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大河ドラマ「太平記」27話「公家か武家か」:なぜ足利尊氏は後醍醐帝の新政を見限ることになったのか・・これがこのドラマが次に描いていくテーマ

前回のあらすじ

新政建立にあたって功があった公家と武家に対し恩賞が出されるが、その不均衡や評価をめぐり悲喜こもごもが起こる。

阿野廉子原田美枝子)の取り巻きが厚遇される一方で、阿野廉子に対立する護良親王堤大二郎)のグループは冷遇される。

足利尊氏真田広之)は地位と名誉は与えられたものの知行はあまり増えず公家の間では「足利なし」と噂され、一方の新田義貞根津甚八)とその一族は多くの役職を得ていた。

北畠顕家後藤久美子)には奥州鎮撫の任が下り、その父親房(近藤正臣)も後見として奥州へ赴くこととなった。

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武家の務め

1333年秋、奥州で発生した北条残党による乱の鎮圧の命が陸奥国司北畠顕家後藤久美子)に下るが、従来であれば武家が担ってきた軍事領域を公家が担当することについて、武家の中で反発や議論があがったと説明される。

足利家内でも尊氏の弟直義(高嶋政伸)が、家中から突き上げられそのままを尊氏にぶつけていた。
「兄上、人が良いにもほどがござりまするぞ。奥州の残党狩りは鎌倉の足利勢を差し向ければ、こと足りまする。なにゆえ北畠殿の出陣をお飲みになりました!?
「北畠殿は陸奥の国の国司に任じられた方ぞ。奥州を鎮めるのは国司たる北畠殿の勤めであろう。」尊氏はきっちりと直義に反論するが、直義は続ける。
「・・・朝廷の腹は見えてくる。我らが再び鎌倉に幕府を開き、東国を支配するのを怖れておるのじゃ。我らの先手を打ち、奥州に東国支配の幕府を開く。すなわち帝の皇子を将軍に、北畠殿を執権に、北条一族がやったことをこたびは公家がやろうとしておるのじゃ。」
「たとえ公家衆がそう思われても、帝がそれをお許しになろうとは思えぬ。」

誰かに幕府を開かせることを後醍醐帝はやらない、ときっぱり言い切る尊氏に直義は
「なにゆえ!」と訊ねる。
「帝はこう仰せられた。武家の束ねはこの足利尊氏に命ずる、と。」
「しかし現に帝は北畠顕家殿に東国の武将たちを付け、奥州に遣わしになる!
兄上は帝にたぶらかせれておるのじゃ。」
「直義、口がすぎようぞ。」
「直義だけの意見ではござりませぬ。足利一門みなそう思うておりまする。」
「よう聞け!武家よ公家よと意地を張り合おう時ではない。・・この都は我らが巻き起こした戦で焼けただれ、いまだ雨露しのげぬ子や女子やらが巷に満ち溢れておる。ワシは帝よりこの都を任せられたのじゃ。その者たちに家を建て、食べ物を与えねばならぬ。そは帝とて同じ思いであらせられよう。武家の力を結集し、まずこの都を立て直す。それが我らの第一の務めぞ。」

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1333年5月、鎌倉幕府の滅亡【第22話】
同6月、  護良親王堤大二郎)が征夷大将軍に補任【第23話】
同8月、  叙位除目(=論功行賞)【第26話】
同8月、  足利高氏は後醍醐帝より偏諱を受け、尊氏となる【第25話】
同9月、  雑訴決断所ができる【第26話】
同10月、  北畠顕家鎮守府将軍陸奥守に任命され北畠親房近藤正臣)とともに、義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥へ派遣、陸奥将軍府が成立。【いまココ】
同12月、  足利直義成良親王を奉じて鎌倉へ派遣され、鎌倉将軍府が成立。

