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歴史、ミリタリー、ウォーゲーム/歴史ゲーム/ボードゲーム

「BAPTISM BY FIRE」(MMP)を試す(1)基本システム 【再編集・修正版】

2020年6月千葉会にてMMP社「BAPTISM BY FIRE*1」を対戦しました。副題にカセリーヌ峠の戦いとあるように、1943年2月から3月にかけての北アフリカ戦線の終盤戦にあたるチュニジアを舞台にしたゲームになります。

このゲームはBattalion Combat Seriesと謳われているシリーズの2作目にあたります。1ヘックス=1キロ(縮尺のスケールはゲームによって異なる)、1ユニット=大隊規模と、同じくMMP社がシリーズ化しているOCS(Operation Combat Series)よりも1レベル細かいスケールになっていると言われています。*2

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今回のゲーム、対戦の約束をかなり早い時期にしていた事から、ルールブックを眺め始めたのも早かったのですが、ルールがわかりづらく、なかなか読み進められないでいました。
というのも、用語や概念が新しいのは良いのですが、ルールブックを読む中では、それぞれのルールがどのようにつながっているのかがわかりづらく、体系だって理解することがなかなかできなかったのです。用語集なども用意はされているのですが、記述が断片的なため、結局のところはルール本編のあちこちと用語集とそれぞれに読み込んでいく必要がありました。*3

BGGに投稿されていた1ターン分のプレイ紹介記事、さらにはプレイにあたってインストを受けようやく全体像が系統だって理解できた印象です。まぁ新機軸のシステムを取り入れたゲームでは仕方ないのかもしれませんが、今回ほど読んでいて腹落ち感がなかったルールブックは珍しいですね。
こうした事情もあるため、AARに先立ち、自分の備忘も兼ねてルールの整理をしたいと思います。

 

ポイント1. 基本単位は「フォーメーション」

登場するユニットは大隊単位ですが、ゲーム内では、複数のユニットからなる「フォーメーション」というグループ単位に、活動を行うことになります。
フォーメーション毎に、司令部ユニットと、補給機能や組織を抽象化して表した補給段列ユニット(Combat Trains)を持っています。

フォーメーションはシナリオ/ゲームによって固定ですので自由に組み換えや編成ができる訳ではありません。
ひとつの師団は複数のフォーメーションで構成されている場合もあれば、師団全体で1フォーメーションになっている場合もあります。ドイツ軍やアメリカ軍の場合はフォーメーションは戦闘団単位(「BAPTISM BY FIRE」ではドイツの場合はKampfgruppe、アメリカ軍はCombat Command)になっています。*4

例えば、ドイツ軍の第21装甲師団は次の2つのフォーメーション、”Scht KG”と”Stnkoff KG"から構成されています。

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2つのフォーメーションのそれぞれ左端のユニットが司令部ユニット、指揮範囲と支援砲撃力の数値が記載されています。2番目の車台に車輪がついたような白抜きの絵が書いてあるユニットは補給段列のユニットです。戦闘部隊のユニットの数値・記号は複雑なので次回紹介します。

ポイント2. 活性化フェイズの構造

各ターンの中心は「活性化フェイズ」という実際にユニットが移動・戦闘するフェイズになります。
活性化フェイズでは各プレイヤーは交互にフォーメーションを1個ずつ活性化させ、移動や戦闘を行うことになります。両軍の全てのフォーメーションが活動を行うとターンは終了します。
活性化フェイズの先手・後手はフェーズの開始時にダイスを振って、大きな目が出た側が選ぶことができます。*5

活性化フェイズにおける各フォーメーションの処理手順を単純化すると次のようになります。

Ⅰ.第1活性化(必ず実施できる)

  1.  準備(回復の宣言等)
  2.  SNAFU判定
  3.  アクション(移動/戦闘等)
  4.  疲労判定
  5.  第2活性化の判定

Ⅱ.第2活性化(第2活性化の判定に成功した場合、実施できる)

  1.  準備(回復の宣言等)
  2.  SNAFU判定
  3.  アクション(移動/戦闘等)
  4.  疲労判定

 太字表示した「SNAFU判定」「疲労判定」「活性化判定」の3つの判定処理がこのゲームシステムを特徴づける処理です。

SNAFU判定

  • 活性化されたフォーメーションが実行できる活動規模の判定
  • 判定結果:成功 / 半減 / 失敗
      「成功」・・攻撃目標(OBJマーカー)を2ヶ所指定可能、
            全移動力を利用可
      「半減」・・攻撃目標(OBJマーカー)を1ヶ所指定可能、
            移動力は1/2に限定
      「失敗」・・一切の活動不能*6
  • 判定値は国・部隊の質による差はなく同一
  • ただし以下の修正がある
    部隊の充足状況(疲労レベル)、補給線が良好な場合プラス修正
    疲労レベル、補給段列、補給線の状況、他部隊との混在状況等によりマイナス修正
    各ゲームによる特別修正
  • 特に疲労レベル、補給線の状況はマイナス方向に大きく影響する

 

疲労判定

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  • 戦闘行為を実施したフォーメーションが実施
      実施した戦闘行為の種類によって判定に用いる値が異なる。
      移動だけで戦闘を行っていない場合は疲労度の増加はない
  • 判定結果:疲労度1増加 / 増加なし
  • 判定値は国・部隊の質による差はなく同一、修正値なし

疲労度は各フォーメーション毎に定められたパラメーターで、「完全充足」状態から、疲労度0~4の計6段階で表示されます。
疲労度は「SNAFU判定」の修正値となりますので、可能な活動規模に大きく影響してきます。攻撃目標の数や移動力が半分になる、または最悪の場合、活動ができなくなるというのは致命的です。

疲労度」の回復手段としては2種類の方法があります。いずれも疲労度1を回復することができます。

  • 「準備」の段階で回復を宣言する
    その「活性化」の間、そのフォーメーションは他の活動は行うことができなくなります。
  • 「SNAFU判定」で「失敗」した場合、「回復転換(Failure Flip)」を宣言する
    通常「SNAFU判定」に失敗した場合、何ら活動を行うことはできなくなるが、代わりに回復を行うことを宣言することができる。ただし「第1活性化」でのみ実施可能。また「回復転換」を実施した際には、「第2活性化の判定」は実施不可となる

 

活性化判定 

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  • 第2活性化における活動可否を判定する
  • 判定結果:第2活性化による活動可能 / 活動不可
  • 判定値(Actiavation Roll)は司令部ユニット上に記載(国・部隊の質により差)
      「完全充足」状態のフォーメーションはプラス修正(成功しやすくなる)

ドイツ軍のような優秀な部隊は「第2活性化」まで成功する確率は高い(特に攻勢初期)のですが、活動を行うだけ「疲労度」が増加する懸念があるため、疲労度が行動の制約になってきます。
疲労度を減少させる術はありますが、「活性化」の行動を1回分全て休まなければならないため実施要否・タイミングの考慮が必要です。ターン数が限られるシナリオであれば回復させずに突っ走ることができなくもないと思いますが、キャンペーンゲームの場合は疲労度回復のタイミングや部隊のローテーションなどに考慮が発生するでしょう。
 

ポイント3. 補給

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BCSにおける補給線

【部隊ユニット】ー(連絡線:Safe Path)-【HQユニット】

【HQユニット】-【補給段列ユニット:Combat Train】ー【補給源】

「HQユニット」と「補給源」間のルートを「主要補給ルート:MSR」と呼ぶ

BCSでは「補給段列(Combat Trains)」というユニットが各フォーメーションに配置されています。補給源とそのフォーメーションの司令部ユニットとの間に「主要補給ルート(MSR)」を設定され、「補給段列ユニット」は同ルート上の適正なヘックスにいる必要があります。

この補給段列ユニットとMSRのルートについて制約があります(例外や条件等がありますが細かい点は割愛)。

  • 補給段列は1級道路、2級道路上にしか存在できない。同ヘックスにない場合は・・
  • 補給段列ユニットと司令部ユニットの配置については最適距離(5~15ヘックス)がある

今回のゲームのマップではもともと2級道路までしか登場しません。2級道路以下の道路として未舗装道路がありますが、未舗装道路には補給段列ユニットは配置できず、またMSRが未舗装道路を通っている場合はSNAFU判定でマイナス修正になります。

補給段列ユニットの配置場所やMSRの設定の制約により、実際の地形以上に攻撃側も守備側も地理的な制約が加わることになります。

また司令部ユニットと補給段列ユニットの位置を決めることになる、最適距離はけっこう幅があるので大丈夫と思われがちですが進撃時や逆に防衛線が破られるタイミングなどでは簡単に距離が詰められたり、または離されてしまったりしますので、この補給段列ユニットについて、漫然と配置することはできません。

補給段列ユニットは敵ユニットに攻撃されるとすぐに除去・再配置されますが再配置時には「機能不全状態」となり、SNAFU判定でマイナスの影響が出ます。

 

追加:連絡線(Safe Path)

補給源から「補給段列ユニット」、さらに「HQユニット」までのつながり、また「補給段列ユニット」と「HQユニット」までの線を「主要補給ルート(MSR)」とすることは書いていますがさらに、「HQユニット」からフォーメーションに属する部隊ユニットまでの”線”を「連絡線(Safe Path)」と言います。

*7

ポイント4. フォーメーション間の相互関係

味方同士であっても指揮命令系統が異なる(=フォーメーションが異なる)組織間では融通性のある用兵が可能な訳ではなく、実際の運用、前線の活動にあたって支障が生じるということを表現するためにいくつかの概念が提示され、それぞれ補給やSNAFU判定などにペナルティが生じます。

Crossing the Stream *8

複数のフォーメーションにおいて、司令部ユニットや補給段列ユニットが存在するヘックス、または主要補給ルート(MSR)が使用するヘックスとして、同じヘックスを用いている状態。SNAFU判定にマイナス修正(活動に支障)が発生します。

想像するにそれぞれのフォーメーションの補給等の後方部隊が同じ場所や経路を共有することで補給物資の輸送や管理等に渋滞などの支障が生じている状態といったところでしょう。

混在フォーメーション(Mixed Formation)

あるフォーメーションのユニットが展開している地域に他のフォーメーションのユニットが入り込んでいる状態
フォーメーションが混在しているとし、SNAFU判定にマイナス修正が発生します。

通常は異なる指揮にある部隊間では担当地域を分け合っており、それらの部隊が混在して存在することは避ける。そのような状態が発生しているとすると、相互に調整が発生しており活動の内容や規模の制約になるだろう、といったところでしょうか。

調整(Coordination)

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上記の混在フォーメーションが一時的にでも発生した場合、または司令部ユニットが後退した場合には「調整」が発生したと見なされ、マーカーで表示します。
SNAFU判定にマイナス修正が発生します。

以上の3種類のペナルティを伴う概念は、ルールの目的については納得感があるものの判定/解釈や手順については注意が必要です。特に、「混在フォーメーション(Mixed Formation)」と「調整(Coordination)」については内容が被っているのと、判定タイミングと解除タイミングについてはプレイヤー間で十分認識の一致をさせたほうがよいと思われます。

この”被り”については、BGGのフォーラムにも質問・回答が掲示されています。
内容としては次の通り。

  1. 非活性状態のフォーメーションが活性化し、SNAFU判定を行う際に「混在フォーメーション」の状態である場合は、「調整」またはCoordinationマーカーによる”-1”修正と、「混在フォーメーション」による”-1”修正とが適用され合計”-2”の修正となる。
    適用後、そのフォーメーションに関するCoordinationマーカーは除去される。
  2. 「調整」の状態が発生した際にCoordinationマーカーは関係するフォーメーションに配置されるが、非活性化状態のフォーメーションが活性化した際には「調整」状態がすでに解消されており、Coordinationマーカーのみが残っている場合は、「調整」による”-1”修正のみが適用される。
    適用後、そのフォーメーションに関するCoordinationマーカーは除去される。

私的な解釈ではありますが、複数のフォーメーション間でユニットが入り組んだ”状態”を「混在フォーメーション」と言い、その状態が一時的にも発生していた場合は、関係したフォーメーションには、それぞれ「調整」のマーカーが載せられる。
その後、当該フォーメーションが活性化された際に判定したところ、「混在フォーメーション」の”状態”が解消されている場合は、「調整」の手間だけが必要となったということで、「調整」によるマイナス修正が発生、影響を適用したということでその修正のみが適用され、「調整」マーカーは除去される、ということかと思われます。

なお「Crossing the Stream」「混在フォーメーション(Mixed Formation)」のペナルティについては、「BAPTISM BY FIRE」の特別ルールとして一部部隊は免除されています(アメリカ軍の第一装甲師団のCombat Command、枢軸軍の第21装甲師団と第10装甲師団、DAK)。

 

 

追加:攻撃目標・OBJマーカー・OBJゾーン

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OBJマーカーはそのフォーメーションの作戦立案能力を表しています。
フォーメーションが活性化された後に実施する「SNAFUチェック」において、その活性化の期間内に使うことができる「OBJマーカー」の数が決まります。
次回説明する攻撃方法の種類によって、多くの場合は「OBJマーカー」が置かれたヘックスとその周辺にいる敵ユニットしか攻撃できません。活性化したからといって、ひとつのフォーメーションに属するユニットが、あちこちで同時に攻撃を行うことはできないという仕組みになっています。
またSNAFUチェックの結果次第ではそのターンの間、全く攻撃を行う機会を失ってしまうことになります。

フォーメーションに属する部隊ユニットが、「交戦(Engagement)」以外の戦闘(通常攻撃、急襲攻撃、直接射撃、砲爆撃)を行う場合は、配置されたOBJマーカーの周囲2ヘックスの中にいる敵ユニットしか攻撃することができません。

HQユニットの指揮範囲のルールとあわせ、戦闘区域がOBJマーカーの周囲に限定されることを考えると、フォーメーションある程度固まって運動する必要がありそうです。*9

 

次回はこれまたある意味複雑な戦闘ルールあたりを整理したいと思います。

(つづく)

 

yuishika.hatenablog.com

 

 

 

歴史群像 2006年 10月号 [雑誌]

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*1:砲火の洗礼という意味です。登場するアメリカ軍は1942年11月にフランス領モロッコに上陸してチュニジアまで東進してきた軍で、ここではじめてドイツ軍による本格的な攻勢作戦・反撃を受けることになります。このゲームが取り扱う期間の最初にあたるファイド峠の戦いでアメリカ軍が大損害を受けたという報告を聞いたルーズベルトはこう言ったと言います。「我々のボーイ達は戦争ができるのか?」

