Their Finest Hour -歴史・ミリタリー・ウォーゲーム/歴史ゲーム -

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大河ドラマ「太平記」16話「隠岐配流」:世情は乱れ、各人物の思惑が錯綜する

前回のあらすじ

伊賀の国に逃れたという楠木正成武田鉄矢)らしき人物が、田楽猿楽*1踊りの花夜叉(樋口可南子)一座にまぎれているところを捕らわれる。
足利高氏真田広之)は一座の一員であることを証明するため正成に舞をみせるように命じる。正成はその場で艶笑譚の夜這いの踊りをみせ、高氏は正成本人と認めつつも、一座の通過を許す。
その後、高氏は正成より「負けるとわかっていても、戦わなければならない時がある」と文をもらう。

京では後醍醐派に代わり、持明院派が幅を利かせるようになっていた。中でも、長崎円喜フランキー堺)に近い西園寺公宗長谷川初範)は、高氏に冷たく仕打ちする。
足利直義高嶋政伸)は高氏に対し京における後醍醐先帝の評判として、「この世を正さんとする気概など人一倍で現在の光厳天皇などに比べものにならないことは京の民ばかりか、幕府や持明院統の公卿も知っているため、皆先帝を畏れている」と報告する。

高氏兄弟は鎌倉に戻るが、幕府は父貞氏の弔い法要を禁じる旨を伝えてきた。
高氏は、元執権の北条高時片岡鶴太郎)に法要実施の件を直訴しようとするが、長崎高資西岡徳馬)により邪魔をされる。
長崎高資の退席後、北条高時は高氏に自らが書いた如来の仏絵を見せながら、長崎父子より後醍醐先帝を弑逆するように言われていると告げる。

yuishika.hatenablog.com現在1331年、鎌倉幕府の滅亡は1333年。
再度京へ出兵する途中の足利高氏が幕府に反旗を翻す訳だが、当面の注目はこの高氏の決心がいついかなる形でなされたか、という点だろう。

 

弔い法要

後醍醐帝(片岡仁左衛門)の隠岐への配流にあたって護衛は佐々木道誉陣内孝則)が勤めた。

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道誉は道中様々な配慮を行い、帝より感謝されるが、その様子は一色右馬介大地康雄)から逐一高氏に報告されていた。
「・・佐々木判官殿の帝への傾斜は、尋常にあらずと申す他なく候・・」

右馬介の報告を読んだ直義は言う。
「佐々木殿はわからぬ御方でございますなぁ。ただの節操無しと思うておりましたが、節操がないだけなら追い払われる先帝に今更傾いてみせる必要はないわけでございましょう。やはり判官殿は本心は宮方に・・
「・・皆の正体を急ぎ見定めていかねばならぬ。のぅ直義。」と高氏。
「見定めていかがいたします?」
「直義ならどうする?」
皆の力を結集し、北条殿を撃ちまする
きっぱりと言う弟直義

そこへ執権赤橋守時勝野洋)が足利邸を訪問したいという連絡がはいる。

「・・亡き貞氏殿の法要はそも幕府の手により盛大に行うべきところ、世情乱れたる折節なればやむを得ず差し止める仕儀と相成り、誠に心苦しく・・」
生真面目に丁寧に詫びをいれる守時に対し、高氏は貞氏の弔いは足利の庄にて目立たないようにこじんまりと執り行うとやわらかく答える。
「今朝ほどそれを聞き及び、わざわざ足利の庄までお運びかと、重ね重ね相すまぬ事だと・・」とまた頭を下げる守時。

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かつては「共に幕府を変えよう」とまで言って改革の意思が高かった赤橋守時だが、我が身ひとつではどうしようもない北条家内の権力構造の中で、堂々とした風は影を潜め、どちらかというと足利家の機嫌をとるかのように見える。