このシーンや続く都下の武家を集めた会合シーンはセリフばかりのシーンなので流してしまいそうですが、じっくり見るとけっこういろいろな事を含蓄しています。

新政と後醍醐帝の目指す政治、また尊氏の目指したものなどをきちんと説明しようとすると、ドラマではなく『その時、歴史は動いた』のような解説を挟まねばならないでしょう。そうでなくとも結構な時間を取られそうな部分です。
舞台となった時代設定が戦国時代や幕末のような視聴者の共通認識に頼ることができるような時代であれば、さらりと描くのもありなのでしょうが、本作「太平記」が扱う時代はメジャーではありません。まして、戦前の足利尊氏を逆賊として扱った水戸学史観の影響・印象もある中、描き方は非常に難しい部分だったように思います。

そう、なぜ足利尊氏は後醍醐帝の新政を見限ることになったのか?という新たなテーマ部分です。

さらにややこしくしているのが、このドラマにおいて足利尊氏大河ドラマ主人公補正」が掛かっていることです。ここまでドラマの中で尊氏は悪辣な事を率先して実施するようには描かれてきていません。”悪辣なこと”を行うにあたっては、そうせざる得なかったという状況を作ってから行うような筋運びになっています。
今回のこの場面でも後醍醐帝の施策に怒るのは、足利家家中の者達であり、直義です。尊氏が後醍醐帝の施策に怒ったり、不満を口にすることはありません。

このドラマの脚本家は、この親政の施策が進んでいく中で、尊氏がどのようなスタンスで後醍醐帝の新政に向き合っていたのか、またこの後、それを裏切ることになるのかを、丁寧には説明しようとしているのですが、仔細に見ていくと今のところ、やや苦しい部分があるように感じました。
今回の尊氏の言う都の立て直しという説明だったりします。もっとも武家の力を結集して立て直しをしようとする尊氏の試みはあえなく潰えるのですが・・(次のシーン)

少し話を戻します。

後醍醐帝はドラマの中で、「延喜・天暦の治」を理想の政治と口にしており、これは律令を元にし、家格ではない本人の実力による人事と、天皇による親政を行うこと、と帝本人の口から言わせています(第26話)。
後醍醐帝は、帝に代わって政治を行う関白・摂政といった人は置かず、また鎌倉幕府に許した征夷大将軍に幕府を開かせるといったことも想定していないのです。

また後醍醐帝は「公家一統」という言葉も頻繁に口にしています。
公家による政治を指し、武家の出番はなさそうです。今で言うシビリアンコントロールと言った所でしょうか。後醍醐帝が公然と言っていることからすると尊氏も聞いてないはずはないと思われます。

北畠顕家による奥州鎮撫はこの「公家一統」の流れからすると武家ではなく公家に指示が下るのは道理ということでしょう。直義が、武家の領分を犯したと言うのも当然の措置のように見えます。

ただ、公家一統政治という後醍醐帝の目指している目標について、今の所、尊氏は何もコメントしません。

尊氏はセリフの中で、帝から”武士の束ね”になれ、と言われたと主張しています。ドラマの中でもそういうシーンがありました(第23話)。
”武士の束ね”の裏付けとして”征夷大将軍”という官職がある訳ですが、これは現時点、護良親王が補任されています。

今回、直義からの疑義に対して尊氏が言った、「・・武家の束ねはこの足利尊氏に命ずる、と。」というセリフは言外に、自分は武家に対する”号令”を掛けることができる立場にいるんだ、と言っているように聞こえました。

たまたま陸奥国の件は北畠顕家に指示が下ったが、武家全体については”この尊氏が一番よ”と言いたかったかと推測します。
ただこの”武家の束ね”も結局、尊氏以外の武家は承知している訳ではないということが次のシーンが描かれ、尊氏は打ちのめされるのです。

呉越同舟

尊氏は、都の武家を集めて復興を巡る協議を行う。協議には大塔宮護良親王派、阿野廉子派、また元北条方など多彩な顔ぶれが揃った。

ざっと見渡すと・・
大塔宮護良親王派としては、新田義貞、その弟脇屋義助、同親族岩松経家
阿野廉子派からは、名和長年
元北条方からは、幕府滅亡後降伏した、二階堂道蘊、大仏高直
他にも楠木正成楠木正季佐々木道誉

