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大河ドラマ「太平記」11話「楠木立つ」:最後の最後まで挙兵を逡巡する楠木正成の姿に感情移入してしまった

前回までのあらすじ

1331年8月、朝廷による討幕の企てが密告により露見する。
首謀者とされた日野俊基榎木孝明)は御所に向かう途中、六波羅に捕縛され、後に鎌倉で斬首された。後醍醐帝(片岡仁左衛門)はわずかな供回りだけで京より逃れ、笠置山に立て籠もった。
帝の謀叛は鎌倉にも、また河内の楠木正成武田鉄矢)の元にも報じられる。

鎌倉幕府内では内管領長崎円喜フランキー堺)が権勢を強め、元執権北条一族の得宗である北条高時片岡鶴太郎)、その実母覚海尼(沢たまき)をも取り込んでいた。佐々木道誉陣内孝則)らの反長崎派の大名は刺客に遭うなどし、長崎陣営への恭順を余儀なくされる。また現執権赤橋守時勝野洋)は権力を持たない形だけの役職に成り果てていた。

ちょうど同じ頃、足利家では長く病床にいた高氏の父貞氏(緒形拳)が逝去する。

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足利の出兵

貞氏逝去直後の喪中にも関わらず笠置山への遠征軍に足利からも兵を出すようにとの命令が下る。

「(足利貞氏の)後を継がれた高氏殿は未だ心中が明らかではございません。行けと命じて何とお答えになるか、それを見届けとうございます。」と、長崎高資西岡徳馬)は、足利家への出兵命令の意図を北条高時に説明する。
命令に対する足利側の諾否により、北条家への忠誠についての”踏み絵”にするということだ。

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執権赤橋守時は足利屋敷を訪れ高氏らに対して、喪中での依頼となったことを詫びつつも出兵を依頼する。
足利殿はかかる折でもあり、出兵の催促は控えるべきだと某は申したのだが、なにせ執権の某に話が回ってくるのは、太守や長崎殿の寄り合いで評議定まってからじゃ。
いつの間にやら、執権は飾りのごとくなってしもうた。面目ござらぬ。
「・・天下を揺るがす大事の時、やむを得ますまい。」高氏は守時に答える。

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守時の退出後、激昂したのは弟直義(高嶋政伸)。
「何故立つと申されました!?六波羅がやるべき戦を何故、我らがやらねばなりません!合点がゆきませんぞ!!
他の家臣からも反対意見が相次ぐ。
「・・喪中の中、北条殿のいやがらせとしか思えません」
「・・憎き北条殿のなさりようよ・・」
「我らも合点がゆきません」
直義はさらに詰める。
「そもそも、足利の田畑は笠置におわします帝に寄進奉った荘園ぞ。我らは帝の御恩で足利の地を治めて参った。北条の恩と申されるが、我ら帝の恩も受けておるんじゃ!・・
散々な言われよう。

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足利出兵を巡る一連の場面は、長崎高資が隠棲した北条高時片岡鶴太郎)の屋敷を訪ねるところから始まるのだが、ここでの長崎高資と高時の会話がおもしろい。
亡くなった足利貞氏のため法華経を写経して霊前に供えるという高時に、
「それはよいお考え。貞氏殿には生前一方ならぬご厚情をいただき、胸塞がれる心地がいたしております。」としゃあしゃあと応じる長崎高資に対し、高時は例の甲高い声で、
「高資、そちや円喜ほど足利をいじめ抜いたものはおらん、しらじらしいぞよ。」と皮肉る。対して高資は
「そは北条家のために致したること。何事も太守への忠節により出たることと心得置きください。」と躱している。久々に聞いた高時(by 片岡鶴太郎)による名調子だった。

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足利屋敷。
出陣が数日後に迫る中、夕餉をともにする高氏と登子。
登子は直義の話を持ち出した。
「近頃、直義殿がよくお声をかけてくださるのです。『風邪をひかぬようになさい』とか、 『今日来た干物がおいしいですよ』とか、直義殿も少しお寂しいご様子で・・。・・『兄上は近頃、直義に何もお話にならぬ。何故やすやすといくさに立つことをご承知なされたのか、姉上はなにかきいておれてますか?』と真顔でお聞きになるんです。」
「で?・・なんと答えた」
「わたくしも、何もきいておりませぬ。と正直にお答えするかありません」と寂しげに答える登子。
「みな、大げさじゃのう。ワシは兵は出すが、戦をするとは申しておらぬ。笠置山を見に行くだけじゃ。矢は一本も射たぬ。必ず、無事帰って参る。登子も案ずるな。ワシはじきに帰って参る。」

