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歴史、ミリタリー、ウォーゲーム/歴史ゲーム/ボードゲーム

大河ドラマ「太平記」13話「攻防赤坂城」

一週遅れとなってしまったが、大河ドラマ太平記」13話を見た。

前回までのあらすじ

楠木正成武田鉄矢)は、笠置山に籠もる後醍醐天皇片岡仁左衛門)と公家達に対し、一か所にとどまるのではなく、複数の場所で蜂起するべきだ、と献策する。関東に反北条の軍が興るまで、それまで負けぬ戦をする必要がある、と。
正成の言に従い、各地で朝廷方の武将達が蜂起、正成自身も500人の手勢と共に河内で北条の拠点を襲った後、河内の赤坂城という山城に籠もる。

一方の足利高氏真田広之)は、笠置山包囲の幕府軍として参陣するが、弟直義(高嶋政伸)には朝廷側の軍勢に対して「一本の矢を射るつもりはない」と告げる。

ところがその笠置山は、幕府側の一御家人陶山某とその郎党の奇襲によりあえなく落城。河内に逃げ延びようとした後醍醐帝も幕府軍の手に落ちたのだった。

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六波羅の評定

冒頭ナレーションにおいて、各地の朝廷側の武家が相次いで蜂起していった事、また楠木勢が籠もった赤坂城の様子などが丁寧に語られる。
「騎馬戦を得意とする幕府軍に対し、楠木勢が取り得る唯一の戦法が山岳ゲリラ戦術だった」という説明には半ば首肯しつつも、では楠木正成がとった戦法・戦術はゲリラ戦術なのか?という疑問が湧く。
後世の後付け理論でゲリラ戦術という言葉でなんとなく理解した気になっているだけのような気もする。
実際、楠木正成鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代になってからの戦闘においては奇策・奇手に出ることなく平地で戦っているように見えるので、決して彼らが”ゲリラ戦”的戦い方を特別に身に付けた集団というわけではないように思える。まぁ、ここではそれを論じるだけの時間も材料もないので今後の宿題としておく。

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笠置山が落城したことを受け包囲していた北条方の武将たちは京都六波羅に戻り、今後の対応について協議を行う。
「・・すでに新帝が御所におわするのじゃ。先帝に何のはばかりがあろう。すみやかに処したてまつり、諸国で反乱を起こしている武者共に、先帝は消え失せた、と大音声で知らせてやればよい。
強硬な意見を主張しているのは、北条一族の一支族で足利家との関わりも深い金沢貞顕児玉清)の子金沢貞冬(香川耕二)。
「処したてまつると申しても、鎌倉の御裁決を仰がねばならぬ。それまで河内の楠木殿を放置しておいてよいものやら?ここは一気に戦を仕掛け・・」
幕府評定衆のひとりで僧形の二階堂道蘊(北九州男)は、帝への処置より先に楠木討伐を優先するべきと主張。幕府遠征軍総大将の大佛高直(河西健司)も同様に、帝の処置は六波羅に任せ、遠征軍は楠木正成討伐を行うべし、と言う。
「楠木ごとき、たかだが500の兵でござるぞ」
「そを一月たっても落とせぬとあっては、幕府軍の名折れぞ」
「さよう!」
「一気につぶしておかねば!」
並み居る武将たちは口々に勇ましい主戦論を主張する。
終始黙って聞いているいる高氏。
「されば、手順を申す・・。」
意見の一致を見たところで、大佛高直より楠木討伐の陣立ての説明がはじまった。*1 

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京都の訪問者

六波羅での戦評定の後、逗留している上杉憲房藤木悠)屋敷の高氏の元に一人の若い公卿が訪ねてくる。
名門北畠家北畠親房の嫡男北畠顕家後藤久美子)。
顕家は高氏に対し、北畠親房に会うため、北畠邸まで来てほしいと依頼にきたのであった。

庭先で弓矢の的の前に糸を通した針をぶらさげ、その針を地面に落とすことができれば勝ちという勝負を、足利家内の腕自慢の郎党と行い、顕家は勝利を納める。
その秘訣を教えるということで高氏と面談をねじ込んだ形となる。

「・・下げた針を射落とすとは見事な腕前、あの針がよう見えましたな?」面談の席で高氏。
「見えてはおりませぬ」答えるのは顕家。
「はて、では何故、射落とせました?」
「それをお教え致せば、我が父、親房と会うていただけましょうや?」
「お父上と?」
「父親房、足利殿にいささか所望のこと侍りて、ぜひお会いいたしたく、お渡り願え得ぬものかと、申しておりまする」
「ほぅ、不思議なことを申される。北畠親房卿は、和漢の学問を究められた都随一のお方」
「何卒お渡りいただきたく」
理由も言わずにひたすらにあってほしいと依頼を繰り返す顕家に「はて・・」困惑する高氏。
針を射落とせた理由を「神仏のご加護があったから」と答える顕家に、
「北畠殿には神仏のご加護がついているのか」と高氏は訊ねる。

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元弘の乱のさなかに後醍醐天皇の側近になるような公卿が後醍醐天皇籠城の時期にまだ京都にいたのかという疑問があるのだがこの時、北畠親房は少し前の1330年に出家し、いったん政界を引退していた模様。このため元弘の乱などの幕府転覆の企てには参加していなかったということらしい。

北畠顕家は後に後醍醐帝による新政が始まってから軍事の才を開花させるが、生年から計算するとこの時はまだ14歳ということになる。

で、この14歳の少年を後藤久美子が演じ、美少年設定となっているのだが、この顕家美少年説はあながち根拠がない話でもないらしい。

美少年伝説と言えば源義経あたりもそういう脚色が施されること度々だが(2005年の大河ドラマ義経」で滝沢秀明義経役をやったことで有名。なお、義経元服前の少年時代は神木隆之介!がそれを演じていた模様)、「平家物語」では色白で背が小さく、盛大に反っ歯だったと描写されている。それが、後世散々に脚色され今のような美少年設定となっている模様。司馬遼太郎も、義経の事は、色白・小柄・反っ歯の王子(その上、貴種ということで各地で女をあてがわれ、種馬のような状態だった)と身も蓋もない描写を小説「義経」で書いている。

一方でこの北畠顕家は、元弘の乱の発覚の前に後醍醐天皇の前に「蘭陵王(陵王)」という舞を舞っており、この踊りが描いている蘭陵王は中国は北斉の眉目秀麗を謳われた武将だったということらしい。で、その舞を舞った顕家も美少年ということの模様。生前の絵姿などは残っていないため想像するしかないのだが、少なくとも源義経以上には美少年だったと判断される。

余談が長くなっているが、この北畠顕家を演じる後藤久美子
低めの声で落ち着いてセリフを回している様子は意外と悪くない。
ふと白拍子の藤夜叉役の宮沢りえと役柄が逆だったら、と思ったが、宮沢りえには少年役は難しいだろうから、まぁこうならざるを得なかったのだろうな。

結局、顕家の再三の依頼に高氏は北畠邸に向かうのだが、弟直義がそれを後から聞き及びあわてて高師直柄本明)が饅頭のようなものをつまみ食いしているところに怒鳴りこんでくる。
「師直!、ワシに黙って兄上を外にお出しするとは何事ぞ?」
は?

直義が師直を嫌っているように師直も直義が好きではないのだろうなという感じがありありの気のない返事。

「しかも、北畠親房卿の招きに応じたというではないか。北畠は笠置派の公卿、これが幕府に知れたらなんとする!」
「師直も左様申し上げたのですが、殿が大事ないと仰せられ」
饅頭を口に頬張ったまま答える師直。
「どう仰せられてもなおもお止めするのがそちの努めだろうが!」
茶碗から水を飲んでやっとおちついた師直がそこではじめて直義に対座。
「お言葉ではござりますが、殿が行くと仰せられているものを、執事のそれがしごときが、お止めいたすのはおそれがましゅうございます。」
と直義に頭を下げる。
「そちがおそれがましゅうのなら、ワシを呼べというのだ」
直義の言に、師直は不服げに口を曲げてみせる。
「殿は足利家の惣領、いちいち弟君のお許しをいただかねばならない云われはございませぬ。」としゃぁしゃぁと言ってのける師直。
「・・・なにぃ!」直義はいまにも爆発しそう。
いやぁ、どうも殿は、帝やらお公卿やらに気を使われすぎますな。はは・・・ええ、どうも・・困ったもんだ・・」と師直は立ち上がり、独り言ともつかぬ言葉を残し、饅頭(のようなもの)が置いてある高杯の器を手にひょこひょこと奥に引っ込んでしまう。

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生一本実直な直義を飄々と世を渡るような師直が体よくかわしながらのやりとり。反りがあわないとはこのことか。

直義が飛び込んできた時に高師直が食べていたのが何だったのかと思い調べると、日本で今の饅頭のようなものが出てくるのは、砂糖の普及など、もう少したってからの1340年代の京都の模様。でもあの掴み方は団子でも餅でもなく、饅頭なんだよな・・。

大納言の依頼

高氏は北畠顕家に案内されるまま北畠邸に行くと、聞き慣れた高笑い。
佐々木道誉陣内孝則)が壺を片手に、北畠親房近藤正臣)と談笑中であった。すかさず高氏の姿を見つけた道誉が声をあげる。
「いやぁ、参られた、参られた」
声の主を見ても高氏は表情こそ崩さぬが、思うところはある様子。まぁそうだよね。有る種の腐れ縁というべきか。

親房は立ち上がり丁寧に挨拶をする
北畠親房にて候・・。そもこちらこそ罷り越すべきところを、不躾にもお呼び立て致し、おそれがましゅう・・。」
足利高氏にございます。」

「・・さて、客人も参られた、邪魔者のそれがしは退散いたすべし。」
などと口にしながらも、間にはいっていく道誉。
「大納言殿はのぅ。この判官が茶や花をお教え申した都一のお弟子じゃ。
此度の戦で都に来たついでに、上達されたかと見に参ったが、未だに鳥羽のお茶と宇治のお茶との違いがおわかりにならぬ。困ったお方よ・・ははは・・」
口うるさき判官よ、とく帰れ」あまりのいいっぷりに親房は冷たく告げ、道誉はニヤケ顔のまま立ち去る。

「どうにもわからぬ男じゃ。朝廷方に同心すると申しては、鎌倉に浸りきり、鎌倉方かと思えば、こうして何の前触れも無しにこちらの顔色を見に来る。およそ節操というものがない。かしましく思し召されたであろう。許されよ。」

対座した高氏と親房。改めて口火を切ったのは親房。
「足利殿、貴殿に伏してお願いしたき議がござりまする。
・・六波羅におわす帝を、密かに害し奉るべし、暗殺致すべしという声が、鎌倉軍の中にあるとの噂を、耳に致しました。お聞きお呼びであろうか?
・・足利殿の力で帝のお命をお守りいただけまいか。
・・帝は万民を思い、世を正さんと・・真に我らが奉ずる名君にて、六波羅の手にかかるは・・。なにとぞ足利殿のお力で、帝のお命・・」と深々と頭を下げる親房。

「それがしも鎌倉軍のひとり。なにゆえ、そのようなことをそれがしに?」
逆に訊ねる高氏に
「笠置の戦を、我が家人がつぶさに見てまいりました。
鎌倉の大将軍の中で、帝の兵に矢を向けず、戦うそぶりを見せなかったのは足利殿ただひとり、と。・・それだけの事でおじゃるが・・
と言い、じっと見つめる親房。
「そは、なにかの見間違いでござりましょう。それがしは鎌倉に仕うるもの、こちらに罷り越したるは、ご子息顕家殿の指に宿った神仏に惹かれての事。他意はござりませぬ。
・・さりながら、帝を密かに害し奉ることは我が本意にあらず、帝が六波羅におわします間は、鎌倉勢が指触れ奉ること、厳に慎むべしと申し合わせる所存。
この高氏、一命に変えてお約束いたしまする。
・・それではよろしゅうございますか?」
「足利殿・・」
「では、他に所用もござります故、これにて。」
「かたじけない」 

