Their Finest Hour -歴史・ミリタリー・ウォーゲーム/歴史ゲーム -

歴史、ミリタリー、ウォーゲーム/歴史ゲーム/ボードゲーム

大河ドラマ「太平記」15話「高氏と正成」:戦場から戻った彼らを待ち受けていたのは、かくも息苦しい世界であった・・

前回のあらすじ

赤坂城落城により楠木正成は伊賀に逃れたと言われる中、足利軍は落ち武者狩りを行う。
高氏は、かつて自分の前から姿を消し、伊賀に棲むという藤夜叉母子に会いたいという思いと、会うことで厄介事に巻き込みたくないという思いに挟まれる。
一方の藤夜叉は楠木正成と共に出ていった”石”を助けたいと思い、その願いを伝える先として高氏に会わせて欲しいと、右馬介に依頼する。
かつては二人を遠ざけるように動いていた右馬介だが、その右馬介の手引により二人は束の間の再会を果たした。

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伊賀の関にて

楠木正成らしき人物を捕らえたという報に足利高氏真田広之)らは関所に向かう。

そこには捕らえられた花夜叉一座が引き据えられ、中には”石”(柳葉敏郎)や楠木正成武田鉄矢)がいた。先着していた北条軍の将土肥佐渡前司(大塚周夫)も同席する中、高氏による検分が始まる。

捕らわれたのは花夜叉一座。花夜叉は、高座の高氏らに対して、熊野神社の神事に呼ばれ、歌舞を奉納に行く途中だ、と説明する。
「・・では、その舞を披露仕れ。天下泰平の舞を所望致す。」高氏が花夜叉(樋口可南子)に命じる。
「易きことにございます。見事舞ますれば、お通しいただけましょうや?」
「うむ」花夜叉の問いに諾と答えた高氏を驚いて見る土肥前司。

が、
「待て!」歌舞の準備をする一座を高氏が止める。
そのものの舞を所望致す。そのほうじゃ
高氏は座ったままの正成を睨む。土肥前司も高氏の鋭い問いにほくそ笑む。土肥も同じ男に目をつけていたようだ。
「おそれながら、この者は車を引く者にて、舞の議は・・」
あわてて花夜叉が間にはいろうとするが・・
「舞の議は?」高氏は容赦ない。
「未熟者に候えば、お目汚しになろうかと・・」
「構わぬ!」高氏が鋭く言う。

呆然とする一座一行に、やおら立ち上がる正成。周囲に目礼をし、花夜叉のたもとから扇子を抜くと、広げた扇子片手に歌い出した。

「〽冠者は妻儲け(めもうけ)に来にけるや?冠者は妻儲けに来にけるや?・・」
正成の張りのある謡い声に、あわてて一座も手拍子であわせる。
「〽構えて二夜は寝にけるは・・構えて二夜は寝にけるは・・」
と、正成はいそいそと一座の中から大柄な乙夜叉(中島啓江)を引っ張り出す。
音夜叉も即興で袂で顔を隠し初々しい女を演じ、正成に合わせる。
「〽三夜という夜の真夜中に、袴どりして逃げけるわ・・」
憮然と踊りを見る土肥前司。心配そうに二人を見ながら落ち着かず腰を浮かしてかけている花夜叉。

”妻儲け(めもうけ)”とは妻をもうけること。真夜中にやってくるというので、いわゆる夜這いを歌った俗謡。
夜這いに行き、女連れ出したものの、顔を見てみれば意中の女性とは違う女だった、あわてて逃げ出すが逆に追いかけ回された・・といった感じだろうか。

