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大河ドラマ「太平記」13話「攻防赤坂城」

一週遅れとなってしまったが、大河ドラマ太平記」13話を見た。

前回までのあらすじ

楠木正成武田鉄矢)は、笠置山に籠もる後醍醐天皇片岡仁左衛門)と公家達に対し、一か所にとどまるのではなく、複数の場所で蜂起するべきだ、と献策する。関東に反北条の軍が興るまで、それまで負けぬ戦をする必要がある、と。
正成の言に従い、各地で朝廷方の武将達が蜂起、正成自身も500人の手勢と共に河内で北条の拠点を襲った後、河内の赤坂城という山城に籠もる。

一方の足利高氏真田広之)は、笠置山包囲の幕府軍として参陣するが、弟直義(高嶋政伸)には朝廷側の軍勢に対して「一本の矢を射るつもりはない」と告げる。

ところがその笠置山は、幕府側の一御家人陶山某とその郎党の奇襲によりあえなく落城。河内に逃げ延びようとした後醍醐帝も幕府軍の手に落ちたのだった。

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六波羅の評定

冒頭ナレーションにおいて、各地の朝廷側の武家が相次いで蜂起していった事、また楠木勢が籠もった赤坂城の様子などが丁寧に語られる。
「騎馬戦を得意とする幕府軍に対し、楠木勢が取り得る唯一の戦法が山岳ゲリラ戦術だった」という説明には半ば首肯しつつも、では楠木正成がとった戦法・戦術はゲリラ戦術なのか?という疑問が湧く。
後世の後付け理論でゲリラ戦術という言葉でなんとなく理解した気になっているだけのような気もする。
実際、楠木正成鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代になってからの戦闘においては奇策・奇手に出ることなく平地で戦っているように見えるので、決して彼らが”ゲリラ戦”的戦い方を特別に身に付けた集団というわけではないように思える。まぁ、ここではそれを論じるだけの時間も材料もないので今後の宿題としておく。

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笠置山が落城したことを受け包囲していた北条方の武将たちは京都六波羅に戻り、今後の対応について協議を行う。
「・・すでに新帝が御所におわするのじゃ。先帝に何のはばかりがあろう。すみやかに処したてまつり、諸国で反乱を起こしている武者共に、先帝は消え失せた、と大音声で知らせてやればよい。
強硬な意見を主張しているのは、北条一族の一支族で足利家との関わりも深い金沢貞顕児玉清)の子金沢貞冬(香川耕二)。
「処したてまつると申しても、鎌倉の御裁決を仰がねばならぬ。それまで河内の楠木殿を放置しておいてよいものやら?ここは一気に戦を仕掛け・・」
幕府評定衆のひとりで僧形の二階堂道蘊(北九州男)は、帝への処置より先に楠木討伐を優先するべきと主張。幕府遠征軍総大将の大佛高直(河西健司)も同様に、帝の処置は六波羅に任せ、遠征軍は楠木正成討伐を行うべし、と言う。
「楠木ごとき、たかだが500の兵でござるぞ」
「そを一月たっても落とせぬとあっては、幕府軍の名折れぞ」
「さよう!」
「一気につぶしておかねば!」
並み居る武将たちは口々に勇ましい主戦論を主張する。
終始黙って聞いているいる高氏。
「されば、手順を申す・・。」
意見の一致を見たところで、大佛高直より楠木討伐の陣立ての説明がはじまった。*1 

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京都の訪問者

六波羅での戦評定の後、逗留している上杉憲房藤木悠)屋敷の高氏の元に一人の若い公卿が訪ねてくる。
名門北畠家北畠親房の嫡男北畠顕家後藤久美子)。
顕家は高氏に対し、北畠親房に会うため、北畠邸まで来てほしいと依頼にきたのであった。

庭先で弓矢の的の前に糸を通した針をぶらさげ、その針を地面に落とすことができれば勝ちという勝負を、足利家内の腕自慢の郎党と行い、顕家は勝利を納める。
その秘訣を教えるということで高氏と面談をねじ込んだ形となる。