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さぁて、近藤正臣と言えば、「真田丸」での謀将本多正信役の印象が強い。少なくとも一筋縄でいかないキャラなのではないかと、早くも思ってしまう。
今回も、なぜ自分なのかという高氏の問いに答える、親房の凄みのあるセリフ。いやぁ、怖い怖い。

親房の前を辞した高氏を道誉が待っていた。
日野俊基殿の次は、北畠親房殿か?
・・やはりご辺はあやしいの。
北畠殿はどのような話をなされた?帝を奪い返す手引をお頼みになったか、それとも御辺とともに一気に兵を挙げ、北条軍を挟み撃ちか?
いやらしく絡んでくる道誉。
「だとすればいかがいたす?」
まだ早い。まだ駒不足じゃ。・・やるなら勝たねばのぅ。勝たぬならやらねばよい。それを間違うようでは先が覚束ぬ。ワシと戦をするはめになるぞ。
・・北条殿への手土産に御辺の首を持ち帰ることになる。
「お気遣い、痛み入る」と高氏は道誉に頭を下げ、立ち去る。
「表には六波羅の目が光っておる。・・裏口から出られたほうがよろしかろう」
と道誉は反対側を指し示した。
が、高氏は表のほうへ歩んでいく。

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赤坂城攻略

10月半ば、鎌倉軍が京を立ち、赤坂城攻撃に出立する中、高氏は出陣の用意をした直義を呼び止め、京に残るように頼む。
「・・帝を害し奉る動きあらば、帝にもご動座いただかねばならなくなるやもしれぬ。鎌倉の処断が届くまでは勝手なふるまいは誰にもさせてはならぬ。よいか?」
急な依頼に不満げに鼻を鳴らす直義。
そうまでして先帝をお護りいたしてどうなります?もはや新たな帝はおわしますのじゃ。
お護りしてどうなるか。ワシにもわからぬ。だがのぅ、六波羅におわす帝はただならぬ方ぞ。それゆえ暗殺の動きもあるのじゃ。
ここまで幕府を揺り動かしたお方じゃ。ゆゆしきお方ぞ。
後は頼むと再度懇願され、直義は釈然としないままその場に座り込む。

このあたりの高氏の真意はいまひとつはっきりしない。
自分の意をくんだ動きができる人物として直義を京に残したのはわかる。
その上で囚われの後醍醐帝を護れと言うのは、単に恐れ多い存在とする尊王の思いか、北畠親房の依頼を受けてか、遵法の考えで正式な処分前の被疑者を保護しようとしたのか、はたまた、今後強大な北条一族を倒すために、必要と考え残そうとしたのか・・。

いつどのような形で倒幕を決めたのか、という一大命題につながるだけにこの時点、説明不足感が大きかった。

間諜一色右馬介

伊賀の国、藤夜叉(宮沢りえ)とちょうど訊ねてきていた具足師柳斉(大地康雄)が話をしている最中に、花夜叉(樋口可南子)一座がやってくる。
「藤夜叉、”石”を助けたいか?」花夜叉は訊く。
赤坂城はすでに2万人の幕府軍に包囲され、昨日から抜け道も塞がれてしまったという。
「であれば、柳斉殿にお頼みするのじゃ。伊賀から攻め上る足利高氏殿に”石”を助けるよう頼んでいただけぬか、と
そっと土間から外に出ようとした柳斉を、一座の男衆が取り巻く。
「ここをお通りになるはずじゃよ。赤坂城を攻めるために」
花夜叉のいでたちに比べると、藤夜叉は身につけるものは粗末で地味であった。

柳斉殿はその道案内役じゃ」花夜叉のきっぱりした言に反応して、柳斉は逃げるが、男衆により納屋の奥に追い詰められる。

「足利家の忍び、一色右馬介殿、ようやく見参かないました。
・・重ね重ねの無礼、非礼お許しくださいませ。こうでもせねば、話お聞き願いまいと存じ、かかる仕儀にあいなりました。平に・・」
花夜叉はじめ右馬介を追い詰めた男衆も含め平伏する。
「・・一色殿が大和の諸豪族に会い、足利軍に弓引かぬ様密かに話をつけておられると聞きおよび、大和路をお探し申しておりました。それが柳斉殿とは・・。
・・一色殿にお願いしたき議がございまする。楠木一族をお助けいただけませぬでしょうか。楠木正成でございまする。幕府軍の到着を待つまでもなく、赤坂城の命運はすでに見えておりまする。落城となれば楠木は、服部殿を頼りにこの伊賀に落ち延びましょう。そこへ足利殿が矢をいかけられますと、楠木の逃げ場は塞がれまする。
・・どうか足利殿に、お見逃しいただきたいのでございます。楠木正成は今助けおかれれば、いずれ必ず、足利殿のお力になりまする。必ずお力に・・」
「ほぅ・・足利の力に・・。花夜叉殿、おもとはいったい何者じゃ?」と右馬介。
楠木正成の妹でござりまする。名を卯木と申しまする。」

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花夜叉がどうやって右馬介の正体や目的、果ては沿道の豪族の調略などの行っている事を知ったのかは不明。
ただ田楽一座として諸国を巡ることができるというので独自の情報網を持っているという解釈もできなくはない。が、誰の指示の元に動いているのか、または独自の活動なのかはいまひとつはっきりしない。

赤坂城落城

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1ヶ月の籠城後、赤坂城も最後の時を迎えようとしていた。楠木党に混じり籠城していた公卿達は先に投降させ、大塔宮(堤大二郎)は脱出させていた。
「朝まで持ちこたえられようか?」正成の問いに恩地左近(瀬川哲也)は、
「恐れながら、矢はすでにつき、兵は3日何も食べていない」と答える。

「よし、皆に伝え、これまでよーく戦った。・・落ちたいものは落ちればよい。」と正成は宣言する。
「ワシは今から伊賀まで突っ走る。敵にはここで死んだと見せかける。」と言い、道案内に”石”を連れ脱出していく。

伝でも正成は城の中央に大穴を掘らせそこに死体をいれ火をつける。折からの強風で火が燃え上がり、正成らの戦死を偽装したと言われている。

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感想

もともと高氏の人物像として口数は多くなく、自分の心中を出さない人物として描かれてきた。父貞氏が隠居し家督を継いだ頃よりようやく多少話すようになったが、ここに来てわかりにくい印象がある。

現状の鎌倉幕府に対して腐っているという認識で、一時は義兄の赤橋守時と改革をすすめることができるのではないかという思いはあったが、結局のところ、赤橋守時も執権こそなってはみたものの、実権は長崎父子や北条家得宗北条高時に握られたままで、中枢部にはいるどころか阻害された状態のまま。

日野俊基の勧めに従い後醍醐天皇をちらりと見かけてみたりはしたものの、直接拝謁したりした訳でもなく、一方で叛乱をおこした後醍醐帝の軍に弓を引かないと言ったのは一般的にある尊王の気持ちからだけなのか?

今エピソードで直義から、すでに新しい帝がいるのだからという言い方をされたのに対し、「幕府を揺り動かしたお方なので、ゆゆしきお方」という答え方しかできていない。

それからすると今回久しぶりに登場した佐々木道誉のほうがまだ自分の野望を隠さないだけにまだ素直に見える。

結局、高氏がどうしたいのか、彼の行動原理やその目標がいまだにわかっていない、そういう状況に見える。

 

 

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*1:劇中のセリフをそのまま起こすと、大佛高直率いる第一軍は大和路から水越峠を経て赤坂へ、金沢貞冬率いる第二軍は、河内讃良(ささら)から高野路へ。第三軍は平野街道。足利軍は第四軍として伊賀方面の叛乱軍を攻略しながら河内の赤坂城に迫るというので、いったん河内から逆方向に出て伊賀を通り、大和、河内と行く模様

大河ドラマ「太平記」12話「笠置落城」

前回までのあらすじ

後醍醐帝(片岡仁左衛門)は奈良山中の笠置山に依り挙兵する。だが期待していた諸国の武家からの参加が振るわず、兵力は集まっていなかった。後醍醐帝は、日野俊基が強く推挙していた楠木正成武田鉄矢)宛に勅使を派遣することにする。

鎌倉幕府笠置山六波羅軍で囲むものの一度に落とせなかったことから関東から増援を出すこととなる。亡父貞氏(緒形拳)の喪中であった足利尊氏真田広之)の元にも出兵が要請される。
幕府を牛耳る内管領長崎高資西岡徳馬)は足利への出兵命令を、旗幟を鮮明にしない足利家への踏み絵だ、と言う。
高氏の義兄にあたる現執権赤橋守時勝野洋)は、自分に実権がないため出兵命令を止めることができなかったと、高氏に頭を下げる。
高氏の真意がわからないという妻登子(沢口靖子)に対して高氏は、「兵は出すが、戦をするつもりはない。無事に、すぐ帰ってくる」と伝えた。

楠木正成河内国守護代の北条家の代官に、幕府方でも朝廷方でもない、と宣言するものの、領地の農民達が収穫したばかりだった穀物・食料は強制徴用され、家内からも笠置山の朝廷側への参加を希望するものが出るなどしていたところに、勅使が到着する。
勅使万里小路藤房(大和田獏)は、最初は高圧的に、最後は泣き落としまでして正成の挙兵を促すが、正成はひたすらに固辞し続ける

その夜、正成は妻久子(藤真利子)と話す。
女子供も巻き込む戦はで家も何もかも失うという正成に対して、久子は言う。
・・すでに家中は否応なく巻き込まれている。帝から直々に依頼がくるなど誉である。家を気にして迷い苦しむくらいならいっそ先に処分する。そうでなければ、一生後悔することになる・・久子の覚悟に促されるように、長い戦になるぞ」と言い、正成は挙兵を決意する。

 

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足利軍、西進する

各地の一族の兵を参集させた足利軍が遠江橋本宿で野営、田楽一座などを呼んでの酒宴に、先に寝ていた弟直義(高嶋政伸)が、血相を変えて怒鳴り込んでくる。
高氏は直義を外に連れ出す。
「・・父上が亡くなられてまだ半月じゃ、しかも我らが向かう相手は笠置におわす帝。よう、歌など歌えますな!」激昂する直義。
「・・みな歌でも歌わねばやりきれまい。やりきれぬ気持ちはそなただけではない。それがわからぬのか」と高氏は逆に直義を叱責するが、ばつが悪くなったように本心を語る。
「・・そなたには初めて申しおくことじゃが、此度の戦でワシは太刀を抜かぬつもりじゃ。足利党は殿(しんがり)を守り、矢は一本も射たぬ。帝の兵が来れば逃げる。ひたすら逃げる。それ故、笠置にはゆっくり参る。
「では・・兄者は」
「とは申せ、日野俊基殿を見殺しにしたように、帝の兵を救うことはできぬ。しょせん見殺しじゃ。」
直義は高氏の覚悟に何かを言いたそうに口を開きかけるが、言葉が出ない。 

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今回の、宴の最中に直義が怒鳴り込んでくるシーンに高師直柄本明)が宴の中で静かに鼓を鼓している姿が映る。生真面目直情的な直義と対比的に描写されているかのよう。この後も、直義と高師直との描写は注目したい。

足利軍の逗留場所が橋本宿ということで聞き慣れない地名だったので確認してみると次の通り。
承久の乱などでは軍事的要衝として重視されていた。1498年の大地震と1510年の〈高波〉(台風による高潮とみられる)によって,宿駅としての機能を失った。”とあって、当時は栄えた宿場町だったようだ。kotobank.jp

