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大河ドラマ「太平記」30話「悲劇の皇子」:誰が護良親王を殺させたのか?

 

前回のあらすじ

1334年秋、護良親王堤大二郎)と足利尊氏真田広之)との対立はエスカレートし、ついには両勢力とも京に軍を集め、一触即発状態に陥っていた。
厳戒状態の京にひょっこりと河内より上京してきた楠木正成武田鉄矢)の妻久子(藤真利子)、嫡子正行一行が道に迷った挙げ句、足利勢の警戒線に囚われた。思わぬ捕らわれ人に「良き人質になる」と、護良親王派と見られていた楠木正成に対する人質として囚えることを高師直柄本明)は進言するが、足利尊氏は自ら久子らを楠木正成邸へ連行することで、正成との会談を試み、成功する。
尊氏と正成の二人は、これ以上の事態の悪化は望まず、都を灰にしない、戦を再び起こさないということで合意した。

翌早朝、足利尊氏の非常呼集により京内の主だった武家六波羅奉行所に集められ、都の安寧を妨げるような行いは慎むよう告げられる。
もともと戦意が低かった各勢力は、楠木正成が率先して尊氏からの要請に同意したのを受け、次々と合意する。足利への対抗意識からわずかに抵抗した新田義貞根津甚八)・脇屋義助石原良純)兄弟も最後には尊氏の前に平伏する。

その日のうちに護良親王は参陣していた各武家が兵を撤収していくのを見つける。

ほどなく京に初雪が降り、古式に習い開催された初雪の宴のため内裏に参内した護良親王は、帝を命を受けた名和長年小松方正)に捕らわれる。護良親王は声の限り帝を呼ぶが、誰も応えるものはなかった・・。

護良親王の身柄は足利尊氏六波羅奉行所に預けられる。
暗い座敷の奥に軟禁された親王のもとを訪ねた尊氏に、親王は言う。
「・・(尊氏には武家を束ね幕府を開くだけの)器量がある。それ故、殺しておきたかった。望むと望まざると麿は帝の子。そちは武家の統領。それ故、相争うた。・・そして負けた。
翌朝、護良親王親王派による身柄の奪還等を防ぐため、尊氏の弟足利直義高嶋政伸)が治める鎌倉に送られた・・。

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帝暗殺計画から中先代の乱

1335年6月、皇太子とともに蛍狩りに北山に行幸する後醍醐帝を狙った暗殺計画が、北条家と近かった持明院統の公家、西園寺公宗長谷川初範)、日野資名(須永慶)、西園寺公重西園寺公宗の弟)らによって企てられていた。その謀議には、鎌倉で死んだ北条高時片岡鶴太郎)の実弟北条泰家(緑川誠)も加わっていた。

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西園寺公宗持明院統の公家。鎌倉幕府の北条家と近く、鎌倉幕府と朝廷との連絡窓口にあたる「関東申次」という役職にあった。当然、両方から甘い汁を吸っていたのは容易に想像できる。1331年、後醍醐帝が笠置山で捕らわれ皇位を廃され、光厳天皇が即位した際には我が世の春とばかりに、功労者であるはずの足利尊氏へ低レベルのイジメのような仕打ちをしてみせていた。

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ドラマ中ではよく描かれていなかったが、暗殺計画の露呈により捕らえられ刑死。

北条泰家北条高時片岡鶴太郎)の弟。

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企ては一色右馬介大地康雄)により捕らえた西園寺公重の口から露呈し、尊氏は武者所の司である新田義貞に伝えると、義貞は嘆息する。

