Their Finest Hour -歴史・ミリタリー・ウォーゲーム/歴史ゲーム -

歴史、ミリタリー、ウォーゲーム/歴史ゲーム/ボードゲーム

「関ヶ原」(エポック/サンセットゲームズ)を対戦する【1/2】

 

往年の傑作、「死ぬまでに一度はプレイしておきたいゲーム」に迷わず推薦したい一作「関ヶ原」(エポック/サンセットゲームズ)を、四半世紀以上ぶりに対戦しました。

担当は、ダイスにより西軍になりました。
以降、東軍に関する記述は内容を知ることができない情報もあるため推測で書いている点をご了承ください。

 

 

 

第1ターン(1600年8月19日~21日)

清洲城に集結し家康率いる本隊の到着を待っていたはずの東軍諸将は、「出陣して味方であることの証をたてなければ信するに値しない」という江戸からの書状に驚愕した。
内府殿は我らを信じられぬというのか!と憤激した東軍諸将が清洲城から行軍を開始するところからゲームは始まります。

1ターン=3日
ひとつのターンに、行軍フェイズと合戦フェイズが2回ずつ含まれます。
1ユニット=1,000人~1,500人(本記事では一律1,000人で算定)
1 ヘックス=1,200メートル

 

東軍諸将の進撃

清洲城を出た東軍は岐阜城を目指す福島正則らの軍と、大垣城を目指す黒田長政本多忠勝といった徳川譜代の武将が率いる軍の2隊に分かれ、最高速度で進撃します。

第1ターン特別ルールで清洲城の東軍諸将の戦意は一律、最高値の「1」となります。いっぽう西軍は第1ターンの前半は移動も戦闘もできません。

 

西軍は、主将である石田三成小西行長こそ大垣城に進出していたものの、それ以外の諸将は各地に散らばっていました。大垣城の兵力だけでは清洲城から襲来する東軍に対抗する術はありません。各地の軍を集結させる必要があります。

 

初期配置の状況。南北が逆になっている点は、ご注意ください。
清洲城の東軍は二手に分かれ、一隊はまっすぐ岐阜城を目指し、もう一隊は途中にある竹ヶ鼻城を経由して大垣城を目指すことになります。

 

織田秀信の出陣

岐阜城の城主織田秀信*1は西軍方についたのですが、東軍の軍勢が岐阜城を目指していることを聞き及ぶと家臣が止めるのも聞かず城外に出陣、木曽川河畔の米野まで進出しました。

特別ルールで織田秀信は、第1ターン第二行軍フェイズに木曽川の河畔までに移動することが定められています。

東軍の福島正則細川忠興木曽川の中洲の手前で停止。渡河を考慮すると対岸にいる織田秀信軍への攻撃は次ターンになるようです。

同じく東軍の大垣城を目指す軍勢は途中にある小城竹ケ鼻城を囲みます。

第二合戦フェイズ。天候は雨に変わります。雨天下での戦闘ではダイス修正が加わり、相手へ損害を与えにくくなります。

天候チェックは行軍フェイズ・合戦フェイズ毎に実施しますので、1ターンのうちに4回ダイスを振ることになります(けっこう頻繁です)。
天候には晴‐曇‐雨‐大雨‐嵐とあり、地面の状態は乾‐湿‐泥の状態があります。
雨になると合戦時に損害を与えにくくなり、大雨、嵐になると行軍も合戦でもできなくなります。地面が泥状態になると移動に大きく影響します。

 

西軍の主要な武将の武将カード。両軍とも主だった武将はカード化され、指揮下におかれた部隊ユニットを配置し、マップ上には軍マーカーだけが配置されます。
各武将には、「指揮順位」「統率能力(配下に置くことができる部隊数の上限)」「武将能力」が固定値として設定されており、他に行軍フェイズの最初(つまり各ターン2回ドローする)に引く「戦意」マーカーによって「移動能力」「接敵可否」「偵察能力」が決まります。

 