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翌日、赤橋屋敷。貞氏の荼毘への参列の御礼、また出立の挨拶に登子が長子千寿王を連れ里帰りする。
「・・しかし高氏殿はよぉ幕府の催促を受けてたたれた。太守はもとより長崎殿の周辺も足利度のは見直さねばという声があがっておる。この守時も面目を施したぞ。
とうれしげな守時。心配気にしている実妹に声をかける。
「・・案ずるな、都では新たな帝がお立ちになり、笠置山の公家衆は先帝を取り巻く単なる謀反人になる。戦は大きくはなるまい。高氏殿はすぐお帰りになられよう。」
「ご自分でもそのように仰せでござりましたが・・。直、無傷で帰る、と。矢は一本も射たぬ。笠置を見に行くだけじゃ、と。あちらに参ってそのようなのんびりしたことが申せましょうか。・・」
「・・矢は一本も射たぬ、見に行くだけ、そう申されたのか・・」登子から聞いた高氏の言いようを反芻する守時。

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前記事にも書いたように、このあたりの時系列は微妙に変えられている。
下記がここ数話における事件を史実順(たぶん)に並べたもので、それぞれ( )内に画かれたエピソードを書いている。未記載の分は次エピソード以降で描かれる分だ。

複雑になるので詳細は別記事で書きたいと思うが、変更されたと思われるポイントは「日野俊基斬首」と「足利貞氏逝去」という高氏が関わる部分と、楠木正成が挙兵を決意する部分だろう。

  • 吉田定房の密告による元弘の乱の発覚 (9話)
  • 日野俊基らの捕縛          (10話)
  • 後醍醐帝の京都脱出と笠置山での挙兵 (10話)
  • 足利家に対する出兵命令       (11話)
  • 足利貞氏の逝去           (10話)
  • 楠木正成の下赤坂城での挙兵     (11話)
  • 笠置山落城、後醍醐帝の捕縛     
  • 下赤坂城落城            
  • 後醍醐帝の隠岐島への島流し
  • 日野俊基の斬首           (10話)

 

笠置山

一度は六波羅軍の攻撃を退けたとはいいながらも、籠城2週間にて籠城側の敗色は濃くなっていた。

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ナレーションで籠城する後醍醐帝側は1000人、囲んだ幕府側が20000人と説明されている。太平記での包囲側30万騎といった数字は論外として、ウィキでも75,000人と書かれているが、推測ながら京都周辺で動員できすぐに出動できた兵力としてはナレーションの言う数値は現実的かなという印象を受けた。

描写としては後醍醐帝はじめ取り巻きの公家衆やその召使いなどいれると戦わない人々がそれなりにいたと思われ、そのような中でいっしょに籠城するというのもなかなか大変だったのではないかな。
また笠置山に籠城用の兵糧や武器の備蓄があったのかはよくわからないが、少なくとも準備がきちんとなされていたとも思えず、そのような相手に対して負けてしまう六波羅軍も情けないような・・。

「・・三河からさえ着いたほどだ、摂津・播磨・備後あたりの武者ばらも、はや見えてよいころだが・・」兵の集まりの悪さを憂慮する後醍醐帝。
「ご案じあそばされますな。帝の御聖断くだればたちどころに兵をあげると約束致した武士は国々に満ちあふれています。ここはなにせ山狭き土地、にわかな大軍はかえって布陣にも混乱するばかりでございます。」報告したのは千種忠顕本木雅弘)。
評議の途中にも包囲軍か籠城軍か兵の喊声があがっているのが流れ聞こえてくる。

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後に様々大河ドラマ出演を果たし、最近は”美濃の蝮”をやっていた本木雅弘だが今回は若い公家を演じている。人物は後に権勢を振るい新政の悪政の一端を担う人物だがそのあたりの変貌ぶりは今後の注目点かも。

嘆息する後醍醐帝。
「・・河内の水分(みくまり)の楠木多聞兵衛とやらはまだ参らぬか?
日野俊基が一度事あると頼みにしてしかるべきと幾度も申していた。
楠木とやらを存じておるか?」と忠顕に下問する。
楠木正成でならば噂に聞き及んではおりまする」
「噂とは?」
「昨年、摂津の悪党が四、五百の兵にて市場を圧えんとした時、楠木はわずかは兵にて苦もなく平らげた、と申します。紀伊、大和の名だたる悪党がことごとく楠木に滅ぼされたる由」と忠顕。
「たしか楠木にも綸旨を発しているはずなれど」
「河内から3日の距離じゃ。何故、駆けつけん?」
「北条殿に組みしたのではあるまいか?」「なんとしたことよ」「さすれば一大事じゃ」
口々に”感想”を言い合う公家衆。