乙夜叉のユーモラスな仕草にどっと沸き、さらには小男の正成が大女に追い回される展開に、周囲の北条軍や足利党の兵達もやんやと大いに盛りあがる。

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お見事!
踊り終わった二人が平伏すると間髪いれず高氏が声をかける。
車を引く者にしてかかるうまさよ。一座の舞の見事なること、疑いなしじゃ!
高氏は床几から立ち上がり、正成に寄る。
「その方、名をなんと申す?」
「吾平と申します」正成が答える。
「悪う思うな、その方が名高き悪党楠木兵衛に似ていると申すものがおってな。念のため詮議を致した。」
戦の最中に兜で隠れた顔が似ていると言っても、見間違うこともあるのではないかと、高氏は土肥前司に聞こえるように、言う。

そのまま一座の詮議を締めようとする高氏の言に驚き、土肥が異議を唱える。
「さりながら・・」
そこもとが見たところ、この一座に不審はない。とく放免致すべしと存ずるが・・
高氏は聞く耳をもたない。それでもしつこく食い下がる土肥に駄目を押す。
「この足利高氏!、人を見る目にいささかの自負がござる。」

軍制はよくわからないが地位としては大将軍とされていた足利高氏のほうが土肥佐渡前司よりも偉かったということだろう。最後は高氏が押し切る。
後の展開から想像すると、このゴリ押しは遠征軍の大将軍筆頭の大佛貞直経由で長崎円喜・高資父子にも逐一報告されていたといったところだろうか。

ここまで言われてしまうと下位の者としてはひっくり返すだけの手立てはない。
土肥一行は憤然と喚きながらその場を去る。
高師直が一座は通って良いと告げ、一座は平服する。

立ち上がった正成に高氏が話しかける。
そこもとが万にひとつ楠木兵衛なら、お尋ねしたきことがあった。
驚いたように高氏の顔を見る正成。

田楽一座の単なる車引きにしては眼光尖すぎるよ、このおっさん。
土肥某が正成と疑うのも無理はないな!

高氏は正成と目を合わせないまま、続ける。
「・・なにゆえ、勝ち目のない戦にたたれたのか、と。
最後にちらりと正成をみやり、高氏は立ち去る。

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しばらく後、
高師直柄本明)が高氏に訊く。
「あの者、舞ができねばなんとされました?」
「舞ならワシとてひとつぐらいは舞えるぞ。」
高氏は、平然と答える。
「ほぅ・・ああ、なるほど・・」得心する師直。

こちらのおっさんもあなどれない。高氏がゴリ押しした茶番を察していた模様。
この飄々としたところは好きですね。

そこへ矢文が射掛けられる。
矢文には・・

おたずねにお答え申し候
戦は、大事なもののために戦うものと存じおり候
大事なもののために死するは、負けとは申さぬものと心得おり候
それゆえ勝ち目負け目の見境なく、
ただ一心不乱に戦をいたすのみにて御座候
どうかお笑い下されたく候
車引き

 とあった。

西園寺公宗

11月初頭、京都に戻った高氏を待ち受けていたのは、後醍醐側大覚寺統を追い落とした持明院統の公卿からの冷たい仕打ちであった。

鎧装束のまま出仕した高氏は廊下にて、取り巻きをつれて歩く西園寺公宗長谷川初範)にゆきあたり、高氏は廊下の端に片膝つく。
「これは治部太夫殿。陣中でもあるまいにそのむさむさとしたお姿は何事ならん?
「おそれながら足利殿はさきほど伊賀より帰着されたばかりにて・・」案内の官吏が公宗に言う。
「されば着替えてご出仕なさればよいものを・・。同じ関東武者でも北条殿と足利殿とでは人と犬ほど作法が違うようじゃな。・・
手に持つ扇子で顔を隠しながらわざとらしく高氏が屈んでいる端に寄るように向かってくる。たまらず高氏は廊下から地面に降りる。
高笑いを残して去る公宗とその取り巻き。

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いやぁ、これまた強烈なキャラが登場した。癇に障る高い声といやらしい低レベルなイジメのような仕打ち。この後、敵役としてどのような活躍をするのかはわからないが、楽しみである。
西園寺家関東申次として幕府との連絡役を担ってきた家系。いわば北条家ひいては長崎家との繋がりが深い。長崎家の足利嫌いがうつってもおかしくはない。またこういう役割を担うものの常として、双方に対して絶大な権力と金が集まっていたことは想像に難くない。