*2:ちなみにOCSは1ヘックスが標準で8キロ(5マイル)か4キロ(2.5マイル)、ユニット規模も大きいようです。

*3:凡例の図が小さくてよくわからないとか、少なくとも親切なルールブックではなかったのは確かです。

*4:このルールブックがわかりにくい一例として、この基本となるフォーメーションという概念が定義されたり十分な説明がなされないまま、話が進められ、各領域の説明で断片的に「フォーメーション」という概念やそれに関するルールが語られていく。読み手はルールのすべてを読んで、さらにユニットを見て初めて全貌がわかる(?)という印象を受けました。

*5:このイニシアティブのダイスの目についてはゲーム/シナリオによって修正値が付く場合もある

*6:SNAFU判定が失敗した際にできる唯一の活動として、疲労度の回復を行うことはできます(「回復転換(Failure Flip)」)。ただし「第2活性化」でのSNAFU判定失敗時には「回復転換」は不可。また「回復転換」を実施した場合は、「第2活性化の判定」を行うことができなくなります

*7:

  • あるユニットから所属するHQまでの連続するヘックス列からなる経路を「連絡線(Safe Path)」と言う。「連絡線(Safe Path)」を構成するヘックスは移動クラスの種類によって、敵ZOCの影響を受ける。
  • 自軍ユニットは、「連絡線(Safe Path)」について敵ZOCを無効にする。
  • ユニットからそのHQまでの連絡線は、指揮範囲+5ヘックスを超えることはできない。
  • そのHQの「補給段列ユニット」が地図上にいない場合は・・
  • HQユニットがいるヘックスに存在するユニットについて、「連絡線(Safe Path)」を確認する場合は、・・・

*8:適当な訳語が見つからないのです。直訳は渡河するといった事なので、複数の補給の流れが相互に入り混じっているといったイメージでしょうか。ニュアンスはわかるのですけどね。

*9:以下、「作戦OBJマーカー」の説明((選択ルールで「移動OBJマーカー」があるが割愛

  • OBJマーカーは敵ユニットが存在する任意のヘックスに配置できる(例外有)。
  • OBJマーカーの周囲半径2ヘックスにOBJゾーンを形成する
  • 通常攻撃、奇襲攻撃、直接射撃、砲爆撃は、OBJゾーン内のヘックスに対してのみ実行できる(「交戦(Engagement)」だけはOBJゾーンに関係なく実施できる)。
  • OBJマーカーは、フォーメーションの「SNAFUチェック」の結果として配置することができる。
  • OBJマーカーを同じヘックスに2個重ねて配置することができ、「ダブルOBJ」として攻撃に際してプラスの修正がつく。

「BAPTISM BY FIRE」(MMP)を試す(2)Battalion Combat Seriesの戦闘関係ルール

下にリンクを張っている記事の続きとしてMMP社、Battalion Combat Seriousのルールを、自分のプレイのために整理しています。今回は戦闘関係のルールが中心です。

こうして整理を行いながらルールブックを読んでいると色々つながってきた感じはしますが、もともとルールの書き方があまり体系的でないこと、またルール中に多数登場する概念等の用語のネーミングが標準化されていないこと*1等が気になって、それをうまく構成できないかと書いているうちに時間を要してしまいました。

なお前回と同様、全体像を把握するための整理ですので細かい部分はかなり端折っています(特に戦闘関係ルールは内容が細かく複雑)。実際はこれらに様々な派生ルールがあることをご留意ください。また当方のルールの再構成で解釈違いが出ている可能性もありますので、お気づきの点があればご指摘いただければ幸いです。

 

以下の記事は前回分ですが、今回の作成にあたって何点か追加記述または見直しを行っています。お手間でなければこちらもどうぞ

 

 

yuishika.hatenablog.com

 

ユニット

戦闘ユニットは取りうる戦闘の形態と移動形態の組み合わせにより表現されています。

ユニットの分類

1. 部隊内容による分類(取りうる戦闘形態による分類)

  a. HQ、補給段列

  b. 戦闘ユニット

  ① AVを持ったユニット(装甲車両、砲兵器)

               - (通常)AVユニット(Red AV Units) (多くの戦車・自走砲等)

    - 限定AVユニット(Limited AV Units)(防御色が強い自走砲・砲兵器等)

    - 軽AVユニット(Light AV Units)(一部の装甲車・機関銃部隊等)

    - 遠距離射撃AVユニット(Stand Off AV Units)(射程を持つ砲兵器等)

              - 突破AVユニット(Breakthrough AV Units)(重戦車等

  ② AVを持たないユニット(広義の歩兵ユニット)

  ③ 両用(Dual)(機械化歩兵等)

  ④ 未準備ユニット(Unprepared Unit)(輸送中の歩兵・砲兵器等)

 

2. 移動形態(=移動クラス)による分類

  a. 戦術移動(Tactical)

  b.   車輌移動(Truck)

  c. 徒歩(Leg)

 

3. モード

  a. 移動状態(Move Side)

  b. 展開状態(Deployed Side)

■ 部隊内容による分類(取りうる戦闘形態による分類)

戦闘ユニットはその装備や兵員によって大きく4種類に分けられますが、これにはAV(Armor Value)とAssult Arrowという2つの要素の有無が関係します。

AV(Armor Value)とは武装した車輌や砲兵器の威力を数値化したもので、戦車・自走砲などの装甲車両や対戦車砲などの直接射撃系の砲兵器を装備した部隊がこの数値を持っています。*2

Assult Arrowは歩兵を表すシンボルです。
AVとAssult Arrowの有無により戦闘ユニットは次の4種類に分類されます。

① AVを持ったユニット(AVユニット)(戦車等の装甲車両、対戦車砲・対空砲等の直接射撃系の砲兵器)

ユニット左下に数値(AV)がはいったユニットです。戦車・自走砲などの装甲車両や対戦車砲などを装備した部隊がこれに当たります。AVユニットはさらにその特性により細分化されます。「交戦(Engagement)」等の射撃戦闘を行うことができます。
【追記:20201112】さらに「急襲攻撃(Shock Attack)」というオーバーランのような攻撃を行うことができます。

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例: ドイツ軍第21装甲師団第5装甲連隊第1大隊(移動状態)。AV:2、アクションレーティング:5、移動力(移動クラス「Tactics」):14、ステップ数:3

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同じユニットが展開状態になったもの。AV:3、アクションレーティング:5、移動力:4 ・・移動モードに比べると移動力は小さくなるが、AVが上がり戦闘力が増す

② AVを持たないユニット(広義の歩兵)

ユニット左下に、数値ではなく上向き矢印(Assult Arrow)がはいったユニットです。工兵部隊なども含め広義の歩兵です。「通常攻撃(Regular Attack)」を行うことができます。

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例:ドイツ軍第21装甲師団第104自動車化歩兵連隊第4大隊(移動状態)。アクションレーティング:3、移動力(移動クラス「装輪」):12、ステップ数:6

③ AVとAssult Arrowの両方を持ったユニット:両用(Dual Unit)(機械化歩兵等)

AVとAssult Arrowの両方が表示されたユニットは、「射撃戦闘」「通常攻撃」のいずれも行うことができます。さらに「急襲攻撃(Shock Attack)」というオーバーランのような攻撃を行うことができます。装甲擲弾兵などの機械化歩兵がこれにあたります。

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例:ドイツ第21装甲師団第580装甲偵察大隊(移動状態)。ユニット左下に歩兵を表す矢印マークとAVの数値の両方が表示されている。AV:1、アクションレーティング:5、移動力:16(Tactics)、ステップ数:6

④ 未準備ユニット(Unprepared Unit)(移動中の歩兵・砲兵器等)

AV、Assult Arrowとも持たないユニットです。通常の戦闘行動を行うことはできません。自動車化歩兵ユニットや牽引砲装備の砲兵ユニットが「移動状態」にあるときに、これにあたります。

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例:ドイツ空軍の88ミリ砲装備の高射砲連隊第2大隊(移動状態)。(Shutte戦闘団の中にはいってますが正式な部隊名称などはよくわかりません)。ユニット左下にAVの数値も矢印マークもないためこのユニットはこの状態では戦闘能力はありません。アクションレーティング:3、移動力(Tactical):12、ステップ数:1・・ユニットが展開状態になるとAVの数値を持つようになります。この際、88ミリ砲は射程があり1ヘックスを超える距離での射撃が可能となる「遠距離AVユニット(Stand Off AV Units)」になっています。
また移動形態が「戦術移動(Tactical)」になっているので、トラック牽引ではなく、ハーフトラックなどの装甲がある車輌によって牽引されている部隊なのだと推測されます。

 

■ 移動形態(=移動クラス)による分類

ユニットはその移動形態により「戦術移動(Tactical)」「車輌移動(Truck)」「徒歩(Leg)」の3種類の移動クラスに分類されます。
移動クラスにより地形ごとの消費移動力が異なるのはもちろんですが、敵ZOCによる制約も異なります。*3

 

■ モード(5.6)

ほとんどの部隊ユニットは「移動状態(Move Side)」と「展開状態(Deployed Side)」の2種類のモードを持っており、ユニットの裏表に表示されています。「移動状態」と「展開状態」とでユニットの性能が変化します。
各ユニットはあらゆるアクション(活性化の手順の中の3.に該当)を開始する前に変更できますが、1回の活性化中に複数回変更を行うことはできません。

 

【追加】
以下の場合、「徒歩(Leg)」状態から、「戦術移動(Tactical)」または「車輌移動(Truck)」状態への変更ができない。

  • 「戦術移動(Tactical)」「車輌移動(Truck)」が進入できない地形にいる場合
  • 指揮範囲害にいる場合
  • 「連絡路(Safe Path)」が設定できない場合

 

戦闘全般

■ 概要

前記事に書いた通り、プレイヤーはフォーメーション毎に、交互に活性化させることにより操作を行います。
活性化されたフォーメーションの中では属するユニット毎に、移動や戦闘の処理を都度実施し解決していきますので、移動や戦闘について複数ユニット分を同時に実行されるのではなく、個々のユニット毎に行動して解決すると、ばらばらと断続的に実行されていくことになります。

 

戦闘の分類

1. 通常攻撃(Regular Attack)

2. 射撃戦闘(射撃回数を消費する戦闘)

   a. 交戦(Engagement)

   b. 急襲攻撃(Shock Attack)

   c. 直接射撃(Attack by Fire)

 

■ 通常攻撃(Regular Attack)(7.2)

隣接するヘックスに対する突撃を伴う攻撃になります。
Assult Arrowを持つユニット(歩兵)が実施可能です。*4

■ 射撃戦闘

目標ヘックスにいる敵ユニットに対して砲兵器による射撃を行っている状態です。
AVを持っているユニットが実施可能です。
活性化中のAVユニットは1回の活性化において、2回の射撃回数を持ち、2回射撃するとそのユニットは行動を完了します。このため、各ユニットは最大、移動-戦闘-移動-戦闘、といった移動と戦闘を2回ずつ実施できることになります。射撃を2回実施したところでその活性化における行動は終了しますので、移動-戦闘-戦闘、だったり、戦闘-移動-戦闘だったりと様々な組み合わせが可能です。

① 交戦(Engagement)(7.1)

攻撃を受ける側のヘックスにもAVを持つユニットが存在する場合に適用します。
相互に射撃が発生している状態による戦闘を表しています。

攻撃の実施にあたって目標としたヘックスについてこの戦闘方法だけは、「OBJマーカー」の設置が不要となります。

② 急襲攻撃(Shock Attack)(7.3)

移動クラスが「戦術移動(Tactical)」でありAVの数値かAssult Arrowの印のどちらかまたは両方を持ったユニットが、AVを有していない敵軍ヘックスに対して実施可能です。
攻撃終了後、射撃回数が残っている場合は、移動や攻撃を継続できます。
装甲擲弾兵などの歩兵と装甲車輛との協同攻撃、オーバーランのような状態を表しています。*5

③ 直接攻撃(Attack by Fire)(8.3)

AVユニットの攻撃目標となるヘックスにAVユニットが存在しない場合に適用します。
相手方からの反撃がなく、一方的な射撃の場合に適用します。

 

次回は1回目、2回目の説明から漏れてしまったようなルールの中から、選んでまとめます。

 

 

*1:用語のネーミングが標準化されていないこと
AVユニットをさらに細分化した名称は「Red AV」「Limited AV」「Light AV」「Stand Off AV」「Breadthrough AV」となっている。「Red AV」を除く他の種類はユニット特性を端的に表す名称になっているのに対し、最も数多く登場する種類のAVユニットである「Red AV」だけは数値のカラーリングから取られた名称になっている。どう訳するんだよ、となる。
他にも移動クラスの名称については引っかかりがあったのだが、この点は「移動クラス」の説明部分に記述。

*2:ここで言う砲兵器は対戦車砲や高射砲・対空砲等の直接射撃を行う種類の中でも大型の砲(例えばドイツ軍の88ミリ対戦車砲等)で、榴弾砲や大型の迫撃砲などの間接射撃を行う系統の砲兵についてはユニットとして独立しておらずHQユニット毎に定められた能力値である支援砲撃力として表現されています。また直接射撃系、間接射撃系の砲を問わず小型で部隊に随伴しているような砲兵器はそれぞれのユニットの攻撃関係の数値の中で見積もられているとのことです。

*3:補足:この3種類の移動クラスですが当初は単純に「装軌」「装輪」「徒歩」として解釈していました。ただ移動クラス「Tactical」については、敵ZOCを無視できたり、「両用(Dual)」と分類される機械化歩兵ユニットだけですが「急襲攻撃(Shock Attack)」が実施できたりと単純に移動形態だけに着目している訳ではなく、抗堪性等のニュアンスも含めた分類なのかなと捉えています。
ただし、抗堪性という観点ではAVユニットの種類のひとつに「Breakthrough AV Unit」(突破能力があるAVユニット:今回の「Baptism by Fire」の中では、TigarⅠ装備の重戦車中隊がこれに指定されている)という分類が用意されていたり、ユニットの表記で「Hard Unit」という概念(オープントップ型の対義として設定されていて密閉型の車輌を表す)が別途定められていたりとあちこちに特性に関わる要素があって整理されていないようにも見えるんですよね・・。

*4:

通常攻撃

  1. Assult Arrowを持つユニット(歩兵)が実施
  2. 個々のユニットは、1回の活性化の中で、通常攻撃を実施するとそこで活動は終了となる
  3. 攻撃を受けるヘックスは1回の活性化の中で1回のみ攻撃を受ける
  4. 攻撃にあたって「砲撃支援」「航空支援」を行うことができる
  5. 攻撃側は、攻撃にあたって他のユニットからの「援護」を受けることができる

    *5:ルール内では「急襲攻撃」は、突撃を伴う戦闘ということで「通常攻撃(Regular Attack)」の変形パターンという整理になっています。ただ射撃回数を消費する攻撃方法でもあるので、ここでは射撃戦闘の中にいれています。