松坂城(東軍方)落城・竹ヶ鼻城(西軍方)落城

西軍の宇喜多秀家(12,000人)は伊勢路の東軍方の諸城を攻略していたのですが、このターンは松坂城を陥落させます。
メインマップ上の東軍、黒田長政ほかの軍は数にまかせて竹ヶ鼻城をやすやすと陥落させました。

戦闘はファイアパワー方式です。
1ユニット=1戦力として部隊数=戦闘力により2D6によるダイスチェックを行います。戦闘解決表に記載されている数値が与ダメージとなります。与ダメージ値から防御側の部隊のうち最も高い防御レベル値を持つユニットの数値をひいた数値が相手に与えた損害値になります。損害値を満たすだけの防御レベル分の部隊がステップロス、または除去されます。

防御レベルは各部隊毎に定められ通常は3~5になっています。徳川家の旗本部隊や士気や練度が高い家中の部隊の防御レベルは5、石田三成・大谷刑部の両家は6、数は限定的ですが、立花宗茂は7、島津義弘は8で最高の数値となります。低い方では、小早川秀秋前田利長などの家中の部隊は2です。

 

第2ターン(1600年8月22日~24日)

木曽川合戦

木曽川河畔まで出陣した福島正則軍、細川忠興軍からなる東軍の岐阜城攻撃部隊。ここで福島正則がまさかの最低値「戦意6」を引き(推測)、織田秀信への接敵ができなくなります。
このまま攻撃を見送ると織田軍は岐阜城へ帰城してしまうでしょう。織田秀信軍(3,000人)を捕捉するため、
細川忠興軍(6,000人)は単独で渡河攻撃を強行します。

接敵のためには「戦意」が接敵可能なレベル以上である必要があります。接敵に必要な「戦意」のレベルは武将によって異なるのですが、福島正則は優秀な武将なので5/6の確率で接敵可能になるはずでした。
このとき運悪く最悪の「戦意」チットを引いてしまいました。

「戦意」チットは行軍フェイズ毎に、軍を率いている武将は個々に引き直しますので、各ターンの前半・後半の計2回ずつドローすることになります。「戦意」は1~6まであり各数字チットは同じ枚数が用意されていますので、出現確率はどの数値も同じです。

 

細川忠興(約6,000人)対織田秀信(3,000人)の合戦は、織田方のダイスが冴え渡りました。渡河中の相手に対する攻撃ということで有利な地形修正は得ていたものの、兵数が倍以上で練度も高い細川軍を相手に連続で損害を与えます。
2/3の部隊が損耗状態になり壊滅部隊まで発生した細川軍はたまらず先に退却をはじめました。

接敵した相手に対しては必ず攻撃を行わなければなりません(マストアタック)。一度接敵した敵部隊から離れるためにはどちらかが全滅するか退却する必要があります。

「退却」が宣言されると相手は「追撃」を宣言することができます。追撃を行う側の武将能力と「追撃回数決定表」を用いて、追撃回数を決めます。優秀な武将ほど「追撃」回数が増え、より多い打撃を与えることができるようになります。

「追撃」が行われなかった場合、「退却」を行う側は「損耗チェック」が発生し、「退却」側を率いる武将の武将能力に応じたダイスチェックを行い、追加的に発生する損耗部隊数を決めます。

また退却を行う軍が、退却途中に味方の軍の上を通過すると連鎖的な退却が発生します。

 

清洲城から北上してきた東軍と、岐阜城から(強制的に)出陣してきた織田秀信軍です。福島正則の戦意が低く接敵ができないというトラブルの中、せっかく城の外にでてきた織田秀信を逃してしまうと考えた東軍は細川忠興軍単体で攻撃を行いました。
部隊の質(防御レベル)からしても、細川軍有利と思われたのですが、地形修正と、織田軍のダイスが連続して冴えるという僥倖により、劣勢の織田軍が細川軍を撃退してしまいます。

 

織田秀信は優秀な武将ではないため「追撃回数」は1回のみになりました。もしかすると「追撃」は行わずに、相手に自動的に発生する「損耗」を受けさせたほうが、東軍へ与えるダメージという点ではよかったかもしれません。
今回、東軍の岐阜城攻撃部隊は部隊数が多くはなかったため、細川忠興軍の退却にあたって退却余地が確保されていたことから、連鎖退却は発生しませんでした(惜しい!)。