「・・下げた針を射落とすとは見事な腕前、あの針がよう見えましたな?」面談の席で高氏。
「見えてはおりませぬ」答えるのは顕家。
「はて、では何故、射落とせました?」
「それをお教え致せば、我が父、親房と会うていただけましょうや?」
「お父上と?」
「父親房、足利殿にいささか所望のこと侍りて、ぜひお会いいたしたく、お渡り願え得ぬものかと、申しておりまする」
「ほぅ、不思議なことを申される。北畠親房卿は、和漢の学問を究められた都随一のお方」
「何卒お渡りいただきたく」
理由も言わずにひたすらにあってほしいと依頼を繰り返す顕家に「はて・・」困惑する高氏。
針を射落とせた理由を「神仏のご加護があったから」と答える顕家に、
「北畠殿には神仏のご加護がついているのか」と高氏は訊ねる。

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元弘の乱のさなかに後醍醐天皇の側近になるような公卿が後醍醐天皇籠城の時期にまだ京都にいたのかという疑問があるのだがこの時、北畠親房は少し前の1330年に出家し、いったん政界を引退していた模様。このため元弘の乱などの幕府転覆の企てには参加していなかったということらしい。

北畠顕家は後に後醍醐帝による新政が始まってから軍事の才を開花させるが、生年から計算するとこの時はまだ14歳ということになる。

で、この14歳の少年を後藤久美子が演じ、美少年設定となっているのだが、この顕家美少年説はあながち根拠がない話でもないらしい。

美少年伝説と言えば源義経あたりもそういう脚色が施されること度々だが(2005年の大河ドラマ義経」で滝沢秀明義経役をやったことで有名。なお、義経元服前の少年時代は神木隆之介!がそれを演じていた模様)、「平家物語」では色白で背が小さく、盛大に反っ歯だったと描写されている。それが、後世散々に脚色され今のような美少年設定となっている模様。司馬遼太郎も、義経の事は、色白・小柄・反っ歯の王子(その上、貴種ということで各地で女をあてがわれ、種馬のような状態だった)と身も蓋もない描写を小説「義経」で書いている。

一方でこの北畠顕家は、元弘の乱の発覚の前に後醍醐天皇の前に「蘭陵王(陵王)」という舞を舞っており、この踊りが描いている蘭陵王は中国は北斉の眉目秀麗を謳われた武将だったということらしい。で、その舞を舞った顕家も美少年ということの模様。生前の絵姿などは残っていないため想像するしかないのだが、少なくとも源義経以上には美少年だったと判断される。

余談が長くなっているが、この北畠顕家を演じる後藤久美子
低めの声で落ち着いてセリフを回している様子は意外と悪くない。
ふと白拍子の藤夜叉役の宮沢りえと役柄が逆だったら、と思ったが、宮沢りえには少年役は難しいだろうから、まぁこうならざるを得なかったのだろうな。

結局、顕家の再三の依頼に高氏は北畠邸に向かうのだが、弟直義がそれを後から聞き及びあわてて高師直柄本明)が饅頭のようなものをつまみ食いしているところに怒鳴りこんでくる。
「師直!、ワシに黙って兄上を外にお出しするとは何事ぞ?」
は?

直義が師直を嫌っているように師直も直義が好きではないのだろうなという感じがありありの気のない返事。

「しかも、北畠親房卿の招きに応じたというではないか。北畠は笠置派の公卿、これが幕府に知れたらなんとする!」
「師直も左様申し上げたのですが、殿が大事ないと仰せられ」
饅頭を口に頬張ったまま答える師直。
「どう仰せられてもなおもお止めするのがそちの努めだろうが!」
茶碗から水を飲んでやっとおちついた師直がそこではじめて直義に対座。
「お言葉ではござりますが、殿が行くと仰せられているものを、執事のそれがしごときが、お止めいたすのはおそれがましゅうございます。」
と直義に頭を下げる。
「そちがおそれがましゅうのなら、ワシを呼べというのだ」
直義の言に、師直は不服げに口を曲げてみせる。
「殿は足利家の惣領、いちいち弟君のお許しをいただかねばならない云われはございませぬ。」としゃぁしゃぁと言ってのける師直。
「・・・なにぃ!」直義はいまにも爆発しそう。
いやぁ、どうも殿は、帝やらお公卿やらに気を使われすぎますな。はは・・・ええ、どうも・・困ったもんだ・・」と師直は立ち上がり、独り言ともつかぬ言葉を残し、饅頭(のようなもの)が置いてある高杯の器を手にひょこひょこと奥に引っ込んでしまう。