「恐れながら、楠木は北条に与するような者ではござりませぬ。隣国のモノ故、人となりは存じております。ご使者を遣わし賜れば、必ず罷りいずるものと存じます。」

帝が、武者ごときに御使いを・・」怒気を孕んだ声で応じたのは万里小路藤房(までのこうじふじふさ)(大和田獏)。またしても公家衆が口数を多くする。
「こは古今に例無きことぞ」
「恐れ多いことじゃ」

ここで古典太平記から、後醍醐帝の夢に菩薩の使いが現れ、南の大樹の陰に休まれよ、と告げたという逸話がドラマで再現され、南の大樹、それすなわち楠木のことじゃ、ということで楠木正成に勅使が出される運びとなる。

 

楠木正成

楠木正成の本領がある河内水分ので北条軍による兵糧米の強制調達、略奪が発生。農民たちに泣きつかれた正成は、守護代から笠置山出兵にあたり100名の兵役を拒んだことが理由と説明する。
「・・この水分は笠置方でもなければ北条方でもない。戦には関わりがない、と。
それ故に、このような非業なことをするとはのぅ」

そこに正成配下の和田五郎(桜金造)、神宮寺正房(でんでん)が楠木正季赤井英和)に従い笠置山に馳せ参ずると言いに来る。
「正季が?」驚く正成。
「ご舎弟の屋敷には200名あまりのものが揃うておる由。」と老臣恩智左近(瀬川哲也)。
「帝の激に応じ、北条を撃ちまする」
「誰がそのようなことを許した。正季はなぜ来ぬ?正季を呼べ」怒る正成。
「ご舎弟殿は、もはや殿に申し上げることは全て申しあげた。お会いしても争いになるだけじゃ、と申され代わって我らがご挨拶に・・」実直な田舎の武士という出で立ち生真面目さで報告する和田五郎と神宮寺正房。
「殿、今日の北条殿のなさりようを見るにつけ、北条にもつかぬ、宮方にもつかぬはもはや通らぬことと覚悟しました。
我らだけ、戦を避けて暮らすことはなりませぬ
自分らの勝手を許してほしいと言い残し駆け去るふたり。

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呆然とふたりを見送った正成は妻久子(藤真利子)に言う。
ゆきたいものは皆行けばよい。のう、久子。愚かなことじゃ、わずか200人で笠置に行ったところで、皆討たれてしまう。皆妻も子もあるものたち。正房も五郎も・・。
どうするつもりじゃ。のう、久子」
「今からでも間に合いまする、殿が行ってお諌めになれば。
はよう、行きなさりまし。正季殿とて、殿のお顔を見れば」
「うん、そうじゃの」正成は急ぎ馬を用意させる。

そこへ勅使の先触れの僧兵が「笠置山の勅使でございます」と叫びながら駆け寄ってきた。
「ワシの館になぜ勅使が?」驚く正成。

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正装した正成が屋敷で勅使万里小路藤房を迎える。
「・・ご覧の通りの田舎侍、何事でございまするや?」
勅(みことのり)です、謹んで承られい
「はは」伏する正成。
「かねがね至上におかせられては、日野俊基の奏聞により河内に楠木正成ありと思し召され、深く頼みとしておわせられた。しかるに先の綸旨にも関わらず、今持って笠置への参陣なきゆえ、楠木はいかにせしや、楠木を召せ、と。次にこの藤房をもって、かくは親しゅうお召の勅をくだされたもの。まこと古今に例なき、破格なお沙汰じゃ。武家としてこの上もない誉と存ずる。
兵衛(ひょうえ)、この冥加(みょうが)ありがたくお受けなされ
伏したまま黙したままの正成に藤房が返事を催促する。
伏したままの正成がようやく口を開く。
「・・下にも、冥加に余るお召し、有無なくお受けつかまつるべきところなれど、・・なれど、力なく、才なき正成なればとても御頼みに応え奉るなど思いもよらず、この儀、平にご辞退申し上げます。平に・・
予想外の返事に今度は藤房が慌てる。
「・・何!」

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「勅に応ぜねば、万死に値しましょうが、幾重にも、こう、ひれ伏しまする故
「お受けあらぬと申されるは、鎌倉方への義理立てか?」
「我が家は北条殿との縁薄く、水分川の水の配分やら、市場での御用を勤めて家の子、郎党を養のうて参りました。申せば独歩の屋と、悪党の楠木と申すものさえございまする。」
「・・ならば・・」うめくように藤房
「かかる田舎武者でござりまする。帝の陣に参じなどしては、かえって乱を大きくし、災いを不幸するのみでございまする」

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「兵衛、一介の武者に対し、かくばかりのお頼みをあらせられるのも苦難のときならばこそぞ。それをお受けできぬとあらば、この藤房もここは動けぬ。思案の尽くまでここで待とうぞ」
これはまた迷惑な・・」思わず本音が声に出る正成。
「控えよ、兵衛」