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「・・謀叛が多すぎる。九州、紀伊、奥州・・。何故じゃ。それがしにはまつりごとのむきはようわからぬ。わからぬが、かかる折、帝は京に大内裏をお建てになると言う。平安京を偲ばせる壮麗な御所だと言う。そのために全国に税を課す。それがしの領地越後でも、その税の事でゴタゴタしておる。
「帝は”美しい都”をお作りになりたいのじゃ。帝の御威光も示さねばなるまい。御心はわからぬ、でもない。」
帝の事について珍しく、奥歯に衣着せたような言い方をする尊氏。
「よかろう。ワシは戦に勝てば良い。帝を護りたてまつればそれで良い。それが武家というものじゃ。のう、足利。・・今日の事、かたじけない。」
と言い残し席を立つ義貞。

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新田義貞の率いる兵が西園寺公宗邸に立ち入り、暗殺計画は挫折する。
公宗等は捕らえられたが、北条泰家は逃亡し、各地の北条残党に蜂起を呼びかけた。

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信濃には北条高時の遺児北条時行が潜伏しており、諏訪頼重が庇護していた。
彼らは鎌倉奪還を狙い乾坤一擲の兵を興す。
北条時行・諏訪義重の率いる北条軍は、信濃守護小笠原貞宗の軍を破り、女影ヶ原や小手指ヶ原で足利軍を破り鎌倉に迫った。

女影ヶ原の戦いでは、新田義貞方の武将として度々登場していた岩松経家が参陣し、討ち死にしている。

鎌倉の足利直義高嶋政伸)が井手の沢(町田市あたり)に迎撃に向かうというところで六波羅で軍議が開かれる。

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足利一族の根拠地のひとつである三河(愛知県)の兵を関東に送り増援にできないかという尊氏に対し、信濃(長野県)に北条軍の残余がいるため難しく、また鎌倉の千寿王が逃れてくることを考えれば動かせないと足利一族の宿老吉良貞義が否定する。
「ではワシが行く」と尊氏は言い出すが、京に残っている足利の軍は700、800程度に過ぎないとこれもまた退けられた。
ついには楠木、新田などの諸国の武家に兵の催促するするため帝に許しをもらう、と尊氏は言う。
「殿、武家全てを動かす許しとはいかなる許しでござります?」高師直が訊く。
征夷大将軍に任じていただく。それより他はあるまい。・・参代じゃ。内裏に参る。」立ち上がる尊氏。

「師直殿、今、殿は何と仰せられた?」立ち上がり去った尊氏を見送った後、吉良貞義が師直に訊くと
征夷大将軍を望むと。征夷大将軍、ようやく仰せられた。」と師直は顔をほころばせた。

 

参代

六波羅から宮中へ尊氏参代の使いが行く。

「足利が参代したい、と?」参代の旨は帝より先に阿野廉子の元に届けられる。
「はっ、六波羅からの使いにて急ぎ帝に拝謁したい、とか」
「大方、鎌倉へ馳せ下りたいと申すのじゃろ。都を離れるお許しが欲しいのじゃ。捨て置かれろ。

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先年、尊氏に護良親王討伐をもちかけた際に、相手にされなかった事を恨んでいるのか、阿野廉子は冷たい反応を見せる。

「一条殿、帝はお風邪じゃ、と申し、追い返してはどうじゃ?」と四条隆資(?)が言う。
「それならばまた参るやも」
「明日もまたお風邪じゃ」と四条隆資。彼もかつて護良親王についていて尊氏からの反撃にあい勢力を失った口。
「げにも、げにも。しかる間に鎌倉の足利は滅びてしまい、助けに行っても詮無き仕儀と相成りまするか。ほほほ・・」相槌をうつのは坊門清忠藤木孝)。
足利は大きくなりすぎた。叩いておくよい潮じゃ。」四条隆資。
「なら鎌倉におわす宮の行く末が?」と一条某。
「我が子義良は海から逃しておる。案ずることはない。」阿野廉子

阿野廉子の子のひとり義良親王は幼い身ながら、足利直義とともに鎌倉に下り、鎌倉将軍府の権威付けになっている事を指す。
ただ鎌倉にはもうひとり、護良親王も軟禁されていたが、護良親王とは政敵関係にあった阿野廉子はわざと無視している。