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生一本実直な直義を飄々と世を渡るような師直が体よくかわしながらのやりとり。反りがあわないとはこのことか。

直義が飛び込んできた時に高師直が食べていたのが何だったのかと思い調べると、日本で今の饅頭のようなものが出てくるのは、砂糖の普及など、もう少したってからの1340年代の京都の模様。でもあの掴み方は団子でも餅でもなく、饅頭なんだよな・・。

大納言の依頼

高氏は北畠顕家に案内されるまま北畠邸に行くと、聞き慣れた高笑い。
佐々木道誉陣内孝則)が壺を片手に、北畠親房近藤正臣)と談笑中であった。すかさず高氏の姿を見つけた道誉が声をあげる。
「いやぁ、参られた、参られた」
声の主を見ても高氏は表情こそ崩さぬが、思うところはある様子。まぁそうだよね。有る種の腐れ縁というべきか。

親房は立ち上がり丁寧に挨拶をする
北畠親房にて候・・。そもこちらこそ罷り越すべきところを、不躾にもお呼び立て致し、おそれがましゅう・・。」
足利高氏にございます。」

「・・さて、客人も参られた、邪魔者のそれがしは退散いたすべし。」
などと口にしながらも、間にはいっていく道誉。
「大納言殿はのぅ。この判官が茶や花をお教え申した都一のお弟子じゃ。
此度の戦で都に来たついでに、上達されたかと見に参ったが、未だに鳥羽のお茶と宇治のお茶との違いがおわかりにならぬ。困ったお方よ・・ははは・・」
口うるさき判官よ、とく帰れ」あまりのいいっぷりに親房は冷たく告げ、道誉はニヤケ顔のまま立ち去る。

「どうにもわからぬ男じゃ。朝廷方に同心すると申しては、鎌倉に浸りきり、鎌倉方かと思えば、こうして何の前触れも無しにこちらの顔色を見に来る。およそ節操というものがない。かしましく思し召されたであろう。許されよ。」

対座した高氏と親房。改めて口火を切ったのは親房。
「足利殿、貴殿に伏してお願いしたき議がござりまする。
・・六波羅におわす帝を、密かに害し奉るべし、暗殺致すべしという声が、鎌倉軍の中にあるとの噂を、耳に致しました。お聞きお呼びであろうか?
・・足利殿の力で帝のお命をお守りいただけまいか。
・・帝は万民を思い、世を正さんと・・真に我らが奉ずる名君にて、六波羅の手にかかるは・・。なにとぞ足利殿のお力で、帝のお命・・」と深々と頭を下げる親房。

「それがしも鎌倉軍のひとり。なにゆえ、そのようなことをそれがしに?」
逆に訊ねる高氏に
「笠置の戦を、我が家人がつぶさに見てまいりました。
鎌倉の大将軍の中で、帝の兵に矢を向けず、戦うそぶりを見せなかったのは足利殿ただひとり、と。・・それだけの事でおじゃるが・・
と言い、じっと見つめる親房。
「そは、なにかの見間違いでござりましょう。それがしは鎌倉に仕うるもの、こちらに罷り越したるは、ご子息顕家殿の指に宿った神仏に惹かれての事。他意はござりませぬ。
・・さりながら、帝を密かに害し奉ることは我が本意にあらず、帝が六波羅におわします間は、鎌倉勢が指触れ奉ること、厳に慎むべしと申し合わせる所存。
この高氏、一命に変えてお約束いたしまする。
・・それではよろしゅうございますか?」
「足利殿・・」
「では、他に所用もござります故、これにて。」
「かたじけない」 