高氏から話を振られて、高氏の母清子藤村志保)が口を開く。
「・・赤橋様、・・さほどに気をおつかいなさいまするな。我らの望みはどこまでも北条殿と穏やかに手を携えて暮らしゆくこと。亡き貞氏殿もそれを願っておられよう・・。弔い事など取るに足らない事よ。のぅ、高氏殿、直義殿」
ひたすら恐縮する様子を見せる守時に対し、清子の言葉に複雑な表情を浮かべる高氏と直義、さらにはその後ろに控える足利家内の重臣一堂。
「それをお聞きし、この守時いささか肩の荷が降りましてございます。ありがたき仰せ」

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その夜、寝屋にて高氏と登子。眠れないでいた高氏に妻登子が語る。
「今日は安堵致しました。兄上も母上様のお言葉で安堵致しましたでしょう。この数日、足利殿に悪い、申し訳無い、と執権でありながら力が無い故に足利殿に迷惑をかけてしまう。さりながら、足利殿がお腹立ちまぎれに短慮を起こされれば、執権として物申さねばならない。・・私にもつらいと申しておりました。・・
親に早う死に別れて育ちました故、兄妹で何でもしゃべる悪い癖がついてしまいました。わたくしが足利のものとわかっていても、兄上はつい昔の癖で会えばようしゃべります。・・近頃は泣き言ばかり。よほど執権の勤めが身にあわぬようでござります。・・時々、愚にもつかぬことを思いまする。いっそ兄上も北条を辞めて、登子のように足利のものになればよいのに、と。そうすれば千に一つ、何事が起こっても殿と兄上が争うことは、敵味方に分かれることはござりませぬもの・・

高氏は静かに言う。
「・・なにゆえ、そのような・・愚にもつかぬことじゃ。・・案ずるな・・思い過ごしじゃ、思い過ごしじゃ」となだめ、登子を抱き寄せる。

「なにゆえ」「案ずるな」「思い過ごしじゃ」などと高氏は言っているが元を正せば、初夜の寝所で高氏自身が「・・この高氏が仮に北条家に弓を引き、そなたの兄をも敵とせねばならぬ時」と言っていたことだからな。登子が心配するのも当然。(詳細は以下を参照)

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足利の庄、鑁阿寺にて行われた貞氏法要。
足利家本家、諸国の分家ばかりか、鎌倉より金沢貞顕児玉清)、また周辺の源氏として新田義貞根津甚八)、岩松経家(赤塚真人)らが同席している。

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伯父(義理)金沢貞顕は貞氏との昔話として貞氏の碁が、我慢強く思慮深いだったと語り、
よいか高氏殿、何事も我慢じゃ。お父上のお心がいつまでも高氏殿の中に宿らんことを切に願っておりまするぞ」と高氏に念を押すように言う。若干上から目線が見え隠れする。うやうやしく頭を下げる高氏。

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金沢貞顕は、かつて高氏が反幕府活動家の日野俊基と密会していたという疑惑で侍所に囚われた際など保釈に向けて奔走するなどドラマの中でも常にと言って良いほど足利家を擁護したり支援してきた。いつまでも高氏が危なっかしく見えるのだろう。

新田義貞岩松経家は高氏を屋敷の外に連れ出し、話をしたいと言う。
「・・いますぐ本心をお明かし給えとは申しませぬ。だが、足利殿のお心次第ではこちらにも相応の覚悟をいたせねばならないことがございます。」と切り出す岩松。
実は隠岐におわす帝をお救いいたそうと思うとるのじゃが、いかが思し召さる?・・幕府が宮方の動きを畏れ、隠岐の帝を害し奉るという噂もございまする。その先手を打ち、島からお連れ致すのです・・」
主に話すのは岩松。新田義貞は近場で黙したまま。
「・・幕府と戦となりましょう。その時、足利殿はいかがなさりまする?
「はて、降って湧いたはな恐ろしいお話じゃ。」
高氏は言質をとられぬように言葉を選ぶ。
「左様でござるか。・・それがし吉野の山中に潜んでおられる楠木正成殿の一党に馴染みがございます。その一党が申しております。楠木殿は伊賀で足利殿に命を救われた。なにゆえ楠木をお助けされました?・・

