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SWORD OF ROME(GMT GAMES)を対戦する(1/2)

ポエニ戦争よりも少し前の時代、共和制ローマによるイタリア半島統一をテーマにしたマルチプレイヤーゲーム「SWORD OF ROME」を対戦しました。
4人プレイの場合は次の4勢力が登場します。

  • ローマ
  • ギリシャギリシャ人植民都市群)
  • エルトリア/サムニウム
    (エルトリア人やサムニウム人の都市国家群を表しまとめて1プレイヤーが扱う)
  • ガリア(複数のガリア人部族)

5人プレイの場合は、カルタゴがプレイヤー勢力として登場するのですが、今回は4人プレイだったためカルタゴはイベントカードによって活動するノンプレイヤー勢力となります。

 

Sword of Rome - Front Box Cover - Second Deluxe Edition

 

時代背景

全6ターンのショートシナリオの場合、ゲームが扱う期間は386BCから310BC。全10ターンのシナリオの場合の最終年は272BCになります。

塩野七生の代表作である「ローマ人の物語」の巻数にあてはめると、ゲームが扱う期間は単行本第1巻「ローマは一日にして成らず」の後半、文庫版であれば第2巻に該当します。

ゲーム開始年の前年にあたる387BC、北イタリアから南下してきたガリア人の族長で、ゲームにもユニットとして登場するブレンヌスに率いられた軍勢によりローマは占領されています。

 

Le Brenn et sa part de butin /Paul Jamin(1893)
左の男がブレンヌスさん

 

ブレンヌスはローマに対する身代金として1000ポンド(327キロ)の金を要求するのですが、その計測方法をもめているうちに、ローマのマルクス・フリウス・カミルス*1の軍が現れローマから追い出されてしまいます。カミルスは「ローマは金ではなく、剣でお返しする」とガリア人に言い放ったそうです。

10ターン終了時の272BCには、ローマは南イタリア(マグナ・グラエキア)にあったギリシアの植民都市タレントゥムを陥落させ、イタリア半島の統一を成し遂げます。

つまりゲームは、ローマが一都市国家に過ぎなかった時代からイタリア半島を統一するまでを扱っているということができるでしょう。
ちなみにショートシナリオ終了年の310BC近くの312BCには最初のローマ街道であるアッピア街道の建設が始まっています。「ローマ人の物語」でも強調されていましたが、ローマ街道は通商路であるのと同時に半島支配のための軍用道路でもありました*2

アッピア街道

 

ゲームシステム

マップ

ガリア人が優勢であった北イタリアから、エルトリア人やローマ人、サムニウム人の都市国家が並んだイタリア中央部、ギリシャ人の植民都市があった南イタリアからシチリアが描かれています。北アフリカに本拠地を持つカルタゴシチリア島ギリシャ人と争っていました。

 

 

勝利条件

勝利ポイントの対象となる都市を占拠(または失陥)することで得失します。ガリア人だけは都市の占拠の他、他勢力が支配する地点や都市に対する略奪を一定回数重ねることによっても勝利ポイントを得ることができます。
ゲームのスタート時点ですでに中立状態の土地や都市はほとんどありませんので、プレイヤー4勢力間には緩衝地帯はありません。言ってみればゲームスタート時点からバチバチの状態から始まるのです。VPを得るには他勢力が確保しているポイント対象都市を奪っていかなければならないことになります。取った取られた、という世界です。このゲームがゼロサムゲームと言われる所以です。

ゲームの進行

1ターンはおおよそ11年~14年くらいの間隔になっています。ひとつのターンには5回のアクションフェイズが含まれます。アクションフェイズ以外で実施する活動としてはカードのドロー、同盟関係の締結や破棄、徴兵の実施があります。勝利ポイントは毎ターン精算されます。

各アクションフェイズで実施できるアクションは基本的にはカードを使うことによって発動されます。

カードに記載されたイベントや特別のアクションを発動させるか、カード上のアクションポイント(1~3の数値)を用いて、軍勢を率いるリーダーユニットを活性化させる、支配下都市国家における支持値をあげる、追加的な徴兵を行う、といったアクションを実施します。

ユニットと戦闘

リーダーユニットはそれぞれ戦闘値と活性化値の2つのパラメータをもっています。
戦闘値は名前の通り戦闘時のダイス修正値になり、活性化値はそのリーダを活性化する際に必要となるアクションカード上の活性化ポイントになります。素早く反応をすることができる(=活性化値が小さい)リーダーもいれば、なかなか動いてくれない(=活性化値が大きい)リーダーもいるのです。