と、藤房は後醍醐帝の見た菩薩の使いの夢の話を涙ながらにするのだが、リアリストの正成からすると迷惑以外の何者でもないだろう。

「・・この藤房、夢などは信じぬ。が、夢などにすがらねば、もはや笠置は・・。至上のお命は・・。頼む・・」

自分で言っておいて感極まって涙するなんてこれまた迷惑千万といったところではないか。

勅使はいったん寺に帰ってもらい、庭を臨む縁側で妻久子と話をする正成。
「・・この柿の木も大きくなりましたなぁ」と久子
「うむ、大きゅうなったのぅ。そなたが嫁に来た時、ひょろっとした苗を持ってきた。背ばかり高い木であったがのう。」
「この里では嫁に行く時、柿の木を持っていくと言われて、へぇと思いましたものねぇ。嫁に行った庭に埋めて、毎年秋になると良い実がつくように祈って、年をとって死ねば、この木を薪にしてそれで焼いてもらうのだと。私の母も祖母もそうやって。
・・嫁に参ります日、馬に乗せられたこの木を見て涙が出ましたの。わたくしは身体が弱いからきっと早く死んで、この木も小さなうちに切られるに違いないって。可愛そうな木だって・・
(それが)こんなに大きくなって・・」と笑う。つられて正成も笑い、話を始める。
「男はこう言われるのじゃ、その木を長く生かして使え、と。間違ってもおのれの手で切るような真似をしてはいけない、と。
が、男には戦があるでのう。戦は女、子どもを巻き込むつらい修羅場。家を失い、木も切らねばならぬかもしれない。ワシはそれがいやなのじゃ。

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「・・殿、木も生き物でござります。家の主が誉となれば、木も誉。家の主が迷うて沈めば木も沈みまする。殿がお嫌でも、楠木党は走り出しましょう。正季殿を見殺しにされますか?
黙する正成。
帝直々のお声がかりとは、武士たるものの誉ではござりませぬか。殿の誉は久子の誉、家門の誉でございます。
木のためにお迷いなさいますな。そのために殿がお苦しみになり、日にそむかれるなら、木も久子も生涯後悔致します。それならいっそ・・」
と、久子は庭に駆け出し手斧で柿の木の幹に刃をたてるが表皮を削るだけに終わる。呆然とする久子。
長らくの思案の末、正成は告げる。
「・・久子。長い戦になるぞ。長い戦に・・。多聞丸を頼む。

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楠木正成立つ。

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感想

今回の主人公は楠木正成
挙兵にあたっては彼は最後まで逡巡する。
ステレオタイプな人物像からすれば、すわ!と手勢を率いて馳せ参じた草莽の勤王の志士。少なくとも笠置山の帝に呼応する形で手製の山城に籠もり意気盛んに討幕の名乗りを上げた土豪といったところだが、今回描かれているのは最後の最後まで躊躇する姿。思わず感情移入してしまった。

私本太平記でも楠木正成はすぐに応諾はせずさんざん逡巡する。ドラマでは久子や水分の農民たちも描き、かつ武田鉄矢の朴訥なしゃべりもあって、その迷いがよく伝わってくるようだ。その代わりと言ってはなんだが、このおっさんのどこがすごいのかといった点はよくわからないのも確か(日野俊基がなぜにそこまで入れ込んだのかも含めて)。

正成にとってみれば前回彼が言っていたように身近に「もっと大事なことはある」というのも本当だったのだろう。今回の事件も、やり過ごそうと思えばやり過ごせたかのかもしれない。だが、周囲はそれを許さず、また最終的には彼自身が周囲の期待以上の事をやってしまった、といったところなのだろう。彼は歴史上に燦然と名を残す武将、しかも比肩する者ないほどの名将とされる訳だが、ここまでドラマで描かれた正成像は、功名心や勇ましいだけの脳筋とは真逆にある。

ここに来てドラマにもうひとりの主人公といえる人物が登場したと言えるのではないか。

一方で気がかりなのは早くも、帝の周囲の公家の中に「一介の武者風情に・・」とかわざわざ来てやったのだからといった意見が出ているのは今後の伏線となるのであろう。高氏が早々と新政を見限る原因となる公家側にある階級意識だ。

これは今後なんらかの伏線になっていくのかわからないが、ここまで高氏を描いてきたドラマはあくまで鎌倉か京都しかなく、領地領民といった一般民衆との関わりはほとんど描かれていないことと、対する楠木正成の描き方の違いは興味深い。

蛇足だが、今回も”石”(柳葉敏郎)、藤夜叉(宮沢りえ)は登場しなかったぜ。

 

 

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