(まだ座には人が並んでいますが顔がよくわからないので判別できませんでした)。

尊氏による本会合の趣旨説明の後、さっそく口開いたのは名和長年小松方正)。
「朝廷の公家衆はこの寄り合いのことを聞き及び、さては足利殿は北畠殿の奥州支配を案じられ、武家を束ね公家に楯突くつもりじゃと、色めき立っておりまするぞ。」

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名和長年は、後醍醐帝の隠岐脱出とその後の船上山籠城を主導し、”三木一草”のひとりとして重用された人物。”三木一草”のひとりの楠木正成が尊氏の心情にも心を寄せる中立で純粋な尊王の士として描かれていることと比較すると、このドラマに登場する武家の中で、私欲を隠さない一方で最も後醍醐帝に近い位置を占め、尊氏への対抗心を抱える人物として描かれてきた。

「この脇屋義助、北畠殿の奥州派遣には我慢ならぬ!」
続いて勢い込んだのは新田義貞の弟脇屋義助石原良純)。周囲からの賛同の声があがる。

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「待たれよ!」変な流れを断ち切るように尊氏が言う。
「今日、お集まり願ったのはその議についてではない。」

「さりながらこれだけは申しておかねばならない。我らが北条と戦ったのは、公家の支配を受けるためではない。」
新田義貞根津甚八)が釘をさしてくる。義貞に向けた尊氏の顔には足をすくわれたような表情を浮かべている。

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「では何故に新田殿は大塔宮に媚へつろうておるのじゃ?」すかさず新田義貞への皮肉を口にする名和長年

名和長年隠岐島の以来の由縁にて阿野廉子と近い。阿野廉子と対抗する大塔宮護良親王に与する新田義貞は対抗勢力の一員ということだろう。

「なにっ!」名和長年の言に義貞が憤然とするが、佐々木道誉陣内孝則)が口を挟む。
「名和殿、そのような言い方はござるまい。名和殿とて、三位局(阿野廉子の事)や千種忠顕卿にへりくだって、伯耆国の守護となられたではないか?」
ことさら”へりくだって”という部分を強調する。

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佐々木道誉もまた隠岐島以来の因縁にて後醍醐帝や阿野廉子と親しいため阿野廉子派閥を思いきや、今日はやや距離を置いた物言いをしている。

「へりくだったとは何事じゃ! 名和長年隠岐を出で賜うた帝をこの背に負い奉り、船上山の高き峰に這い登って、功を尽くした、その忠義により守護を賜ったまで。」
名和長年が得意の講談調の語り口で自分の功を誇れば、
それを申せば皆、忠義は致しておるのじゃ。」道誉が混ぜ返す。
またもや周囲から道誉の意見への賛同の声や、公卿への悪言があがる。

騒然となった座を止めたのは楠木正成武田鉄矢)。
「今日は都で家を失のうた者に家を建ててやることについてじゃ。のぅ、足利殿・・。
ご一堂、まずはこれをとくとご覧じよ・・・」
と正成が手元から取り出したのは砂金で膨らんだ袋3つ。
それがしの館に出入りする堺の商人が、この都の市場に綿と油の店を出したいと申しておる。便宜を図ってくれれば、その儲けに応じてこれを寄越す、というのじゃ。そういう輩から金を取って、家を建てるというのはどうじゃ?