あまりに強烈だったので少々調べると・・
西園寺公宗鎌倉幕府滅亡後、その役は無くなり、夢よもう一度と、地位回復のため北条家残党に対する支援を行ったりする。最後は後醍醐天皇を宴に招き暗殺を試みるが事前に露見し、高師直らに囚われ、さらに護送中に処刑されたという(ドラマでここまで描くかは不明)。明治の元老のひとり西園寺公望はこの子孫にあたる。

補足:西園寺公宗は新政が成った後、後醍醐帝暗殺を企て失敗するというところで再登場する。捕らえたのは高師直ではなく新田義貞ということになっていた。なお処刑までは描かれない。ドラマ的には中先代の乱という大事件が起こるためそれどころではなくなっていたのである。

京都の逗留場所である上杉邸で西園寺公宗の仕打ちの話を聞いた直義(高嶋政伸)が高氏に言う。
「兄上、それは挨拶されておいたほうがよいかもしれませぬぞ。
・・やはり笠置に立たれた先帝は立派なお方であったということです。学問においては朝廷に並ぶもの無しと言われ、世を正さんとする熱も度量も人並み外れた大きなお方であった。楠木兵衛殿が勝ち目のない戦に乗り出すだけの理由はあったんです。
・・そういう御方を敵の持明院統は怖れた。幕府も怖れた。よって追い落とす。
だが、都のみんなは知っております。新しい帝より先帝がはるかに立派な御方であった、と。西園寺卿もどの公卿もみなそれを知っている・・。
・・西園寺卿は北条得宗家、とりわけ長崎円喜殿と親密だと申します。
・・行き先大事を行うならここは持明院統に睨まれるのは得策ではない、と・・」
「直義からそのような説教を聞くとは思わなんだ・・」と高氏が返す。

楠木正成の弟正季ほどの猪武者ではないにしろ、直情径行の気があった直義にしてはいつになく冷静な分析。京都在中期間中にキャラ変したか

先帝の様子は如何かという高氏の問いに対して、六波羅の後醍醐帝に対する仕打ちがひどいと直義が言う。
「・・下屋に灯りもいれず、この寒さに火桶もいれず、並のものならとうていもたぬようなひどいものだと」

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旧暦11月なので現在の12月、京都は寒く、直義も火鉢の炭を熾しつつ、寒い寒いと口にしている。
で、この寒い寒いという描写は次の後醍醐帝の軟禁される六波羅の描写に続いていく。

囚われの先帝

「探題を呼べ!仲時を召せ!」
と軟禁された部屋から叫ぶ後醍醐(片岡仁左衛門)の声。
「かかる仕打ちやある!仲時まいれ!
火がのうては寝るにも凍える。かかる仕打ちやある。疾く火をもて!・・誰かある!誰かあーる!」

仲時は六波羅探題北方の北条仲時の事。
後醍醐天皇役の片岡孝夫片岡仁左衛門だが、見目の神々しさは今までも再三見てきているが、ここまでの声を張り上げるようなセリフや長々しいセリフは初めてだと思う

「お上、火桶の議ならば忠顕より重ねて探題に申し伝えます。なにとぞ御自らお声をかけますることは・・」
真っ暗な部屋の中で申し訳無さそうに、はたまた帝の玉音を直接外の者達に聞かせるのは恐れ多いと思うのか、声をかけるのは後醍醐の側近、千種忠顕本木雅弘)。

「よい、こうして声をあげれば体もあたたかる。後一度吠えれば今日は終わりじゃ。カーッカッカ」後醍醐はそんな忠顕の心配などまったく気にしていない。生きていればヒゲも伸び、垢も出ると自嘲げに言う後醍醐。
「・・ようやく朕にも人間の匂いがしてきたぞ!見ておれ、朕は、必ず、生き抜いて見せるぞ」自らに言い聞かせるように口にする帝。