一色右馬介大地康雄)が急ぎお目通りさせてほしいと訊ねてくる。
かつては高氏の腹心として常に同道していた右馬介だが、いまは亡き貞氏の命により、長年、伊賀国はじめ畿内に潜伏していたのだ。

「急ぎ、殿の耳にいれたき議が・・。」
久しぶりの主従の再会だが、十分に久闊を叙する間もなく右馬介は辺りを憚りながら耳打ちする
「此度の戦、長引くかもしれませぬぞ。どうやら河内の楠木正成殿が腰をあげ、帝の陣に加わる気配にございます。・・楠木が立てば、伊賀の服部、伊勢の関など大和あたりの豪族輩も次々呼応して立つこと必定、これに播磨や備後の反北条勢が加われば、都周辺は戦の巣となります。下手をすれば幕府軍は苦戦、足利党もいやがおうもなく巻き込まれかねます。帝の兵に、一本の矢も射たぬということでは、済まぬ場合も・・その時はいかがなされます?
「どうすればよい?・・かと申して、皆が束になっても、まだまだ北条殿の屋台は揺らぐまい。
「御意」
早すぎる。・・何もかも、早すぎるぞ

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笠置山の軍議

後醍醐帝らが籠城する笠置山楠木正成が郎党を率い入山し、後醍醐帝に拝謁する。
日野俊基の推挙や事前の評判もあり公家たちは正成の一挙手一投足にも注目している。どうすれば勝てるのか?という大塔宮護良親王堤大二郎)の下問に対して正成が答える。
鎌倉方は有力御家人を幾多も抱え、兵力、兵の質とも比べ物にならないと、正成は言う。
「・・かかる関東を破る手立てはござりませぬ。さりながら柿の実も熟れてしまえば地に落ちます。関東が自ら崩れさる時が来たらば、我らも利ありましょう。」
「その日はあるか?」挑むように腕を振り上げる護良親王
「北条憎しの機運は関東にも満ち満ちているはず。亡き日野俊基殿がまかれた種がそろそろ花を咲かせる頃かと・・」と改めて平伏する正成。
「それをいつと読む?」と護良親王
わかりませぬ、明日かもしれず、明年やもしれず、2年先になるやもしれませぬ。
粛と言葉が出ない公家達。後醍醐天皇も黙したまま話を聴く。

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「いずれにいたしましても、我らは関東に火の手があがるのを待たねばなりませぬ。それまで負けぬよう、戦をいたすしかござりませぬ。」
「負けぬよう?」返したのは四条隆資(井上倫宏)。
「勝ぬまでも負けぬ戦はござります。」四条に向き直り答える正成。
「いかようにいたせば負けぬようにすむか?」
敵を撹乱し、この山に集中させぬことでございます。備後の桜山殿は備後に帰って兵をあげ、赤松殿は播磨にて火をあげる。この兵衛は、河内に城を築き、敵の背後を突きましょう。
この山を守るは、この山を離れることでござりまする」はじめて顔をあげ、後醍醐天皇のほうを向く正成。
「下にも」という後醍醐天皇の言葉に、深々と伏する正成。

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楠木正成の献策に貴族達がどのような反応をするかと思っていると、反応するよりも早く後醍醐帝が「下にも」(=全くそのとおり)と言ったがため、誰も文句を言えなくなった印象。
なるほど分散して各地で蜂起する事を、正成による献策として扱う事で、正成の軍事の才の一端を見せようとしたのか、と感心した。

それにしても高氏の言にしても正成の言にしても、日野俊基は早々と死んだものとされている(実際は今回の元弘の乱への処分が決まった翌年に処刑されている)。死にあたって劇的なタイミングというものがあるとすれば、このタイミングだったということなのだろう。

楠木正成の口上の中に朝廷派の武将幾人かの名前があがっているが、馴染みの薄い”桜山殿”をあたると次のような説明があった。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

 

楠木屋敷退去

拝謁した楠木正成の帰宅の一足先に伝令として”石”(柳葉敏郎)が楠木屋敷に向かわせられる。連絡を受けた久子はじめ一族は荷物をまとめ、住み慣れた屋敷に火をかけ、庭木の柿の木を残し、身を隠すべく千早の里深くに退去していく。

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前エピソードで語られた久子輿入れの際に移植された柿の木をじっと見つめるシーンがあったが、今後の伏線にでもなっているのかな?

翌々日、楠木正成一党が、同じく籠城する大塔宮護良親王と供に水分の地を臨む場所に至り、遠く屋敷が燃える煙を見る。

楠木軍は河内の北条軍を攻撃して周り、その後、赤坂の山中にこもる。

呼応するように備後の桜山茲俊、伊勢の関一族ら大和の諸豪族が蜂起したことが説明される。

ja.wikipedia.org

京都に大佛貞直(おさらぎさだなお:北条貞直)率いる鎌倉幕府の援軍2万が到着したことが知らされ、あわせて光厳天皇への践祚(せんそ)が伝えられる。
「さればこそ、北条の狙いは、京に次なる帝をたてまつり、笠置の帝を先帝となし、帝の御為に蜂起するものから大義名分を取り上げる策略にございまする。」
正成の言葉に今更ながらに大いに驚く護良親王

いやそれくらい予想がついていたことなのではないか?
感想にも書いたが自分たちの皇統がそこまで正しいと信じていのか?

「・・京に帝が立てば、東大寺興福寺も我らに同心仕掛けたものが皆、鉾を収めてしまう。・・道理で鎌倉軍が動かぬはずじゃ。動かずとも笠置は・・」
とそこで言葉を止める正成。
「向こうが動かぬなら、こちらから攻め込むまでよ。笠置におわす帝は、先帝にあらず。京の帝なぞ誰が認めようぞ」
と、力んだ余りに軍議の席から駆け出す護良親王。あわてて近侍が追っていく。

親王が駆け去ったのを見送った後、正成がつぶやく
「やはり、苦戦じゃのう・・」

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力んだ余りに振り上げた拳の持っていきどころを探すように駆け出した護良親王と、首を傾げて親王の駆け去ったのを見届けてから、本年を吐く正成という少々ユーモラスなシーンであった。

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笠置山落城

峻険な地形で幕府軍を寄せ付けずにいた笠置山もあっけない事をきっかけに落城する。
包囲側の鎌倉御家人須山義高が恩賞狙いで50人程度の郎党だけで道のない崖を登り火をつける。籠城側は大混乱となり、後醍醐帝は少数の供回りだけを連れ逃れ、楠木党の赤坂城を目指すが道に迷い、翌日幕府軍にとらわれる。

帝捕縛の件は笠置山包囲で陣を張った足利高氏のもとにも届けられる。
「・・兄上、帝が囚われましたぞ。さきほど大佛殿のもとに知らせが届けられたとのことでございます。・・」報告にあがったのは直義。
「帝は?」
「大佛殿の命で、明日、宇治の平等院にお移りあそばされるとのことでございます」
「直義、都に戻ろう」

「7年前、帝を拝したことがある」語り始めたのは高氏。
「はっ」驚く直義。
「都に初めて参って、帝を拝した」

 足利軍は都への帰路につく。
都では不思議な人物が高氏を待ち受けていた・・ということで北畠顕家後藤久美子)が初登場する。

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感想

兵を挙げる、足利高氏楠木正成二人の心の葛藤とその周辺の動きを描いた前の回とは打って変わって、今回は叙事的な展開のためスムーズに話が進んでいく。どろどろとした宮中劇が多かったこれまでの展開からすると、はじめて勇ましい話が多いエピソードだったのではないかと思う。

ドラマからは離れた視点ではあるが、この時代はつくづく描くのが難しい時代だなと思う。
今回のエピソードの中で鎌倉幕府が、後醍醐天皇の廃位と光厳天皇を即位させた件について、大塔宮護良親王が怒るシーンがある。
言ってみればドラマは、後醍醐天皇側視点、南朝を正統とする史観で描かれると言ってもよい。かろうじて光厳天皇は姿が1カット映っていたが。

当時の朝廷内にあった大覚寺統持明院統間にあった即位ルールをもともと破ったのは後醍醐帝側であったこ

とからすると皇統の正当性とはなんだろうとか思う。
後に南北朝が解消された後は、皇統は北朝主体となっていることを考えると、決して南朝が正統だと主張するのも変だろう。
そのような中で、楠木正成をはじめて後醍醐天皇方について各地で蜂起していた武士達が涙を流さんばかりにしている様子は少々、醒めた目で見てしまう。なぜに南朝側に立ったのか、という動機やらを知りたいものだ。

司馬遼太郎はついぞ南北朝を舞台にした作品は書いていないが、同じ様な事を言っていて、吉川英治はじめ後世の人は南朝を正統とした水戸学に毒されすぎているのではないかといった趣旨のことをどこかに書いている。

 

 

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「MC あくしず Vol.57」を読む(見る?) / 付録ゲーム「第三次ソロモン海戦」を試す

「第三次ソロモン海戦」を扱うソリティアゲームが付録についているというので、去年に引き続き「MCあくしず」を買ってみた。
まぁなんというか本屋で買うには気が引けてしまう表紙なのであまり見ることもないのだが(「ミリタリー・クラシックス」はずっと買ってます)、シミュレーションゲーム付きとあらば見逃す手はない。

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雑誌本体の話

特集記事や通常記事については萌え系イラストや兵器擬人化イラストなどの萌え要素を除けば(まぁ、除いてしまうとページ数が半分くらいになってしまいそうな勢いだが)、ミリタリー初心者・入門者を意識して平易にわかりやすく書いてあり、楽しめた。

第1特集は戦後の第2世代戦車

各国の戦車事情を(真面目な)図解や、写真も多く紹介してあり、第2世代戦車というテーマで一覧するにはちょうどよい印象であった。各車の大判の擬人化イラストがあれなんだが、まぁ良しとしようか。
感心したのは、スイスのPz.68や、スウェーデンのStrv.103、さらには珍品でインドのヴィジャンタという車輌まで紹介されていた点(ヴィジャンタは、イギリス戦車の改造ライセンス生産版とのこと)。

少し前に第2世代戦車が登場するゲームをやっていただけに、特殊砲弾の種類、ソ連T-62T-64の違い、第2世代戦車と第3世代戦車とでは何がどうしてどうなったのか等も含め、全体像を平易に書いてある書物はなかなかなかったりするので、興味深かった。
日本からは74式戦車が紹介されていたが、好みから言えば、メガネキャラ化されていたのはいただけない。また自衛隊が想定していた対戦車戦術の一端、60式無反動砲との連携戦術なども紹介されている。

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萌えよ!戦車学校は朝鮮戦争テーマ

朝鮮戦争前半、釜山防衛戦あたりまでをコミックと文章のページで詳細に紹介。北朝鮮、韓国、米国の装備から戦況推移、主要な戦闘も含めて詳細に紹介してあって読み応えがあった。
これもまたこの雑誌流だろうが韓国の将軍なども萌え化しているのはなんとやら。
さすがに主席の人や”マ”のつく元帥などは登場していないので、それらの人たちの萌え化はされていない。このあたりのさじ加減は大事。

仁川上陸ソウル奪還以降は次号ということなのだろう。

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上記以外の記事

以降も主に軍人の萌え化キャラと兵器の擬人化キャラが飛び交うページが続くのだが、ところどころに真面目な記事があったりして侮れない。

「女体化英雄列伝」という強烈な題名の連載記事では三十年戦争に参戦していたスウェーデングスタフ・アドルフ2世がとりあげられている。イラストは萌えキャラ化されているが、記事は真面目。
他にも通史として30年戦争を取り上げた記事もあったりして読ませる。
歴史テーマの雑誌はたくさん出版され数あれど、三十年戦争をとりあげている雑誌は珍しい(そもそも世界史テーマをまともに取り上げているのって「歴史群像」くらいしか思いつかない)。