ともあれ、大損害を被った細川忠興軍は損耗状態の回復にこのあとの数ターンを費やすることになります。

 

安濃津城落城

西軍の宇喜多秀家軍は伊勢路にある東軍方の安濃津城を攻略します。安濃津城は吉川広家・毛利元康らの毛利軍(16,000人)、長宗我部盛親(4,000人)、鍋島勝茂(6,000人)という、兵力だけは大きな軍勢が包囲していたのですが、彼らは士気が高くないため史実でもそうだったようにサポタージュ気味で、攻略自体がほとんど進まないのです。松坂城を含めて東軍方の城郭の攻略ができないと吉川他の軍勢は伊勢路から脱することもできないため、士気が高い宇喜多秀家軍により攻撃することにしました。

安濃津城を落城させた宇喜多秀家は傘下に長宗我部盛親軍を組み込みます。*2

 

立花宗茂軍の岐阜入城

ゲームスタート時には大津城にいた立花宗茂軍(2,000人)は優秀な武将能力と小部隊ゆえの軽快さにより、中山道を駆け、岐阜城へ入城します。これにより岐阜城は、米野から帰城した織田秀信軍(4,000人)とあわせ守兵6,000人になります。*3

 

第3ターン(1600年8月25日~27日)

西軍諸将の集結

各地に散開していた西軍諸将の軍が集まり始めます。
スタート時に大垣城を目指していた島津義弘(1,000人)は大垣城へ入城*4
佐和山から琵琶湖畔にいた小早川秀秋軍(10,000人)は士気が高くないため、のらりくらりと関ヶ原に向うのですが、下手に前線まで接近させたところで「内応」されては事なので、前線から離れた関ヶ原付近の適当なところで街道脇に移動させ邪魔にならないようにします。史実でも関ヶ原を通る街道脇の松尾山に陣を張ったというのもわかる気がします。

本ゲームでは移動途中もスタック禁止になります。したがって士気が高くなく移動ができない軍が街道を塞いでしまうと、他の軍は迂回するなどの対応が必要となるのです。

 

他にも北陸道丹羽長重前田利長へのにらみをきかせていた大谷吉継軍が偽装を行いつつ、大垣城へ入城します。宇喜多秀家軍は伊勢路の2つの東軍方諸城を攻略後、北上します。

 

揖斐川での対峙

東軍の黒田長政等の諸将に家康より先行して派遣されていた本多忠勝井伊直政といった徳川家譜代の軍は大垣城を望む揖斐川の東岸まで進出しました。
西軍は、東軍の軍が揖斐川の渡河点に差し掛かったところでいくらでも「迎撃」できる、という姿勢を続けていましたが、西軍諸将はまだ集結中の状態で、大垣城の兵力は東岸に陣取る東軍と比べると、半分程度であったように思われます。

各軍を統率する武将には「偵察能力」が付与されています。
「偵察能力」は「戦意」によって変わるのですが、敵軍が自分の「偵察能力」に応じた範囲にはいってくると「迎撃」を宣言でき、その場所まで移動し、敵軍を攻撃できます。
例えば下の写真の例でいくと、(大垣城内の武将の「戦意」次第ではありますが)東軍が揖斐川の渡河点(街道と河川の交差点)にはいったところで「迎撃」宣言を行い、より有利な地形修正が得られる地点で敵を攻撃できるようになります。

ゲーム内では、行軍を行っている際、相手プレイヤーはユニットが移動する様子を見ながら、移動途中でも「偵察範囲にはいったので、迎撃を行う!」と宣言することができます。ちょうど戦術級ゲームによくある「臨機射撃」に近い感覚ですね。

 

 