大河ドラマ「太平記」22話「鎌倉炎上」:主人公の登場はラスト3分のみ、残りは全て鎌倉攻防と北条氏の滅亡が描かれるという異色の回

全編45分のうち、主人公足利高氏の登場シーンはわずかラスト3分間のみ。巻頭から全て鎌倉攻防戦と北条氏の滅亡が描かれるという異色の回です。

 

前回のあらすじ

丹波篠村で決起した足利軍は踵を返し京都に攻め入る。赤松則村千種忠顕の軍に対しては良く防いでいた六波羅軍も足利軍の裏切りには総崩れとなり夕刻には大勢は決した。

同じ頃、上野国新田荘では新田義貞が高氏との盟約に沿い兵をあげようとしていたがわずか150騎しか集まらず苦慮していた。そこへ、守護代長崎氏の徴税使が、昨年から再三に渡って繰り返される銭の強制徴求に現れる。そのあまりにも不遜な振る舞いに新田義貞は我慢ができず、徴税使を切り捨ててしまった。
義貞はようやくにして決起を決意し、翌早朝、国府を襲撃した。

新田軍は鎌倉に向う道々で次々と規模を大きくし、また足利家嫡子千寿王と合流することで、源氏がこぞって参加することになっていく。
新田軍は幕府の鎮圧軍と数度の合戦に及び、全て退けることにより鎌倉に迫った。

足利高氏佐々木道誉の裏切りと京への侵攻、新田義貞蜂起の事は鎌倉にも伝わる。
源氏が一斉に動いている事を憂慮する長崎円喜に対して、金沢貞顕は京の心配よりも鎌倉を心配しろと主張する。
そのような中、六波羅陥落の報が入る。

楠木正成が籠もる千早城を包囲していた数万と言われた幕府軍六波羅陥落の報を受け、京の足利軍との挟撃を恐れ撤退するが、楠木党の追撃や撤退時の混乱、従軍した御家人達の士気低下などにより軍を大きく損ないそのまま雲散霧消してしまう。

鎌倉に新田軍が迫り、混乱する中、北条高時の元、赤橋守時が鎌倉防衛のための出陣の許しを得ようと現れる。赤橋守時は高氏から人質として預かっていた高氏の妻子、登子と千寿王を故意に逃したとして謹慎処分を受けていたのだ。
周囲の者が反対する中、高時は言う。
「赤橋が永の別れにまいったのじゃ。生きて帰らぬつもりぞ」

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開戦

5月18日早朝、新田軍は攻撃を開始。この時の両軍の兵力は、新田軍は20000余り、北条軍は30000から40000であったとナレーションで紹介される。

鎌倉攻防戦の切通しでの戦闘シーンのロケ地が今までも赤坂城などのロケ地と同じ採石場のようなところなので、これまでの城攻めシーン以上に雰囲気が出ない。もっぱら脳内補完で見るしかなかったのはとても残念であった。

古典太平記の兵力の記述ははなはだ大げさで鎌倉に押し寄せた新田軍が60万騎であったといった記述があるが、ドラマでは一貫して粉飾を取り払った現実的な人数が紹介されており、安心できる。

新田軍が侵攻路に選んだ、極楽寺切通化粧坂巨福呂坂はいずれも鎌倉七口に選ばれる通り道だが、いずれも幅は狭く攻めるに難く、守るに易い場所であったと想像される。また北条軍の兵力は新田軍よりも多いところから見ると、どうして北条軍が負けたのかと言いたくなるような状況ではある。
兵力についてはWikiでは新田軍のほうが多かったと書いてあり、常識的には新田軍のほうが多かったのではないかと思われるのだが・・

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赤橋守時の最期

赤橋守時勝野洋)の一手は巨福呂坂(こぶくろざか)の外縁である須崎まで新田軍を押し、激戦となる。
激戦の末、傷つき後退した守時の前に一色右馬介大地康雄)が現れる。
「この守時に逃げよ、と仰せられるか?赤橋守時幕府の長たる執権ぞ。足利ごとき外様ずれに情けを掛けられる云われはない。
守時はきっぱり右馬介の申し出を断る。
「そこを曲げて。なんとしても赤橋殿には生きながらえていただきたい、と。」
守時は口調を変え、右馬介に聞き返す。
「登子と千寿王殿は、つつがのう逃げおおせましたか?
登子へ、足利御台所へお伝えくだされ。これで思い残すことはない。心を強う生き抜かれよ。それが兄の願い、と。
・・さあて、もう一合戦、北条の戦いぶりを披露つかまつろう。
堂を出る守時を礼で見送る右馬介。

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同夕刻、守時は退却を拒み自害した、と云う。享年39歳。

かつて足利家と縁戚になるにあたって、高氏に対して「共に幕府を変えよう」とまで言った志高き、だが、実際に執権になっても実権は長崎父子に握られたままで思うに任せなかった。その後も筋は通そうとするが、幕府に背くという一線は、越えられなかった。最期まで北条家の一員であろうとした。

守時戦死の報は、柄沢に避難した登子の元に、右馬介によって届けられる。

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稲村ヶ崎

ここで有名な稲村ヶ崎の逸話が描かれていく。

  • 渡渉にあたって新田義貞は刀を海神に捧げる。
  • 潮が引いたタイミングで浅瀬を馬と徒歩で渡る。
  • 別働隊が人家に火をつけたことで街が燃え上がり、沖合の北条の軍船の兵が気をとられているうちに、義貞の一隊は稲村ヶ崎を越えて侵攻した・・

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死守

北条高時邸では、鎌倉からの退去を勧める長崎円喜フランキー堺)に対して、高時(片岡鶴太郎)が拒み続けていた。
「・・皆が戦こうておるのになぜワシが逃げる。鎌倉を守るためにあまたの者が死んでおる。
鎌倉のためではござりませぬ。北条家を守らんとして戦こうておるのでござります。北条家の主は太守でござりまする。太守に万一のことあらば、死したる者も浮かばれませぬ。」
「そらぞらしいぞよ。ワシが死んだとて誰も泣きはせぬ。愚かな高時がこの日を招いたのじゃ。皆手を打って喜ぼうぞ。」

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「太守。」円喜はたまらず言う。
「ワシが死んで泣くのはのぅ。ワシが育てた田楽一座の者、白拍子闘犬の犬1000匹。
おー、そうよ。ワシが逃げるなら田楽も犬どもも皆連れて行かねばのぅ。あれがのうなってはこの高時は死んでも同然ぞ。」

言っている事が支離滅裂になっていく高時。たまらず金沢貞顕児玉清)が口をはさむ。

恐れながら、鎌倉を捨てるとは申しておりませぬ。一時用意いたした舟にお乗り遊ばし、騒ぎが収まるまで鎌倉沖にて・・
くどい!鎌倉あっての北条、鎌倉あっての高時ぞ。ワシは動かん。
言うなり奥に引っ込んでいく高時。
あわてて追いすがる貞顕と円喜。

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ここに至ってもどこまでが本気かわからない高時の振る舞い。
愚鈍の長は下のものからすると御しやすかったのかもしれないが、最期の最期になって頑なになってしまった。
合理的に考えれば、円喜や貞顕の言う一時的な鎌倉放棄が妥当なはずだったが・・

「なんとしても太守をお逃し奉らねば。のぅ、長崎殿?力づくでもお運び致さねばのぅ?さぁ、方々、守りが破られてからでは遅い。直ちに、さぁ、さぁ
周囲の者たちに動き出すよう促す貞顕。が、じっと高時を見ていた円喜が口を開く。
「金沢殿、太守が逃げぬを仰せられているじゃ。太守の仰せも道理ではある。この鎌倉は我らが築いだ北条の都。我らが分身ぞ。それを失のうて、いずくにか我らの立つべきところやある。」

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「愚かなことを」貞顕はすかさず言う。
「生きていればこそ、花が咲く。我らが立つべきところは他に探せばよい!」

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「では、勝手にお逃げなされ。・・それがしの孫たちはのぅ、極楽寺口で戦こうておるのじゃ。励ましてやらねばのぅ。・・高資、この鎌倉を死守いたそうぞ!!」
長崎一族の者たちは唱和して立ち上がった。

ここまで稀代のマキャベリストとして辣腕をふるってきた長崎円喜が最期の最期になって、鎌倉と北条高時に殉ずることを決心した場面、一方で再起の芽はあると最期まで抵抗する金沢貞顕
ただ北条一族の多くは円喜の呼びかけに応じることで、北条家滅亡に殉ずることを心に決めたというシーン、見応えがあった。
この間、剛腕でならした高資が一言も口を挟まないのも不思議。

 

乱戦

新田義貞の一隊は稲村ヶ崎を越えて鎌倉市街に突入する。
それぞれの攻撃をおこなっていた極楽寺坂、化粧坂についても木戸を内側から破ることで、突破され、包囲軍が大挙して市街になだれこんだ。

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暗闇に近い中での乱戦、ただでさえ敵味方の区別がつきにくいところを夜の闇の中ではどのように判断したのだろうか?

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夜が明け、市街で逃げ惑う民衆、浮足立った北条軍と追いすがる新田勢の戦いが描写される。逆茂木を置いた北条方の弓兵の陣に突入してくる新田勢。
逃げる北条兵を押し留めようとする大兜をかむった将。

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途中NHKらしからぬシーンもあったりするのは時代か(本作は1991年の作品)。

 

東勝寺

北条高時亭。
鎧姿の高時が顕子(小田茜)に化粧をさせている場面からはじまる・・。そこへ高時子飼いの田楽舞の一座が避難してくる。

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「皆ワシと一緒に参れ。これより葛西ケ谷(かさいがやつ)の東勝寺に行く。東勝寺ならまだ敵の手は届かぬ。灰となるわが鎌倉の供養をいたすべし。田楽舞をいたそうぞ。」
高時は顕子の手をひきながら言う。

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北条家の人々は菩提寺である東勝寺に集合し、ここを死に場所とする暗黙の了解があった、と云う。
一同の前には膳が用意され酒を煽った。長崎高資は傷を負い柱を背にようやく座っている状態までになっており、円喜に勧められた酒すらもはや飲めなかった。

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やおら高時が立ち上がり舞を舞い始める。
やがて外より火矢が飛んでくるようになる。不意にあがる悲鳴。
「誰だ、わめいたやつは。なぜ皆うたわん?高時ひとりではおもしろうもなんともないわ」高時が咎めるように云う。

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太守、只今、我が子、高資。戦の傷の深き故、恐れがましゅうはござりまするが、死出の先駆け仕ると申し、相果てましてござります。」円喜が高時に報告する。傍らに脇差を首にあて果てた高資。
「さても気短な。もう死んだかや。まだ舞は残っておるのに・・」

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硬軟とりまぜた手練手管で政治を行った父円喜と比べると、高資の手法は権威を用いた高圧的・強権的な手法が目立った。高氏もどれほどこの高資に苦汁を飲まされたことであろう(父貞氏法要実施の件の時とか)。あちこちで賄賂をとった吝嗇家。また北条家や長崎一族の権力の拡大にひときわ貪欲で反感を買った面は否めない。

そこに高時の母覚海尼の元から高時の死を看取るべく遣わされた尼、春渓尼が現れ、謡の合いの手をやりましょうと言う。
春渓尼は覚海尼はすでに円覚寺に逃れたと報告すると、高時は喜び
「お会いはできぬが、安心致した。高時がこの通りの者故、長い間、ご不幸をおかけしました、と、帰ってお伝えもうしあげてくれ。」と言う。
「覚海尼様より、人の死の後先などつかの間の事、どうぞお取り乱しなく、北条九代の終わりを潔く遊ばすように、とのお言葉にございます。」
「潔く?」
花も咲き満つれば、枝を離れる日も否みようなく参ります。
そこまで聞き、ふっと笑った高時は、
高時は花か?だが人間には業がある。死にたくないと啼き吠えて死ぬまもしれぬ。
「さぁ、舞をおすすめあそばせ」

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抜身の刀と扇を持った高時は、春渓尼の謡に乗り舞を再開するが、
「世の中、謡のようにはまいらん。」と不意に舞を止める。
後ろに控えた顕子を連れ出し、
さらば高時も甘んじて地獄に落ち、世の畜生道をしばしあの世から見物いたすかのぅ
座の中央に座り、腹に刃をあてようとした時、外で喚声がするとうろたえて、
「来た?敵が来たのか」とたちあがってしまう。
円喜が「敵はまだ見えません。ご案じのう」と押し止める。
「太守がお寂しそうじゃ。皆ここへ」春渓尼が局、女房を集め、女どもが念仏を唱え始める。
取り囲まれて逃げ場も無くなった高時、息も荒く立ち上がったまま、不意に腹に刃をつきたてる。

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円喜、これでよろしいか。春渓尼、高時、こういたしましたと母御前にお伝えしてくれ」やっと言うと、もんどりうち顕子の腕に倒れ込み、絶命する。
続いて顕子が、「皆様、お先に」と言い残し、小刀を首にあてる。

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円喜が春渓尼に出ていくように促す。

金沢貞顕はいったん切腹しようとするが、あきらめ嫡子貞将に自分の胸を脇差で差すように促す。貞将は父貞顕の胸を刺し、そのままその刃を自分の首にあて切る。

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すすり泣きやうめき声、念仏が聞こえる中、次々と相果てる武者達、すでに局、女房も果てた。広間に集まっていた皆々がひとしきり倒れたことを確認したかのように、円喜は自らの懐をくつろげ、刃をあてる。その刃を腹から戻すと、首にあてかき切った。

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焼け落ちた東勝寺の跡地にたたずむ右馬介。
右馬介は高氏宛の書状に言う。
「5月22日、北条殿のご最後しかと見届け候。わずか5日の戦にて候。新田殿の戦の采配見事に候。鎌倉も北条も焼き尽くして候。千寿王殿、御台殿、25日、鎌倉にご帰着あそばされ候。変わり果てた鎌倉の様に皆袖を濡らし候。足利の陣営、戦に勝ったと笑うもの一人もなく、不思議な勝ち戦にて候。

 

京都六波羅。京を制した高氏らは北条家が探題を置いたこの地を本拠地としていた。

右馬介の手紙を読み終えたところで高氏は立ち上がり、外を見る。
そこへ、上半身半裸の赤松則村(渡辺哲)が現れ、
「これは足利殿。お聞き及びになりましたか?鎌倉が落ちたという報せを。これで我らの世じゃ。良い世の中になりまするぞ。」と言い残し去っていく。

「戦には勝ったが、あの子らに食べ物を与えねばならん。家も建てねばならん。これから大仕事じゃのぅ
高氏は直義(高嶋政伸)と高師直柄本明)に言う。

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鎌倉幕府滅亡と北条氏一族 (敗者の日本史)

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  • 発売日: 2013/04/01
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図解 南北朝争乱 (エイムック 3824)

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日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)

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  • 作者:佐藤 進一
  • 発売日: 2005/01/01
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大河ドラマ「太平記」21話「京都攻略」

 