第2次世界大戦時期のチェコでのレジスタンス運動をとりあげた記事もおもしろかった。

「ミリタリー・クラシックス」が第2次世界大戦時の兵器に絞っているのに比べると、中世ヨーロッパから戦国時代、兵器についても鎮遠の擬人化キャラが登場したりと見境なく、なんでもあり状態だったのもすごかった。
記事ばかりではなく、ハイスクール・フリートガルパンといったピンナップも付属していたりと盛りだくさん。

 

付録ゲーム「第三次ソロモン海戦

付録ゲームはソリティアゲームで「第三次ソロモン海戦」がとりあげられている。
デザインは堀場亙氏。

マップはポイント・トゥ・ポイントタイプの「艦隊マップ」「作戦マップ」、戦闘解決の際に用いる抽象化された「戦術マップ」の3種類からなる。
「艦隊マップ」はブーゲンビル島からガダルカナル島までの千キロ近くを範囲としており、ショートランドやトラックから出撃した艦隊がガダルカナル島に到着するまでを表す。
ガダルカナル島に到着すると、鉄底海峡を描いた「作戦マップ」に移行し、さらに戦闘が発生すると「戦術マップ」に移行する。

マップとゲームシステム

艦艇は1ユニット=1隻単位だが、基本は複数の艦艇からなる部隊単位に移動や戦闘を行う。部隊には、外南洋部隊・前進部隊などがあり、各艦艇の所属も決まっている。
艦隊マップ、作戦マップのエリアは索敵パラメーター(日本軍は索敵される側だが)がそれぞれ決まっており、索敵により発見される確率や発見された時の空襲を受ける確率が異なる。必要移動距離も異なるため、敵中突破が可能な艦隊がある反面、輸送艦を携えた艦隊はルートを選ぶ必要がでてくる(と思われる)。
天候ルールとして、艦隊マップ、作戦マップではスコールが降ることがあり、スコールのエリアは索敵されなくなったり、すでに発見されていた艦隊をロストする場合もある。一方で、スコール以外の海域で一度発見された艦隊はその後も継続的に監視されやすくなる。

作戦マップには、ガダルカナル島付近に「揚陸エリア」と「砲撃エリア」があり、陸上部隊の揚陸や艦砲射撃が成功すると、陸上のアメリカ陸軍の士気や飛行場の稼働機が低下していく。相手の艦隊に与えた損害とあわせてこれらが勝利条件に関わってくる。

作戦マップ上のエリアで米艦隊と接敵すると、艦隊戦が発生し戦術マップへ移行する。

そう、艦隊マップでは空襲を受けることはあるが、アメリカ艦隊の迎撃を受けるのは作戦マップだけである。

使用しているマップにあわせて時間の進み方も数段階に分けられている。
ゲーム全体としては、1942年11月12日から15日までの4日間を描く。
さらにゲーム内では4時間を1ターンとして1日6ターンとしている。
鉄底海峡に突入すると作戦マップになるがこれは30分を1ターン、さらに戦術マップは10分を1ターン。

戦術マップと戦闘システム

戦術マップは格子状になっており、彼我の艦隊の距離を相対的に示すことになる。
接近すれば、砲や魚雷はあたりやすくなるが、当然相手方からの攻撃を受けやすくなる。アメリカ軍の艦艇はルールで定められた規則に従い運動を行う。端的に言うと、士気値があがれば接近し積極的攻勢にでるが、士気値が下がると距離を保ったり、一定値以下となると撤退行動に移っていく。

攻撃方法には「砲撃」「雷撃」がある。
「砲撃」の場合は命中すると命中を受けた艦の耐久力と砲威力+ランダム要素との比較となる。戦艦・巡洋艦は2ステップ、駆逐艦輸送艦は1ステップもっている。
「雷撃」は命中率は「砲撃」に比べると低いが、命中すると耐久力などは関係なく、即相手に損害を与える。たとえ相手が戦艦であってもだ。これはかなり怖い。
なお雷撃は各艦1回だけ可能で巡洋艦であっても再装填のためにはいったんショートランド泊地まで戻る必要がある。

アメリカ軍の戦艦にはレーダー射撃ルールが適用され命中確率がかなり良い(命中判定のチットを2回引くことができよい方の結果を適用できる)。

ここまで出てきた、「索敵判定」「砲撃判定」「雷撃判定」「数字判定」また、アメリカ艦隊との遭遇時に用いる「遭遇判定」などは全てチットで処理される。

登場する艦艇

ユニットは戦艦から輸送艦クラスまで1ユニット=1隻単位。

含まれる艦艇は実際に海戦に参加した一連の艦艇の他、参加する可能性があった、金剛・榛名・隼鷹・利根他といった艦艇も含まれている(オプションルール)。
日本海軍側は実に軍艦50隻余、輸送艦だけでも10隻超という規模。
対するアメリカ軍側は、戦艦から駆逐艦まで20隻程度といった規模。
最強はアメリカ軍のワシントンとサウスダコタ。砲力・耐久力とも優れている上、レーダー射撃能力も持っている。

一人プレイしてみようか

11月12日、トラック島を発した戦艦比叡・霧島に軽巡長良、駆逐艦6からなる挺身攻撃隊は一路ガダルカナル島を目指す。
同様、ショートランドからも別働隊として駆逐艦5隻が同じタイミングでの突入を目指し進発。少し遅れて輸送艦11隻とその護衛隊が続いた。
挺身攻撃隊は同日昼過ぎにはアメリカ軍の偵察機他に発見されるが、空襲等を受けることなく同20時、鉄底海峡に突入成功。別働隊も同タイミングで突入。
(ここまで艦隊マップ)

第1戦術ターン

挺身攻撃隊はサボ島沖北方で米巡洋艦隊を発見、先に発見したことにより先制攻撃を行う。「全軍突入」の命令一下、水雷戦隊の各艦はアメリカ艦隊に向け魚雷を投射。
旗艦サンフランシスコ、その後のポートランドから水柱があがり、駆逐艦カッシンが轟沈する。
アメリカ艦隊もすぐさま抱えていた魚雷を発射、これが比叡に命中。比叡は中破してしまう。「雷撃」は耐久力関係ないので、命中してしまうと戦艦もあっさりと損害を被る。

第2戦術ターン

主導権はアメリカ。勇敢なアメリカ軍駆逐艦の肉薄攻撃により日本海駆逐艦は大損害を受ける。雪風天津風、雷撃沈。
代わる日本軍はアメリカ軍駆逐艦、ラフィーとステレットを撃沈。

第3戦術ターン

主導権は日本軍が取り返し、駆逐艦オバロン、アーロンワード撃沈。
日本軍側は暁、照月撃沈。もはや近距離での壮絶な打ち合い。

若干、チットの引きはアメリカ軍のほうがよい。日本側の戦艦はいっこうに有効弾を与えられないでいる。

第4戦術ターン

アメリカ軍軽巡洋艦放った一弾が比叡に命中、比叡はそのまま戦闘不能となり沈んでいった。アメリカ軍のチット引きが冴え渡り、軽巡長良、唯一残っていた駆逐艦電も失われた。この段階で日本軍投了。

 

感想戦

簡単なルールでプレイはスムーズ。
索敵・空襲・接敵、また接敵後の砲雷撃と全てチット処理され、チット引きが意外に盛り上がる(一人でだが)。白刃での斬り合いのような壮絶な第三次ソロモン海戦での殴り合いを実感できる点は面白かった。ソリティアのため仕方ないが、P2Pマップで移動のバリエーションがないため、運ゲーの要素が強い。

今回は何も考えずに手持ちの部隊をそのまま突入させたが、輸送部隊がこのままだと翌日日中にガダルカナル島に接近することになりタイミングがまずい。
戦艦を擁する艦隊でもあっさりと被害を受けることからしても、もう少し兵力をためてからの突入のほうがよかったのかもしれない。ただしその場合、アメリカ軍側に戦艦部隊が登場する可能性が高まる。
今回は、アメリカ軍側に戦艦部隊が登場しなかったので、楽勝かと思われたが、巡洋艦駆逐艦でもしぶとく、雷撃と近接戦闘での打ち合いとなり、逆に日本艦隊側が壊滅してしまった。戦艦も簡単に沈んでしまう印象。当然、それ以上に駆逐艦はあっさりと沈む。
魚雷は命中率は低いが威力は絶大。
今回は比叡・霧島が全くといっていいほどいいところがなかったので、これもまたチットの引きによってはがらりと変わった展開になる可能性が高いように思う。

デザイナーズノートに、実際の日本軍がおかれた状況を実感してほしいといった事が記載されていたが、それはよく理解できるように思う。
策源地からはるか遠方にある島をめぐる戦いは補給線の長さだけでも日本軍が圧倒的に不利なことを実感できる。進撃路のほとんどの制空権はなく攻撃にさらされる可能性が高い。強力な戦艦であっても、狭い海峡での撃ち合いでは簡単に失われてしまう可能性がある。比叡・霧島失陥後、連合艦隊が戦艦の投入を躊躇したのも理解できる。夜戦での壮絶な打ち合い・・。やはりガダルカナル島をめぐる戦いは、陸戦だけではなく、海戦もかなり無理ゲーだったんだな、と実感できる。

蛇足だが、戦術マップでのイニシアティブ判定時の数値の扱いがよくわからなかったので、別途確認したい。(確認させていただきました。2020/6/27) 

 

MC ☆ あくしず 2020年8月号

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大河ドラマ「太平記」11話「楠木立つ」:最後の最後まで挙兵を逡巡する楠木正成の姿に感情移入してしまった

前回までのあらすじ

1331年8月、朝廷による討幕の企てが密告により露見する。
首謀者とされた日野俊基榎木孝明)は御所に向かう途中、六波羅に捕縛され、後に鎌倉で斬首された。後醍醐帝(片岡仁左衛門)はわずかな供回りだけで京より逃れ、笠置山に立て籠もった。
帝の謀叛は鎌倉にも、また河内の楠木正成武田鉄矢)の元にも報じられる。

鎌倉幕府内では内管領長崎円喜フランキー堺)が権勢を強め、元執権北条一族の得宗である北条高時片岡鶴太郎)、その実母覚海尼(沢たまき)をも取り込んでいた。佐々木道誉陣内孝則)らの反長崎派の大名は刺客に遭うなどし、長崎陣営への恭順を余儀なくされる。また現執権赤橋守時勝野洋)は権力を持たない形だけの役職に成り果てていた。

ちょうど同じ頃、足利家では長く病床にいた高氏の父貞氏(緒形拳)が逝去する。

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足利の出兵

貞氏逝去直後の喪中にも関わらず笠置山への遠征軍に足利からも兵を出すようにとの命令が下る。

「(足利貞氏の)後を継がれた高氏殿は未だ心中が明らかではございません。行けと命じて何とお答えになるか、それを見届けとうございます。」と、長崎高資西岡徳馬)は、足利家への出兵命令の意図を北条高時に説明する。
命令に対する足利側の諾否により、北条家への忠誠についての”踏み絵”にするということだ。

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執権赤橋守時は足利屋敷を訪れ高氏らに対して、喪中での依頼となったことを詫びつつも出兵を依頼する。
足利殿はかかる折でもあり、出兵の催促は控えるべきだと某は申したのだが、なにせ執権の某に話が回ってくるのは、太守や長崎殿の寄り合いで評議定まってからじゃ。
いつの間にやら、執権は飾りのごとくなってしもうた。面目ござらぬ。
「・・天下を揺るがす大事の時、やむを得ますまい。」高氏は守時に答える。

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守時の退出後、激昂したのは弟直義(高嶋政伸)。
「何故立つと申されました!?六波羅がやるべき戦を何故、我らがやらねばなりません!合点がゆきませんぞ!!
他の家臣からも反対意見が相次ぐ。
「・・喪中の中、北条殿のいやがらせとしか思えません」
「・・憎き北条殿のなさりようよ・・」
「我らも合点がゆきません」
直義はさらに詰める。
「そもそも、足利の田畑は笠置におわします帝に寄進奉った荘園ぞ。我らは帝の御恩で足利の地を治めて参った。北条の恩と申されるが、我ら帝の恩も受けておるんじゃ!・・
散々な言われよう。