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「なるほど、都に店を出したがっている商人は数多おる。それらから口入れ料を取って、都を建て直すか。さすがは商いに強い楠木殿よ。
利に聡い佐々木道誉が賛同する。

「のぅ?」道誉の誘い言に、「おう、そは良い案じゃ」と応じる尊氏。

楠木党はこのドラマの最初の登場シーンから淀の津の水利を抑え近畿一円の流通を抑えていたと説明されている。同様に近江守護であった佐々木道誉は琵琶湖を中心とした水運を抑えていた可能性が高くこうした経済や商売への感度の高さは、東国出身の足利党や新田党には比較にならなかったであろうことは容易に想像できる。

「ならぬならぬ、都の市場は代々出入りを許された油座や綿座の商人がいる。新規の商人を入れることは騒動になるぞ。」鰯漁と商売で財を成したとされる名和長年がすぐに言う。
「市場は誰にもつかわせればよい。」と正成。
「そうはいくまい。都の市は代々公卿が司り、新規の商人を入れぬ代わりに座の商人から莫大な上前をハネてきた。
名和殿はその旨味に乗っておられると申すしのぅ。」またもや道誉が混ぜ返す。
「なにぃ!」
「市は皆が自由に使えば良い。そのために我らは北条と戦こうたのじゃ。公卿の支配なぞ受けぬわ!」商売の観点よりも公卿憎しの意見を言う義助。

末座より高笑いをあげたのは二階堂道蘊(北九州男)。
「御辺らは公卿の命を受けて北条を滅ぼした。もともと御辺らは公卿の下人ぞ。」
「黙れ!北条の残党!」義助が憎々しげに言う。
これには黙っていた、二階堂と同じ北条党の大仏高直(おさらぎ)(河西健司)が反論する。
いかにも我らは北条の残党よ。その残党をつかわねば、御辺らには法も作れぬ、まつりごとも進まぬ。そのような事だから公卿に侮られるのじゃ。

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激昂した義助が北条党の座へ手元の膳の皿を投げつける。

二階堂道蘊は鎌倉幕府内の評定などにおいて僧形でめだっていた人物。
「十万の兵を預けてもらえれば、楠木正成など捻り潰してみせましょう」などと威勢の良いことを言っていた。
大仏高直は北条一門、故に字は北条。その大仏流の一人。
なお鎌倉幕府健在の頃の最初の鎮西派遣(尊氏も出兵したがサポタージュを働いていた)の際の総大将であった大仏貞直はその一族。こっちは鎌倉の戦いで戦死している。

この二人、鎌倉幕府の滅亡後、剃髪して(二階堂道蘊はもともと僧形)新政府に降伏したがセリフで言っているように行政や法執行の機関運営に必要ということで助命されていた模様。だが後に相次ぐ北条残党の反乱などの中で北条一族根絶やし施策として二人とも斬首されることになる。

なお二階堂一族は行政官僚として室町幕府でも重用されていく。

 座は騒然となり、会合は破綻した。

 

会合の後、膳や皿が散乱する中、床に散らばった豆を拾い食う高師直柄本明)。
六波羅を倒し、鎌倉を倒した時は皆こうではなかった。変わったのぅ?
師直、なぜだ?」上座に残ったままの尊氏が問う。
「やはり、公卿は公卿、武家武家で暮らしたほうがよいのです。この都では公卿は武家を下人としてしか扱いませぬ。かつて源頼朝公が京を離れ、鎌倉に武家だけの国を作られたのは故があるのでござりまする。

おそらくこの会合の根回し調整などを行ったのは高師直と思われ、それが無残にも破綻したことを誰よりも残念に思っているものと思われる。

師直の描写の中で備えられた菓子を盗み食う様子の描写があったり今回の豆の描写など、吝嗇家?らしいところが見える描写が面白い(今後、どのような伏線になるのか?)