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楠木一党とやらも、高氏から助けられたということをべらべらと岩松に話しては駄目だろう、という一幕。

終始黙っている新田義貞に高氏が訊く。
「新田殿は岩松殿とお立ちになられるのか?」
「新田殿は岩松の軽々しい企ては危なっかしいと申されるのじゃ。」と代わりに岩松が答える。

あまりにも義貞が口を開かないので高氏から切り出す。かつて少年時代に義貞から言われたことを言う。
「北条は我らの所領を奪ったもの。足利はその北条と同じ汁をすすっている犬じゃ。我らは共に源氏、ゆめゆめ北条の犬になりさがるではないぞ。その時言われたことが、今でもそれがしの中に・・
この高氏、その時申された事と毎日張り合うて行きてきたようなものじゃ」

「もはや新田は畑を切り売りせねば、京の大番勤めの掛かりも払えぬ。・・北条相手に弓引くとて、兵を集めても100、200に過ぎぬ。戦にならぬ。」と自嘲気味に言う義貞。
「岩松は阿波で悪党をやり、兵を蓄えておる。ワシにはそういう器用なことはできぬ。いまのワシはこう申す他はない。足利殿、御辺が立たれる折あらば、この新田も加えてくだされ。
「新田殿、それは逆じゃ。新田殿が立たれるなら、足利も従いまする。われらはともに源氏。新田殿を見殺しにはせぬ。

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今回エピソードの半分の時間を費やして描かれたのは、弔い法要を巡る各人各様の反応が見どころの場面。今後の動きや反応を考えると、清子と登子、また新田義貞あたりが注目。

  • 足利高氏・直義兄弟 +高師直ら足利家重臣(北条に対しネガティブ)
  • 清子(足利貞氏妻、高氏・直義兄弟の実母:実家上杉家は源氏。平和が一番)
  • 登子(足利高氏の妻、現執権赤橋守時の妹:実家赤橋家は北条一族。夫も大事だが兄も大事、心情的北条派?)
  • 金沢貞顕足利貞氏の正妻の兄、貞氏の義兄にあたる:北条一族、前執権)
  • 岩松経家(御家人尊王、帝を連れ出し挙兵すると打ち明ける)
  • 新田義貞(源氏の流れをくむ御家人尊王というより北条のやり方に対する不満が大きい様子

 

遠島

後醍醐先帝(の遠島に際し護送を担当したのが佐々木道誉陣内孝則)。約1ヶ月あまりで伯耆国の美保関まで送ることとなる。

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道中、途中、「花見と称して酒を出し」、先帝が疲れたといって付近の村から艾(もぐさ)を集めるなど様々便宜を取りはからい、美保関の船着き場で先帝より言葉を賜る。
「・・長い旅路であった。そちの心遣い忘れぬ。・・」
と道誉の肩に手を置く後醍醐。
惜しいやつよ。なんで爾は公卿に生まれず、鎌倉武士などに生まれついた?
生まれ直せ。まだ若い。時しあれば、生まれ直せぬこともあるまい。生まれ直して朕のそばに来ぬか?・・また会おう。
感激して平伏する道誉。この後醍醐と道誉のやりとりを見ている阿野廉子原田美枝子)のカットが意味深。

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隠岐への護送の一部始終を追っていたのは一色右馬介大地康雄)。ある時は狩人、ある時は漁民に身をやつし護送の列を監視し続ける一色右馬介は使う側から言えばかなり便利な人間だが、右馬介本人からすると、よくも裏仕事を引き受けているなという印象もある。

道誉の行動は、右馬介だけではなく、長崎円喜・高資の知るところとなり、道誉は長崎父子の責めを負うこととなる。

 

楠木再挙兵とその波紋

1332年11月から年末にかけて、吉野にて大塔宮が再挙兵、幕府が占拠していた赤坂城を楠木正成・正季等楠木党が奪取。やがて河内全体が楠木党の支配下に入り、六波羅も手出しができなくなっていると報せが届く。

