Their Finest Hour

歴史、ミリタリー、ウォーゲーム

大河ドラマ「太平記」12話「笠置落城」

前回までのあらすじ

後醍醐帝(片岡仁左衛門)は奈良山中の笠置山に依り挙兵する。だが期待していた諸国の武家からの参加が振るわず、兵力は集まっていなかった。後醍醐帝は、日野俊基が強く推挙していた楠木正成武田鉄矢)宛に勅使を派遣することにする。

鎌倉幕府笠置山六波羅軍で囲むものの一度に落とせなかったことから関東から増援を出すこととなる。亡父貞氏(緒形拳)の喪中であった足利尊氏真田広之)の元にも出兵が要請される。
幕府を牛耳る内管領長崎高資西岡徳馬)は足利への出兵命令を、旗幟を鮮明にしない足利家への踏み絵だ、と言う。
高氏の義兄にあたる現執権赤橋守時勝野洋)は、自分に実権がないため出兵命令を止めることができなかったと、高氏に頭を下げる。
高氏の真意がわからないという妻登子(沢口靖子)に対して高氏は、「兵は出すが、戦をするつもりはない。無事に、すぐ帰ってくる」と伝えた。

楠木正成河内国守護代の北条家の代官に、幕府方でも朝廷方でもない、と宣言するものの、領地の農民達が収穫したばかりだった穀物・食料は強制徴用され、家内からも笠置山の朝廷側への参加を希望するものが出るなどしていたところに、勅使が到着する。
勅使万里小路藤房(大和田獏)は、最初は高圧的に、最後は泣き落としまでして正成の挙兵を促すが、正成はひたすらに固辞し続ける

その夜、正成は妻久子(藤真利子)と話す。
女子供も巻き込む戦はで家も何もかも失うという正成に対して、久子は言う。
・・すでに家中は否応なく巻き込まれている。帝から直々に依頼がくるなど誉である。家を気にして迷い苦しむくらいならいっそ先に処分する。そうでなければ、一生後悔することになる・・久子の覚悟に促されるように、長い戦になるぞ」と言い、正成は挙兵を決意する。

 

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足利軍、西進する

各地の一族の兵を参集させた足利軍が遠江橋本宿で野営、田楽一座などを呼んでの酒宴に、先に寝ていた弟直義(高嶋政伸)が、血相を変えて怒鳴り込んでくる。
高氏は直義を外に連れ出す。
「・・父上が亡くなられてまだ半月じゃ、しかも我らが向かう相手は笠置におわす帝。よう、歌など歌えますな!」激昂する直義。
「・・みな歌でも歌わねばやりきれまい。やりきれぬ気持ちはそなただけではない。それがわからぬのか」と高氏は逆に直義を叱責するが、ばつが悪くなったように本心を語る。
「・・そなたには初めて申しおくことじゃが、此度の戦でワシは太刀を抜かぬつもりじゃ。足利党は殿(しんがり)を守り、矢は一本も射たぬ。帝の兵が来れば逃げる。ひたすら逃げる。それ故、笠置にはゆっくり参る。
「では・・兄者は」
「とは申せ、日野俊基殿を見殺しにしたように、帝の兵を救うことはできぬ。しょせん見殺しじゃ。」
直義は高氏の覚悟に何かを言いたそうに口を開きかけるが、言葉が出ない。 

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今回の、宴の最中に直義が怒鳴り込んでくるシーンに高師直柄本明)が宴の中で静かに鼓を鼓している姿が映る。生真面目直情的な直義と対比的に描写されているかのよう。この後も、直義と高師直との描写は注目したい。

足利軍の逗留場所が橋本宿ということで聞き慣れない地名だったので確認してみると次の通り。
承久の乱などでは軍事的要衝として重視されていた。1498年の大地震と1510年の〈高波〉(台風による高潮とみられる)によって,宿駅としての機能を失った。”とあって、当時は栄えた宿場町だったようだ。kotobank.jp

一色右馬介大地康雄)が急ぎお目通りさせてほしいと訊ねてくる。
かつては高氏の腹心として常に同道していた右馬介だが、いまは亡き貞氏の命により、長年、伊賀国はじめ畿内に潜伏していたのだ。