楠木正成が商人からの口利き税の話を持ち出した際の尊氏の表情からは、そのような発想はなかったとばかりの驚きが読み取れた。武家の頭領とはいいつつも経済や商売の領域は強くはないことが伺える。

冷徹な高師直は続ける。
武家はこのままではバラバラになりましょう。奥州の武家達も北畠殿の指図を嫌ろうて北条の残党方に付くかも知れませぬ。せっかく倒した北条が、東国で息を吹き返さぬとも限りませぬ。

「そうなっては鎌倉が危ない。」
「御意。今、若殿を鎌倉よりこちらに動かし奉れば、足利は東国から逃げたと笑われましょう。
「さりとて、ワシはこの都を、守らねばならぬ。鎌倉に駆けつけとうても、それが叶わぬ。
帝は何故、何故、北畠殿を奥州へ・・・戦は武家にお任せになればよいものを・・」
それ故、以前から申し上げておりまする。帝は雲の上のお方。そのようなお方に武家の心はわかりませぬ。

ようやく直義や高師直達がこれまで尊氏に上申してきた事の次第が理解できた模様の尊氏

「師直、関東の守りは我らが手を尽くさねばならぬ。鎌倉にワシは行けぬまでも、直義かそちが軍を率いて鎌倉に参ることはできよう。
直義とこの議、話をしてみようぞ」

 

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不知哉丸

足利直義高嶋政伸)の屋敷に遊びに来ていた不知哉丸は熱を出しそのまま屋敷で一夜を明かしていた。

不知哉丸の看病をしていた尊氏・直義の母清子(藤村志保)は、目が覚めた不知哉丸から母親の名を聞き、
「鰻売には似合わぬ名じゃのう?」と言いつつも、猿楽舞を職とし、都に来る前は三河の一色村、その前は伊賀に居たと聞き及び、不知哉丸が尊氏の隠し子ではないかと思い当たる。

ちょうど鎌倉出兵の件で直義の屋敷を訪ねきた尊氏と不知哉丸は廊下で鉢合わせし、そこで尊氏は不知哉丸の名と藤夜叉の名を聞くのであった。
外に藤夜叉達が現れたと告げる使いの声に駆け出す不知哉丸だが、病み上がりのため尊氏の腕に倒れ込む。そのまま床へ連れて行く尊氏。
「足利の大将が命ずる。病の折は、動くでない。」

清子は直義に告げる。
直義殿、あの子は尊氏殿の子じゃ。亡き大殿より密かに打ち明けられたことがある。伊賀に尊氏の子がおると。気にはしていたが。おらぬものと思うてうち過ごしてきた。・・ああ、あの子は我が孫ぞ。不知哉丸はそなたの甥じゃ・・」
驚きの余り一言も発せられぬ直義。

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帰ってこない不知哉丸の行方を案じた藤夜叉(宮沢りえ)は、”ましらの石”(柳葉敏郎)に不知哉丸の行方を探してくれるように頼んでいた。

ましらの石”が市中を探し歩いているところへ具足師龍斎姿の一色右馬介大地康雄)が現れ、藤夜叉と不知哉丸を知らないか、と訊ねる。右馬介はこちらはこちらで、三河の一色村に匿っていた藤夜叉親子が行方不明になったため訪ね探していた。

不知哉丸が足利の大将と連れ歩いていったと目撃者から聞いた藤夜叉は”ましらの石”と右馬介と落ち合い、直義の屋敷に向かう。

 

庭に通された”ましらの石”と藤夜叉。
現れる尊氏。尊氏に突付かかる”石”。
「・・左兵衛督(さひょうえのかみ)とやらは都の争いを鎮め、民を守り、良い都を作るものじゃ。
ところがこの都を見てみぃ。武家と公家が入り乱れて争い、盗賊、火付け、乞食(こつじき)、家のない者みーんな野放しじゃ。左兵衛督が笑わせるわ。
武家の頭領じゃと言うたのぅ?」

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「・・龍斎さんよ、ワシがなぜ楠木党を辞めたのか教えてやる。楠木の殿様はこの戦はよい世を作るための戦じゃと仰せられたのじゃ。それゆえワシも北条を倒すために戦こうた。ところが戦が終わったら殿様は、ワシの嫌いな足利と仲良う公家の番犬に成り下がってしもうた。・・」
日野俊基からもらった書付けを袂から取り出した。
「・・帝の綸旨がなければダメだとぬかす。帝はどこぞの公家にこの畑をくれてやった後じゃという。
ワシは今まで何のために何のために戦を・・。
我主が武家の頭領ならワシに代わって帝に申し上げてくれ。これが日野様の仰せられた良い世の中なのですか、とっ!」
と書付けを地面に投げつける。