「楠木は討ち滅ぼした。都はおだやかになった。そう申したではないか。わずか1年で元の騒々しさよ。これは誰のせいぞ。」
長崎円喜・高資父子を前に怒り心頭なのは北条高時片岡鶴太郎)。
高資、そちの政(まつりごと)はどこかおかしゅうはないか?何ぞ申してみよ。」
高時に促されて話を継いだのは、高時の母覚海尼(沢たまき)。
「円喜殿、過日ある僧侶が申しておりました。諸国の土地を北条家が力任せに奪い過ぎはせぬか、と。また諸国の守護、地頭などの職を北条のものが独り占めにしてはおらぬか、と。その不満が諸国に有る故、かかる謀叛が止まぬのではないか、と。

覚海尼の厳しい詰問に平然と答えるのは長崎円喜
「恐れながら、それを申せば都の公卿衆はいかがでございます。我ら武家よりもさらに広大な土地を有し、官の長を一手に一人占めしておりまする。その公卿ばらが北条をですぎた者よ、と逆恨みをいたし、悪党どもをそそのかしてのこの騒ぎにございまする。・・高資をお責めになる前に悪党楠木を、その楠木を操る公卿や先帝をお責めになるべきかと存じまする。」

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長崎円喜の回答は筋は通っているように聞こえるが、自分たちの事は棚にあげて、公卿のほうがもっと悪いことをしていると言っているにすぎない。覚海尼のせりふとあわせて、この時代の社会構造の問題点が指摘されている。

「ところがこともあろうにその先帝に媚へつらう御家人が我らの近くにおりまする。全くもって許しがたき輩。

話を転嫁されたのは呼びつけられて席に来た佐々木道誉
これを機に高時と覚海尼は退室し、部屋には長崎父子と道誉が残される。

「判官殿、申し上げようと思いながらうかうかと時をすごしてしもうた。
先帝を隠岐に流したてまつった折の警護のなされ方、さすが判官殿よ、と皆敬服致したと聞き及びましてな。」
穏やかに話を切り出し、まずは道誉を持ち上げる高資。
「先帝が御身に親しゅう肩に手をおかれたそうな。御身は院庄にて艾(もぐさ)をかき集め、道々、花見と称して先帝に酒をふるまわれたそうな・・。
先帝は咎人(とがびと)ぞ、ゆえに流罪となった。物見遊山の旅ではないわ!
最後は道誉を怒鳴りつける高資。

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いつもの傍若無人さはなく怯えるような表情を浮かべる佐々木道誉
「高資、その御方は従五位の下、近江源氏の棟梁ぞ、おそれおおかろう。」
円喜が高資を止める。さながら尋問室の良い警官悪い警官の二人組のよう。
「それにつき円喜殿に申し上げたい」と道誉が弁明とばかり勢い込んで言うのを円喜が遮る。

「判官殿、確か隠岐の島をあずかる隠岐判官佐々木清高殿はご辺のお身内でございましたな。さすれば隠岐は判官殿の離れの庭のようなもの。先の帝は判官殿の庭にあらせられるのと同然じゃな。ははは・・」
何ぞ?という顔の道誉に対し、円喜が続ける。
「まだおわかりになられぬか?河内の悪党どもが騒ぎ立てるのも隠岐の先帝故よ。先帝さえおわさねば、すぐにも消えぬ徒花よ。そうではござらぬか?
判官殿の庭で何が起ころうと、我らは感知致さぬ。のぅ、高資?」
高資が道誉の肩に手を置く。
判官殿、鎌倉に忠義を証たてるよき潮だと思うが、いかが?
薄ら笑いを浮かべる円喜。

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先帝弑逆を使嗾するする円喜。呆然とした表情の道誉・・

 

楠木再挙兵の情報は足利屋敷にも届く・・。
「・・再び我らも出兵か?」と直義。
「いや、此度の乱には帝も公卿もおりませぬ。ただの土豪相手。北条殿は面目にかけてお身内だけで事にあたりましょう。」と高師直が冷静に分析する。