前回のあらすじ

鎌倉出立の朝、足利高氏真田広之)は弟直義(高嶋政伸)、高師直柄本明)を呼び、北条を討つ、と宣する。代わり終生、裏切り者の刻印を背負わなければならないと覚悟する。次に高氏は妻登子(沢口靖子)に、北条高時片岡鶴太郎)の元に人質として負いていくことを詫びる。

幕府では出立の挨拶に立ち寄った高氏らに対して、北条高時長崎円喜フランキー堺)、長崎高資西岡徳馬)、金沢貞顕児玉清)、赤橋守時勝野洋)ら首脳は各人各様の反応を返した。

高氏一行は足利一族の本拠地のひとつ三河に寄り、分家十九家の前で、戦の相手は北条だと宣言する。さらに高氏の祖父家時が切腹した際に残した”置文”を読む。
置文では
・・我に代わりて天下を取れ・・とあった。
ここに足利一党3600人が集結した。

京の手前、近江国では佐々木道誉陣内孝則)の軍が不破の関を閉じていたのに対し、周囲が止めるのも聞かず、高氏は直接、道誉との交渉に向った。
道誉の予想に反して高氏の矛先は鎌倉ではなく京都。
さらに高氏は道誉に対して、これからの政治は鎌倉で東国ばかりを見ているのではなく、朝廷があり、豊かな西国を抑える京で政治を行うべきと主張する。
これに道誉は、気を変え、自分も連れて行けと高氏に言う。

高氏は京でいったんは六波羅軍の軍議に参加するが、分かれて行軍するにあたって、そのまま丹波に入り、そこで西国の足利一党と合同し、兵力一万を越える規模にまでなった。そこで高氏は旗揚げを宣言した。

その頃、鎌倉では赤橋守時邸に軟禁された登子と千寿王を救うべく、高氏の腹心一色右馬介大地康雄)が潜入、気づいた守時に発見されるものの、守時は登子に対して、
「もはや北条の命運は尽きている、登子は高氏と共に生きよ。生きて、自分ができなかった見事な武士の世をつくってくれ」、と言い、登子を送り出した。

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京都攻略

1333年5月7日、足利軍は朝のうちに、嵯峨野から大宮二条あたりまで進撃。
足利軍とあわせて先に京都で戦っていた赤松則村千種忠顕の軍も京都南部から進撃した。夕刻には大勢は決した、とナレーションが語る。

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六波羅落としの一番乗りは赤松殿に任せておけ。すでに勝敗は見えた。戦の後が大事ぞ。無益に争うて死ぬな。家に火をつけるな。皆にそう申し伝えよ。」
高氏は直義他周囲の部下に命令する。

馬廻りの兵も出払った頃、高氏は北条仲時の旗本安藤三郎という武士に馬上、一騎打ちを挑まれる。その際に再三、「裏切り者!」と呼ばわれ動揺を見せる。 

鎌倉の増援第二陣は大きく2つの軍から成っており、そのひとつが足利高氏率いる足利党で、もうひとりが北条一族に連なる名越高家を大将とする北条軍。
足利軍は伯耆国船上山への増援として丹波を越え伯耆に向かう予定であったが、名越高家は伏見のあたりで赤松則村千種忠顕結城親光らの軍と衝突。その際に赤松の手のものから矢で頭を射抜かれ死亡、軍は散った模様(4月27日)。

ドラマでは足利軍が攻撃をして2日で京都が落ちたというように聞こえるが、実際は3月あたりから赤松則村が数度に渡って、さらに途中、千種忠顕本木雅弘)も加わって攻撃を行っており、それを六波羅軍がずっと防いでいた。
その均衡状態を破ったのが丹波から踵を返して攻撃に参加した足利軍ということ。
高氏が「六波羅落としの一番乗りは赤松殿に任せておけ」というのはそういった3月来の戦闘の実績を踏まえたものだろう。高氏にとってはそういう功名争いなど興味はなかったものだと思われる。

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六波羅が当時どこにあったのかというと、南北でいうと四条と五条の間。東西の位置としては鴨川のすぐ東側。内裏を中心に碁盤目状に道がおかれていたのは鴨川の西側なので、その対岸すぐのところに位置していた。
六波羅南方、北方と言うので2つの場所を占めていたのかというとそういうものでもなく、同じ場所にあった模様。

足利軍の進撃路をたどると、嵯峨野から東にまっすぐ7~8キロいくと二条。そこから南東に4キロ程度のところに六波羅があった。

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ナレーションで光厳天皇西園寺公宗長谷川初範)らの持明院統六波羅に避難していたというのは内裏からこの六波羅の場所に場所を変えていたということだろう。

西園寺公宗とその取り巻きということであれば、かつて後醍醐帝が退位し、持明院統が力をもった際に、高氏をいたぶっていたのを思い出すのでざまぁな印象。

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六波羅軍は京都や近畿近郊の御家人や大番役新田義貞も参加していた京護衛の役割の事)として京都にいた御家人が動員されたもの。中心となっていた北条軍以外は士気も高くなく、新たな足利軍の登場という状況で簡単に崩れたのだろう。
ナレーションに言う「数万と言われる北条軍は戦線を離脱、離散した。」というのがこの状況。

北条仲時六波羅探題北方(南方は北条時益)。
六波羅陥落後、光厳天皇らを奉じ東国に落ちようとするが、近江国、今の米原あたりで野伏せに道を阻まれ、自刃する(5月9日)。
近江を言えば佐々木道誉の領地。野伏せは佐々木道誉の手の者という話もある。

 

新田義貞の挙兵

同じ5月7日、まだ新田義貞根津甚八)は兵が集まらず立てないでいた。
集めて150騎にしかならない。これでは笑いものじゃ。越後の一族にも声をかけているが返事もない、と弟脇屋儀助(石原良純)がいきりたっている。

戦になろうがなるまいがワシは足利殿と約束をしたのじゃ。鎌倉を攻めてみせると。
皆が行かぬと申すならば、ワシと岩松だけでも行く。そうでなければこの新田の面目がたたぬ。」義貞はきっぱりと言い、席を立つ。

年齢としては新田義貞足利高氏の4つ年長。脇屋儀助の生年は高氏と同じ年ということでこの3人ほぼ同年代であった(具体的にはそれぞれの年齢は諸説ある)。

蛇足だが新田義貞の本妻は安東一族から迎え入れている。
まだ足利貞氏緒形拳)健在の頃(また新田義貞ショーケンがやっていた頃)、安東一族のものと、貞氏に対して決起をけしかけようと来ていたのはこの姻戚関係があったから。

岩松経家(赤塚真人)がとりなす。
「短慮めさるな。足利殿は嫡子千寿王殿を我らに預けると仰せられた。その千寿王殿に東国の足利勢を全てつけて寄越すと仰せられた。ざっと数えて5000騎は固い。それが我らの兵になるのじゃ。」
「・・ワシはのう。足利殿の助けで戦をしようとは思わぬ。
「それは違う。足利殿が御辺に助けを求めてこられたのじゃ。北条と倒すには鎌倉と京を同時に攻めねばならぬ。鎌倉は新田殿の力なくば落とせぬ、と。そう、仰せられたではないか。助けを借りたい、と。
なにはともあれ、お立ちになることじゃ。新田が立ったと天下に知らしめることぞ。さすれば東国の源氏の一族も雪崩をうって後に続くであろう。
たったの150騎でか?

またも自前の兵力の話に戻って何も言えなくなる岩松経家。

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後に高氏と義貞は北朝方、南朝方に分かれることになるが、新田義貞の複雑な心境が伏線として仕込まれている。

そこへ鎌倉方の徴税使50人あまりが資金の強制徴収に現れる。
「またしてもか!!」

「・・これは得宗殿の命であござる。大命じゃ。」居丈高な幕府役人。
「いかに大命なれど5日のうちに銭6万貫はできませぬ。鎌倉へ、なにとぞおとりなしを・・」
義貞は病のため赤坂城包囲の陣を退いたという建前があるため、応対したのは脇屋儀助。
「大命をこばむか!・・せめて兵糧や銭に応じることくらい当たり前のご奉公であろう」
「さればこそ、我家においても去年も銭1万貫。この1月にも銭5千貫。仰せ付けのままさしだしております。」床に額をすりつけるように低姿勢で答える儀助。
「それは何もご当家だけではないわ。
・・わかった、新田殿の手で6万貫が集められぬなら、我らの手で直々にご領内の蔵を調べ、家々から挑発するまで」にべもない徴税使。
ご無体な
「ではお受けなされるか!・・手始めにこの新田殿の蔵から検分致しましょうぞ」

強硬手段に打って出ようとする鎌倉役人の前に割ってはいる義貞。
「まかりならぬ!」
「これは如何に?新田義貞殿は病のため北条殿の戦に参陣かなわぬ身と聞き及んでおったが、その勇ましきお姿よ。さては仮病であったか?」と嘲笑する役人一行。
「新田の蔵を徴税使風情の手にかけられる云われはない!」
仮病男が何を言い出す。この国の守護は得宗殿ぞ。新田ごとき!その気になればいつでもつぶしてみせようぞ!
先に刀を抜いたのは役人側。さんざん嘲笑しておいて、義貞の刀一閃切りふせられる。新田勢と徴収使一行が切合いとなり、劣勢となった役人一行はほうほうのていで逃げていった。

「義助、もはや我慢がならぬ。」義貞も覚悟を決める。

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なにもここまで、というくらいに幕府方の役人は新田家に対して居丈高。新田家の実力がそれまでしかなかったということだったのかもしれないが、これが最後のひと押しになったことを思えば、完全な失政といえよう。

5月8日未明、生品明神に新田勢150人を集め、義貞は
「・・夜陰にまぎれて国府を襲い、その勢いで鎌倉に向う。途中、東国の源氏足利の一門が我らに従う。目指すは鎌倉ぞ!」と宣する。

 

動揺する幕府

京と上野、同タイミングで発生した謀叛の報せは鎌倉にも到着していた。

「高資、新田が謀叛とは真か?国府の孫四郎(長崎孫四郎左衛門:長崎豊泰)はいかがした?」長崎円喜フランキー堺)が、高資(西岡徳馬)に訊く。
「・・それが不意を襲われて、討ち死にしたとの報せも、また川越まで逃げ落ちたと言う報せも・・」
「川越より北の様子の報せは、どの報せも混乱したものばかりじゃ。数万の新田勢が笛吹峠を越えたという報せも・・」金沢貞顕児玉清)が報告する。

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数万?あの貧乏御家人の新田が?皆、頭がどうかしておるのではないか?新田ごとき、多くて1000か2000の数じゃ。こちらから7、8000の兵も送れば、済む騒ぎじゃ。」
円喜が断言する。
「しかし・・」貞顕が食い下がるが、円喜が遮る。
「それよりも、京において謀叛致した憎き足利、近江の佐々木、こたびの新田、みな源氏ぞ。それが一斉に、うちそろうて寝返ったのじゃ。他にもおるかも知れぬ。諸国の源氏は?いや寝返るかも知れぬ。案じられるのはこの事ぞ!
言わぬことではない。それ故、それがしは、足利は外に出すなと申したのじゃ!野に放った虎だわっ。」いつも冷静な貞顕がうろたえている。

「高資、六波羅の様子はどうじゃ?」円喜が訊く。
「さきほどの報せでは、謀叛の兵と洛中にて合戦が続いている由。」答える高資。
千早の、楠木攻めの2万騎はいかがいたした?ん、それを京に回せば良い。そう申したはずじゃ。」
六波羅はどうでもよい!!!」錯乱したように大声をあげる貞顕。
京は遠すぎる。それよりも今この鎌倉に向かっている新田をまず討つべきであろう。

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そこに六波羅が9日に陥落した旨の報せがはいる。

京都から鎌倉までの早馬が3~4日だとするとこのシーンは5月12日から13日の事になる。

「都の我軍はもはや形を留めず、と。ことごとく討ち滅ぼされた、と。」
使者の言に呆然とする一同。

 

都陥落の余波

ナレーションに言う。
勝利に浮かれる他の叛乱軍を尻目に、京の再建や千早や他の叛乱地への対応などのための奉行所六波羅探題跡に設置した、と。

「方々に申す。伯耆の国より帝を迎え奉る日まで、この京の都は北条殿に代わりて、足利高氏が司るものなり。
高氏は主に足利党が並ぶ座の前で宣している。

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千早城では包囲軍が撤収し、それを楠木軍が追撃するのが描かれる。

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後醍醐帝が籠もる船上山では、名和長年(小松法正)が後醍醐帝(片岡仁左衛門)に奏上する。
比叡山におわします大塔宮の勇猛なる戦ぶり、また帝がお遣わしになられた千種卿と、我が名和家の面々のめざましき働きが六波羅を滅亡に導いたとの報せでござります。何から何まで帝のご意向のなさしめたる快挙に候えば・・」
「それだけではあるまい。足利が立たねば、こうも早う六波羅は落ちまい。のう廉子」
「噂通りの源氏の頭領でござりましたな。」阿野廉子原田美枝子)が答える。
「朕は都に帰るぞ」

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名和長年の報告は赤松則村や高氏の功を外しての報告となっている。今回はまだ後醍醐帝が高氏を評価したが、この後も同じような偏った報告が続けば、話もネジ曲がるであろう。

 

新田義貞の進撃

挙兵翌日には利根川を越え、10日武蔵の将軍沢から笛吹峠を越え、11日女影ヶ原(川越)に達した。
途中次々と御家人が参陣したのと、越後など各所の新田一族も参加したため4000騎になったと言う。
11日昼過ぎ、一色右馬介大地康雄)が先導する千寿王と合流する。

その後、小手指原の戦い(所沢、11日)、久米川の戦い(12日)、分倍河原の戦い(15~16日)、関戸の戦い(16日)と幕府が派遣した鎮圧軍との戦闘を重ねていく。

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高時の思い

「まだ生きておったのか」午睡から目覚めた北条高時片岡鶴太郎)がひとりつぶやく。すると広間の隅で愛妾顕子や数人の女房がさめざめ泣いているのを見つけ、声をかける。
「お許しくださいませ。たった今、都より六波羅の最後の様子をしらせて参ったのです。」局(深浦加奈子)の一人が言う
「顕子の父も・・」と顕子(小田茜)が言う。
「ここにおる者たちの身よりの者が全て・・」

「死んだのか?」高時が訊く。
「皆、討ち死にされるか、ご自害なされ」
「仕方があるまい。人間が皆どうかしてしまったのじゃ。苦い・・口が苦い・・」高時。「酒だ、酒を持て」

そこへ貞顕が報告にあがってくる。
「悪い報せにございまする。小手先の合戦にて我軍が新田勢に破れましたでござりまする。」
「また負けたのか」高時。
「そればかりではござりませぬ。新田勢は日毎にその数を加え、はや武州多摩川を越え、関戸のあたりまで来る勢いとか」