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足利出兵を巡る一連の場面は、長崎高資が隠棲した北条高時片岡鶴太郎)の屋敷を訪ねるところから始まるのだが、ここでの長崎高資と高時の会話がおもしろい。
亡くなった足利貞氏のため法華経を写経して霊前に供えるという高時に、
「それはよいお考え。貞氏殿には生前一方ならぬご厚情をいただき、胸塞がれる心地がいたしております。」としゃあしゃあと応じる長崎高資に対し、高時は例の甲高い声で、
「高資、そちや円喜ほど足利をいじめ抜いたものはおらん、しらじらしいぞよ。」と皮肉る。対して高資は
「そは北条家のために致したること。何事も太守への忠節により出たることと心得置きください。」と躱している。久々に聞いた高時(by 片岡鶴太郎)による名調子だった。

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足利屋敷。
出陣が数日後に迫る中、夕餉をともにする高氏と登子。
登子は直義の話を持ち出した。
「近頃、直義殿がよくお声をかけてくださるのです。『風邪をひかぬようになさい』とか、 『今日来た干物がおいしいですよ』とか、直義殿も少しお寂しいご様子で・・。・・『兄上は近頃、直義に何もお話にならぬ。何故やすやすといくさに立つことをご承知なされたのか、姉上はなにかきいておれてますか?』と真顔でお聞きになるんです。」
「で?・・なんと答えた」
「わたくしも、何もきいておりませぬ。と正直にお答えするかありません」と寂しげに答える登子。
「みな、大げさじゃのう。ワシは兵は出すが、戦をするとは申しておらぬ。笠置山を見に行くだけじゃ。矢は一本も射たぬ。必ず、無事帰って参る。登子も案ずるな。ワシはじきに帰って参る。」

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翌日、赤橋屋敷。貞氏の荼毘への参列の御礼、また出立の挨拶に登子が長子千寿王を連れ里帰りする。
「・・しかし高氏殿はよぉ幕府の催促を受けてたたれた。太守はもとより長崎殿の周辺も足利度のは見直さねばという声があがっておる。この守時も面目を施したぞ。
とうれしげな守時。心配気にしている実妹に声をかける。
「・・案ずるな、都では新たな帝がお立ちになり、笠置山の公家衆は先帝を取り巻く単なる謀反人になる。戦は大きくはなるまい。高氏殿はすぐお帰りになられよう。」
「ご自分でもそのように仰せでござりましたが・・。直、無傷で帰る、と。矢は一本も射たぬ。笠置を見に行くだけじゃ、と。あちらに参ってそのようなのんびりしたことが申せましょうか。・・」
「・・矢は一本も射たぬ、見に行くだけ、そう申されたのか・・」登子から聞いた高氏の言いようを反芻する守時。

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前記事にも書いたように、このあたりの時系列は微妙に変えられている。
下記がここ数話における事件を史実順(たぶん)に並べたもので、それぞれ( )内に画かれたエピソードを書いている。未記載の分は次エピソード以降で描かれる分だ。

複雑になるので詳細は別記事で書きたいと思うが、変更されたと思われるポイントは「日野俊基斬首」と「足利貞氏逝去」という高氏が関わる部分と、楠木正成が挙兵を決意する部分だろう。

  • 吉田定房の密告による元弘の乱の発覚 (9話)
  • 日野俊基らの捕縛          (10話)
  • 後醍醐帝の京都脱出と笠置山での挙兵 (10話)
  • 足利家に対する出兵命令       (11話)
  • 足利貞氏の逝去           (10話)
  • 楠木正成の下赤坂城での挙兵     (11話)
  • 笠置山落城、後醍醐帝の捕縛     
  • 下赤坂城落城            
  • 後醍醐帝の隠岐島への島流し
  • 日野俊基の斬首           (10話)

 

笠置山

一度は六波羅軍の攻撃を退けたとはいいながらも、籠城2週間にて籠城側の敗色は濃くなっていた。

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ナレーションで籠城する後醍醐帝側は1000人、囲んだ幕府側が20000人と説明されている。太平記での包囲側30万騎といった数字は論外として、ウィキでも75,000人と書かれているが、推測ながら京都周辺で動員できすぐに出動できた兵力としてはナレーションの言う数値は現実的かなという印象を受けた。

描写としては後醍醐帝はじめ取り巻きの公家衆やその召使いなどいれると戦わない人々がそれなりにいたと思われ、そのような中でいっしょに籠城するというのもなかなか大変だったのではないかな。
また笠置山に籠城用の兵糧や武器の備蓄があったのかはよくわからないが、少なくとも準備がきちんとなされていたとも思えず、そのような相手に対して負けてしまう六波羅軍も情けないような・・。

「・・三河からさえ着いたほどだ、摂津・播磨・備後あたりの武者ばらも、はや見えてよいころだが・・」兵の集まりの悪さを憂慮する後醍醐帝。
「ご案じあそばされますな。帝の御聖断くだればたちどころに兵をあげると約束致した武士は国々に満ちあふれています。ここはなにせ山狭き土地、にわかな大軍はかえって布陣にも混乱するばかりでございます。」報告したのは千種忠顕本木雅弘)。
評議の途中にも包囲軍か籠城軍か兵の喊声があがっているのが流れ聞こえてくる。

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後に様々大河ドラマ出演を果たし、最近は”美濃の蝮”をやっていた本木雅弘だが今回は若い公家を演じている。人物は後に権勢を振るい新政の悪政の一端を担う人物だがそのあたりの変貌ぶりは今後の注目点かも。

嘆息する後醍醐帝。
「・・河内の水分(みくまり)の楠木多聞兵衛とやらはまだ参らぬか?
日野俊基が一度事あると頼みにしてしかるべきと幾度も申していた。
楠木とやらを存じておるか?」と忠顕に下問する。
楠木正成でならば噂に聞き及んではおりまする」
「噂とは?」
「昨年、摂津の悪党が四、五百の兵にて市場を圧えんとした時、楠木はわずかは兵にて苦もなく平らげた、と申します。紀伊、大和の名だたる悪党がことごとく楠木に滅ぼされたる由」と忠顕。
「たしか楠木にも綸旨を発しているはずなれど」
「河内から3日の距離じゃ。何故、駆けつけん?」
「北条殿に組みしたのではあるまいか?」「なんとしたことよ」「さすれば一大事じゃ」
口々に”感想”を言い合う公家衆。

「恐れながら、楠木は北条に与するような者ではござりませぬ。隣国のモノ故、人となりは存じております。ご使者を遣わし賜れば、必ず罷りいずるものと存じます。」

帝が、武者ごときに御使いを・・」怒気を孕んだ声で応じたのは万里小路藤房(までのこうじふじふさ)(大和田獏)。またしても公家衆が口数を多くする。
「こは古今に例無きことぞ」
「恐れ多いことじゃ」

ここで古典太平記から、後醍醐帝の夢に菩薩の使いが現れ、南の大樹の陰に休まれよ、と告げたという逸話がドラマで再現され、南の大樹、それすなわち楠木のことじゃ、ということで楠木正成に勅使が出される運びとなる。

 

楠木正成

楠木正成の本領がある河内水分ので北条軍による兵糧米の強制調達、略奪が発生。農民たちに泣きつかれた正成は、守護代から笠置山出兵にあたり100名の兵役を拒んだことが理由と説明する。
「・・この水分は笠置方でもなければ北条方でもない。戦には関わりがない、と。
それ故に、このような非業なことをするとはのぅ」

そこに正成配下の和田五郎(桜金造)、神宮寺正房(でんでん)が楠木正季赤井英和)に従い笠置山に馳せ参ずると言いに来る。
「正季が?」驚く正成。
「ご舎弟の屋敷には200名あまりのものが揃うておる由。」と老臣恩智左近(瀬川哲也)。
「帝の激に応じ、北条を撃ちまする」
「誰がそのようなことを許した。正季はなぜ来ぬ?正季を呼べ」怒る正成。
「ご舎弟殿は、もはや殿に申し上げることは全て申しあげた。お会いしても争いになるだけじゃ、と申され代わって我らがご挨拶に・・」実直な田舎の武士という出で立ち生真面目さで報告する和田五郎と神宮寺正房。
「殿、今日の北条殿のなさりようを見るにつけ、北条にもつかぬ、宮方にもつかぬはもはや通らぬことと覚悟しました。
我らだけ、戦を避けて暮らすことはなりませぬ
自分らの勝手を許してほしいと言い残し駆け去るふたり。

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呆然とふたりを見送った正成は妻久子(藤真利子)に言う。
ゆきたいものは皆行けばよい。のう、久子。愚かなことじゃ、わずか200人で笠置に行ったところで、皆討たれてしまう。皆妻も子もあるものたち。正房も五郎も・・。
どうするつもりじゃ。のう、久子」
「今からでも間に合いまする、殿が行ってお諌めになれば。
はよう、行きなさりまし。正季殿とて、殿のお顔を見れば」
「うん、そうじゃの」正成は急ぎ馬を用意させる。

そこへ勅使の先触れの僧兵が「笠置山の勅使でございます」と叫びながら駆け寄ってきた。
「ワシの館になぜ勅使が?」驚く正成。

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正装した正成が屋敷で勅使万里小路藤房を迎える。
「・・ご覧の通りの田舎侍、何事でございまするや?」
勅(みことのり)です、謹んで承られい
「はは」伏する正成。
「かねがね至上におかせられては、日野俊基の奏聞により河内に楠木正成ありと思し召され、深く頼みとしておわせられた。しかるに先の綸旨にも関わらず、今持って笠置への参陣なきゆえ、楠木はいかにせしや、楠木を召せ、と。次にこの藤房をもって、かくは親しゅうお召の勅をくだされたもの。まこと古今に例なき、破格なお沙汰じゃ。武家としてこの上もない誉と存ずる。
兵衛(ひょうえ)、この冥加(みょうが)ありがたくお受けなされ
伏したまま黙したままの正成に藤房が返事を催促する。
伏したままの正成がようやく口を開く。
「・・下にも、冥加に余るお召し、有無なくお受けつかまつるべきところなれど、・・なれど、力なく、才なき正成なればとても御頼みに応え奉るなど思いもよらず、この儀、平にご辞退申し上げます。平に・・
予想外の返事に今度は藤房が慌てる。
「・・何!」

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「勅に応ぜねば、万死に値しましょうが、幾重にも、こう、ひれ伏しまする故
「お受けあらぬと申されるは、鎌倉方への義理立てか?」
「我が家は北条殿との縁薄く、水分川の水の配分やら、市場での御用を勤めて家の子、郎党を養のうて参りました。申せば独歩の屋と、悪党の楠木と申すものさえございまする。」
「・・ならば・・」うめくように藤房
「かかる田舎武者でござりまする。帝の陣に参じなどしては、かえって乱を大きくし、災いを不幸するのみでございまする」

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「兵衛、一介の武者に対し、かくばかりのお頼みをあらせられるのも苦難のときならばこそぞ。それをお受けできぬとあらば、この藤房もここは動けぬ。思案の尽くまでここで待とうぞ」
これはまた迷惑な・・」思わず本音が声に出る正成。
「控えよ、兵衛」

