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『関ケ原』(サンセットゲームズ/エポック)を対戦する

 

関ケ原』(サンセットゲームズ/エポック)を対戦しました。  
今回は対戦相手が初プレイだったためゆっくりとした進行になりました。

 

過去の対戦記事は次になります。

 

 

 

「ゲームスタート時から兵力が集結している」「武将が裏切りにくい」東軍を担当してもらい、当方は西軍を担当しました。

情報カード」と「戦意チット」の状況では事故が起こりやすいですよ、という話も先に告げてプレイ開始です。

なお記事内での兵力は精鋭部隊1ユニットを=1,000人で換算しています。

 

開始前の状況

配布された最初の5枚の「情報カード」には、東軍武将の調略に関するカードは含まれていませんでした。
東軍による西軍武将への調略は、「吉川広家」「鍋島勝茂」「長宗我部元親」の3人に集中しています。史実では戦場で日和見を続けた3武将ですが、3人全員が裏切るとは考えにくいものの、1人くらいは本気での調略対象かもしれません。  
一方、西軍による東軍武将への調略は、情報カードがないため、ブラフとして「福島正則」や「前田利長」をターゲットにしました。

 

ゲーム開始時のメインマップ上の状況(写真上方向が北)
「清州城」(マップ右下)に集結した東軍側の諸将(兵力:42,000人)が二手に分かれて進撃を開始するところからはじまります(赤矢印)。
まっすぐ北上して岐阜城を目指す勢力と、斜め左方向の大垣城を目指す勢力に分かれて進撃するのが定石でしょう。
一方の西軍は、マップ中央にある「大垣城」に石田三成他の兵力が10,000人少々いるだけで、宇喜多秀家大谷吉継をはじめとする有力諸将は、伊勢道北陸道に位置していますので、集結していく必要があります。

地形としては、「清州城」から「大垣城」までの間に、木曽川長良川揖斐川と3本の大河川があるため、東軍はどこでこれらの河川を渡渉していくのか(特に最後の揖斐川)、西軍はどこで防ぐのか、防がないのか、といったところが当面の焦点となるでしょう。

 

第1ターン(1600年8月19日‐21日)

前半:

東軍諸将の進撃

東軍は定石通り、軍勢を2つに分け、「清州城」から北上して「岐阜城」を目指す部隊と、北西方面の「大垣城」を目指す部隊に進軍をはじめます。「織田秀信の出陣」イベントを起こすために、木曽川は越えず、東岸にとどまります。 
西軍は第1ターン前半では行動できないため、活動はありません。

 

後半:

織田秀信は籠城を決める

大垣城」にいる西軍武将、石田三成(4,000人)、小西行長(4,000人)もこのフェイズは行動できません。

岐阜城」にいる西軍の「織田秀信*1、ルール上、第1ターン後半に発生する強制イベントとして木曽川河畔の「米野」に出陣する必要があります。
ところが今回「戦意」チットで最低値の「6」を引いてしまったため、移動が不可能となり、出陣イベントがキャンセルされました。これにより、3ユニット(=3,000人)の軍勢は「岐阜城」に留まることになります。*2

織田秀信」の予想外の出撃無し=籠城を受け、「大垣城」と「関ヶ原」の間の地点に位置していた「島津義弘」(1,000人)が動きます。ゲーム中最強の防御力を誇り、“動く城塞”とされる島津隊をどこに位置するのかは西軍にとって悩ましい選択です。*3
島津義弘」は武将能力の高さから「強行軍」を行っても、損耗が発生しません。「大垣城」への入城ではなく、「岐阜城」に向かいます。

美濃・近江以外の西軍

伊勢路の「宇喜多秀家」(12,000人)は急いで「大垣」を目指します。  

伊勢路安濃津城を包囲中の吉川・毛利軍(26,000人)および鍋島・長宗我部軍(合計10,000人)は、「鍋島勝茂」が「戦意」で最高値の「1」を引いたことから、迅速に安濃津城を落城させました。幸先良しです。

「守谷」にいる「小早川秀秋」(10,000人)は「戦意」が低く、動けません。このため「京極高次」の裏切りを警戒する「立花宗茂」は「大津城」に留まることを余儀なくされました。

北陸道の情勢は複雑で、形だけ西軍方に加わっている「丹羽長重」(3,500人)が裏切りのタイミングを伺っているため、「大谷吉継」(6,500人)は美濃への移動をぎりぎりまで見合わせる必要がありそうです。

竹ヶ鼻城の陥落 

「清州城」から「大垣城」を目指していた福島正則(15,000人)は、街道途中の「竹ヶ鼻城」を攻撃しました。守備兵約1,000人の小城だったため、ほぼ一撃で落城しました。


第2ターン(1600年8月22日‐25日)

調略フェイズ

東軍はにわかに「小西行長」「丹羽長重」に恩賞カードを積んでいきます。
「密報」にて、「小西行長」と「吉川広家」の恩賞カードの中の1枚をそれぞれ確認すると、いずれも「20万石」の恩賞カードです。これは本気だ、ということで、離反を防ぐために恩賞を積み増しました。

 

前半:

「戦意」が揃わぬ東軍

岐阜城の麓には東軍の2個ユニットが接近しつつありますが、「戦意」がそろっていないようで活発ではありません。合戦開始は次になりそうです。

西軍は、「小大名の調略」カードにより、曽根城(西尾氏:500人)を東軍から西軍に裏切らせます。
曽根城は大垣城の北方に位置しており、史実で東軍の諸兵が進出した丘陵地「赤坂」に近いところになります。この後、おそらく揖斐川を渡渉してくるであろう東軍への嫌がらせにはなるでしょう。