「それは真か?新田へは2万を越える軍を送ったのであろう?・・なぜかかる仕儀に?」ちょうど広間に来た覚海尼(沢たまき)が口を挟む。
「・・・されば、つい昨日まで従っておりました御家人や在地の武士どもが、手のひらを返す如くに寝返ったため、我軍は総崩れとなり・・
「では新田が強いのではなく、味方の負けは寝返り者が出たせいじゃ。」
「あ、いや、それが、そうとばかりは・・」
「他に理由は?」貞顕を問い詰める覚海尼。
六波羅陥落の報せを聞き、それが味方の士気を一気にくじいたように存じます。

不意に笑い出す高時。
「母上、ワシは戦は嫌いでございまする。足利や新田は戦が好きなのじゃ。戦嫌いが戦好きに勝てるわけはない。のぅ、貞顕?」
「何を仰せじゃ。戦もまつりごとのひとつ。それをこなさずして天下の得宗と申せましょうや」覚海尼は言い聞かせるように言う。
「高時はもはやまつりごとにも疲れた。何のわずらいものう、ゆっくりしたいのじゃ?我が父貞時は公平なまつりごとで名執権とうたわれたお方という。その父上に母上はこう仰せられた。何事も公平と申されるからには、嫡子と生まれるこの高時を必ず跡目におつけくだされ。・・つむじがいささか弱いからにと、無き者のようになげだされますな。・・それでこの高時は執権になり、くたくたになり、生涯名執権の父上に頭があがらず、母上に頭があがらず。・・・はてさて公平とは疲れるものよ・・・」

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赤橋守時、最後の願い

「太守、太守、お願いしたき儀がござる」
遠くから呼ぶ声が聞こえる。
「あれは赤橋の声じゃ、守時が来たのだ」
立ち上がる高時を覚海尼と貞顕が口々に止める。
「会うてはなりませぬ。」
「赤橋は足利の千寿王をわざと逃した寝返り者。謹慎を命じ置いたはず。」
「ようおめおめと出てこれたものよ!・・はよう追い払え」

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「太守、赤橋にござりまする」赤橋守時勝野洋)の声に応じ立ち上がる高時。
庭には武装姿の守時が膝をつく。
「太守」
「赤橋・・」
「こたびの事、面目ござりませぬ。」
「面目ないなら何故まいった」
「なにとぞ、この守時に新田の防ぎをご命じ賜りたく。守時とて、北条一族のうち、この大事の時を謹慎のみに甘んじてただよそ目に見てはおれませぬ。」
「戦に行きたいのか?」
「なにとぞ太守へのお詫び、かつは武士として面目の上からも」
じっとお互いの目を見る高時と守時。

「なりませぬぞ!」入ってきたのは長崎円喜。「赤橋は寝返り者じゃ。妹婿が北条家に弓引くを見てみぬ振りをした謀叛の片割れじゃ。そのようなものに兵をもたせて戦に出すなぞ、言語道断でござりまする。」
高時はそうは思わぬ。寝返り者ではわざわざワシに会いには来ぬ。
のぅ、赤橋。よう尋ねて来た。互いに信じられぬままでは、なんとも浅ましい。わけて高時は人一倍のさみしがり。ワシの陣に赤橋のごときつわものが一人増えたと思えば、心が少しにぎやかになる。行くが良い。共に鎌倉は祖先の地。御辺もワシも他に逃げていく国はない。この鎌倉を兵や馬で踏みにじるものがあらば、戦いたす他あるまい?行くが良い。
「かたじけのうござります」
「武運を」

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北条高時は時折、他の人が気づかぬ、とてつもない洞察力を発揮するところがこれまでも度々描かれてきたが、これがもっと広くに行われていたら、と思わざるを得なかった場面。

赤橋も永の別れにまいったのじゃ。生きて帰らぬつもりぞ

 

 

高氏の妻登子(沢口靖子)の元に、鎌倉での戦いが始まった事を知らせがはいる。
登子は、千寿王、それから敵味方に別れた兄赤橋守時の様子を尋ね、一心に祈りを捧げた。

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鎌倉古戦場を歩く

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図解 南北朝争乱 (エイムック 3824)

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大河ドラマ「太平記」20話「足利決起」

前回のあらすじ

楠木正成による千早城籠城は2ヶ月を超え持久戦となる一方、幕府の命により動員され包囲軍に加わってた御家人の中には戦いに倦み、病を偽るなどして帰国するものも出始めていた。一色右馬介大地康雄)は具足師として陣に出入する中、新田義貞根津甚八)に、足利高氏からの密書を渡す。

西国の宮方豪族の鎮圧のための軍勢第二陣に加わることとなった高氏(真田広之)は北条打倒の腹を決め、母清子には足利庄、また妻登子と長子千寿王は軍と共に京に連れいこうとした。
が、この件はすぐさま幕府にも聞こえるところとなり、高氏は北条高時片岡鶴太郎)邸に呼び出され、高時、また長崎円喜・高資父子より登子と千寿王を置いていけと強要される。さらには高時は伊賀に隠棲している藤夜叉と不知哉丸の件も持ち出した。

弟直義(高嶋政伸)は人質など出す必要はない、と激昂するが、高師直柄本明)と高氏は現時点、北条氏とでは兵力差がありすぎるのでまずは鎌倉を出よう、と意見が一致していた。

登子は高氏からの京都に行こうという誘いを密かに楽しみにしていたが、突然、北条高時預かりになる事を聞き、高氏を問いただす。これから何が起こるのか、高氏が何を考えているのか?
高氏はわかったようなわからないような答えを登子に返す。

ちょうどその頃、伊賀では右馬介が藤夜叉(宮沢りえ)に不知哉丸と共に身を隠すように依頼していた。

鎌倉郊外で千早城包囲陣を抜けた新田義貞と高氏が密会する。
高氏は義貞に、北条氏と戦をするので共に戦って欲しいと言う。義貞は長い間、この時を待っていた、と応える。

登子の問いに対する高氏の答えは、あれはあれで高氏としての誠意だというストーリーなのかも知れないが、よくたどってみると肝心なところは何も答えてないんですよね。高氏にはその意図はないのかもしれないが、筆者には不誠実に聞こえた。

 

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出陣

出陣の朝、足利高氏は直義、高師直の二人を前にして告げる。
「直義、師直、ワシは北条殿を討とうと思う。幕府をこの手に握り、まつりごとを正そうと思う。・・戦こうて負ければ、我らは滅ぶ。勝っても長年連れ添うた北条殿を切らねばならぬ。総身に返り血を浴び、裏切り者よ、と罵られよう。・・我らは裏切り者の刻印を終生背負わねばならぬ。だがそれでこの乱れた世が正せるなら、それもやむをえまい。・・我らはかつて平家を滅ぼし、武士による新しい世を築かれた源頼朝公にならいたい。直義、師直、いかに?」
裏切り者の刻印、喜んで負います」絞り出すように言う直義。
「望むところでございます」いつもの通り心情を読み取れない顔つきでまっすぐ高氏を見据えたままの師直。

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ここで若干気になったのが、高氏のセリフの中にある”幕府をこの手に握り”という言い回し。実際こういう言い方をしたものかしら、という印象(調べたけど、よくわからないかったので、この件はここまで)

最近のエピソードで直義の顔つきがだんだんときつく、どす黒くなっていくのが気になる。当然メイクのせいなのだが、凶悪な顔つきになっているような印象なのだ。何の伏線だろうと少々気になっている。

裏切り者呼ばわりされる覚悟を云々と高氏はこの時、言っているが次のエピソードの京都での市街戦の際に高氏自身がかなり動揺しているような描写をされているのが、少々おかしかった。

 幕府にて北条高時以下幕府首脳が出陣の挨拶にくるはずの高氏を待っていたが、すでに約束の刻限が過ぎ、長崎高資西岡徳馬)が苛立ち始め、それを高時がなだめる。
「高資、案ずるな。足利殿は妻子をワシに預けて行くと言うたのじゃ。北条に背かぬという誓紙も書きおった。足利は北条の良き縁者よ。昔も今も。のぅ、守時?」
「はは」赤橋守時勝野洋)は表情を殺したままで答える。

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そうこうするうちに白地に二つ引両の家紋を染めた旗指門を立てた高氏一行が到着する。馬を降りた高氏、直義、師直の三人が門前で挨拶する。
「足利治部太夫高氏、お下知により西国に参りまする」
立ち上がった高時が言葉をかける。
頼もしいぞよ。見事手柄して参れ。
高時から餞として二振の刀が贈られる。

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カメラは高氏とこれまで主に関わった幕府首脳陣ひとりひとりの表情を交互に映していく。各人各様、またそれに対する高氏の表情からセリフはないものの心情が伝わるかのよう。

やや心配そうな表情や傲慢なへの字口を浮かべる長崎円喜フランキー堺)。
険しい表情でにらみつける長崎高資
晴れ晴れと満足そうな笑みを浮かべる金沢貞顕児玉清)。
全くと言っていいほど表情を殺した赤橋守時

頼みに思うぞ、頼みにのう。」最後に高時が声をかける。
重臣一堂も立ち上がり出立する足利勢を見送る。

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長崎円喜が立ち上がるに際して、高資を手助けを受けているといった細かい芝居が目を引いた。

鎌倉沿道で見送る人の中にかつて若かりし頃、共に侍所につかえていた宍戸知家(六平直政)や、同じく長崎円喜の行列の小者から切りつけられているところを高氏が助け、高氏と日野俊基との出会いのきっかけとなった時宗の僧が念仏を唱えながら見送っているシーンが見られる。

ロケの日程の関係で”じゃあせっかくですから出演シーンを作りましょう”的なノリでの出演なのかもしれないが、こうしてかつて関わりがあった人が登場するというのは良いですね。
ストーリー上は、高氏の出陣が3月、鎌倉陥落が5月で、この人達は戦火の鎌倉でどうなったのだろう、と考えてしまう。

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名和長年

足利出陣の件は伯耆国の船上山に籠もる後醍醐帝の元にも届く。
「・・足利はしかと朕に心を寄せておるのか?」
「岩松はそう断じております。足利は源氏の頭領、これが立てば諸国の源氏が味方となります。その足利が鎌倉を出たとすれば、動きは急となりましょう。」
問うたのは後醍醐帝(片岡仁左衛門)、答えたのは千種忠顕本木雅弘)。
「帝、都への還御は間近でございまするぞ」
うれしそうに声をかけるのは阿野廉子原田美枝子)。

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後醍醐帝が落ちつかぬげに立ち上がり言う。
「それまではここの守りを固めねばならぬ。・・忠顕、名和長年の働きぶりはどうじゃ?」
「は、この辺りの北条方を寄せ付けず、見事な働きをいたしておりまする。されど・・」答えたものの最後は言葉を濁す千種忠顕
「なにせ、田舎武士ゆえ・・」
いかにも嘲笑を含みながら阿野廉子が言葉を続ける。

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具体的に戦いぶりの一方で、と言葉を濁すほどの田舎侍風の戦いの説明はなされないが、名和長年小松方正)、登場早々、下卑た笑い声をあげ、手につばをつけて鬢になすりつける、後醍醐帝の護衛の侍に袖の下を渡す・・とこれまでの登場人物とはまた違う出自で異なる性質の人物として印象付けられる。

阿野廉子は新政開始後からまぁいろいろやらかして、混乱の原因の一端になっていきます。

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足利決起

4月、三河にはいった足利高氏一行は諸国の一族も加え、分家19家の主が矢作の宿に集結する。

kotobank.jp

 

長老格の吉良貞義(山内明)と今川が奉行を務め、兵・馬・兵糧を集めたと報告する。
さっそく高師直が集めた兵の数を尋ね、吉良が「あわせて3100にございます」と答える。
「それに我が手の500、あわせて3600。これで形が整った。」高氏が頷く。
「あと、美作、丹波などの兵も参じますれば、5000から6000。」高師直が言う。

「・・後は我らが誰を相手に、戦をいたすか。それによって諸国の源氏が馳せ参じましょう。」吉良貞義が続ける。

「はて誰と戦をいたすか、まだ伝わっておらなんだかのぅ?」高氏が訊く。
「我らが聞き及んでおりましたのは、ただ西国に攻め上る・・と、だけ」
「では、あらためて申す。我らの敵は北条殿、戦の相手は北条殿じゃ。
高氏が宣する。一堂粛として声も出ない。
間をおいて吉良が平伏し、口を開く。
「・・それはまた、良い敵。いくさを致すに不足なき相手じゃ。だが、ようご決意をなされましたな。その敵ならば諸国の源氏が我らに味方しましょうぞ。」
「じい」
我ら足利一門、そのお言葉をどれだけ待ち望んだか。よう仰せられた
「ともに戦こうてくれるか?」
「一同、そのつもりでござります」
今川が代表して言う。一堂平伏。

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高氏は祖父家時の置文を読むと宣する。
「・・故あらばこそ、ここに書き置くなれ。
死するにあたり我より後の子に託す。
我に代わり天下を取り、遠祖の遺託を成し遂げよ。
我、青雲を思うや多年、然れども我に徳なく夢虚しく破れ、
わずかに家名を守らんがため、一命を投げ打つのみ。
我より後の子に託す、我が意を継げよかし。
我に代わりて天下を取れ」

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高氏と右馬介の密談。
「右馬介、幼き頃、北条に親兄弟を討たれ、父君に命を救われてこの三河で育てられ、本日あるを夢見てお仕え申して参りました。申し上げる言葉もござりませぬ。」
「それはワシとて同じぞ。ここまでこれたは、そちの助けがあったらばこそじゃ。」
「恐れがましゅうござりまする」
「ここからが我らの正念場じゃ。鎌倉の事・・よろず頼むぞ」
鎌倉の事とは、登子と千寿王の救出。

「ワシはこれから近江に向かい佐々木判官殿と立ち向かう。これで事の成否が決しよう。」

ここで高氏が言っている、「鎌倉の事、よろず」はてっきり登子と千寿王の救出とばかり思っていたのですが、そればかりではなかったのです。仔細は次回明らかになります。

不破の関

不破の関にて佐々木軍が道を塞いでいた。
高師直と供を連れただけで佐々木道誉陣内孝則)と交渉に行く、と高氏は言い、佐々木軍の陣に近づくなり、ずかずかと屋敷内に乗り込む高氏。