軍隊ユニットはスタックしているリーダーユニットを活性化することで移動を行うことからも活性化値が小さい指揮官に率いられた軍隊ほど活発に活動させることができることになります。

戦闘は3D6によって決まるためその結果はかなり振り幅が大きいものになります。運次第では多少の兵力差は跳ね返される可能性があります。
ダイスの目は、彼我の戦力差、指揮官の能力差の他、場所が自勢力か、またインターセプトや戦闘回避といった状況によっても修正されます。

野戦の他、都市に対する攻城戦があります。

戦闘の結果、損失を被ると政治的な影響が現れます。支配下にある都市における支持値が低下するのです。各勢力は都市国家の連合体であったため、自勢力の旗色が悪くなると配下の都市国家の支持をうしなっていくということを表しています。

 

ゲームに登場する勢力

ローマ

いわずもがな主人公格。他の勢力がアクションカードを7枚まで保有することができるのに対し、ローマは8枚保有できます。カードが多いほど手数が増え、選択肢が増えることになるので有利といえるでしょう。

ローマの執政官は定期的に選挙で選ばれていたことを受け、毎ターン複数チットから選択しなおします。また一部、強力な独裁官ディクテーター)ユニットも登場します。

キャンペーン(一つのアクションフェイズに2つのスタックの軍隊を移動・戦闘させることができる)が可能であったり、海軍を保有できたりと恵まれています。

ギリシャギリシャ植民都市群)

この時代、南イタリアからシチリアにかけてギリシャ人が建設した植民市/植民都市が多く存在しました。ギリシャプレイヤーは特定の植民市というわけではなく、これらの独立したギリシャ人植民市を代表する形でプレイに参加します。

ローマのリーダーが市民からの選挙で選ばれる執政官であったのに対し、ギリシャに登場するリーダーは傭兵でした。彼らは雇用主に対し従順であるよりも、野心をもった豺狼のような存在であったことから、ギリシャにおいてはリーダーを保有し続けると自国の都市の支持値が落ちます。彼らが雇い主に対してどのような態度をとっていたのか想像できそうですね。

エルトリア/サムニウム

ローマの周辺に存在した種族の都市国家群を表します。エルトリアとサムニウムは別種族ですが、ローマの勢力圏の拡大に伴い同じような道筋をたどってローマの支配下に組み込まれたことからか、1人のプレイヤーが担当します。

エルトリアは鉱山を有していたことから富裕で、敵勢力の軍隊ユニットを買収することができます。ただし鉱山資源は有限であったことから、枯渇チェックがされます。

ガリア人

ガリア人プレイヤーはガリヤ人の統一的な国家を扱うのでも、ガリヤ人の中の特定の有力部族を扱う訳ではありません。当時、北イタリアに居住していたガリア人全般を扱うことになります。

ガリア人は長期的戦略を持っていなかったため、毎ターン終了時に手元に残ったカードはすべて捨てる必要があります(他の勢力は持ち越すことができる)。このためガリア人は良いカードであっても後に取っておくのではなく、そのターンのうちに使用しないと損、ということになりがちです。

ガリア人は気まぐれなのでリーダーと軍隊ユニットの移動力は、そのスタックを活性化させたカードの活性化値によって決まります。他の勢力よりも多く動くことができる場合もあるし、少なくしか動けない場合もあります。

ガリア人部隊は、他勢力下の都市以外の地点に対して「襲撃」を行うことで略奪することができます。ガリア人部隊が戦闘に勝利した場合、また都市を陥落させた場合も、略奪を行うことができます。略奪したポイントが一定以上貯まると勝利ポイントに変更できることから、他の勢力が都市の占拠でしか勝利ポイントを稼げないのと大きな違いになります。

他にも、カードによっては攻城戦を著しく有利に行うことができる内容のものがあるなど、各所で蛮人パワーが表現されています。

 

ご参考:私編 ローマ史

ゲームが対象としている時代のローマ史をまとめてみました。

BC390

ブレンヌスに率いられたセノネス族が、エトルリアへと侵入。ローマは軍を派遣したが、アッリアの戦いに敗北した。3年後、ブレンヌスはローマを包囲し略奪した。

BC367

リキニウス・セクスティウス法制定。
コンスルの一人を平民から出すこと、貴族の公有地占有の制限などを定め、貴族と平民の平等化をめざした。

BC359

エルトリアの都市、タルクィニイ、ファレリイ、カエレとローマとの間に断続的に戦争が発生(~BC351)