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さぁて、近藤正臣と言えば、「真田丸」での謀将本多正信役の印象が強い。少なくとも一筋縄でいかないキャラなのではないかと、早くも思ってしまう。
今回も、なぜ自分なのかという高氏の問いに答える、親房の凄みのあるセリフ。いやぁ、怖い怖い。

親房の前を辞した高氏を道誉が待っていた。
日野俊基殿の次は、北畠親房殿か?
・・やはりご辺はあやしいの。
北畠殿はどのような話をなされた?帝を奪い返す手引をお頼みになったか、それとも御辺とともに一気に兵を挙げ、北条軍を挟み撃ちか?
いやらしく絡んでくる道誉。
「だとすればいかがいたす?」
まだ早い。まだ駒不足じゃ。・・やるなら勝たねばのぅ。勝たぬならやらねばよい。それを間違うようでは先が覚束ぬ。ワシと戦をするはめになるぞ。
・・北条殿への手土産に御辺の首を持ち帰ることになる。
「お気遣い、痛み入る」と高氏は道誉に頭を下げ、立ち去る。
「表には六波羅の目が光っておる。・・裏口から出られたほうがよろしかろう」
と道誉は反対側を指し示した。
が、高氏は表のほうへ歩んでいく。

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赤坂城攻略

10月半ば、鎌倉軍が京を立ち、赤坂城攻撃に出立する中、高氏は出陣の用意をした直義を呼び止め、京に残るように頼む。
「・・帝を害し奉る動きあらば、帝にもご動座いただかねばならなくなるやもしれぬ。鎌倉の処断が届くまでは勝手なふるまいは誰にもさせてはならぬ。よいか?」
急な依頼に不満げに鼻を鳴らす直義。
そうまでして先帝をお護りいたしてどうなります?もはや新たな帝はおわしますのじゃ。
お護りしてどうなるか。ワシにもわからぬ。だがのぅ、六波羅におわす帝はただならぬ方ぞ。それゆえ暗殺の動きもあるのじゃ。
ここまで幕府を揺り動かしたお方じゃ。ゆゆしきお方ぞ。
後は頼むと再度懇願され、直義は釈然としないままその場に座り込む。

このあたりの高氏の真意はいまひとつはっきりしない。
自分の意をくんだ動きができる人物として直義を京に残したのはわかる。
その上で囚われの後醍醐帝を護れと言うのは、単に恐れ多い存在とする尊王の思いか、北畠親房の依頼を受けてか、遵法の考えで正式な処分前の被疑者を保護しようとしたのか、はたまた、今後強大な北条一族を倒すために、必要と考え残そうとしたのか・・。

いつどのような形で倒幕を決めたのか、という一大命題につながるだけにこの時点、説明不足感が大きかった。

間諜一色右馬介

伊賀の国、藤夜叉(宮沢りえ)とちょうど訊ねてきていた具足師柳斉(大地康雄)が話をしている最中に、花夜叉(樋口可南子)一座がやってくる。
「藤夜叉、”石”を助けたいか?」花夜叉は訊く。
赤坂城はすでに2万人の幕府軍に包囲され、昨日から抜け道も塞がれてしまったという。
「であれば、柳斉殿にお頼みするのじゃ。伊賀から攻め上る足利高氏殿に”石”を助けるよう頼んでいただけぬか、と
そっと土間から外に出ようとした柳斉を、一座の男衆が取り巻く。
「ここをお通りになるはずじゃよ。赤坂城を攻めるために」
花夜叉のいでたちに比べると、藤夜叉は身につけるものは粗末で地味であった。