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屋内では一人床几に座った道誉が哄笑と共に高氏を迎い入れる。
「ワシは鎌倉に命じられて戦に参る故、かかる姿じゃが、御辺はまた、何故そのような?」高氏は道誉に訊く。いつになく余裕あふれる高氏の態度に、やや押され気味にも見える道誉。
「うん、やはり鎌倉殿の命でな、足利殿に万にひとつも謀叛の動きあらば、討てと言われておってな。こうして先に帰国致し、備えておったのじゃ。いや、忙しかった。」
「北条殿もとんだ気をつかわれるものじゃ。さほどにこの足利をお疑いなら、外に出さねばよいのじゃ。」
「そうもいくまい。これ以上、北条殿のお身内を戦に出せば、鎌倉はがらがらになる。もはや外様を駆り出す他、手はないのじゃ。」
「締まらぬ話じゃ。」と高氏。
「無様よのう。」相槌とも言えない返事をする道誉。
「その無様な北条殿にまだ未練をお持ちの御辺もなかなかの無様じゃ。」と挑発する高氏。
高氏をにらみ、ふっと鼻を鳴らす道誉。
「その無様な田舎大名に助けを求めねば、鎌倉を攻めることもできぬ源氏の大将もおるでな!」高氏をにらみつける道誉。
「はて、鎌倉を攻める?」あっさりかわす高氏に道誉が怒鳴りつけた。
「おとぼけ召さるな!!! ・・・そこは以前、北条を倒す、と公言致したではないか。邪魔をせず、ただ見てればよいとな。」
「確かにそう申した。北条殿を討つ、と。さりながら、鎌倉をまず攻めるとは申しておらぬ。」
「なにぃ?」
「ワシはこれより京の都、六波羅を攻める。」
「京?」逆に驚く道誉。
高氏は広間の屏風を取り払い、後ろに隠れていた武者達をさらす。

高氏は屏風の日本地図を元に自分の考える戦略を説明しはじめる。
「・・北条殿も愚かじゃ。京に手も足も全て送り込んでしもうた。京を制せば、鎌倉はもはや頭だけで死んだも同然じゃ。・・判官殿、ワシは御辺に兵を貸せとは申さぬ。だが、黙ってここを通してくれればよい。京を攻める時にワシの背中に射ぬように願いたい。それで天下が動く。
滔々と説明する高氏の顔をじっと見る道誉。
「判官殿、これからのまつりごとは京で行わねばダメじゃ。朝廷もある。商人もいる。楠木殿のような武士も居る。西国の豊かな物資が市場にあふれている。・・鎌倉にいて東国だけ見ていてはもはや天下は治まらぬ。・・それ故、まず京を攻める。
ようやく道誉の方を向いた高氏に、道誉は目を眇め、ニヤリと笑う。
「面白い。」と一言だけ言うとまた哄笑しはじめた。
「兵の数が足りぬだの、鎌倉は攻めにくいだの、そのような話ならばその首をはねて、北条に寝返ろうかと思うておったが、面白いのう。
・・ただ、ひとつ気に入らん。ワシも京に連れて行かれよ。ただ見ておるのはつまらぬ。ワシにも2、3千人の兵はある。」
「それもよかろう。苦しかるまい」

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2話で登場以来、高氏の味方のようなフリをしながらも再三、告げ口したり邪魔をしたり足をひっぱたりが多かった佐々木道誉。ここに来て高氏と完全に立場を逆にした。
それにしても道誉もまた鎌倉に一族郎党を人質に取れているはず。あっさりと叛乱側にはいって良いの?

名和長年に続き宮方についた叛乱軍の武将として赤松則村(渡辺哲)も登場。片足が悪いのか、左足を投げ出した状態で輿に乗り、手に持ったムチで周囲に下知を飛ばす。僧形のような頭の一方、服装はかなりラフで上半身は半裸に近い、とこれまた強烈な姿で登場する。
ただこの人、後醍醐帝の綸旨ではなくて大塔宮の綸旨で挙兵してるんですね。これが後々、禍根を残す・・。

桜の花吹雪の中、高氏の軍は京に入るが、密かに後醍醐帝より倒幕の綸旨を受けていたと説明される。

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兄妹の別れ

鎌倉の赤橋守時邸。忍び込んだ右馬介が登子の寝所に忍び込み、脱出を促す。
が、登子は千寿王を頼むと右馬介に預け自分は残ろうとする。
騒ぎに気づいた赤橋守時勝野洋)が姿を見せる。:
「兄上、兄上のためには何ひとつ・・」
「よい、こは世の流れぞ。もはや北条の命運はつきておる。そなたは足利殿と共に生きよ。生きて、足利殿とワシができなんだ見事な武士の世をつくってくれ。足利殿にできねば、千寿王殿にやらせてくれ。それが登子の役目ぞ。」
「兄上・・
「ここに残ってこの兄と死んでも、ワシは良い妹とは思わぬ。早う、行け。千寿王殿とはぐれぬでない。そなたは足利殿の世継、千寿王殿の母御前ぞ。もはや北条の一族にはあらず。其の事、しかと肝に銘じて生きよ。」
「兄上」
「はよう、行け」
追いすがる登子を振り払うように去る守時。

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決起

高氏の軍は京を過ぎ、丹波国篠村(篠村は足利家領地)まで移動し、そこで西国の足利一族の軍と合流し、総勢一万の軍になったと言う。
「直義、一番の弓を命ずる。旗揚げの祝矢をいたせ」

「南無八幡大菩薩、敵は六波羅、北条軍なるぞ!!」

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感想

鎌倉組との永の別れ

鎌倉組と高氏との絡みも今回で終了です。
少々さみしくなります。高氏はずっといたぶられて続けてきていますからね。
出立の時に、高氏がひとりひとりの顔を見るシーンでの各人の表情がよかったですね。
金沢貞顕の晴れ晴れとした顔。あれだけ高氏を外に出すのに反対していたのを、人質をとったので大丈夫って思っていたんでしょうかね?
対照的なのが赤橋守時。前回の高氏による説得のときから表情を殺しているのが印象的です。

足利党の結束

三河で分家も集めた席で北条打倒を宣言する訳ですが、事前にその事も伝えられていたとするとかなり前から連絡が言っていたということですよね。
それでも謀叛の情報は北条方などに漏れていないということは、足利党の結束は固いってことでしょうね。

佐々木道誉との関係

佐々木道誉も腐れ縁と言っていいほどの因縁。
いままで高氏はさんざん煮え湯を飲まされてきたわけですが、今回は立場が逆転していたのが新鮮。ほらここに兵を隠しているだろう、といわんばかりの落ち着いた振る舞いでした。

 

「耳川の戦い」(国際通信社:コマンドマガジン153号)を対戦する。(2)第1戦目(2020年8月)

コマンドマガジン(国際通信社)153号付録ゲーム「耳川の戦い」をプレイしました。
いつもの千葉会。当方はルールブックは目を通していましたが、プレイは初。当日はNさんにインストを受け、インストプレイ後に本プレイをしました。

画像

 

当方は島津、Nさんが大友方を担当しました。
途中写真の撮りもれがあって話のつじつまをあわせているところがあるのでご了承ください。(大きな流れは間違っていないと思うけど)。 

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以下、島津側から見て右翼・左翼を記述する。

 

第1ターン[チット数:大友4、島津2]

4ターン目までの先手は大友軍(5ターン目からは混戦になるのでチットが出てきたところが先手になる)。また引くことができるチット数も前半は大友軍が多い。

1番手は大友軍の右翼(島津方から見て)の臼杵勢。前進してくる。

続く島津軍は本隊先陣と呼ばれる茶色のユニットの軍団。
この軍団主力は高取川南側にいるものの、3ユニットだけは川を渡って、大友軍の田北勢(濃緑色)の真正面に位置する。先程行ったインストプレイの際はこの田北勢が大友軍の中で一番に動いたため、島津の最前線にいた3ユニットは瞬殺された。
という経緯があったため、迷わずこの3ユニットを川の手前側に撤収。

だがこれはせっかく渡河状態にあったユニットだっただけに、単純に撤退するのではなく他にやりようがあったのではないかと反省。

その後、双方大友軍は3個軍団、島津軍は1個軍団の活性化を実施しターン終了。

終了時の状況は次の通り。
両軍が高取川をはさみ睨み合った状態。
島津軍は3ヶ所の渡渉点全てにユニットを送り込み塞いだつもりだったが、最右翼の渡渉点は塞いでなかった。これが後に影響を与えることとなる。

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第1ターン終了時

第2ターン[チット数:大友5、島津3]

さきほどの島津は2軍団だけが活性化できたが今ターンは3軍団。

先手大友軍の一番手はさきほどと同じ臼杵勢(緑色)。前ターンと同じく渡河に向けて前進。先鋒が渡渉点より渡河をはじめる。島津軍は前ターンで塞いでなかったためあっさり渡河を許す。

島津軍はマップ中央部で渡河攻撃、また大友佐伯勢(オレンジ色)の1ユニットの”吊り”に成功。

島津軍の最後は一番大友軍から離れた位置に控えていた本陣(黒色)が前進。そのまま左翼の渡渉点に向かい、一部を中央線線に振り向けた。
が、ここで問題が・・。渡渉点に配置している本隊先陣(茶色)のユニットが邪魔して攻撃位置につけない・・。

大友軍も最奥に位置していた最強の田原勢(白色)が前進開始。

大友勢の最後は、このターン2回目の活性化となる臼杵勢。島津軍が塞いでなかった渡渉点を続々と渡り、このターンのうちに軍団のほとんどのユニットが渡河を実施。

f:id:yuishika:20200828220411j:plain

第2ターン終了時

第3ターン[チット数:大友軍5、島津軍4]

大友軍が軍団毎にまとまっているのに対し、島津軍が左右に展開し、またぐちゃぐちゃに配置されているように見えるが、これは指揮範囲が大友軍よりも広く、1つの軍団毎に指揮範囲を持つ武将ユニットが2個ずつ(大友軍は軍団長の1個のみ)いること、また独立ユニットなどもあるため、比較的広く左右に展開できるためである。

右翼に大友軍臼杵勢が進出してきたので指揮範囲を気にしつつ、あわてて本隊先陣を延伸(というか右翼側にこれしかいないので仕方ない)。

中央部では大友軍田北勢対島津軍先陣、その左側では、佐伯勢対先遣隊との戦闘となる。佐伯勢の一部ユニットは”吊られて”包囲されている。

f:id:yuishika:20200828235012j:plain

第3ターン終了時

第4ターン[チット数:大友軍5、島津軍5] 

次のターンより後半戦にはいり混戦になるため、島津軍は「全軍攻撃」を仕込む。同じように大友軍も考えたようで「全軍攻撃」が画策されていた。
活性化できる軍団を選ぶことができる島津の特性を生かして、先に「全軍攻撃」を仕掛けたのは島津軍だった。

結果、島津軍は左翼にて佐伯勢(オレンジ)を後退させ島津本隊(黒色)が渡河成功、先遣隊(青色)の前面でも同じく佐伯隊(オレンジ)を川向こうまで押し返す。
だが大友軍も「全軍攻撃」等により反撃に出、左翼前面には後方からせりあがってきた田原勢(白色)が展開し、島津本隊(黒色)の前進をはばもうとしていた。また右翼では、臼杵勢(緑色)が深く南進し、島津軍右翼を包囲しようと移動してきた。

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第4ターン終了時

第5ターン[チット数:大友軍6、島津軍6]

引けるチット数は同じになり、また2回移動できる軍団を1~2個用意できるなど、まさに終盤に向けてのラッシュに入った。

このターン最も悩ましかったのは左翼、島津軍本隊(黒色)前面の扱い。戦闘正面の幅が狭く、一方で田原勢(白色)のユニット戦闘力は大友軍の中でも最強の10以上がゴロゴロしており、中には12といったものさえある始末。普通に同じユニットを並べただけであれば、有利な戦闘比率を出せない。
他の戦線でも各所で両軍ぶつかる。

第6ターン[チット数:大友軍6、島津軍6]

島津軍左翼正面に田原軍(白色)が展開したことから島津は左翼からの突破を諦め、島津本隊(黒色)の主要部隊を中央部に振り向けた。もともと中央部を担当していた、先遣隊(青色)、本隊先陣(茶色)の部隊の消耗が激しく、衝力が失われていたのだ。
島津軍本隊の転進により、途中にいた大友軍佐伯勢(オレンジ)や、田北勢(濃緑色)に対してかなり損害を与えるが、川向うに跳ね返すだけの力はなかった。

島津軍右翼では進出してきた大友軍臼杵勢(緑色)と、島津軍本隊先陣(茶色)が入り混じっているが、ここも両軍とも損耗が激しくユニット数もまた戦力も足りないまま散漫に戦闘が続いた。

第7ターン[チット数:大友軍6、島津軍6]

島津軍左翼は田北勢(白色)が比較的初期の戦力を有したままがっちりと守りにはいったためどうすることもできなくなり、中央部から右翼にかけて、両軍の損耗したユニット同士が包囲・逆包囲を仕掛け合いながら、壮絶な打ち合いをしているような混戦状態にはいった。

戦闘の焦眉の争点は、マップ南端の中央から、大きく湾曲しながら高城まで伸びる街道の確保。ただこれも田原勢が城を包囲している状態なのでこれもマップ中央部と城周辺の両方で大友軍ユニットを後退させる必要がある。

というところで終了。

結果として、除去ユニットによるポイントでは両軍とも同じくらいであったが、高取川を相互に越えたユニット、また街道の確保といったポイントで大友軍の勝利となった。

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第7ターン終了時(たぶん)。両軍かなりのユニットがなくなっているのが一目瞭然。黒色の島津軍本隊が左翼から中央部に進出しようとしているが、渡河までは至らなかった。

 

感想戦

昼からはじめて夕方には終了したので、3時間強といったところだろうか。
ユニット数が少ないわりには考える場面も多く楽しめた。下記に色々書いているが総じて再戦の機会があればまたやりたいと思えるゲームであったのは確か。ルール難易度も高くなく十分に楽しめる。

作戦上の反省点

  • 島津軍にとって最大の衝力をもった本隊の使い方がうまくなかった。当初、最左翼の渡渉点から渡河させようとしたが、マップ端と林ヘックスのため部隊を展開する幅が足りずに、うまく橋頭堡を拡大できないまま、田原勢の到着によりどうしようもなくなるという結果になった。正面にこだわらずせっかくの機動力を生かして、中央部や右翼のほうまで最初から活動させるように動くべきであった。
    居飛車ではなく、振り飛車
  • 特に序盤、先遣隊や本隊先陣の部隊については川越え攻撃をさかんに行ったがこれもうまく拡大できないままとなった。川越えを伴う後退でむやみにステップロスを重ねたことも響いた。第1ターンでの渡渉点の確保などもあわせて、川の扱いは注意したい。
  • 籠城組を全くうまく使えなかった。どのような戦い方をすればよいか研究が必要。
  • 大友軍の田原勢は戦場への到着が遅れた分、到着によって島津軍本隊による左翼の突破が不可能になるなど結果的には予備隊としての役割を十分に果たした。さらに大友軍には今回戦意の関係でほぼ動けなかった筑後勢という予備も存在する。
    一方の島津軍には予備部隊がなかったため、終盤の追い込みのタイミングで衝力をなくしてしまった。このあたりも考えたい。