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奥から出てきた不知哉丸を抱き、藤夜叉が言う。

御殿に申し上げまする。我が子不知哉丸は名もなき魚売りの子、名も無く生き、名も無く消えていくものにござりまする。どうかお戯れに情けをおかけになされませぬよう・・。
お気遣い無くともこの子は丈夫でござりまする。山猿のように放って育てました故、薬いらず、医者いらず、風邪など治ってしまいまする・・。」

”石”が不知哉丸を背負い、立ち去る3人。

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「・・わたくしは、御殿がお治めになれば、この都は美しい都になると、そう思うておりまする。戦のない良き世をお作りになると・・。そう思うております。
と最後に言い残す藤夜叉。

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”石”が捨て残していった書付けを見ながら、尊氏が右馬介に命じる。
「・・この日野殿の領地の事、しかるべきものに調べさせよ。あの男が申した事がまことなら、別の領地を探し、与えてやれ。」

 

別室で尊氏が直義に言う。口調はどこかさみしげだった。

「あの母子は右馬介に任せてある。どこぞの子をかわいがるなら、魚売り以外の子にしてくれぬか。
ふっ、兄の勝手な頼みじゃ。
勝手ついでにもうひとつ。そなたの申すとおり、東国の守りはお公家に任せきるのは無理やもしれぬ。そなた、ワシの代わりに軍を率いて鎌倉に下ってくれぬか。戦が関東に飛び火いたさぬよう、鎌倉で目を光らせて欲しい。」
それは奥州の北畠殿へのあきらかなあてつけになりまするぞ。武家が公家の向こうを張って東国を守るのじゃ。帝は許されましょうや?
「東国が乱れれば、再び都も火の粉を浴びる。備えは万全が良い。帝にその事を強う言い、お許しを得る。おわかりいただけるはずじゃ。」
うなずく直義。
「東国が鎮まれば、後はこの都じゃ。この都をどう治めるかじゃ。」

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感想

尊氏が心情的に打ちのめされる回と言ってよいかもしれません。

都の再建を自分の使命と武家を集めるも、意見の対立から話が進まず、進まないどころか資金の供出元の案を持ってきた楠木正成を除いて、誰も都の再建など眼中にないようで、互いに対立するばかりです。

いくら自分は後醍醐帝から「武家の束ね」を頼まれたと主張しても、誰も聞きません。その上、その後醍醐帝も奥州の乱の鎮圧は北畠父子に任せてしまっています。武家に対する示しも、また重みもない虚しい位にすぎないと気づいたのではないでしょうか。

 

「美しき世」というのはドラマの最初期の頃からのモチーフになっている言葉で、尊氏はずっとこだわり続けています。かつて鎌倉で出会った日野俊基にそれを言われ、醍醐寺ではじめて見かけた後醍醐帝の姿にそれを見出した尊氏は、帝を推し幕府を倒します。
今回改めて、”石”から、今は亡き日野俊基の名と彼が唱えていた「美しき世」の話を聞き、かつて自分も日野俊基の言葉から感じていた理想を思い出したのかも知れません。
中でも今回、尊氏の背中を最後に押したのは藤夜叉の言葉でしょう。

この後、尊氏と藤夜叉がまみえるのかはわかりませんが、一般庶民代表として描かれてきた”石”と藤夜叉の役目はドラマとしては終わったのかもしれません。
(原作での藤夜叉の役割はもう少し異なっており、一般庶民代表は別のキャラに託されています)。

尊氏が後醍醐帝の公家一統の思いと違うことを上申に行くというところで今回のドラマは閉じます。

 

 藤夜叉の登場シーンでアレンジをくわえながら流れる(おそらく)藤夜叉のテーマは良いですね。ぜひともサントラが欲しいものです。