6キロ)、1ユニット=大隊規模となっており、同じMMP社のOCS(Operation Combat Series)よりも1レベル細かいスケールになっている模様です。

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ドイツアフリカ軍団とカセリーヌ峠の戦い

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中学生の頃、初めて買ったウォーゲームだった「第三帝国」のドイツのユニットの中で装甲軍団の中にあった”DAK”がドイツアフリカ軍団だ!と発見した時の思いは今も覚えています。まぁ、「第三帝国」のゲーム内では軍団名は飾りでしかなかったんですけどね。

思いだけは深い北アフリカ戦線なのですがゲーム自体はあまりプレイしていません。実際にプレイまでいったゲームはエポック/国際通信社「ドイツ装甲軍団」の中の「エルアラメイン」くらいです。

プレイはしていないけれどもゲームは持っている、という話はよくある話でいわゆる”積みゲー”な訳ですが、カセリーヌ峠の戦いを扱ったゲームが5つもあります。

  • 3W/HJ「Decision at Kasserine(邦題:チュニジア大突破)」(1983)
  • GDW「Bloody Kasserine」(1992)
  • MMP「TUNISIAⅡ」(2016)
  • MMP「BAPTISM BY FIRE」(2017)
  • DG「Decision at Kasserine」(2020)

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Front box cover

 

残念ながらどのゲームがどのような特徴があってと語ることができればよいのですが、残念ながらそこまで研究できていません。
同じMMP社から同じ戦場を扱ったゲームが2年連続でリリースされたように見えますが、「TUNISIAⅡ」はOCSと呼ばれているシリーズOperational Combat Seriesで本作よりはユニット毎の単位が大きいようです。
5番目の「Decision at Kasserine」は1作目のホビージャパンが発売していた「チュニジア大突破」の新バージョンなのですが、コマンドマガジン誌(154号)の新作ゲームコーナーでは、前バージョンからの拡張要素が少ないということで、ホビージャパン版を持っている人にはうれしくないといった主旨で、あまりよい評価をもらえていなかったですね。それが理由という訳ではないのですが、まだパッケージを開けていないです。

 

チュニジア戦線

1942年11月、一時はナイル河まで一息のところまで侵攻したドイツアフリカ軍団は、新任のモントゴメリー将軍率いるイギリス第8軍の反撃を受け、エル・アラメインからの撤退を開始する。(ロンメル元帥の撤退命令は11月4日)

同じく11月8日、フランス領モロッコアルジェリアに対しアメリカ・イギリス連合軍による上陸作戦「トーチ作戦」が開始される。上陸当初、反撃したヴィシーフランス軍は連合軍との停戦に応じる。
ドイツ軍はチュニジア防衛のため第90軍団を新編。11月後半には東進してきたアメリカ・イギリス連合軍と戦闘にはいるが、ここではドイツ軍が勝利を収め、連合軍は装備を失い後退する。

チュニジアの雨季である12月は泥濘のため活動が低下していた両軍も、1月になり活発化させた。ドイツ軍第90軍団は第5装甲軍(アルニム上級大将)に再編成される。
ロンメル元帥のドイツアフリカ軍団はリビア国境を超えチュニジアまで後退してくる。ここでドイツ軍は、チュニジア防衛のためアルニムとロンメルの二人の将帥を抱えることとなり、指揮権が絡む争いの伏線となる。

1943年2月14日、ドイツ軍は「春の風」作戦を開始する。

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2月14日4時、第10装甲師団と第21装甲師団の140台の戦車を含む4つの戦闘グループが、Sidi Bou Zidを攻撃するために前進した。
第10装甲師団の戦車が2つの戦闘グループ(Kampfgruppe ReimannとKampfgruppe Gerhardt)に分かれてFaïd峠から西に向かって前進したことから始まった。アメリカ軍 A戦闘団は、105mm M101榴弾砲搭載のM4 シャーマン戦車によりドイツ軍を攻撃したが、ドイツ軍は88mm砲で反撃した。午前10時までに、ドイツ軍はDjebel Lessoudaを周回し、Sidi Bou Zidの北側で合流した。

第 21装甲師団の Kampfgruppe Schütte と Kampfgruppe Stenckhoff はMaizila峠を南に確保し、Kampfgruppe Schütte は北に向かい、第 168RCT の 2 つの大隊 をDjebel Ksairaで交戦させた。Kampfgruppe Stenckhoff は北西のBir el Hafeyに向かい、午後には西からSidi Bou Zidに接近するために旋回した。Kampfgruppe Schütte からの激しい砲撃を受けて、トーマス・ドレイク大佐は退却の許可を求めた。フリーデンドールはこれを拒否し、陣地を維持したまま増援を待つように命じたが、増援は到着しなかった。午後 5 時までに、Kampfgruppe Stenckhoff と第10装甲師団は、Djebel Hamraまで約24 km西に追いやられたA戦闘団を攻撃したため、同部隊は44 台の戦車と多くの銃を失い、歩兵部隊はDjebel Lessouda、Djebel Ksaira、Djebel Garet Hadidの高台に置き去りにされた。

夜間、第 1 米装甲師団司令官オーランド・ウォードは、2 月 15 日のSidi Bou Zidへの反撃のために、C戦闘団をDjebel Hamraに移動したが、進撃路は平坦で露出された土地であり、移動の早い段階で爆撃を受けた上に、80 台以上のパンツァー IV 号戦車、パンツァー III 号戦車、タイガー I 号戦車を擁する 2 つの装甲師団の間に挟まれていることに気づいた。C戦闘団は46台の中戦車、130両の車両、9門の自走砲を失い退却し、Djebel Hamraをわずかに確保しているのみとなる。
夕方までに、アルニムは3つの戦闘グループにSbeitlaに向かうように命じ、退却中のA戦闘団とC戦闘団の残余部隊と交戦した。2月16日、集中的な航空支援を受け、ドイツ軍は新手のB戦闘団を撃退すると、Sbeitlaに進入した。

と、ここまでが春の風作戦の前半部分。
上記の作戦地図でいうと、ドイツ・イタリア枢軸軍はマップ右下から侵攻を開始する。付近まで進出していたアメリカ軍のCombat Command(諸兵科連合)をあっという間に退けた。モロッコアルジェリアに上陸して以来、戦闘らしい戦闘もないまま進撃を続けてきた、戦闘経験値が少なかったアメリカ軍に対して、歴戦の枢軸軍が放った一撃、これが本ゲームの題名の由来になっている「戦火の洗礼」ということなのでしょう。
有名なカセリーヌ峠は、マップやや左上の山間部、赤い矢印が左右から伸びていて2月18日の表示がある部分。ここで枢軸軍は作戦目標を迷ってしまう・・。というかロンメルが調子が良いことを言い始めて意見が割れてしまう。これがまた別のゲームの題名になっている「カセリーヌ峠の決断」というところ。

 

 

 

マップ

フルマップ2枚分です。

春の風作戦開始時に枢軸軍の部隊は、マップ右下より進入してきます。

セリーヌ峠は左側をカバーするマップの中央部分、2つの山地の間にある街道付近が該当します。

戦場は広いのですが、補給線に関わるルールの関係で街道を大きく外れての進撃は難しく、進撃ルートは限定されることになります。

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なんか中途半端ですがここまで

(つづく)

 

 

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ロンメルとアフリカ軍団戦場写真集

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アフリカ軍団 (歴史群像コミックス)

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  • 作者:小林 源文
  • 発売日: 2006/04/01
  • メディア: コミック