北条の残党ばらは足利と戦わせた後、新田や楠木に討たせれば良い。あまたの武家はそのために買うてある。」と嘲笑う坊門清忠

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「坊門殿、それは言い過ぎぞ。」
座に湧き上がる嘲笑。

阿野廉子は末座に控えていた勾当内侍宮崎萬純)に、多くの男を袖にしてきた様に、足利もすげなく断わり追い返すように、と命じた。

控えの間にて、帝への拝謁を頼み込む足利尊氏に対して、勾当内侍は頑なに、帝が風邪であると繰り返す。

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護良親王謀殺

鎌倉の足利邸には尊氏の妻登子(沢口靖子)や嫡子千寿王の他、武将らが詰めている。中には尊氏から言い含められて鎌倉入をしていた一色右馬介の姿も見える。
そこへ傷だらけ武者姿の細川兄弟が駆け込み、足利直義が率いた軍が関戸で北条軍に破れたと告げる。登子や千寿王もすぐに鎌倉から落ち、藤沢で合流して欲しいと。

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細川兄は右馬介に護良親王は連れ出さずに良い、直義の命により親王に刺客を向かわせたと言う。
「・・そのような事は殿から承ってはおらぬぞ!」右馬介。
「ご舎弟様の命じゃ。すでに淵辺が東光寺に向かっておる!」

 

護良親王が鎌倉の東、東光寺の小さな館に幽閉され8ヶ月。

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物音に最初、付きの女性かと声をかける護良親王は、足利直義が遣わした刺客に気づく。淵辺義博と名乗る刺客に驚くも悟った親王は言う。
「されば足利に伝えよ、すでに護良は都にて死せし者。足利は死せし者の影に怯え、死者をムチ打つか、と。」
親王の気迫に押され、淵辺はためらうも「御免」と叫ぶと振り上げた刀を親王の首筋に振り下ろす。

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暗い蟄居宅で写経をしていた護良親王は人の気配に気づき、「南か?」と呼びかける。この南というのは、鎌倉まで一人ついていくことを許された「南の方」という女性らしい。ドラマの中ではこのセリフ一言の中での登場にすぎないが、調べてみると様々な歴史的な事柄が出てくる。

ドラマの中でも、北畠親房護良親王の舅であることは言われている。
貴族の娘である正室を伴って蟄居させられるというのはどうだろうな、という印象もあるので、この「南の方」は側室だろうか。ウィキでも「南の方」は側室ということになっている。
伝説ではこの女性とは別に伝説では「雛鶴姫」という女性もいて「南の方」と同一人物という話もあるなど、皇子とはいえどもこのあたりは不明な点が多い模様。

 

新田義貞

鎌倉陥落の報は寝所にあった後醍醐帝の元にも届けられ、後醍醐帝は急遽、千種忠顕坊門清忠の腹心と、武家として新田義貞を招集する。

「ほどのう足利が参る。足利が参る。足利が思うておることはただひとつ。自ら軍を率いて関東に向かうということだろう。・・」後醍醐帝が先に招集した3人に訊ねる。

「足利は存外、戦が弱いござりまする。・・関東の名だたる武家を率いてこの始末。」
千種忠顕が答える。
「そもそも足利は帝の許しを得たるを幸いに、関東の議は己の腹ひとつで決め、我ら公家に一言の相談もござりませぬ。かくなる上は足利を廃し、他の武家をもって此度の乱にあたるべきかと・・坊門清忠も言う。

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「新田は此度のこといかに思うか?」後醍醐帝は次に新田義貞に訊ねる。
「そも関東は北条の根城、幕府が倒れても北条の縁者はそこかしこにおります。それらを治め関東を守るのは誰が行おうても難しき技にござりまする。寝返り者足利への怨念が、北条方を鬼神のごとく奮い立たせておるものと思われまする。足利の苦戦はそこにあるものと・・」

