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歴史、ミリタリー、ウォーゲーム

「NEVSKY」(GMT)を対戦する

周囲では、2019年もしくは2020年のベストゲームではないかという話さえ聞こえてくる「NEVSKY」(GMT)を対戦しました。*1
副題が”Teutons and Rus in Collision 1240-1242"とあり、1240年から1242年のチュートン騎士団ドイツ騎士団)とロシア(ノヴゴロド大公国)との戦いというかなりマイナーな戦いを扱っています。

 

対戦ゲームの顛末は、結果から言うとやり直しを含め2回プレイしたのですが、コテンパンにやられてしまいました。我がチュートン騎士団自慢の重装騎兵は長篠の戦いの武田騎馬軍団よろしくことごとく討ち取られてしまったのでした。

 

 

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Nevskyとは何者ぞ?

13世紀のロシア、ノヴゴロド大公国の公を経てウラジーミル大公国の大公となる。中世ロシアの英雄として讃えられている、という人です。ゲームが取り扱っている時の年齢は21、22歳ということなので、こんなヒゲだるまであったかのかどうかはわかりません。

ja.wikipedia.org

全く知識がないところなので、このゲームに関係するところを抜き出すと、

  • 当時東欧はモンゴルの侵攻を受けている真っ最中の時代だったが、ノヴゴロド大公国は侵攻から免れていた。ところが騒乱に乗じて、キリスト教の版図を広げるという名目のもと、ドイツ騎士団スウェーデンはその領土を狙っていた(北方十字軍)。
  • ネフスキーは若干20歳だった1240年夏、侵攻してきたスウェーデン軍を寡兵でもって大勝し、勇名をロシア全土に轟かせる(ネヴァ河畔の戦い)。これをもって、「ネヴァ河の勝利者」という意味の「ネフスキー」と呼ばれることとなった(この名前は後世につけられたという説もある)。
  • 1240年冬、親ドイツの姿勢をとる国内の貴族と仲違いし、ノヴゴロドから追放されるが、その後、1241年に復帰し、逆に親ドイツ派の貴族たちを粛清し国論をドイツ対抗する反ドイツに統一する。
  • 1242年4月、ドイツ騎士団が侵攻してきたが、「氷上の決戦」(チュド湖上の戦い)で勝利する・・・(と、この1240年から1242年にかけての部分がゲームで扱われている)。

と続いていくのですが、一方で 

スウェーデンドイツ騎士団との戦い(ネヴァ河畔の戦い、氷上の決戦、・・(他いくつも並んでいる)・・)で勝利を収めたという記録は西欧カトリック勢力には一切なく、ロシア以外の歴史家からは、彼の戦功は疑問視されている。会戦はあったが戦闘はもっと小規模だったのではないかという説もある。

と締めてあります。*2

このゲームが直接関係すると思われる「氷上の決戦」については英語記事しかありませんので要所を紹介します。

 

en.wikipedia.org

概要

氷上の戦いは1942年4月5日、アレクサンドル・ネフスキー率いるノヴゴロド大公国とドルパット*3教区のヘルマン大司教率いるリヴォニア騎士団との間で戦われた。
北方十字軍における十字軍は、聖地のイスラム教徒と戦うのではなく、異教徒と東方正教キリスト教徒に向けられていた。この敗北のためノヴゴロド大公国や他のスラブの領土に対する十字軍の活動は終わりを迎えた。
1938年に公開されたセルゲイ・アイゼンシュテインの時代劇映画『アレクサンダー・ネフスキー』では、この出来事が劇的に描かれているが、実際の出来事からはかけ離れた戦闘のイメージを世間に広めることとなった。

背景

ドイツ騎士団は、スウェーデンやモンゴルによる侵略を受け劣勢にあるノヴゴロド大公国の弱点につけこみ、攻撃を開始し1240年秋には、Pskov、Izborsk、Koporyoを占領する。その年の始めにはペレスラヴェルに追放されていた若干20歳のアレクサンドル・ネフスキーは復帰し、PskovとKoporyoを奪還することに成功した。

戦闘

1242年4月5日、ネフスキーは自軍の戦力を過信気味の十字軍を凍った湖上に誘い込んだ。両軍の兵力については諸説あるが、控えめな見積もりでは、デンマークとドイツの騎士800人、チュートン騎士団100人、デンマーク人300人、ドイツ人400人、エストニア歩兵1000人を含め合計2600人。対する大公国側はネフスキーと彼の兄弟アンドレイの率いる1000人、さらにノヴゴロド民兵2000人、フィン・ウゴル族1400人、弓騎兵600人の合計5000人だった。