そこへ、
「鎌倉殿の命により本日より、お給仕の労を相勤めまする佐々木判官にございまする。
・・これまで御座に火桶一つ入れ賜らんとは、知らぬこととは申せ、恐懼の至りにございまする。この佐々木が給仕を相勤めまする以上、火桶、灯り、朝夕の給仕に万不足の無いよう致す所存。帝にこの旨ご奏聞くださりますよう。」

声を張り上げて芝居がかった節回しで登場したのは佐々木判官こと、佐々木道誉陣内孝則)。またもやお前かの感が強いが、幕府内でもうまいこと泳いでいるということなのだろう。

「いまひとつ!」
さらには道誉は忠顕に対し、後醍醐の愛妾阿野廉子(三位局)(原田美枝子)も連れてくることが可能と、帝に「ご奏聞くだされ」と告げる。

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美しゅう都

その年の暮、幕府は後醍醐の隠岐の島への流刑を決める。

高氏は京からの辞去に挨拶に西園寺公宗の館を訪ね、またも公宗より絡まれる。
「これは誰かを思えば、今頃何の御用でまかりこされた」
「はっ、治部太夫、京にまかりこしたこの折にご尊顔を拝したてまつりたく・・」
「はて、ご尊顔を拝すにはいささか遅うはないか?」
「その議、面目なく候へば、一言暇を申して鎌倉に罷りたたぬと存じ・」
ぶった切ったのは公望
「暇なら、北畠殿や大覚寺の方々に申されてはいかがかな?」
取り巻きの中から嘲笑が起こる。
「それとも、先帝が隠岐へ流し奉られる議をお聞き及び、あわてて我らに寝返りあそばされるか?
「先帝が?隠岐へ?」
ご存知なかったか。おいたわしや。先帝は隠岐の島へ配流と決したそうじゃ
またもや嘲笑・・。今度は後醍醐とその周囲の者達への嘲笑だろうか。

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辞去後、門前で待っていた直義に、高氏は言う。
「直義、京の都も鎌倉を同じになってしもうた。美しゅう都ではのうなった。
ワシには帝は今でも先帝お一人だと思われるのだ。・・直義、鎌倉へ帰ろう・・

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天下安泰

表向きは隠居している長崎円喜フランキー堺)が風邪をおして出仕しているところに、現内管領長崎高資西岡徳馬)が訪ね来る。円喜の周りは官吏が取り巻いている。
円喜の元には、遠征軍へ参加していた長崎高貞*1からの書状が届いていた。
円喜は遠征の顛末として、護良親王楠木正成を取り逃がしたことを嘆く。
「・・2万もの兵を送り込んで何をいたしておるというのじゃ。はーぁ、執権貞時公ご存命の折にはかかる手落ちなど思いも及ばなんだら」
「ははは、父上はあれこれお気になされすぎじゃ。先帝は捕らえたのです。都の勅許さえでればすぐにでも隠岐へ送り奉ればよい! これで我らに矢を向けるものも意気阻喪しましょう。もはや天下は安泰じゃ! 」
自身満々な高資は「のう?」と周囲の官吏の同意をとるように言う。
「さようかの?」と言いながら手元の紙で大きく鼻をかむ円喜。
「この円喜には此度の戦いぶりには解せぬものがある。とりわけ足利殿の戦いぶりには解せぬ。六波羅探題は何も気づいてはおらぬが、この円喜の目はごまかせぬ。足利殿の戦は戦にあらず。