 

ゲームのコツ・クセのようなもの

ルールの難易度自体は高くないがけっこうクセがあるルールだと思う。
普通にやっているとこのクセの部分で引っかかって失敗をしがちに感じた。

  • スタック制限は厳しい。特に移動時に重要なポイントを味方ユニットがいるだけで通れなくなるのはつらい(渡渉点など)。活性化の順番も注意で、活性化していない味方軍団のユニットが塞いでるために前進できないということがないようにしたい。
  • 川越え後退時に発生するステップロスはもったいないので、川越えで攻める際は注意が必要。今回は川越えで漫然とした攻撃が少なくなかったという印象。
    できれば渡河後の動きも読みながら攻撃可否の判断を行う必要がある。
  • ”吊り野伏せ”による後退はけっこう頻繁に発生するのだがその後の包囲をうまくやりたい。前の記事に書いたように、包囲した側が包囲されるという場面は再三ある。特に大友軍のユニットはひとつひとつ戦闘力があるので、戦闘力に劣る島津軍はそれなりの数のユニットを集めないと良い戦闘比率を得られない。さながらマンモスを狩る人類といった風になってしまう。
  • 島津軍はステップ数が多いのは良いのだが、ステップ消耗状態では2戦力とかしかなく、先のスタック制限もあいまって邪魔にしかならない場面も少なくない。極力、ステップロスは避けたいし、または損害担当ユニットを定める等の対処が必要かもしれない。

 

若干気になった点

  • ルールが特異な分、上記の通りコツみたいなものが必要になってくる点。プレイ中、あちゃ、という場面が少なからずあった。
  • 勝利条件がポイント制のゲームにはよくある話だが、最後のほうのビヘイビアがポイントを意識したものになる点は気になる。これは当方が勝利至上主義ではないという点もあるので、ポイントへの執着という点で差があるのは確か。一方でゲームである以上、ゲームとして勝ちを最後まで追求しないのはいかがか、と言われる可能性はあると思っている。
  • 最終2~3ターンでは相互に戦力がすり減らされ、戦場に序盤から中盤にあった緊張感が失われたような状態になるのは残念であった。両軍ともへとへとになった状態で散発的な攻撃をしあうといった状態になった。この印象は今回のゲームだけかもしれないので次回以降注意したい。

 おしまい

 

コマンドマガジン Vol.153『耳川の戦い』(ゲーム付)

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  • 発売日: 2020/06/20
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週刊 絵で知る日本史 20号 耳川合戦図屏風

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「耳川の戦い」(国際通信社:コマンドマガジン153号)を対戦する。(1)ゲームの特徴など

コマンドマガジン(国際通信社)153号付録ゲーム「耳川の戦い」をプレイしました。
いつもの千葉会。当方はルールブックは目を通していましたが、プレイは初。当日はNさんにインストを受け、インストプレイ後に本プレイをしました。

画像

1578年、隆盛を誇った大友氏は日向の完全制覇を狙って南進を開始します。対するは南九州の雄島津氏。同年11月12日、両軍が激突したのが本戦となります。史実では島津氏の大勝に終わり、大友氏凋落の端緒となる合戦です。
ゲーム中、両軍は異なる特徴を持つ組織として描かれ、シンプルなルールにも関わらず効果的にいくつかのおもしろい仕掛けが用意されています。

 

ルールとその特徴

チットドリブン

両軍は複数の軍団から構成されており(大友軍:5個軍団 島津軍:4個軍団)、軍団毎に活性化を行い、活性化された軍団に属するユニットをまとめて移動と戦闘を行っていきます。
この際、どの軍団から活性化するかという順番決めにあたって、カップに入れらたチットを引く事で決めらていくシステム(チットドリブンシステム)が採用されています。

ただこのゲームここで両軍の性格の違いをあらわすのにアレンジが加えられています。

大友軍は引いたチットに従って順番が決まりますが、島津軍は大友軍よりも統制が取れていたということで、動かす軍団を自分で選ぶことができます。

さらにこのチットシステムを用いて史実の流れに沿うようなアレンジが施されています。

合戦の火蓋を切ったのは大友軍であったため、ゲーム開始直後、1つのターンの中で動かすことができる軍団数は大友軍が多く、島津軍は大友軍の半分程度しか動かすことができません。最終的には同数のチットをひくことができるようになります。

ゲームの前半は両軍は交互にひとつずつの軍団を活性化できるのですが、後半は乱戦になったということで、両軍のチットを混ぜて、どちらの軍が次に動くのかさえわからなくなる演出になっています。

各軍団のチットは2個ずつ用意されており、特定の軍団について1ターンの間に2回移動-戦闘を行わせることも可能になっています。これにより思わぬ機動や猛攻撃を発生させることができます。

また両軍ゲーム内1回に限って全軍団に同時に移動-戦闘を行わせることができる全軍活性化のチットがあります。軍団をまたがり、また一斉攻撃が可能となる。また通常のチットもあわせると1つのターン内に複数回の行動を行わせることができるということで、かなり強力な手段になりますので、使い所を考える必要があります。

両軍のユニット性能の違い

大友軍全35ユニット、島津軍全31ユニット。
大友軍のうち5ユニットは戦意が低く信頼性に欠ける筑後*1ですので、筑後勢を除くとほぼ同程度の数のユニットを扱うことになります。

大友軍は戦闘力(平均:8.6)*2は高いのですが2ステップになっています。一方の島津軍は戦闘力(平均:5.4)*3は劣勢なのですが、多くの部隊が3ステップ有しています。

機動力の点でも島津軍は全ユニットが10移動力なのに対し、大友軍は7割の部隊の移動力は8と、若干落ちます。

言うならば、人数は多いが戦意が比較的高くない大友軍と、人数は少ないが戦意が高い島津軍といったところでしょうか。

最初は額面戦闘力が小さくてもステップ数が多い島津軍が良いのではないかと考えていました。が、それは間違いであることが後にわかります。

指揮範囲と独立部隊

指揮官クラスの部隊は指揮範囲を持っており、通常の部隊は指揮範囲内で活動しないとペナルティをくらう可能性があります。また両軍とも各軍団に1ユニット程度は独立して動くことができる部隊があり、これらの独立部隊は指揮範囲に関係なく活動できます。

大友軍の各軍団は基本1軍団に指揮範囲を持つユニットは1個なのですが、島津軍は2ユニット程度ずつあります。これによりひとつの軍団を2つに分割して活動させることも可能になります。

また指揮範囲は指揮官の能力によって異なり、概して島津軍の指揮官ユニットの指揮範囲能力は大友軍のそれを上回った数値に設定されているなど、指揮能力は島津軍のほうが優れています。

スタック制限と川

1ヘックスのスタック制限は1ユニット、これは移動途中や後退途中にも適用されますので注意が必要です。味方ユニットがあるばかりに通れない、または後退できないという場面がゲーム中、多々発生します。

後述の渡渉点など他の味方ユニットが居るというだけでそこを使えなくなる可能性があります。これに活性化が加わると、活性化していない味方の軍団が前を塞いでいるので前進できない、または後退できないということにもなります。

このゲーム、盤面中央を左右に横切るように高城川が流れており、川を越えているユニット数が勝利ポイントになるなど、ゲームのポイントになります。
川のルールも注意が必要です。高城川には全部で3箇所の渡渉点があります。渡渉点を通った川越えは2移動力、それ以外の川岸を超えた川越えは5移動力が必要です。
川越えでの攻撃は攻撃力が半分になります。よって攻勢側、特に個々のユニットの戦闘力が小さい島津軍)は川を越えたところで攻撃を行いたいのですが、川を越えて後退を行った場合、攻撃側後退の場合も防御側後退の場合も、強制的に1ステップロスが発生します。

川を越えるべきか越えざるべきか悩みどころとなるのではないでしょうか。

”吊り野伏せ”

他のゲームでは余り見ることがないこのゲームの特徴的なルールとして、島津軍に適用される”吊り野伏せ”があります。

”吊り野伏せ”自体は例えば、わざと負けたふりをして、後退することで、追撃してきた相手を、包囲陣の中に誘い込み、はいってきたところで包囲攻撃するという、島津軍が得意としたと言われる戦法を指します。*4

ja.wikipedia.org

ゲーム内では戦闘結果表の結果の一部で”吊り野伏せ”が発生する結果が混じっています。

  • 島津軍が攻撃をした際のAR(攻撃側後退)の一部結果
  • 島津軍が攻撃を受けた際のDR(防御側後退)の一部結果

島津軍ユニットが後退するのにあわせて、大友軍のユニットを戦闘後前進する訳ですが、この戦闘後前進を、通常は大友軍が操作するところを島津軍が操作(誘い込む)することができます。

予め包囲できるようなポケットを作っておいて、1対2などの弱い戦闘比で攻撃を行い、”吊り野伏せ”付きのAR(攻撃側後退)の結果を出し、後退にあわせて大友軍のユニットをそのポケット内に戦闘後前進させる。そこで包囲が完成です。

大友軍ユニットは個々のユニットの戦闘力は大きいのですが、2ステップしかありません。後退ができない状態とすることで攻撃を行い、ステップロスを起こさせることは、大友軍にとって痛手になるでしょう。

ただこれも弱点があって、包囲陣の外側に相手ユニットがいると包囲を行っている自ユニット自体が包囲されている状態になる可能性があるのです。
包囲するものは、包囲される、のです。
特に、個々のユニットの戦闘力が大きな大友軍ユニットを相手にする場合、包囲を行っている島津軍ユニットのほうが戦闘力が小さい事が多く、包囲陣の外側に大友軍ユニットが来ることで、内側ユニットとあわせて逆包囲されることになってしまいかねません。

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インストプレイ時に発生した”吊り野伏せ”の例。
中央のマーカーが乗ったオレンジ色の2個ユニットが
島津軍による川越えの攻撃により釣られ、
川を越えて包囲ポケットの中に進入してきた。

 

書き忘れていましたが、メイアタック、また敵ZOCからの脱出は+αの移動力を消費することで可能です。

 

マップと初期配置

初期配置位置は決まっています。
写真上側が北になります。
マップ上方から大友軍、マップ下方から島津軍が進入してきた状態です。
マップ左側に薄い赤のヘックスがある部分が島津軍が籠もる高城になります。
両軍の主力の間に高城川があります。
高城川より北側にいるユニット(除く、赤丸内のユニット)が大友軍、高城川の南にいるユニットが島津軍です。
高城川の渡渉点は街道沿いに3箇所(一番右側の渡渉点は写真では見切れています)。
マップ右側、2つの川の合流点あたりの青いヘックスは沼沢地になっており進入不可です。

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(つづく)

 

 

コマンドマガジン Vol.153『耳川の戦い』(ゲーム付)

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週刊 絵で知る日本史 20号 耳川合戦図屏風

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*1:活性化させようとした際に活性化しない可能性がある

*2:目換算ですので正確ではない可能性があります

*3:同上

*4:アニメや漫画の合戦シーン、こと古代中国モノとかファンタジーものにありそうな展開だと思うのですが、なかなかいい実例が思い浮かびません。

大河ドラマ「太平記」19話「人質」:不誠実な高氏、柳眉を逆立てるを地でいく登子

前回のあらすじ

阿波の海賊岩松某、伯耆名和長年といった宮方の豪族の助力を得、後醍醐先帝は配流先の隠岐島を脱出する。途中、渡し小船において、先帝の愛妾阿野廉子は、先帝の子を身ごもっていた小宰相を真冬の海へ突き落とす。

後醍醐先帝の隠岐脱出の話は各所に伝わり、動揺を与えた。
幕府は楠木正成ら宮方豪族の鎮圧のため第二陣の軍勢をを送り込もうとしていた。

幕府首脳の一人、金沢貞顕はその出兵第二陣に足利高氏を入れることを強力に反対する。が、幕府を牛耳る長崎円喜・高資父子には別の思惑があり、わざと足利家も出兵させようとしていた。

執権にして高氏の義兄でもある赤橋守時は足利家を訪ね、出兵に加わってほしいと依頼する。だが守時個人としては高氏の出兵は反対であり、二人が敵味方に別れて戦う夢を見た、と話す。
高氏は、万が一にでも敵味方に別れたとしても、守時には味方について欲しいと言うが、守時は、自分は北条の一族であり、北条家が腐っていたとしても、裏切る事はできない、と高氏に告げた。
守時の辞去後、高氏は足利一族総力をあげて出陣すると、家中に宣言する。

北条高時邸で、金沢貞顕は再び足利出兵の危険性を訴えていた。長崎円喜は、佐々木道誉を招じ入れ、もし足利が踵を返して鎌倉に向かった際には、佐々木が後ろから討つので、檻の中の犬も同然と豪語する。

会議後、長崎円喜は、隠岐島から後醍醐先帝を逃した責任を果たせ、さもなければ鎌倉にいる一族を殺すと道誉を脅す。

yuishika.hatenablog.com

 

持久戦

楠木正成軍による千早城籠城も2ヶ月を超えていた。
隠岐島からの後醍醐先帝脱出の手伝いからの帰路、”石”(柳葉敏郎)は城外で、休息中の六波羅軍の一隊をゲリラ的に攻撃する楠木正季赤井英和)の手勢に出会う。

休んでいた六波羅軍の将兵が遊女を陣中に引き入れている描写は生々しかった。ただ、ロケ地とセットが貧弱すぎて現実感がなかったのが残念。
かつて京都に向かう足利軍も陣中に猿楽や女を引き連れているのが描写されていたし、説明こそないが、細かい部分の考証は行われている点が良い。 

勝利に湧いて城に戻った正季らは楠木正成武田鉄矢)の叱責にあう。

「・・討って出れば、腹が減る。怪我をする。ここは持久戦じゃ。堅く守って一日でも長らえる。それがわからんか、愚か者!