柳斉殿はその道案内役じゃ」花夜叉のきっぱりした言に反応して、柳斉は逃げるが、男衆により納屋の奥に追い詰められる。

「足利家の忍び、一色右馬介殿、ようやく見参かないました。
・・重ね重ねの無礼、非礼お許しくださいませ。こうでもせねば、話お聞き願いまいと存じ、かかる仕儀にあいなりました。平に・・」
花夜叉はじめ右馬介を追い詰めた男衆も含め平伏する。
「・・一色殿が大和の諸豪族に会い、足利軍に弓引かぬ様密かに話をつけておられると聞きおよび、大和路をお探し申しておりました。それが柳斉殿とは・・。
・・一色殿にお願いしたき議がございまする。楠木一族をお助けいただけませぬでしょうか。楠木正成でございまする。幕府軍の到着を待つまでもなく、赤坂城の命運はすでに見えておりまする。落城となれば楠木は、服部殿を頼りにこの伊賀に落ち延びましょう。そこへ足利殿が矢をいかけられますと、楠木の逃げ場は塞がれまする。
・・どうか足利殿に、お見逃しいただきたいのでございます。楠木正成は今助けおかれれば、いずれ必ず、足利殿のお力になりまする。必ずお力に・・」
「ほぅ・・足利の力に・・。花夜叉殿、おもとはいったい何者じゃ?」と右馬介。
楠木正成の妹でござりまする。名を卯木と申しまする。」

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花夜叉がどうやって右馬介の正体や目的、果ては沿道の豪族の調略などの行っている事を知ったのかは不明。
ただ田楽一座として諸国を巡ることができるというので独自の情報網を持っているという解釈もできなくはない。が、誰の指示の元に動いているのか、または独自の活動なのかはいまひとつはっきりしない。

赤坂城落城

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1ヶ月の籠城後、赤坂城も最後の時を迎えようとしていた。楠木党に混じり籠城していた公卿達は先に投降させ、大塔宮(堤大二郎)は脱出させていた。
「朝まで持ちこたえられようか?」正成の問いに恩地左近(瀬川哲也)は、
「恐れながら、矢はすでにつき、兵は3日何も食べていない」と答える。

「よし、皆に伝え、これまでよーく戦った。・・落ちたいものは落ちればよい。」と正成は宣言する。
「ワシは今から伊賀まで突っ走る。敵にはここで死んだと見せかける。」と言い、道案内に”石”を連れ脱出していく。

伝でも正成は城の中央に大穴を掘らせそこに死体をいれ火をつける。折からの強風で火が燃え上がり、正成らの戦死を偽装したと言われている。

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感想

もともと高氏の人物像として口数は多くなく、自分の心中を出さない人物として描かれてきた。父貞氏が隠居し家督を継いだ頃よりようやく多少話すようになったが、ここに来てわかりにくい印象がある。

現状の鎌倉幕府に対して腐っているという認識で、一時は義兄の赤橋守時と改革をすすめることができるのではないかという思いはあったが、結局のところ、赤橋守時も執権こそなってはみたものの、実権は長崎父子や北条家得宗北条高時に握られたままで、中枢部にはいるどころか阻害された状態のまま。

日野俊基の勧めに従い後醍醐天皇をちらりと見かけてみたりはしたものの、直接拝謁したりした訳でもなく、一方で叛乱をおこした後醍醐帝の軍に弓を引かないと言ったのは一般的にある尊王の気持ちからだけなのか?

今エピソードで直義から、すでに新しい帝がいるのだからという言い方をされたのに対し、「幕府を揺り動かしたお方なので、ゆゆしきお方」という答え方しかできていない。

それからすると今回久しぶりに登場した佐々木道誉のほうがまだ自分の野望を隠さないだけにまだ素直に見える。

結局、高氏がどうしたいのか、彼の行動原理やその目標がいまだにわかっていない、そういう状況に見える。

 

 

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*1:劇中のセリフをそのまま起こすと、大佛高直率いる第一軍は大和路から水越峠を経て赤坂へ、金沢貞冬率いる第二軍は、河内讃良(ささら)から高野路へ。第三軍は平野街道。足利軍は第四軍として伊賀方面の叛乱軍を攻略しながら河内の赤坂城に迫るというので、いったん河内から逆方向に出て伊賀を通り、大和、河内と行く模様