と、藤房は後醍醐帝の見た菩薩の使いの夢の話を涙ながらにするのだが、リアリストの正成からすると迷惑以外の何者でもないだろう。

「・・この藤房、夢などは信じぬ。が、夢などにすがらねば、もはや笠置は・・。至上のお命は・・。頼む・・」

自分で言っておいて感極まって涙するなんてこれまた迷惑千万といったところではないか。

勅使はいったん寺に帰ってもらい、庭を臨む縁側で妻久子と話をする正成。
「・・この柿の木も大きくなりましたなぁ」と久子
「うむ、大きゅうなったのぅ。そなたが嫁に来た時、ひょろっとした苗を持ってきた。背ばかり高い木であったがのう。」
「この里では嫁に行く時、柿の木を持っていくと言われて、へぇと思いましたものねぇ。嫁に行った庭に埋めて、毎年秋になると良い実がつくように祈って、年をとって死ねば、この木を薪にしてそれで焼いてもらうのだと。私の母も祖母もそうやって。
・・嫁に参ります日、馬に乗せられたこの木を見て涙が出ましたの。わたくしは身体が弱いからきっと早く死んで、この木も小さなうちに切られるに違いないって。可愛そうな木だって・・
(それが)こんなに大きくなって・・」と笑う。つられて正成も笑い、話を始める。
「男はこう言われるのじゃ、その木を長く生かして使え、と。間違ってもおのれの手で切るような真似をしてはいけない、と。
が、男には戦があるでのう。戦は女、子どもを巻き込むつらい修羅場。家を失い、木も切らねばならぬかもしれない。ワシはそれがいやなのじゃ。

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「・・殿、木も生き物でござります。家の主が誉となれば、木も誉。家の主が迷うて沈めば木も沈みまする。殿がお嫌でも、楠木党は走り出しましょう。正季殿を見殺しにされますか?
黙する正成。
帝直々のお声がかりとは、武士たるものの誉ではござりませぬか。殿の誉は久子の誉、家門の誉でございます。
木のためにお迷いなさいますな。そのために殿がお苦しみになり、日にそむかれるなら、木も久子も生涯後悔致します。それならいっそ・・」
と、久子は庭に駆け出し手斧で柿の木の幹に刃をたてるが表皮を削るだけに終わる。呆然とする久子。
長らくの思案の末、正成は告げる。
「・・久子。長い戦になるぞ。長い戦に・・。多聞丸を頼む。

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楠木正成立つ。

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感想

今回の主人公は楠木正成
挙兵にあたっては彼は最後まで逡巡する。
ステレオタイプな人物像からすれば、すわ!と手勢を率いて馳せ参じた草莽の勤王の志士。少なくとも笠置山の帝に呼応する形で手製の山城に籠もり意気盛んに討幕の名乗りを上げた土豪といったところだが、今回描かれているのは最後の最後まで躊躇する姿。思わず感情移入してしまった。

私本太平記でも楠木正成はすぐに応諾はせずさんざん逡巡する。ドラマでは久子や水分の農民たちも描き、かつ武田鉄矢の朴訥なしゃべりもあって、その迷いがよく伝わってくるようだ。その代わりと言ってはなんだが、このおっさんのどこがすごいのかといった点はよくわからないのも確か(日野俊基がなぜにそこまで入れ込んだのかも含めて)。

正成にとってみれば前回彼が言っていたように身近に「もっと大事なことはある」というのも本当だったのだろう。今回の事件も、やり過ごそうと思えばやり過ごせたかのかもしれない。だが、周囲はそれを許さず、また最終的には彼自身が周囲の期待以上の事をやってしまった、といったところなのだろう。彼は歴史上に燦然と名を残す武将、しかも比肩する者ないほどの名将とされる訳だが、ここまでドラマで描かれた正成像は、功名心や勇ましいだけの脳筋とは真逆にある。

ここに来てドラマにもうひとりの主人公といえる人物が登場したと言えるのではないか。

一方で気がかりなのは早くも、帝の周囲の公家の中に「一介の武者風情に・・」とかわざわざ来てやったのだからといった意見が出ているのは今後の伏線となるのであろう。高氏が早々と新政を見限る原因となる公家側にある階級意識だ。

これは今後なんらかの伏線になっていくのかわからないが、ここまで高氏を描いてきたドラマはあくまで鎌倉か京都しかなく、領地領民といった一般民衆との関わりはほとんど描かれていないことと、対する楠木正成の描き方の違いは興味深い。

蛇足だが、今回も”石”(柳葉敏郎)、藤夜叉(宮沢りえ)は登場しなかったぜ。

 

 

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真説 楠木正成の生涯 (宝島社新書)

真説 楠木正成の生涯 (宝島社新書)

  • 作者:家村 和幸
  • 発売日: 2017/05/10
  • メディア: 新書
 

 

大河ドラマ「太平記」10話「帝の挙兵」:ここまでドラマを引っ張ったキャラの退場。力を増す長崎円喜のラスボス感!

前回までのあらすじ

1326年、足利高氏真田広之)と北条一族赤橋家の姫、登子(沢口靖子)との婚儀が執り行われるが、足利家当主貞氏(緒形拳)は病魔に倒れ、足利家の家督は高氏に相続される。
貞氏は高氏に言う。「・・父のように迷うな。ゆるしがあれば天下を取れ」。

執権北条高時片岡鶴太郎)の一派は権勢を振るう内管領長崎円喜フランキー堺)の暗殺を企てるが失敗。責任回避を図り高時はそのまま隠棲してしまう。
続く執権職を継いだ金沢貞顕児玉清)は高時の実母覚海尼(沢たまき)らの猛烈な反駁に恐れをなし、わずか10日にて執権職を投げ出してしまう。
成り手のない執権職を継いだのは高氏の義兄である赤橋守時勝野洋)だったが、幕府立て直しの思いも虚しく、実権は長崎円喜に握られたままで、力のない形だけの地位に過ぎなかった。

1331年、後醍醐天皇片岡孝夫)腹心の吉田定房垂水悟郎)からの密告により朝廷による討幕の企てが発覚。後に元弘の乱と呼ばれる事件となる。
朝廷に対する幕府の対応方針として、赤橋守時の穏健な意見は聞きいれられず、長崎派が主張する強硬策が採られることとなった。  

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露見

討幕の企てが露見したことを察知した日野俊基榎木孝明)が御所に急ぐが六波羅の軍勢に捕縛される。 

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御所に急げ!と言いつつも乗っているのが牛車で(馬ではダメなのか?馬では・・)、六波羅の兵に追われて公家装束のほどけた帯をつかまれて引きずり出されたりとなかなか興味深い捕物シーンだった。

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御所の中まで逃げてきた日野俊基を追って兵たちが遠慮なく御所の中に入り込むのを、御簾の内側から覗き見ることしかできない公家の描写も秀逸。
日野俊基が御所の中で逃げ回る際に殿上に上がらないのはあがることができない身分だから?それとも沓を脱げなかったから? 

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佐々木道誉の転向

暗夜の鎌倉、武家屋敷の立ち並ぶ人気のない路を必死に駆ける主従一行。ようやくたどり着いた先は足利屋敷。
暗くなっても燭の明かりの中で執務を続ける高氏の元に、匿ってほしいという佐々木道誉陣内孝則)が来訪してきた旨の報告が届く。

田楽一座*1のところに忍んでいく途中を15、16名の一団に襲われたという*2。さきほどまで必死の形相だったのが屋敷の敷地内に招じ入れられるなり意気軒昂となる道誉。
「ははは、まことにかたじけない、かたじけない。おおっ、足利殿!」
高氏の姿を認めるなりさらににぎやかに喋る。
「いやはやなんとも・・。命からがら逃げ延びた次第、いやっ、助かった助かった。はははは」

屋敷の中に座した道誉、高氏ら。
「長崎殿じゃ、長崎殿がこの判官を殺そうとなされておるのじゃ。」と道誉。
昨夜は秋田城介*3も闇討ちに遭ったという。謀叛の企てが発覚した朝廷方へ強硬姿勢を執るのに乗じ、鎌倉内で反長崎勢も根絶やしにしようとは謀っているのだと言う。
「長崎殿がそのような出方をすれば、北条高時殿は黙っておられますまい。反長崎の総本山は高時殿と母御前覚海尼殿じゃ。鎌倉は真っ二つに割れますぞ」口を挟む弟直義(高嶋政伸)。
「ご舎弟殿、もそっと裏を読まれよ、裏を」道誉は手にもった扇をひらひらさせる。
「覚海尼殿が長崎殿を獅子身中の虫と罵っておられるのは表向きの事。覚海尼殿も高時殿もとうの昔に味方を捨てて、長崎殿と手打を済ませておるわ。
驚いて口を開ける直義。隣で表情を変えずに話を聞く高師直の姿。
「そうでなければ、この判官や秋田城介がおおっぴらに襲われようか?
・・幕府内は皆長崎派に寝返っておる。
政所の集まりにおいて、今回の謀叛の件で帝を島流しにするという長崎高資西岡徳馬)の案に対して誰も意見がでなかったと、道誉は言う。
「帝を島へ?・・誰も反対を?」思わず聞き返す高氏に、道誉はうなずいてみせる。
「足利殿の小姑の赤橋守時殿にも、誰一人味方につかず、手も足もでなかった、と。・・ついでに、明日鎌倉に送られてくる日野俊基殿は即刻斬り捨てと決まったそうじゃ。・・無残よのぅ・・とんだ読み違いをいたしてしもうたわ。さほどに長崎殿が強いとは・・。ははは」と笑ってみせる道誉。

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かつては自分の屋敷内にも自由に出入りさせていた日野俊基に対して突き放した言い方をする道誉が印象的。自分の尻に火がついてそれどころではないということか。

「さてと・・、足利殿、それがしこれより長崎殿の館に参ろうと存ずる。送っていただけたらのう。長崎殿に命乞いに参るのじゃ。・・・ははは」と立ち上がる道誉に対して、「お待ち下さい」と押し留めたのは高師直柄本明)。

「・・お送りするとなれば、足利党が佐々木党の一味だと世間に思われましょう。それは甚だ迷惑。我らは我ら、佐々木殿は佐々木殿。おいでになられたのも勝手なら、お帰りも勝手に願いとう存じます。」冷徹に言い放つ。
「師直、佐々木判官殿にその申しは無礼だろ!!」すかさず直義が叱るが、師直は意に介さない。
「無礼なお方に礼を持って向かい奉ることな無いと存じますが、殿はいかが思し召されます?」

高師直は冷徹で情誼ではなく道理で動く有能な参謀。さながらラインハルトについたオーベルシュタインのよう。

「近頃、世間で婆娑羅というものがはやっているそうじゃ。型破りで乱暴、新しゅうて人の目を驚かす。婆娑羅の大名と申せば佐々木判官殿と皆申しておるそうな。」
と高氏はにっこりと道誉に笑いかけ、師直に向かい、
流行り物のお方に手向かい致してもかなうまい。加えて佐々木殿には以前、助けてもらうた借りもある。・・・いざ」

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冷静な師直の進言に対し、直義のように頭ごなしではなく、うまくいなしつつ、不機嫌になった道誉も持ち上げる。いやぁ、殿、成長されましたなぁ、思わず感心した場面。

高氏は道誉を連れ立って長崎屋敷に向かう。
長崎屋敷では多くの篝火がたかれ、多くの武装兵が侍する中、床几に座す長崎円喜と立ち姿の長崎高資がいた。
円喜を認めるなり下馬し、円喜の足元に平伏する道誉。
「・・長崎殿お広大なお慈悲をもって、命生きながらえたればそれにすぎたるはなく、ただそれのみを乞い願うものでございます。・・なにとぞお慈悲を・・お慈悲を・・
泣き縋る道誉に目を向けていた円喜だが次に、「お前はどうするのじゃ?」と言わんばかりに馬上の高氏に目を移す。高氏も変わり身の凄まじい道誉の姿から円喜に視線を移したところで、高氏主従一行の面前、長崎屋敷の重々しい門が閉じられていく・・。

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美しいだけでは倒せん

屋敷に戻った高氏は病床の貞氏に報告する。
「・・そうか、佐々木殿も長崎殿に下ったか・・」病にやつれ、伏したままの貞氏。
「鎌倉は大方、長崎殿の手中にはいりましてございまする・・」
帝は島流し日野俊基は斬首との事について「無念」という高氏に対し、貞氏が聞く。
「なにゆえ、無念と思うか?」
「都で拝した帝も日野殿も、見事に美しゅうございました。それを・・」
美しゅうものでは、長崎殿は倒せん。・・美しいだけでは・・・

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ラスボス感の増した長崎円喜について、○○だけでは倒せん!と伝える病床の父親、まさにRPGの展開のようではないか!