ドイツ騎士団と十字軍は凍結した湖を超えて突撃し、大公国軍の陣に到達する。そこで数が多いノヴゴロド民兵に捕捉されると突撃の勢いは鈍化し、凍った湖面上で激しい戦闘が行われた。2時間の戦闘後、ネフスキーは両翼の部隊に突入を命じた。凍った滑りやすい氷上での戦闘に疲労を重ねていたチュートン騎士団と十字軍は湖面の奥に押し込められ、さらに新たに投入されたノヴゴロド騎兵の出現にパニックに陥った。
チュートン騎士団と十字軍は湖の中で集結と再編成を試みるが、薄い氷が重装甲の重さで割れ、多くの騎士と兵士たちが溺れた」と言われているが、この氷が割れ溺死者が出たというイメージは1938年の映画による影響だという声がある。

影響

この戦いの結果、ドイツ騎士団の東方への拡大は阻止され、東方正教会と西のカトリックとの勢力圏を分ける境界線として、ナルヴァ河とペイブス湖を通るラインが確立した。十字軍による要衝Pskovの奪還は阻まれ、ネフスキーとノブゴロド大公国はロシアの領土を守ることに成功した。十字軍はその後それ以上の東方侵攻を企てることはなく、ネフスキーは1574年にロシア正教会で聖人として列聖された。

近年の研究では、戦いはしばしば描かれているほど重要でも大規模でないと言われている。ドイツ騎士団のほとんどがその時までにバルト海の他の場所で活動しており、大規模な損失を受けたという記録はないという点、またスウェーデンの記録にもこの戦闘に関する言及はないことから、衝突は大規模なものではなく、日常的に起こってきた多くの衝突のひとつに過ぎなかったのではないかという説だ。
またある学説では、キリスト教を保護するようにとの教皇勅書が1233年と1237年に発布されており、最初の勅書にはロシアについて明確に言及されている。また1238年6月、スウェーデンデンマークドイツ騎士団デンマーク王の肝いりで同盟を結び、大規模な騎士団を組成した。ところが1243年になるとノブゴロド大公国とドイツ騎士団は、ドイツ騎士団がロシアの土地に対するすべての主張を放棄するという条約を締結している。この期間内に勢力関係を変えるなんらかのものがあったのは確かではないかということだ。
当時の騎士は従者・射手・使用人など8~30人の戦闘員を擁していたことから、チュートン騎士団が被った損失は大きくとも数百ではないかという。

こちらの説明も史実性に疑問が示されていて、氷が割れてチュートン騎士団が大損害を受けるといったドラマティックなことは映画の中だけの話ではないかといった書きっぷりになっています。とはいえ、この頃の後、チュートン騎士団が東方への侵攻を止めたという史実から、なにかしらのものはあったのかもねということの模様。

ロシアと対峙しているのはチュートン騎士団は有名なので次の通り。
ドイツ騎士団というのが総称でチュートン騎士団はその一部かと思っていたら、ドイツ騎士団=チュートン騎士団とのことです。確認してみるものですね。

ja.wikipedia.org

 

ゲームの紹介

チュートン騎士団に代表されるキリスト教を信奉する側と、東方正教会ギリシャ正教)を奉じるノヴゴロド大公国との2陣営による戦争を扱っています。

期間は2年間、1ターンは1.5ヶ月相当(ゲームでは40日と書かれている)、キャンペーンは全16ターンになります。ロシアが舞台ということで1年の半分は冬になります。冬になると、活動可能量は減らされ、河川や港が凍結し、陸路は雪に覆われるため、運搬手段に制約が生じます。

 