「急ぎ、殿の耳にいれたき議が・・。」
久しぶりの主従の再会だが、十分に久闊を叙する間もなく右馬介は辺りを憚りながら耳打ちする
「此度の戦、長引くかもしれませぬぞ。どうやら河内の楠木正成殿が腰をあげ、帝の陣に加わる気配にございます。・・楠木が立てば、伊賀の服部、伊勢の関など大和あたりの豪族輩も次々呼応して立つこと必定、これに播磨や備後の反北条勢が加われば、都周辺は戦の巣となります。下手をすれば幕府軍は苦戦、足利党もいやがおうもなく巻き込まれかねます。帝の兵に、一本の矢も射たぬということでは、済まぬ場合も・・その時はいかがなされます?
「どうすればよい?・・かと申して、皆が束になっても、まだまだ北条殿の屋台は揺らぐまい。
「御意」
早すぎる。・・何もかも、早すぎるぞ

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笠置山の軍議

後醍醐帝らが籠城する笠置山楠木正成が郎党を率い入山し、後醍醐帝に拝謁する。
日野俊基の推挙や事前の評判もあり公家たちは正成の一挙手一投足にも注目している。どうすれば勝てるのか?という大塔宮護良親王堤大二郎)の下問に対して正成が答える。
鎌倉方は有力御家人を幾多も抱え、兵力、兵の質とも比べ物にならないと、正成は言う。
「・・かかる関東を破る手立てはござりませぬ。さりながら柿の実も熟れてしまえば地に落ちます。関東が自ら崩れさる時が来たらば、我らも利ありましょう。」
「その日はあるか?」挑むように腕を振り上げる護良親王
「北条憎しの機運は関東にも満ち満ちているはず。亡き日野俊基殿がまかれた種がそろそろ花を咲かせる頃かと・・」と改めて平伏する正成。
「それをいつと読む?」と護良親王
わかりませぬ、明日かもしれず、明年やもしれず、2年先になるやもしれませぬ。
粛と言葉が出ない公家達。後醍醐天皇も黙したまま話を聴く。

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「いずれにいたしましても、我らは関東に火の手があがるのを待たねばなりませぬ。それまで負けぬよう、戦をいたすしかござりませぬ。」
「負けぬよう?」返したのは四条隆資(井上倫宏)。
「勝ぬまでも負けぬ戦はござります。」四条に向き直り答える正成。
「いかようにいたせば負けぬようにすむか?」
敵を撹乱し、この山に集中させぬことでございます。備後の桜山殿は備後に帰って兵をあげ、赤松殿は播磨にて火をあげる。この兵衛は、河内に城を築き、敵の背後を突きましょう。
この山を守るは、この山を離れることでござりまする」はじめて顔をあげ、後醍醐天皇のほうを向く正成。
「下にも」という後醍醐天皇の言葉に、深々と伏する正成。

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楠木正成の献策に貴族達がどのような反応をするかと思っていると、反応するよりも早く後醍醐帝が「下にも」(=全くそのとおり)と言ったがため、誰も文句を言えなくなった印象。
なるほど分散して各地で蜂起する事を、正成による献策として扱う事で、正成の軍事の才の一端を見せようとしたのか、と感心した。

それにしても高氏の言にしても正成の言にしても、日野俊基は早々と死んだものとされている(実際は今回の元弘の乱への処分が決まった翌年に処刑されている)。死にあたって劇的なタイミングというものがあるとすれば、このタイミングだったということなのだろう。

楠木正成の口上の中に朝廷派の武将幾人かの名前があがっているが、馴染みの薄い”桜山殿”をあたると次のような説明があった。

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楠木屋敷退去

拝謁した楠木正成の帰宅の一足先に伝令として”石”(柳葉敏郎)が楠木屋敷に向かわせられる。連絡を受けた久子はじめ一族は荷物をまとめ、住み慣れた屋敷に火をかけ、庭木の柿の木を残し、身を隠すべく千早の里深くに退去していく。

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前エピソードで語られた久子輿入れの際に移植された柿の木をじっと見つめるシーンがあったが、今後の伏線にでもなっているのかな?