池田輝政の調略

敵の武将を裏切らせたり、中立状態にさせる調略工作はゲームスタート時から開始されています。

情報カード」の、最初に配られた5枚です。
いずれもランダムイベントではなく、いずれもタイミングを見て使うタイプのカードです。

後ろの2枚は西軍武将を「調略」するためのカードなので、西軍プレイヤーには使い道はないのですが、これらのカードが手元にあるということは、その武将について相手にわたっている「調略」カードの枚数が少なくなることになり、その分、「調略」される可能性が減ることになります。

 

「調略表」です。
両軍はゲーム開始時と各ターン最初にある「恩賞フェイズ」に恩賞カードをつんでいきます。敵武将を「調略」「中立」を促すのとあわせ自軍の武将に対しては防衛的な意味での恩賞を積みんでいきます。

 

第4ターンになると東軍側が自軍武将への恩賞を積みますことが想定されたため、西軍はこのタイミングで「情報カード」を用い、「池田輝政への調略」を宣言しました。
「調略表」上の池田輝政の両軍の恩賞カードがオープンされ、数値を比べた結果、西軍の恩賞*5が上回っていたため、調略に成功しました。

池田輝政(3,000人)は配下とともに揖斐川を越え、大垣城に入城します。池田軍がそれまで属していた軍は、裏切りの発生による混乱が発生したということで「損耗チェック」が強制されます。

 

岐阜城攻防戦

福島正則軍(約10,000人)と不詳(約5,000人)が岐阜城への攻撃を開始します。金華山山頂に位置することからくる地形修正、さらには防御レベル12という堅牢さに福島軍他は攻めあぐね、大損害を受け退却を余儀なくされます。また退却に際しては損耗チェックが強制されます(率いる武将能力により判定結果が異なってくる)。

ここで攻城戦の場合に攻撃側が退却した際、防御側は追撃できるのかという問題が生じましたが、ルールにより攻城戦では追撃戦はできないと明記されていました。

 

長良川の河畔、平地に単独で屹立した金華山山頂にあるという天険の城のためその防御力は半端なく、おそらくは東軍の攻撃軍は戦力不足でした。

 

(つづく)

 

 

 

冒頭、関ヶ原盆地を新幹線が走っているという、地理関係を俯瞰的に描いた鮮明なシーンから始まるのが印象的です。司馬史観関ヶ原」かもしれませんが、太閤の薨去から大戦に至る一連を丹念に描いておりスタンダートといってよいのではないでしょうか。ラストシーンも好きです。

司馬版「関ヶ原」もかなり多くの登場人物を扱っていますが、本作は三成・家康以外の多数の武将を深く掘り下げます。これらの多数の武将が後半、関ケ原を目指して、蝟集していく様子は圧巻な作品です。

司馬遼太郎関ヶ原」を原作に描かれた大作です。
森繁家康の老獪さに加藤三成の実直さがより際立つように描かれています。

これも原作は司馬版「関ヶ原」です。
岡田准一はかっこよいのですが叙情的に描かれたシーンが多く歴史を知らなければ展開が理解できないのではないかと心配してしまうような内容でした。

 

*1:信忠の嫡男、信長の孫

*2:吉川広家鍋島勝茂長宗我部盛親の3武将は東軍の調略により裏切ったり、中立になる可能性が高い武将です。裏切らないまでも、単独で行動させると「戦意」が高いときでなければ、移動もしないし、まして接敵も行わないという問題児です。この時、手元の情報カードに「長曽我部盛親の裏切りカード」があったため、裏を返せば東軍の手元に裏切りカードがいく確率が減ることになります。つまりは史実の小早川秀秋のように合戦の最中に裏切りを働く確率が低いということになり、信頼度がその分高いことになります。よって、長宗我部盛親よりも指揮順位が高い宇喜多秀家の軍に取り込んで前線につれてくることにしました。

*3:この後、立花宗茂織田秀信よりも指揮順位が高いため織田軍を配下に組み込みます。

*4:島津隊の使い道は少々考えました。このまま岐阜城にいれて岐阜城防衛に使うことも考えましたが、そこで全滅するのは惜しいと思い、無難に大垣城石田三成等の軍と合流させます。

*5:防衛側は恩賞+知行地の石高の数字と比べることになります。