プレイヤーを苦しめる3つの制約事項

両国はそれぞれ諸侯を動員して行軍させて戦闘をします。
ところがここで3つの制約に悩むことになります。

  • 動員期間
  • 糧秣
  • 補給線と運搬手段
諸侯の動員と「動員期間」

動員する諸侯とプレイヤーが操る主君は封建的な主従契約の関係にあります。各陣営はおおよそ2~3人から最大6~7人の諸侯を動員することができますが、諸侯はそれぞれ動員期間の定めがあり、その期間がすぎると自分の本拠地に帰国してしまいます。前線の重要拠点を守備していようが、敵の城塞を包囲中であろうがお構いなしです。諸侯によって異なりますが、だいたい2~6ターンが動員期間になります。動員期間を延長してもらうことは可能ですが、その際は報奨が必要です。徴税した資金か、略奪した宝物です。ただ報奨を使ったとしても1ターンずつしか延長してくれませんので、限界があります。一定期間がすぎれば再動員は可能となります。また動員中に十分な糧秣を与えなかったりすると諸侯は早めに帰国してしまうこともあります。
ゲーム中、諸侯の動員期間をにらんでローテーションを常に考えなければなりません。

糧秣と補給線と運搬手段

マップ上の諸侯とその軍団がなにかしらの行動を行うと基本的には糧秣を消費します。移動、戦闘、籠城といった行動です。糧秣を得るには、諸侯は自分の本拠地からの補給線をたどり「補給」してもらう、「徴発」する、または「略奪(荒廃)」する必要があります。
諸侯の部隊が移動する際には糧秣を持っていくのですが、糧秣を運搬するには運搬手段が必要です。運搬手段はさらに自分の本拠地との補給線を形成するために必須となります。遠隔地まで遠征するのであれば、長大な補給線を形成する必要があり、そのためには十分な運搬手段を確保する必要があります。

マップは拠点同士を結んだピアトゥピア様式で描かれていますが、陸路と水路があります。陸路を通る場合は荷馬車、水路であれば舟(Boat)を運搬手段として保有する必要があります。また海の場合は船(Ship)という手段もあります。
さらには、冬季になると、河川用の舟(Boat)と外洋用の船(Ship)は使えなくなり、代わりに水路・陸路ともそり(Sled)を使う必要が生じます。

既述の通り、長大な補給線のためにはそれだけの運搬能力が必要となります。またその遠征部隊の規模が大きい場合も必要となる運搬手段が増えます。糧秣を多めに前線にもっていこうとする場合も同じです。

動員期間の制約の中でどこまで増強するか?

諸侯は動員された初期状態で最低限の運搬手段と糧秣を保有しているのですが、遠征を発動するにあたっては不足ぎみのため増強する必要があります。では十二分に運搬能力を増強して、糧秣を貯めてから出征すればいいじゃないか、ということが考えられますがそれも簡単にはいきません。それぞれ増強したり蓄積したりする手段は限定され、かつ諸侯はそればかりをやっているわけにはいきません。なによりも動員期間が終わると諸侯はあっさり帰国します。運搬能力も糧秣も諸侯の固有のリソースのため、帰国とともに増強・蓄積した分はいったんクリアされるのです。再度、動員された際には出現位置も含め、初期状態から始める必要があります。

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コンパクトですが美しいマップです。ただ一部のシンボルのサイズが小さくで見落としてしまいがちです。左手がチュートン騎士団の領地、右手のオレンジ色の領域がロシア領です。都市の横に描かれたシンボルマークは対応した諸侯の本拠地を現します。本拠地から前線までの補給線を考えるとそれなりの運搬手段が必要となります。

 

戦闘ルール

諸侯はそれぞれ自分の軍団の兵力や保有している運搬手段や糧秣を表示するためのデッキをもっています。デッキ上には兵力の駒、諸侯が動員した部下にあたる騎士などを表示します。またカードによって得られるスキル(だいたいは戦闘を有利にする)を表示します。

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手前の黄土色のカードが動員されたチュートン騎士団の諸侯の戦力や保有する資源を表すデッキ。その中の木製駒が動員された兵力です。兵力を表す木製駒は兵種により色や形が異なります。このあたりのコンポーネントの美しい点もこのゲームの特徴ですね。諸侯の家紋のはいった円筒形の木製駒がマップ上にあり、位置を示しています。

 

戦闘ルールはけっこう凝っています。

戦闘には野戦、攻城戦(包囲)、攻城戦(強襲)とがあります。
兵種も多岐にわたっており、騎士、騎兵、軽騎兵、アジア騎兵、歩兵、民兵農奴兵が登場し、それぞれ打撃値や防御値が異なり、武装が異なります。戦闘解決は装備している武装により参加する部隊が異なり、射撃戦、騎兵突撃、歩兵突撃とすすみます。

戦闘では、本隊の他、左翼・右翼の部隊を配置する簡易戦術マップを用います。戦闘解決は基本1D6を用います。

 