翌々日、楠木正成一党が、同じく籠城する大塔宮護良親王と供に水分の地を臨む場所に至り、遠く屋敷が燃える煙を見る。

楠木軍は河内の北条軍を攻撃して周り、その後、赤坂の山中にこもる。

呼応するように備後の桜山茲俊、伊勢の関一族ら大和の諸豪族が蜂起したことが説明される。

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京都に大佛貞直(おさらぎさだなお:北条貞直)率いる鎌倉幕府の援軍2万が到着したことが知らされ、あわせて光厳天皇への践祚(せんそ)が伝えられる。
「さればこそ、北条の狙いは、京に次なる帝をたてまつり、笠置の帝を先帝となし、帝の御為に蜂起するものから大義名分を取り上げる策略にございまする。」
正成の言葉に今更ながらに大いに驚く護良親王

いやそれくらい予想がついていたことなのではないか?
感想にも書いたが自分たちの皇統がそこまで正しいと信じていのか?

「・・京に帝が立てば、東大寺興福寺も我らに同心仕掛けたものが皆、鉾を収めてしまう。・・道理で鎌倉軍が動かぬはずじゃ。動かずとも笠置は・・」
とそこで言葉を止める正成。
「向こうが動かぬなら、こちらから攻め込むまでよ。笠置におわす帝は、先帝にあらず。京の帝なぞ誰が認めようぞ」
と、力んだ余りに軍議の席から駆け出す護良親王。あわてて近侍が追っていく。

親王が駆け去ったのを見送った後、正成がつぶやく
「やはり、苦戦じゃのう・・」

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力んだ余りに振り上げた拳の持っていきどころを探すように駆け出した護良親王と、首を傾げて親王の駆け去ったのを見届けてから、本年を吐く正成という少々ユーモラスなシーンであった。

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笠置山落城

峻険な地形で幕府軍を寄せ付けずにいた笠置山もあっけない事をきっかけに落城する。
包囲側の鎌倉御家人須山義高が恩賞狙いで50人程度の郎党だけで道のない崖を登り火をつける。籠城側は大混乱となり、後醍醐帝は少数の供回りだけを連れ逃れ、楠木党の赤坂城を目指すが道に迷い、翌日幕府軍にとらわれる。

帝捕縛の件は笠置山包囲で陣を張った足利高氏のもとにも届けられる。
「・・兄上、帝が囚われましたぞ。さきほど大佛殿のもとに知らせが届けられたとのことでございます。・・」報告にあがったのは直義。
「帝は?」
「大佛殿の命で、明日、宇治の平等院にお移りあそばされるとのことでございます」
「直義、都に戻ろう」

「7年前、帝を拝したことがある」語り始めたのは高氏。
「はっ」驚く直義。
「都に初めて参って、帝を拝した」

 足利軍は都への帰路につく。
都では不思議な人物が高氏を待ち受けていた・・ということで北畠顕家後藤久美子)が初登場する。

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感想

兵を挙げる、足利高氏楠木正成二人の心の葛藤とその周辺の動きを描いた前の回とは打って変わって、今回は叙事的な展開のためスムーズに話が進んでいく。どろどろとした宮中劇が多かったこれまでの展開からすると、はじめて勇ましい話が多いエピソードだったのではないかと思う。

ドラマからは離れた視点ではあるが、この時代はつくづく描くのが難しい時代だなと思う。
今回のエピソードの中で鎌倉幕府が、後醍醐天皇の廃位と光厳天皇を即位させた件について、大塔宮護良親王が怒るシーンがある。
言ってみればドラマは、後醍醐天皇側視点、南朝を正統とする史観で描かれると言ってもよい。かろうじて光厳天皇は姿が1カット映っていたが。

当時の朝廷内にあった大覚寺統持明院統間にあった即位ルールをもともと破ったのは後醍醐帝側であったこ

とからすると皇統の正当性とはなんだろうとか思う。
後に南北朝が解消された後は、皇統は北朝主体となっていることを考えると、決して南朝が正統だと主張するのも変だろう。
そのような中で、楠木正成をはじめて後醍醐天皇方について各地で蜂起していた武士達が涙を流さんばかりにしている様子は少々、醒めた目で見てしまう。なぜに南朝側に立ったのか、という動機やらを知りたいものだ。

司馬遼太郎はついぞ南北朝を舞台にした作品は書いていないが、同じ様な事を言っていて、吉川英治はじめ後世の人は南朝を正統とした水戸学に毒されすぎているのではないかといった趣旨のことをどこかに書いている。