西軍の状況

小早川秀秋」はまたもや「戦意」の問題から動けず、それに伴い「立花宗茂」も「大津城」から動けません。

伊勢路の「鍋島・長宗我部」は安濃津城攻略時の損害の回復を図ります(「戦意」が低かったため移動できなかっただけではあります)。

大谷吉継」は、北陸道から近江にはいる直前でいったんストップしています。

石田三成小西行長」は大垣城から動きません。しばらくは揖斐川をはさんでのにらみあいになるでしょう。

 

後半:

島津、岐阜入城

西軍は岐阜城内で指揮揮順位から、「島津義弘」はこの織田信忠の子の軍勢を指揮下に置これで籠城軍は兵5,000人規模(5ユニット)になります。

本多忠勝の強行偵察と揖斐川での前哨戦

伊勢路より急行した「宇喜多秀家」(12,000人)が大垣城の前面に展開します。
西軍はダミーカウンターを揖斐川の西岸に移動させ、東軍の渡河をけん制します。

東軍の一隊(後に「本田忠勝」(5,000人)と判明)が大垣城の北方、曽根城の西方の渡渉点より渡渉してきました。宇喜多隊は偵察範囲が届かなかったのですが、偵察範囲が広い「石田三成」の偵察範囲に抵触したことから迎撃に出撃します。

天候は雨。火縄銃が十分に使えないため戦闘時に修正がはいります。

東軍による調略活動

東軍は「小大名の調略」カードにより、石田隊に属していた小大名(相良氏:500人規模)の裏切りを図り、成功します。内部からの裏切り発生による損耗は、石田三成の武将能力により10%に抑えられ、その後起こされた「内乱」も、裏切りが少人数であったことからあっという間に鎮圧することができました。
続いて東軍は「小西行長」(石田隊のうち4,000人)の裏切りチェックを要求したのです。
これには冷や汗が出ました。このターンの冒頭の「密報」によってチェックと、恩賞の増額をしていた効果がありました。
結果、西軍の恩賞95万石+所領50万石の合計145万石に対して、東軍の恩賞135万石。
みごと首の皮一枚でつながったのです。

石田三成」隊(10,000人)対「本田忠勝」5,000人

天候雨、地形渡河点につき、東軍が不利な状況です。
さらには付近にいる宇喜多隊が「増援」により3ラウンド目から戦闘に加わることが想定されます。

東軍はすぐに「撤退」にはいり、石田隊は「追撃」を試みます。
武勇で名高い「本田忠勝」はこの圧倒的に不利な状況下に関わらず、部隊をまとめあげ、「追撃」による2回の攻撃と「撤退」による損耗を加えても3ユニットのステップロスに抑えたのはさすがというべきでしょう。

本多忠勝」が揖斐川の呂久にて渡渉を試みます。(上図の左手側が北方向)
大垣城の「石田三成」の偵察範囲にはいったことにより「迎撃」が宣言され、石田・小西隊が出動しました。
大垣城外にいた「宇喜多秀家」は偵察範囲にははいっていなかったものの、「増援」による移動により戦闘ラウンドの途中から参戦可能でした。
小大名の調略(相良氏)には成功するものの、「小西行長」調略が不発に終わったことから不利と見た「本多忠勝」は執着せず、1ラウンドですぐに「撤退」を宣言し、兵をまとめると揖斐川西岸に撤収したのでした。
なお「福島正則」隊からは天候雨の川越えということで距離があったため、「増援」の発動はできませんでした。

 

岐阜城攻めはじまる

岐阜城」では東軍の「黒田長政」(10,000人)による城攻めがはじまります。「増援」により、途中から「池田輝政」(10,000人)も加わりますが城方(島津義弘:5,000)の反撃により損害ばかりが増すばかりです。
岐阜城岐阜城下の中でぽつんとそびえる金華山の山頂にあるため、攻める側からすると地形効果を受ける上に折からの雨による修正と条件が非常によくありません。
城方は損害を受けることなく東軍を寄せ付けないまま、戦闘は翌ターンにくりこされていくことになりました。

 

ゲームはここで時間切れ終了となりました。

 

終了時点での全景。

 

第2ターン終了時にドローした「情報カード
いろいろ面白そうなのが来ていました。

 

 

 

やっぱり「関ヶ原」は面白いですね!

 

 

*1:織田信忠の子。信長の孫にあたる。幼名「三法師」。岐阜中納言と呼ばれる。この時、わずか20歳。史実の岐阜城戦では家臣が奮戦したこともあり、部隊ユニットは思いの外、良い数値が与えられている。関ヶ原戦後改易となり、高野山に追放されるが、祖父が高野山に行ったことの因縁で入山できなかった。26歳で謎の死を遂げる。

*2:織田秀信」の出撃イベントでは、強行軍を駆使してでも「米野」まで出撃するとある。東軍は岐阜城攻略のため、大軍を向かわせていることが多いので、ほとんどの場合、「米野」で壊滅する。ただ今回のように「戦意」が「6」の場合、「織田秀信」は武将能力から移動ができないことになるため、結果出撃できないこととなる。蛮勇を発揮するのではなく、家臣の諌めを聞いて、岐阜城籠城を決めたといったところでしょうか。

*3:前回プレイ時、東軍より「島津義弘の帰国」という「情報カード」を出されてしまい、島津隊は早々と退出させられた因縁がありました。今回、実は最初に配られた5枚の「情報カード」のうちの1枚がこの「島津義弘の帰国」でした。西軍がこのカードを持っているということは東軍が手にすることはないということになりますので少しの安心材料になります。もっとも「島津義弘」については他に中立化の懸念はまだまだあるのですけどね