プレイ

チュートン騎士団を担当、Yさんがロシアを担当しました。
結果は冒頭に書いたとおりさんさんたるものでした。

第1回目、南方戦線で国境の城塞に手こずり(主にダイスの目が悪かった)、北方でも進撃を図るものの、そうこうするうちに前線では糧秣が不足し(運搬手段が十分ではなかった)諸侯が次々と帰国することになるというローテーションの計画不足で破綻。

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黒の円筒がチュートン騎士団の諸侯、白がロシア。
南方(右手)のほう国境付近で3個駒が集結して、城塞を包囲中。突破したと思ったら軍役の期限から次々と諸侯が帰国してしまう事態に・・

 

第2回目、1回目の反省から輸送手段と糧秣をある程度貯めてから進撃を開始、国境の城塞もなんなく突破し、史実でも激戦地となったPISKOVにとりつくが・・。

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国境を突破した騎士団はPSKOVの街に包囲(写真)。ところが戦備を整えていたロシア軍本隊が首都付近(写真には写っていない)から急速進撃、PISKOV郊外で会戦となった。精鋭を自認するチュートン騎士団に対して、民兵農奴兵など数に勝るロシア軍はさらに弓兵装備の改良を実現するというカードにより射撃戦で有利に立った。騎士団の騎兵突撃も民兵農奴兵による人海戦術的な損失吸収により威力を鈍化され、騎士団は壊滅し、敗北した。

感想戦

直接的な敗因はチュートン騎士団側が冒頭に運搬手段と糧秣、さらには資金の確保にはしったため侵攻の初動が遅れ、PSKOV攻略時にロシア軍本隊が間に合うということにななりました。これについて、ロシア軍の軍備が整わないうちに侵攻する電撃戦が必要だったのではないかとYさん意見。
またあっさりとチュートン騎士団が敗北をした原因として、今回のPSKOV会戦に参加した騎士団側の諸侯が、部下である騎士をほとんど動員していなかったことが指摘されました。個々の戦力としては精鋭だとしても今回のようなロシア軍が十分な動員をもって民兵農奴兵を使った人海戦術を行うといかに精鋭であろうとも危ういということが証明されたということでしょう。

PSKOV攻略で手詰まりになるのであれば、PSKOVを迂回してその他の街や村へ焦土作戦(「略奪(荒廃)」を行う)をするのはどうかという意見については、地理的にはPSKOVの重要性は高く、これを迂回して奥地に補給線を通しながら侵攻をするのは難しいのではないかという意見、またPISKOV自体の勝利ポイントを考慮すると、同街を外すという選択肢は難しいのではないかという意見が出されています。

 

チュートン騎士団は全般に諸侯の軍役の期間が短く、初動の侵攻直後に即帰国という懸念が十分にあります。さらには資金の調達手段が徴税か略奪しかないため、これもまた軍役期間の延長などの阻害要因になっています(ロシアは貿易により資金を得るという手段があるのと、もともとロシア側の諸侯の軍役期間は騎士団側の諸侯よりも長いことが多いです)。

侵攻のため糧秣と運搬手段を確保しつつ、諸侯の部下の騎士たちを動員し軍備を整え、かつ短い軍役期間を前提として諸侯の動員のローテーション計画をたてるといったことがチュートン騎士団側のプレイヤーには要求されるでしょう。
目先の状況への対処だけではなく、数ターン先の状況を読みながらのプレイということで、本作はかなりタフな思考が要求されるように思います。こうしたあたりが、ベストゲームと喧伝される理由なのでしょうね。

 
 

 

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ゲームの中身、コンポーネントは素晴らしいのにこの微妙なボックスアートはなんだろう?空から見下ろす兜をかぶったおっちゃんはどう見ても故人の雰囲気だよね。

*1:正確には2019年末頃リリースされた作品とのことです

*2:念のためウィキの英語記事をあたってみると、英語記事は日本語記事よりも全体に若干分量が多い。これらの疑問視されているネヴァ河畔の戦いについては、「・・・この想定の戦いについて、ロシア以外に言及している文献はない。」、氷上の決戦についても、「ロシアの歴史家が指摘するような数百の騎士の損失ではなく、もっと少ない損失だったのではないか」といった主旨の表現がなされており、日本語記事と主張を同じくしている。

*3:現タルトゥ:エストニアの第2の都市。Dorpatはドイツ語古称