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「こたびの乱も足利に与えし北条の領地からあまた起きておる。故なしとはせぬ。」

後醍醐帝も応じる。
「させばこの戦は避け得ぬ戦にござりまする。それがしが足利なれば、すぐにも関東に駆けつけ決着をつけまする。力足らずば滅び、天の助けあれば勝つ。」
愚かな!足利に軍を与えて勝たせれば、勢いに乗じて関東に幕府を開きかねぬぞ。かかる甘さ故、新田はいつまでたっても足利に遅れをとるのじゃ。
貞義の何の得るところもない四角四面の答えを千種忠顕が遮る。
「万にひとつ、足利が破れ、北条が力を取り戻しても、天下は乱れる。ここは新田が必勝の心で北条を討ち滅ぼせば良い。帝はそう思し召されてそなたを召されたのじゃ。そのご叡慮がなぜわからぬ。坊門清忠が義貞を叱責する。
新田ならこの戦、勝てるのか勝てぬのか。それをご下問じゃ。
千種忠顕坊門清忠の二人して口々に義貞を罵りつつけしかける。

「行けとの大命なれば、新田はどこへでも行き、合戦仕りまする。北条如き、いつでも蹴散らしてご覧に入れまする。そのためにおそばに侍する新田にござりまする。さりながらそれがしは同じ関東もの故、足利と北条の考えし事が、いささかわかる節もござる故・・」律儀に応える義貞に、千種忠顕は追い打ちをかける。
関東ものの考えし事などとるに足らぬ。武家は戦に参って勝てば良い。それだけじゃ。

後醍醐帝は、口々に義貞を罵る公家二人と、義貞を下がらせ、侍していた阿野廉子に義貞の印象を訊く。
「気が利かぬものにござりまするが、心根は信ずるに足るかと・・。」

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「あれは頼りになる。古風な武者じゃ。あれで良い。」
阿野廉子の答えに自分の意の通りだと笑みを浮かべる後醍醐帝。

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場面代わって殿上から下がる新田義貞を案内する勾当内侍
「それがしは帝の御前で奇妙なことを申し上げたやもしれぬ。お笑いくだされ、帝に召される前は、いつもうまくお答えせねば、とあれこれ思いながら出るのだが、お公家の方々に囲まれると、とてもあのようには喋れぬと、臆してしまう・・。
ハハ・・・関東の田舎武士にござる。」

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義貞の自嘲混じりの思わぬ告白に、勾当内侍はじっと顔をみつめ応える。
「新田様の申された事、奇妙なことはなにひとつござりませぬ。お公家の方々がよほど奇妙でござりました。」

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二人のそばを召された足利尊氏が通りすぎる。黙礼する尊氏。

この翌年、尊氏と義貞は天下を二分して戦う事になる。その運命はこの夜、帝によってもたらされるのである。その事に尊氏も義貞もまだ気づいていない・・。」とナレーションが言う場面で終了。

 

 

感想

足利に代わって北条討伐に赴かせようとする公家連中の言い草がほとんど新田義貞の吊し上げのようになっていて酷かった。ここまで言われても四角四面の答えしかしない新田義貞はよほどの大人物なのか、鈍感なのか・・。
彼の律儀すぎる性格がこの後、自身の立場を追い詰めていくことになるのだろうが尊氏との対比として興味深い。

公家どもに散々いじめられたご褒美で勾当内侍と仲良くなれたのであれば、まぁよいか。

護良親王謀殺の指示は直義から出たということになっていたが、直義がそれをする場面は出てこない。かつて京において、護良親王の腹心だった”殿の法印”の部下が土蔵破りをしてという一連の事件などで直義はよほど護良親王を恨んでいたのか・・。とはいえ、ここまでは兄尊氏の意志に沿った行動を取る場面が目立っていた直義が、兄の意に背いた行動を取る描写ははじめてではないか?

 

 

歴史の回想・中先代の乱

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義貞の旗

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