貞氏の床前を辞した高氏が、師直に対して、もう一度、日野俊基と話を聞きたいと言うが、師直はまたもや冷然と反対する。
「・・それはおやめになられたほうがよろしいかと、長崎殿の目がございます。それに、日野殿と申しましても所詮はお公家。雲の上の殿上人に殿の心はわかりましょうや?公家は公家、武家武家、かように存じまする」

高師直の、大名だろうが、自分の主君であろうと理がないものはダメとたんたんと言う姿が印象的。

 

日野俊基斬首

鎌倉葛原岡、白装束の日野俊基
竹垣の周りの民衆が念仏を唱える中、笠に頬被りで顔を隠した高氏もいた。
日野俊基は晴れ晴れとした表情で周囲を見渡し、高氏の頭に俊基との出来事が去来する。処刑が実行される・・。

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様々な思いとは言うものの高氏が俊基と言葉を交わしたのは鎌倉の浜辺と京都での二回でしかないんですよね。

ストーリー構成についてここでも演出の都合上か、史実から前後関係の変更が行われている。
日野俊基が斬首されたのは史実では1332年なので後醍醐帝や楠木正成の挙兵、笠置山や赤坂城が落城し全て終わった後になって執り行われているのだが、このドラマではおそらく高氏に与える心理的な影響を表すため、高氏は京都への出兵に先だって日野俊基の斬首を見ることになっている。

 

後醍醐帝の動座

京の内裏では六波羅に兵が揃いつつあると大騒ぎとなっていた。
比叡山に居る後醍醐天皇の二人の皇子、護良親王堤大二郎)、宗良親王(八神徳幸)からは比叡山への動座を進言する密書が届き、後醍醐帝は御所からの動座を決意する。

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後醍醐帝の愛后阿野廉子原田美枝子)、側近の公家で千種忠顕本木雅弘)が登場。花山院師賢はセリフの中では登場するものの、人物としては登場せず、帝の身代わりエピソードも描かれない。*4

吉田定房垂水悟郎)が幕府に密告をしたと騒いでいるいる公家達に対し、阿野廉子が、”吉田定房が密告したという確証はあるのか?持明院統大覚寺統(後醍醐帝側)を陥れるため定房の名前を騙って密告したかもしれない”と言っているのは興味深かった。

原作(太平記)では後醍醐帝は女装をして御所を抜けたことになっているが、さすがにそこまでの演出はなく、粗末な女房車に、供回り20数名にて出で立ったと説明される。

車は最初比叡山に向かおうとしたが六波羅軍に道を固められているのを見て南へ転じ、東大寺などのある奈良へ向かった。途中、東大寺などが北条方につくことがわかり、やむなく奈良と京都の境にあたる笠置山にて挙兵となったと説明される。
翌日明け方、帝の脱出に気づいた六波羅軍が御所に侵入する。

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楠木正成

帝が京を抜け笠置山で挙兵したという報は楠木正成武田鉄矢)の元にも届けられる。
「・・兵を集めて笠置に馳せ参じるべきではないか!」正成の元に詰め寄る弟正季(赤井英和)。
「・・正季、この勝負すでに見えている・・」やんわりと断る正成。
だが正成に逡巡はあり、妻久子(藤真利子)との会話の中で独り言のように言う。
「・・多聞丸の手習いもみてやらねばならない。烏丸の里で水の利権で喧嘩が起きておる。その裁きもせねばならぬ。・・この干し柿の吟味もせねばならぬ。ワシは忙しい。戦などする余裕はどこにもない・・
そっと夫の顔を盗み見る久子。

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いやぁ、まぁ楠木正季が見事な一本調子でセリフ棒読みのの演技を見せる。
これでまぁよくも映画の主演ができたものだ、と感心しきりの場面。
この時、報告にあがった正成の部下が後に正成の片腕と言われた和田五郎。桜金造が演じている。

正成の妻久子(藤真利子)が家の女子供と庭に敷いた筵に座って、干し柿造りのため柿の実を剥いていたシーンはよかった。この後、間もなく正成は挙兵する訳だが、権力抗争・権勢などではない正成の心の拠り所を表しているよう。この正成像はいいんじゃないの?と、期待している*5

 

貞氏死す・・

都の異変は鎌倉にも報じられた。

赤橋守時評定衆に対して六波羅の出兵状況を説明する二階堂道蘊(北九州男)。
「たかが公家に僧侶だ。新たに関東より兵を送ることはないと存ずるが」周囲を威圧するように大声で言う長崎高資
「それはどうかな・・。恐れ多くも帝がご動座あそばされたのじゃ。これに応ずる畿内武家がどれほど現れるか?それによっては・・」静かに意見を言う金沢貞顕
「・・大軍を出さねばなりますまい・・」と継ぐ二階堂。
意見の出ぬ評定のところ、赤橋守時の元に伝言がはいる。

あわてて部屋を出た守時に伝えられたのは足利貞氏の死去だった。
「・・ダメか・・」ひとりつぶやく守時。

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足利屋敷でも巻狩から急ぎ戻った高氏が貞氏の元に行く。
「父上!」いつものように声をかける高氏。

 足利貞氏享年59。

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感想

足利貞氏日野俊基とここまでドラマを引っ張ってきた(かつ見ごたえある演技を見せてくれた)キャラが世を去り、新しい時代になったことを実感させてくれたエピソードだった。
特に高氏が、追手を逃れてきた佐々木道誉を匿い、また長崎屋敷に送り届けるシーンで見せた立ち振舞いはまさに足利家当主としての風格が感じられた。これまでの様々な事に迷い、また心情をなかなか吐露しなかった部屋住み時代とは雲泥の差であったように思う。

また前回より本格登場した高師直の、道誉や高氏に対してもはばかることのない意見を言うことができる冷徹な描写は印象的。有能な腹心としての一方、情誼で動く直義とは反りのあわなさを早くも予感。

幕府内で長崎派が、前エピソードで意気軒昂なところを見せていた北条高時や覚海尼さえ取り込み、力を着々と伸ばしていることが伺える中、赤橋守時らの良識派や高氏、はたまた朝廷側に勝ち筋はあるのだろうかと暗鬱な気分(=この後、どう跳ね返すのかという楽しみな部分もある。)になってきた。

”気のいい河内のおっさん”の楠木正成像はここに来て期待がもてるようになってきた。
次回、「楠木、立つ」だ。

もう1点
今回不満もなく見ることができたのは、”石”(柳葉敏郎)と藤夜叉(宮沢りえ)が登場しなかったからではないか・・。前回は、藤夜叉の演技も少しは見ることができるようになったよな、と思ってはみたが、見ないで済むならそのほうが心安らかになるようだ。

 

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*1:佐々木道誉が襲われた際に忍んでいっていたのが田楽一座と言っていたが、この一座は花夜叉一座だとすると、花夜叉は愛人で確定ということかな?

*2:黒装束でわさわさと近寄ってくる様子はさながらカリオストロの城に登場した”カゲ”軍団のよう

*3:本来は役職名だが、このドラマでは役職名で人を呼ぶ場合も少なくない。前エピソードで覚海尼に叱責を受けていた安達時顕?

*4:訂正:師賢は11話に登場するが笠置山にて帝の元にいるところが登場する。セリフには登場するがどれが師賢なのかは区別がつかない。

*5:今後の備忘として、久子のセリフの中で正成の子正行(幼名多聞丸)がこの時、年7つと言っている。

ASLSK#1を対戦する:シナリオ2「WAR OF THE RATS」

 久々の対戦はアドバンスドスコードリーダー スターターキット(以後、ASLSK)から#1のシナリオS2「WAR OF THE RATS」です。

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ドイツ軍はスターリングラード市街に突入するが、ソ連軍はひとつひとつの建物に拠って戦った。ドイツ軍は、今まで電撃戦の中で使ってきた戦術が使えず、砲撃も航空支援も十分な効果を与えることができなかった。建物一つ一つを巡る戦いーネズミたちの戦争ーが繰り広げられることとなった。・・(シナリオカードより)

シナリオタイトルについて

「WAR OF THE RATS」は慣用的な言い回しなのかと思っていたのですが、スターリングラードでのソ連軍狙撃兵ヴァシリ・ザイツェフを扱った小説「鼠たちの戦争」(邦題)から来ているようです。

スターリングラードで狙撃兵ザイツェフを扱っているというと、映画「スターリングラード」かな、と調べると、Googleの説明とWikipediaでの原作小説に関する説明が異なっています。話がそれるのでこの件はこのくらいで。

スターリングラード [Blu-ray]

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  • 発売日: 2013/06/04
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なお本シナリオには狙撃兵は登場しません。(そもそもスターターキットには狙撃兵は登場しません)

シナリオ設定

市街地のハーフマップ。
石造建物が密集する市街地マップです。

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中央の黄色のヘックス列の上側がドイツ軍の配置場所、下側がソ連軍の配置場所となる。ソ連軍の増援は2ターン目以降にダイスを振りターン数より小さい値が出たタイミングでマップ下端より登場。”V”印がついた建物が勝利条件で求められている建物。この3つの建物を占拠することが必要                                                                                       

ドイツ軍は一線級分隊と戦闘工兵があわせて11個分隊火炎放射器、爆薬などの工兵装備に機関銃を保有しています。
初期段階での分隊数はドイツ対ソ連で11対10で珍しくドイツ軍が勝っています。
充実した支援火器もるため火力でソ連軍を圧倒しています。
ドイツ軍の弱点は時間です。ターン数が6しかありません。

ソ連軍は一線級分隊と徴集兵分隊からなる10個分隊、増援で短機関銃装備の一線級分隊が3個、ダイスの値によって到着します。ソ連軍にしては珍しく支援火器や指揮官も数が多めです。問題は初期配置の半分を占める徴集兵で、士気6は見劣りします(通常の一線級分隊は7)ソ連軍の分隊数と火力に劣るソ連軍が拠ってたつ優位点は、地形のほとんどが石造建物(地形効果+3)であることです。
ドイツ軍が時間の制約を受けていることも考慮すると、ソ連軍は頑強にひとつひとつの建物に籠もりしぶとく抵抗をしていくことになるでしょう。
もう1点、増援の存在もあります。増援は盤端から登場するため、一度占拠された建物を奪回することも考えられます。ドイツ軍は占拠した建物を確保し続けながら攻撃を実施しなければならないでしょう。部隊数自体が拮抗しており、十分ではない中ではドイツ軍は攻撃の中でどう分隊を繰り回していくのかは課題でしょう。

感想戦

2戦実施しましたがよいシナリオでした。
絶妙のバランスと感じました。
実際、データベースでも独ソの勝敗は145対144でほぼ拮抗しているようです。

ASL Scenario Archive

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あと今回、SKのルールだけでプレイしたが構成がわかりづらい。
このルールはこの章に書いてあったはず、確かこれはルールになっていたはず、といったあてずっぽで探し回ることになった。
今後の課題としてわかりづらいルールは整理していきたい。

 