去年の戦の掛かりが大きな借金になり、どこの御家人衆も渋い顔だ。しかも勝ち戦にあったにもかかわらず、北条殿はまだ恩賞もでていないと別の重臣達が口々に言う。

「・・足利家に兵を出せとは此度は言いにくかろう。」高師直
「いや、あの長崎のことじゃ、臆面もなく言ってくる」と言うのは直義。
「その時はお断り申せばよい。・・ただ隠岐におわす先帝が動かれ、それを楠木がかついだ時、楠木はただの土豪ではなくなります。そしてその時、北条殿はなりふりかわまず足利に「出ろ」と申せば、要はその時、我らが北条殿につくかつかぬか、そこが思案どころか、と。」
「そっか、その時か!」合点がいき声を大きく反応する直義。

「気になるのは隠岐におわす先帝の身でござりまする。」最後は声を潜めて言う師直。

そこへ佐々木道誉から屋敷に来て欲しいという旨の急な書状が届く。 

 

感想

新田義貞配役の事

新田義貞が、萩原健一から根津甚八に交代している。ウィキによれば病気のためとのこと。
萩原健一新田義貞は2話での闘犬の場面と足利貞氏健在の頃に安東の乱に乗じて対北条として挙兵を使嗾しようとしたシーンの2回くらいの登場となった。
確かに萩原健一新田義貞像は違和感があったのは確かだが、萩原健一自体が持つ何をしでかすかわからない不気味な雰囲気は印象的だった。代わった根津甚八新田義貞萩原健一に比べるとまっとうな印象で意外性は大きくない。
個人的には、萩原健一による新田義貞で、鎌倉炎上を見たかったかなと思う。
ちなみに根津甚八は2016年、萩原健一は2019年にそれぞれ亡くなっている。

新田義貞足利高氏のその後の関係性の変化は注目

久々に登場した新田義貞
今までも遠征費用の負担が重く田畑を売るだの、借財をするなどの発言があったが今回も兵の動員能力は100~200人だと言っている。動員能力が1万を超えるという(どうかすると2万だという話も以前あった)足利一族に比べると家格の差は大きいように見えるが、その割には高氏は新田が立てばその下に立つなどと言っている。
この後、鎌倉幕府滅亡後、さらに後醍醐帝の新政に対して足利高氏は叛旗を翻し、新田義貞とは敵対関係になるのだがそこに至る経緯は、幕府滅亡後のひとつの着目点かもと思う。

国力・動員能力に関する考察

戦国時代の換算値をそのままあてはめて計算すると足利家の動員1万だとすると40万石、2万だとすると80万石程度の国力があることになる。以前、家督相続の際に足利高氏は上総と三河の2か国の守護だと言われていた(9話)。上総と三河を足すと70万石を超える程度なのでちょうど動員能力の数字に近くなる。
一方の新田義貞だが、動員能力200人と言うのであれば8千石程度か?*2

やりこめられる佐々木道誉

前回15話は、高氏をめぐる朝廷や幕府それぞれにおける息苦しい状況が印象的だったが、今回やりこめられているのは佐々木道誉
佐々木道誉に対する直義の「・・ただの節操無しかと思うていたが」というシーンは面白かった。

 

 

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*1:

今まで花夜叉の一座を”田楽”踊りの一座と書いていたが、17話で花夜叉こと「卯木」(花夜叉の本名)は猿楽一座の男と駆け落ちした、と何度もでてきた。一方で北条高時は田楽と闘犬が何よりも好きと公言しているセリフがあって、では「猿楽」と「田楽」は何が違うのかというと次のようらしい。

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*2:実際は戦国時代よりも開拓や田畑あたりの生産能力などは低いと思われる点、いわゆる戦国大名とは異なり、守護とはいっても領内には多数の朝廷の土地や北条家の土地など権利関係は複雑であっただろうから、国の大きさよりも動員能力や財力は小さかったのではないかと思われる。