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鎌倉へ帰る

高氏らが鎌倉の屋敷に戻る。無事を喜び合う一行だが、難題が待ち受けていた。
遠征に出る直前に逝去した父貞氏の弔いについて、幕府が禁じてきたのだ。
足利家の弔いともなれば諸国より一族・郎党が参集することになり、この”世情乱れたる折節なれば穏やかではない”という。執権赤橋守時も、やむをえぬ沙汰だと、申し訳ないと言ってきた。
父の弔いをやらぬとあらば、かえって北条殿に恨みを抱く一族もあらわれよう。このまま引き下がるわけにも参らぬ。この議、得宗殿に直々にお願いいたそうぞ

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慈悲の心は犬に食わせてしもうた

仏の絵を書きながら愛妾顕子(小田茜)と戯れている元執権北条高時片岡鶴太郎)。執権職は退いたものの北条家宗家を表す”得宗”の座には居続けている。
訪問したのは、長崎高資と高氏の二人。
「足利殿、ようまかりこされた。よーうおかえりなされたのぅ。」ゆっくりとしたしゃべりをする高時。
得宗殿におかれましては、お変わりもなくご健勝と拝し、お慶び申し上げまする。」
「うん。そこもとも此度の戦は大義でござったのぅ。京都での御働き逐一聞き及んで感じ入っておった。なにはともあれ勝ち戦。慶賀よのぅ。」
「はっ」頭を下げる高氏。

水を差すのは高資。
「戦勝の祝い事はいずれまた執り行いたい所存にございますれば、本日は足利殿のご用件のみお伺いいたしまする。」やりとりを遮り、用件を高氏に促す。
「おそれながら、我が亡き父貞氏の弔いごとにつき・」と高氏が切り出すと、
「その議なれば執権赤橋殿よりお話が・・」高資が遮る。が、負けじと高氏が声大きく反駁する。
「聞きおよびましたが合点がいかず」
「合点がいかねばなんとなされる」
高資も高氏も互いに顔も見合わせずに言い合いとなる。
改めて高時に対して話を切り出す高氏。
得宗殿、広大なるお慈悲にすがり鎌倉にて弔いごと、その願いの議これなる書状に」と高氏がたもとから書状を出し高時の前にだすと、高資は扇子の先で書状を払った。
「ならぬと申しておるのじゃ」
これには高氏も怒り
「理不尽なる申されようじゃ」と言う。
「なにぃー」高資も下がらない。
「高資!、足利殿に対して口がすぎようぞ」高時はいったんは高資を諌めるが、「もうよい、もうよい」そっぽを向いてしまった。
高資はそのまま座を辞し去ってしまう。

残された高氏と高時。高時は色をつけようとしていた如来の絵を高氏に見せる。
「足利殿、近頃ワシはこのような絵を書いておる。これを書きながら念仏を唱えれば極楽浄土に行けると母御前が教えて賜うたのじゃ。が、どうもわしには極楽は見えて来ぬ。
ある僧侶がこう申した。仏の顔は我ら凡俗には生涯見え申さぬ。信じる他はない。信ぜよ。・・顔も見えぬ仏をどうやって信ぜよというのか?ワシにはとんとわからぬ。」

表情がない金壺眼。やや甲高くゆっくりした話し方。どこまで本気かわからず、どこに行くのかわからないその内容・・。聡いのかそうではないのか、よくわからない。母御前(覚海尼)とおそらく長崎円喜には従順。田楽踊りと闘犬が何よりも好き・・。

「足利殿。目に見えぬものを信じられるか?」
「信じたくございます」
「例えば何を信じる?」
得宗殿のお慈悲の御心を・・
・・慈悲の心は犬に食わせてしもうた。・・長崎がそういたせと申すのでな。・・長崎は先帝も隠岐で殺してしまえと申す。それが世の安泰のためじゃ、と。おそれがましきことよのぅ。だが母御前は長崎と仲よーいたせと申す。それが鎌倉のためじゃ、と。ワシにはとんとわからぬ。先帝を殺したてまつり、浄土も見よと申すのか?
・・とは申せ、この高時あるは、母御前のおかげ、長崎のおかげじゃ。先帝を殺し、浄土も見ねばならぬ。ワシは忙しい。
高時と高氏が話す背後で顕子が仏絵に朱の絵の具を垂らして遊びはじめる。それを見た高時はニヤリと笑い、そのまま顕子を背後から抱くようにして、仏絵や衣が汚れるのも気にせず戯れ始める。
高氏が提示していた書状は戯れの中で破られ、ぐちゃぐちゃにされる。高氏は、「これ、足利殿!」と呼び止める高時の声を無視して、その場を立ち去る。