BC343

共和政ローマアペニン山脈に居住するサムニウム人部族との間で第1次サムニウム戦争(~BC341)勃発

BC340

共和政ローマとローマ近隣のラティウム人およびラティウム同盟の間で第2次ラティウム/ラテン戦争(~BC338)が勃発

BC326

第2次サムニウム戦争(~BC304)

BC318

クラウディウスの制定
元老院議員及びその子弟二大型船舶の保有を禁じた。元老院議員が公益により利益を得ることを事実上禁止し、元老院が私欲によって開戦を決定することを封じる狙いがあった。この法律の結果、元老院議員は投資の対象を土地へと変え、大勢の奴隷を使った広大な農園が多く誕生することになった

BC312

ローマにおいてアッピア街道の建設が始まる

BC302

トランサルピナのガリア人がアルプスを越えてイタリア半島に侵入、キサルピナのガリア人は自領を通過して南下するのを許し、またいくつかの部族はこれに加わった(エトルリア人の一部も加わっている)。
ローマ領で略奪を行って撤退したが、しかしその後ガリア人同士での戦いとなった。

BC298

第3次サムニテウス戦争(~BC290)ガリア人はサムニウム、エトルリア、ウンブリアと同盟し、ローマと戦った。

BC287

ホルテンシウス法の制定
プレブス民会(平民会)の決定が、元老院の承認を得なくてもローマの国法となることが定められた。これによって、パトリキプレブスの法的平等が実現された。

BC284

ガリア人により包囲されたアレティウムを包囲に対し、ローマ軍は解放に向かったがガリア軍に敗北した(アレティウムの戦い)。
その後北方へ遠征したローマはセノネス族に勝利してその領地から追い出し、植民地を建設した。

BC283

ボイイ族(ガリア人)はエトルリアと連合してローマへ侵攻したが、ローマ軍はウァディモ湖の戦いで勝利した。

イタリア北部のガリア人勢力を弱体化させることに成功したローマは、アドリア海にまで勢力を伸張することとなり、ガリア人との争いも一時的に沈静化。ローマはその矛先をしばらく南方へと向ける(対マグナ・グラエキア、第一次ポエニ戦争)。

※マグナ・グラエキアは、南イタリアからシチリアを指す

BC280

ピュロス戦争(~BC275)
ギリシャの植民市タレントゥムは、バルカン半島にあったエペイロス王ピュロスに支援を依頼し、ローマ・カルタゴを相手に戦争を行った。
ピュロスは戦象を用いるなどローマ軍に二度に渡って勝利するが(ヘラクレアの戦い、アスクルムの戦い)、海を超えての補給が難しく損害がかさんだ。275年のベネウェントゥムの戦いに敗北するとイタリア半島から撤退した。

BC272

ローマは、南イタリア(マグナ・グラエキア)にあったギリシアの植民市タレントゥムを陥落させ、イタリア半島の統一を成し遂げた。

BC264

第一次ポエニ戦争

BC227

ローマはシチリアを属州とする

BC218

第二次ポエニ戦争が始まる(~BC211)

 

(つづく)

 

 

 

 

*1:戦争にはやたらと強いのですが、色々と問題がある人だったので、この時期ローマから追放されていたようです。

*2:アッピア街道はローマを起点に建設されたローマ街道のひとつ。延伸を重ね最終的にはイタリア半島のかかとのあたりまで伸ばされている。

イタリアの作曲家レスピーギ交響詩「ローマの松」4曲目「アッピア街道の松」では、在りし日のローマ軍団の行軍の様子が音楽的に描写されている。曲の最初、遠くから聞こえる行軍が次第に近づき、曲の最高潮では舞台上のオーケストラとは別の楽団(バンダ)まで登場させた音響により勇壮な行軍の様子を描いた。
チャイコフスキーの序曲「1812年」がナポレオン(の敗北)を描いた曲とするのなら、「アッピア街道の松」はローマ軍団を描いた曲と言えるだろう。

アッピア街道の建設はイベントカードでも登場する。アッピア街道が建設されると、ローマの軍隊ユニットは素早い移動が可能となることを表したルールが適用されるようになる(他勢力からするとかなりやっかい)。