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城内では食料に不足しはじめ、蛇やカエルの干物を食べる様子が描かれる。

正成は”石”を招じ入れ、報告を求める。

「帝は、帝はどうされた?」
「・・隠岐を出られ、伯耆の国の名和様のお城にお入りになられました。」
「名和殿の城へ・・帝は隠岐を出たもうたのか?」
「出たもうたです!」

 

代わって包囲側の六波羅軍の描写。
包囲が長引く中、御家人手弁当で参陣しているため、不満が鬱積し、戦意が低下している様子が描かれる。

休息中で三々五々に座り込んだり相撲をとっていたりする軍勢の中で貧相な御家人の一人が嘆いている。
「考えてもみ?ワシは家来を十人も連れてきておるのじゃ。日々の米代だけでもバカにならない。持久戦、持久戦というがその掛かりはこっち持ちだからじゃのう。」
別の武者が応える。
「左様、病と偽って国元に帰るものがおるそうだが、気持ちはよーわかるわ。」
「ワシもその病にかかってみたいものじゃ」

「まことに難儀でござりまするなぁ」
座っていた武者達の中からやおら立ち上がったのは、具足師龍斎こと一色右馬介大地康雄)。

「この難儀に加え、隠岐島では先の帝がお逃げあそばされたと申すではありませんか」
「なに?」はじめて聞く話に耳をそばだてる武者たち。
「先の帝は西国で兵をお挙げになるとか、諸国の御家人衆が次々に帝に馳せ参じておられる由。こんなところにいては時代の流れに取り残されてしまいましょうぞ」
「それは真か?」とさきほどの貧相な御家人
「おや、ご存知ではござりませんでしたか?あははは」と言い残して立ち去る右馬介。

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次に右馬介がいざなわれてきたのは新田義貞根津甚八)の陣。
右馬介は義貞に高氏からの書状を渡す。
「・・折り入ってお話仕りたき儀これあり。急ぎ見参仕りたき候」

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足利の出兵

3月内での出陣のため各地の足利一族が続々と鎌倉に参集してくる中、高氏の西国への出陣にあわせるように、母清子は足利庄に先々代家時の墓参りに出立することとなる。

清子は別れ際、言い残す
「・・この地蔵菩薩はこの世の修羅から人をお救いになるありがたい仏様じゃ。しばしの別れになる故、母より印としてそなたに預け置く。修羅に向うて旅立つそなたに、愚かなと思わぬではないが、闇夜に光が欲しいと思う時があろう。この御仏も長旅の杖となるやも知れぬ。どうぞ母のためと思うて、お持ちくだされ。お守りじゃ。・・ご武運を・・」

ただならぬ清子の様子を驚いて見ている登子。そしてそれは後に爆発する。

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高氏は、妻登子(沢口靖子)にいっしょに京に行こうと誘いをいれる。

出陣に際して妻子を伴うという話は、長崎円喜フランキー堺)・高資(西岡徳馬)父子に聞こえるところとなり、「念には念をいれたがよかろうぞ」ということで高氏は得宗北条高時片岡鶴太郎)の呼び出しを受ける。

「こりゃ、表をあげぇ。聞いたぞ、足利。戦に妻子を連れていくそうじゃな。そりゃ真か?」高時が聞く。
「はっ」平伏で同意の意を表し、高氏は「その儀につきまして・・」と口を開くが、高時の言に邪魔をされる。
「足利の虫食い瓜は顔に似合わず、中身が甘い。ワシはかねてからそう申しておった。のぅ、円喜?この甘い事。妻と子を戦につれて参るそうじゃ。甘いのぅ?」

虫食い瓜の例えはかつて登子と結婚した直後に呼ばれた宴席で同じく高時にそういわれてからかわれていた、因縁の呼び名だ。

「未だかかる話は聞いたことがこざりませぬ」やっぱり以前と比べると喋り方が老いた円喜が言う。
「こりゃ、足利。さほどに妻子がかわいいか?」
「はっ、かわゆうございまする」生真面目に答える高氏。

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「あ、そぅ。」珍しいものを見るかのような表情の高時。続けて聞く。
「そちの子はいくつであった?」
「4歳になります」
「他には? 他に子があろう?」
「ござりませぬ」
きっぱりとした高氏の答えに座の者たちの失笑が漏れる。真顔で高氏をにらむ高時。周囲の笑い声が大きくなる。
きぇっ!、足利、犬猫ではあるまい?己が産ませた子を忘れるヤツがあろうか!
奇声をあげて立ち上がり、高氏に歩み寄る高時。
佐々木判官から聞いておるぞ。そちは伊賀にもうひとつ子がおるはずじゃ。いないというかっ!
にわかに動揺する高氏。

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これ、足利殿、その儀はこの座のものはみんな知っておるのじゃ。
マウントをとることなくいつになく俗な言い方をする長崎高資に、口をへの字に曲げやりとりを眺めている長崎円喜
神妙にお答えなさい!
あぁ、やっぱりマウントとってくるのね、という高資の怒鳴り声。

原作の私本太平記では、藤夜叉は子の不知哉丸を高氏に引き合わせようとして何度も足利邸を訪ね、その度に高氏から冷たい仕打ちを受けるという場面があった(少々うろ覚え)。ドラマでは藤夜叉は戦嫌いで不知哉丸を侍などにはしないと、高氏にとってはものわかりのよい設定になっていたが、ここで来たかという印象。そういう意味で原作の佐々木道誉はもっとゲスだし、ドラマはいろいろとソフィストケートされていると言ってよいのかもしれない。

まこと、伊賀に男子がひとり、あるにはあるのでござりまするが・・
「それ、みい?、その子もかわいいか?」高氏に顔を近づけて聞く高時。
その男子は仔細がござりまして、庶子ともせず、家にもいれておりませぬ。
「かわいいか、と申しておるのじゃ。」
「はっ」答える高氏。
「かわいいものは他人に触れさせとうないものじゃ。大事に大事に手の内に置いておきたい。のぅ、足利殿。ワシの母御前がそうじゃ。この出来損ないの高時が可愛い故、そりゃ、頭が痛いか、どこぞが苦しいか、政(まつりごと)はああせよこうせよ、いつまでたってもそばからお離しにならぬ。存外、子はそれが煩わしいものじゃ。さほどに大事にされては息が詰まる。子も妻もみなそうじゃ。いくらかわいいとて、戦に連れて行くのはいかがであろうのう?・・・妻と子は鎌倉に置いていけ。この高時が預かる。伊賀の子も我が手のものに迎えに行かせよう。大事なものは皆この鎌倉に預かろうそれが子のため、そなたのためじゃ。のぅ」

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高時は急に立ち上がると元の座に戻り、衣を被ると真っ直ぐに前を見据え茶をすすりはじめる。

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「おそれながら!」追いすがるような高氏の声を円喜と高資が高圧的に押し止める。
「異存はあるまいのぅ?足利殿」
「異存、あるまいの?」

硬軟とりまぜて3人がかりの有無を言わさぬ攻撃に高氏が手も足もでなくなる図。
高時は以前より賢いのか愚かなのかわからなかったが、もしかすると誰よりも本質に迫ることができる目は持っていたのかもしれないという様子。
ころころと変わる高時の心情を表現した片岡鶴太郎の演技が素晴らしい。

 

人質

にわかに降り始めた雨の中、小物や女中が右往左往する足利屋敷。いきり立っているのは弟直義(高嶋政伸)。

「兄上、それは人質ではありませぬか。御台様も千寿王殿も人質として残せ、と言われて、お受けなされたのか?幕府始まって以来、百数十年連れ添ったこの足利を、人前で信用できぬと公言されたのじゃ。北条がはっきりそう申したのじゃ。
兄上!、人質なぞ出すに及びませぬ。これ以上、北条に耳を貸すことなどござらんわ!」
「左様、このまま構わず鎌倉を出るまで」「如何にも!」
「北条ごとき、恐れぬに足りん!」「恐れぬに足りん!」口々に言う居並ぶ足利家臣。
「待たれよ!」押し留めたのは高師直柄本明)。
「何を根拠に北条殿を恐れるに足りぬ、と申される。この鎌倉の我が方の兵はたかが三百。北条は万の数じゃ。向こうがその気にならば、我が方は即座に討ち滅ぼされようぞ!」
「師直、その程度の理屈は皆わかっておる。我ら気持ちを申したのじゃ」
「気持ちで北条殿は倒せませぬ!!」
「何!!」
北条殿が人質も申せば人質を出し、戦に行けと申せば戦に行く。今の我らにそれ以外の道はありましょうや

情誼で動く直義、理屈で動く師直。ゆくゆく大きな諍いを起こす二人によるかなりの剣幕での言い合いになる。
ここまで黙って聞いている高氏。

何はともあれ、この鎌倉を出る。何事もそれからの思案のことと存じまする
「ワシもそう思う」同意する高氏。
「他に道はない」

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それぞれの覚悟

怒りともなんとも言えない反応を返したのは得宗高時の屋敷に預けていくと言われた登子。ここまで夫をたてものわかりのよい描写しかなかったので、反応が珍しい。
「・・都見物はよろしゅうございまする。それより何故得宗殿に?何故、私や千寿王殿が得宗殿に預けられまする?」

いや、やはり怒ってますね。肩口や口元がいまにも震え始めるかどうかといった様子。
登子から和歌集らしき書物の綴がこぼれ落ちたところを見ると、都見物を楽しみにしていたことが伺える。

さほどまでに北条家は足利をお疑いなのでございますか?何故でございます?殿は何をお考えです?母上様は旅立ちの折、何故あのように別れを惜しまれました?殿は近頃、何をお考えです?私が赤橋の妹ゆえ、仰せになれぬことでしょうか?私は足利高氏の妻でござります。殿のご一生が、私の一生。どうぞお隠しくださいますな。こたびの戦で起こりまするのか、お教えくださいませ。

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今まで言えなかった事とばかりに一挙に口に出す登子。
さすがにごまかせないと思ったのか高氏が口を開く。

「昔、神がおわす山へ行き、御神体を見たことがある。小さな醜い木切れであった。なんとしたこと、神とはもそっと美しいものと聞いておった。美しい故、そのためなら命を捨てても良い、と。そういうものだと。こんなもののために一生は賭けられぬ。
元服の折、武士で一番のお方と言われる幕府執権殿を見た。その時も木切れと同じと見た。醜い、と思うた。神のごときものではない。京へ行き、初めて帝を拝した。初めて美しい、と思うた。・・その御方と戦え、と北条殿が仰せられる。この先どうなるか、もはやワシにもわからぬ。そう申す他はない。・・ただこれだけは申しておく。ワシはそなたを長う離してはおかぬ。そなたはワシの宝ぞ。いかなることがあろうとも、ワシはそなたを手放さぬ。そなたは・・、そなたの一生は、この高氏の一生ぞ。・・よいな。」

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見つめ合ったまま、ゆっくりとうなづく登子。
「もう少しでうまく綴じられたのに・・。糸が切れてしもうて・・」
「殿!」ばらまかれた紙面を集める高氏の背中に抱きつく登子。
「登子」 泣き出す登子。

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伊賀。
藤夜叉の家を久方ぶりに訪ねる右馬介。
二人に三河の一色村に避難するように伝える。

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宿願

平塚で密かに落ち合う高氏と新田義貞
「それがしは北条殿と戦をいたしまする。そう決めましてござりまする。その儀につき、お話をいたしたい。」
「勝ち目はござるか?」
「皆目見当がつきませぬ。」
「兵の数は?」
「北条殿にはるかにおよびませぬ」
「それは困ったものにござる。」
「困ったものにござる。」
高氏のきっぱりとした物言いに、少しだけ顔を緩ませる義貞。
「されど、今の世にもはや我慢がなりませぬ。幼い頃、新田殿と渡良瀬川でケンカをいたし、”ゆめゆめ北条の犬に成り下がるな”、と。”北条は我らの敵”、と。そう言われて15年。この15年、その新田殿の気概に負けてはならじ、とそう思うて。この足利高氏、今日あるは新田殿のおかげじゃ。それ故、是非に申し上げたかった。この戦、勝ち目があるかどうかもわかり申さぬ。兵の数も足り申さぬ。だが申し上げたい。共に戦こうていただけませぬか。共に戦こうていただけるなら、いかに戦うか、戦の仕方などお話いたしたいと存じ、参上仕りてござりまする。」
・・長い間、この時を待っておりました。我らは源氏。北条との戦は望むところ・・

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 感想

今回は絵的に、またストーリーとしても見どころが多いエピソードであった。

今日の鎌倉組

やはり鎌倉組は面白い。今回は北条高時がよかった。見事な連携攻撃を見せた北条高時長崎円喜・高資による高氏に対する追い込み。特に高時の素なのか、演技なのかわからない様子は見ていて飽きない。気分がコロコロ変わる高時を演じる片岡鶴太郎は素晴らしかった。

藤夜叉の事、高氏のアキレス腱

藤夜叉、不知哉丸の件は本文中にも触れたように原作の高氏はなにもここまで冷たくしないでもいいのではないかと思えるほどの冷淡な扱いをする。ドラマでは藤夜叉がいくさ嫌いであることを理由に高氏に近づこうとしないという高氏にとって都合が良い女性に描かれているため、原作のような酷い男にはなっていなかったが、今回の高氏の反応はなかなかに微妙なところではあった。
まぁこういう家庭のことをずけずけと言ってくるのは、この鎌倉組+佐々木道誉くらいのものだろう。

高氏が藤夜叉の存在を隠すのも、ドラマの中の解釈では戦嫌いの藤夜叉が望んでいないからというなんとも良い人の理由にされてしまっているが、これというのも大河ドラマ主人公はキャラの造形として、卑劣なことはできないという制約を受けているのかと思う。当方としては藤夜叉に対する高氏のスタンスは原作準拠でやってほしかったなぁ。別に主人公だからって完成されていなくてもいいんじゃないか。

不誠実な高氏君

柳眉を逆立てるというのはこういう顔のことを言うのだと今回みとれてしまったのが、登子が高氏を問い詰める場面。若干メイクが厚めだったのが残念だったが、ずっと見入ってしまった。
今まで夫を立てる聡い賢妻を演じてきた登子だが、今日は今までのように受け流すことはできなかった模様。それでも切れる一歩手前で抑えていたのは良かった。また沢口靖子の演技もそれなりに良かった。

まぁそれは良いとして、この登子の詰問に対する高氏の答えはどこか煙に巻いたようなところがあった。肝心な事は言っていない、というか悟れ、といった風。
まぁ聡い登子はそういうのも込みで納得したのかもしれないが。京都行きを楽しみに歌集を綴っていた登子はいじらしかったな。

さてここで問題はこの後、鎌倉に戦火が迫る中、どうやって脱出させるのか、といったところか。

萩原健一根津甚八、はたまた新田義貞足利高氏の盟友だったのか?

新田義貞役が当初数話での萩原健一から根津甚八に変わった訳だが、今回のエピソードほど萩原健一でなくて根津甚八でよかったと思ったことはない。絵面として高氏と向かいあわせた時に萩原健一では一癖二癖ありそうで信頼度が段違いに違う印象を受ける。もちろん萩原健一の何をしでかすのかわからないという雰囲気はそれはそれで貴重なのだが、今回の場面では与える印象が違ってしまう。信頼度という意味ではタダでさえ信頼度が低そうな佐々木道誉というキャラもいるので(ただ道誉は自分よりも強いものや逆境に弱いという弱点もあるが)。

今回の場面で思ったのは新田義貞足利高氏はここまで盟友だったのか、という点。確かに新田義貞は挙兵後、高氏の長子千寿王を旗頭にしているのでなんらかの連絡は会ったのだと思うが、ドラマの中の描き方では対等な盟友として描いてあるのが気になる。

 

 

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