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「犬に食わせてしもうた」とのセリフのところで思わず笑ってしまった。
北条高時が登場するような歴史ドラマ・映画はそうそうないと思うが、この片岡鶴太郎が演じた高時像は強烈すぎて、これを超えるのはなかなか難しいのではないかと思えるほどの怪演。
セリフが一切ない顕子との戯れのシーンなど狂気がはいっていたように思う。

 

 感想:かくも息苦しく生きづらい世に・・

「帝の兵に1本の矢も射たなかった」と北条家による命令に対する一種のサポタージュを貫徹したことに溜飲を下げながら、戦場から戻った高氏を待っていたのは、西園寺公宗に代表される持明院統の公卿達からの蔑み冷笑と誂い、さらに鎌倉での長崎円喜・高資父子からの悪意に満ちた仕儀。

なんと生きづらい、息苦しい世界だろうか。
一族郎党、家族も含め数万の足利党の惣領として舵取りをしなければならない高氏の苦労は大変なものがある。家の取り潰しはそのまま死を意味する時代だ。
このような情勢では、確かに女性問題ひとつにとっても長崎家の揚げ足を取られるようなことは慎まなければならないであろう。かつて父貞氏が、右馬介に命じて藤夜叉を遠ざけようとしたのもそういうことなのだろう。
また貞氏もこうした幕府からの冷たい扱いに汲々として世を過ごしたと高氏にかつて語っていた。

幕府からの仕打ちに怒り、暴発するは簡単だが、それは鎌倉時代の中で度々発生していた有力御家人の叛乱と同じで鎮圧されるのは必至。一時、長崎円喜も貞氏をけしかけて、足利家取り潰しまで考えていたような描写もあった。

佐々木道誉は、長崎父子より暗殺者を差し向けられた時、長崎円喜の足元に泣いて這いつくばって許しを請うたが(道誉の事なので多分に演技がはいっていたのだろうが)、誇り高い高氏には道誉のような手のひら返しはできないだろう。

冒頭パートの”車引き”こと楠木正成からの文が敵味方を超えたさわやかな関係を見せていただけに、京都での新秩序また鎌倉での足利高氏を取り巻く状況の厳しさは改めて足利党・高氏の置かれた立場を思い起こさせられた。

一方で逆に考えると、長崎父子はここまで足利一党を追い込む必要があったのか、という点がある。北条高時金沢貞顕、現執権赤橋守時のいずれも足利家に対してそこまでの敵対的な態度をとっているわけではない。むしろ懐柔し穏健な関係を取り結ぼうと相手側から足利側に働きかけていたような状態だ。
唯一、長崎父子だけが高圧的で冷たい対応をしているように見える。

 今回もうひとつ描かれたのが後醍醐帝の人徳という点だ。
笠置山挙兵のエピソードの記事の際に、なぜにここまで各地の豪族達が後醍醐天皇を支持したのかという点を指摘したが、今回のエピソードではじめて高氏の口を借りて語られた。
最後に久々に登場した鶴太郎ならぬ北条高時
セリフの内容やセリフまわしのひとつひとつもそうだが、最後に愛妾と戯れてみせるその様子は狂気をはらんでいるようで、彼自身もおかれた立場の中で煩悶し、あげくは現状逃避を図っているように見えた。

 

いずれも、今後の足利高氏謀叛に向けた布石が打たれたエピソードとして印象に残る回となった。

 

 

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*1:長崎高貞は長崎円喜の子。長崎高資の弟にあたる。