大河ドラマ「太平記」4話「帝ご謀叛」:派手な場面はなく陰謀渦巻く暗い展開。セリフの情報量が多く聞き逃がせない見逃せない

別サイトから移転してきた関係で順番がバラバラになっています。
大河ドラマ太平記」第4話「帝ご謀叛」です。 

前回までのあらすじ

窮屈な鎌倉を脱し京都にやってきた足利尊氏真田広之)と腹心の一色右馬介大地康雄)。お上りさん状態の高氏は、さっそく朝廷方の日野俊基榎木孝明)の勧誘に会い、連れて行かれたのが近江国の守護で後に婆娑羅大名と呼ばれる佐々木道誉陣内孝則)の屋敷。
道誉に勧められるままに飲んでいると酔いつぶれてしまい、挙げ句は踊っていた白拍子の少女藤夜叉(宮沢りえ)と一夜をともにしてしまう。これも道誉の差し金、罠、ハニートラップといったところだろう

ところが翌朝高氏が目覚めた時には少女どころか、屋敷には誰もいなくなっており、屋敷の外、都大路には六波羅の赤い旗が多数立ち並びただならぬ状況になっていた・・。
高氏19歳の秋。

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正中の変

正中の変は1324年10月と伝えられている。
後醍醐天皇による幕府転覆の企てが事前に六波羅の知るところとなり、六波羅側の軍勢が宮方の美濃国御家人土岐頼兼父子らを襲ったというもの。ウィキによれば四条あたりで”激しい市街戦”が発生したとあるが、ドラマでは宮方の武将たちの館を六波羅の軍勢が急襲し、一方的に捕縛か殺されたように描写されている。

朝臣では日野資朝日野俊基榎木孝明)が囚われ、後に鎌倉幕府の沙汰により、日野資朝佐渡島流し日野俊基は蟄居謹慎となった。後醍醐天皇は釈明書が受けいれられ赦される。

前夜来行方知らずだった高氏が半ば平然と半ば疲れた顔で、伯父上杉憲房藤木悠)の館に戻るとすぐさま一色右馬介が駆け寄り、「今までいずこに?・・右馬介は命が縮む心地でございましたぞ」と言い、継いで「・・六波羅は今、血眼になって日野の行方を追っています。よもや若殿は日野と・・?」と訊く。
「そうか、日野殿は逃げおおせられたか・・。」
六波羅が探し回っている謀叛人の肩を持つような発言に驚く右馬介。気にせず続ける高氏。
日野殿がおやりになさろうとしたこと、この高氏にはようわかる。日野殿は、この腐りきった世を変えようとなされているのじゃ。日野殿にはなんとしても逃げていただけねばならぬ。」
「口が過ぎますぞ!・・よろしゅうございますか。六波羅に、若殿が日野とお会いになっていたと密告をしたものがございます。さきほどそのお咎めがあり、上杉様が急ぎ六波羅に出向かれました。その様子では追って若殿に直々にお召があるのは必定と思われます。

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佐々木道誉

変の前夜、高氏に饗応を供した佐々木道誉は異変を予知し、いち早く都を抜け出し自領の近江にもどっていた。花夜叉(樋口可南子)一座一行も同行していた

どうも眠りこけていた高氏を残し、藤夜叉も含め夜半のうちに京を出ていたということなのだろう。

道誉が花夜叉に訊く。
「誰に文を書いておる?」
「隠れ家におわす日野俊基様に恋文を」
「おもとは日野様びいきじゃからの。されどあの御方はもはや詮無きお方。これまでよ。文などよせよせ。」
「あれほど日野様日野様と仰せられていたではござりませぬか」
「・・日野様はいささか目立ちすぎた。もはや手に負えぬ。
手に負えぬ故、鎌倉にお引渡しになったのでござりますか?
「引き渡す?この判官が?」
「殿様はもともと執権北条高時公ご寵愛の御小姓、鎌倉とは縁深きお方でござりましょう?日野様や土岐様にお近づきになったのも、足利高氏様をあのようにお試しになったのも、みな・・・
最後まで口にしない花夜叉、
「そうでなければ此度の六波羅の見事な動きは説きませぬ。」
「おもとも不思議な白拍子よのぅ」
花夜叉に見透かされみるみる不機嫌になる道誉。

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同じ頃、”石”(柳葉敏郎)は一生懸命文字を綴る藤夜叉(宮沢りえ)に声をかける
「誰に文を書いておる?足利高氏様への恋文か?あの御方はもはや詮無きお方。文などよせよせ。」

”石”が藤夜叉に言っている言葉が、さきほど道誉が花夜叉に掛けていた言い方をそっくり真似ているのが可笑しい。

「おもとも不思議なおなごよの。白拍子の身で足利様に恋をするとは。
・・京のあの一夜から、お主の顔には足利高氏様と書いてあるわ。・・好きになったか?」
「わからない。でも花夜叉様に言われたの。好きかもしれないと思ったら文をお書き、そうすれば、気持ちがようわかる。うまく書けたら、あの御方に届けてやろう・・。
でも何を書けばよいのかわからない。変なお方だったもの・・
おっしゃられることが突拍子もなくて、間が抜けていて・・
でも笑うと水のようにきれいな目で、こんなにやさしい顔があるんだ、って。
そう、笑いながら、小さな声で最後におっしゃった。『舞は見事でした』って。
でも、それだけ・・あとは・・たった一夜で。
・・だからあんなお方に文を書くのはやめた。何もないもの。たった一夜の事だもの・・

「それでよい。・・お主がワシの敵の足利を好きにならででよかったわ」

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最初に宮沢りえの演技を見た時にもう少しどうにかならなかったのかと思ったものだが、こうしてセリフをたどって二度三度と見る内に、そんなに悪くもないんじゃない、と思うようになってきた。
薄幸の藤夜叉という女性を演じるに演技力や魅力が足りないのではないかと思っていたのだが、これはこれで違った魅力を出しているのではないかと(まぁ、足りないとは思うけどね)。

この場面、彼女は懸命に文を書いていて一夜だけの恋人の顔や言ったことを思い出しているだが、でも結局文を出さないと決心してしまう。
後のエピソードでも高氏に浜辺で待っていて欲しいとまで言われていても、仕方ないからとその約束を寸前のところで反故にしてしまう。

両方とも、”石”がなにかと邪魔をしているのは確かだが、この藤夜叉という女性は大事なところの寸前ですーっと身を引いてしまう、遠慮してしまうところがあって、その儚い雰囲気を一生懸命にあらわしているように感じている。
そう見ていくと、今後もこの宮沢りえ演じる藤夜叉を見ていきたいと思うようになっている。
ただ”石”、お前はダメだ。

 

六波羅の詮議

右馬介の予想通り高氏は六波羅の詮議の席に呼ばれていた。六波羅探題北方の北条範貞(鶴田忍)の詰問を受ける高氏。
「淀の津で謀叛人日野俊基と御辺の姿を見たと申すものがいる以上、こうしてお訊ねする他はござらぬ」
「されば、重ね重ね申し上げておりまする。淀の津など参った覚えもなく、日野俊基と申されるお方にお会いした覚えもござりませぬ。」
「はて・・日野殿と親しゅうお話をなされていたのは醍醐寺の下人もしかと見ております・・」
「いくら申されても会わぬものを会うたとは申されませぬ。」
白状しない高氏に、六波羅側は証人を呼ぼうとするが高氏が押し止める。
「お待ちくだされ、
某が都に参ったのは3日前。醍醐寺の下人がなにゆえ、それがしの顔を見知ったるか。何故、某を足利高氏と判じたるか?」
醍醐寺で名乗られたのを聞き及んだのでござりましょう。」
「謀叛人日野俊基と会うのにわざわざおのれの名を名乗るものがござりましょうや?足利高氏、さほどのうつけではござらぬ!」

右馬介の話では高氏が日野俊基と会っていたとする密告があったということだったが、醍醐寺の後に立ち寄った淀の津の事まで知られているとすると、まぁ密告は佐々木道誉からなされたということ。ただこの時点、高氏はまだ道誉の裏切りには気づいていない。

 

鎌倉への波紋

京都からの早馬により鎌倉にも高氏詮議の件は伝わっていた。
足利屋敷では、話を受けた貞氏(緒形拳)が妻清子に苛立たしげに言う。
子というものは不思議なものだ。手元にいても遠くにいても親を刺す

貞氏は幕府に参内し、内管領長崎円喜フランキー堺)に釈明する。
「長崎殿、お聞き及びのことと存ずるが、京において高氏、六波羅殿より詮議を受けたる由。真に面目次第もござらん。お指図を受けるべく参上仕りました。
あくまで北条家に伏する姿勢を崩さず、疑いの目を向けられまいとする身を小さくする貞氏。
長崎円喜は「何事かと思えば、そのようなこと。讃岐殿も心労が絶えませんな。よもやお子が宮方につきて鎌倉に謀叛いたそうなどとは誰も思いもよらぬこと。・・のう連署殿」と笑みをたたえつつ、傍らにいた連署金沢貞顕児玉清)に話しを振る。

内管領”は鎌倉幕府の執権北条氏の宗家である得宗家の執事にあたり、北条家の家政を執る私的な役職に過ぎなかったが、長崎円喜・高資父子は執権の後見人として政務を処理し権勢を振るっていた。貞氏が執権北条高時ではなく、実務を握っていた長崎円喜の元に赴いたのもこの理由による。
連署”は”執権”に次ぐ幕府内のナンバー2の役職にあたる。この役職もまた、長崎円喜の息がかかっているため、金沢貞顕自身はその実、長崎円喜に頭はあがらない。金沢貞顕は北条一族の一人で、その名字は地名の金沢文庫に残る。
金沢貞顕足利貞氏の本妻の兄にあたり、この二人は義理の兄弟ということになる。貞氏の本妻の件は1話にて書いたので省略。
金沢貞顕は、御家人最大の足利家の懐柔のため常に足利家側も配慮した仕振りをこの後も継続していく。

話を振られたのですかさず足利家ヨイショをはじめる金沢貞顕演じる児玉清の風貌もあいまってホント良い人
「足利殿とこの金沢貞顕は縁続き、高氏殿も幼い頃よりよう存じあげておりますれば、構えてそのようなことは・・」
連署殿もそう申されておりまする。大事あるまい、ご案じなさるな。
上機嫌で応対する長崎円喜
「そのように申していただければ、この上もない。執権殿にもよしなにお伝えくださいまするよう。」
「うむ」
機嫌の良いまま立ち去る円喜。残った金沢貞顕が貞氏に声をかける。
「某も案じておったのじゃ。長崎殿がああ申されれば、ひとまず安堵よ。上首尾上首尾」
「口添えかたじけない」厳しい表情を崩さない貞氏。
「なんの、御事との仲じゃ。・・しかし高氏殿は真に日野俊基と関わり合いはあるまいの?」

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二人はまだ知らない。高氏の処遇について長崎円喜に考えがあった事を・・、終始上機嫌だった訳を・・。

「しかし高氏殿は真に日野俊基とかかわり合いはあるまいの。・・日野俊基はまずい。日野一人であればどうということはないが、日野の後ろにおわす方がただならぬお方。それだけに事が大きい。六波羅を襲い比叡山南で兵を挙げる謀叛の企ては、まぎれものう帝より出たことよ。帝の謀叛じゃ。
「帝のご謀反?」
思わず金沢貞顕に訊き返す貞氏。

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朝廷の事情

朝廷では後醍醐天皇片岡孝夫/現・片岡仁左衛門)の前で、公家達が対応を協議中。
鎌倉に対して実質的な詫び状を送ろうとする意見に対して、天皇が苦言を呈する。
「幕府に対して二心はない。朕は偽りを言わぬ。これは詫び状ではないか?かかる文を関東に送るのか?・・・北条の者共は鬼の首をとったかのように勝ち誇るであろう。」
若い公家からも「帝が武家に詫び状を送るなど前例に無き事。北条の者共はこれをよいことに帝のご退位を迫るやもしれません。さすれば、帝のご退位を望む持明院共を利するところ・・」と、朝廷内にある皇統の対立を再燃させかねないという意見が出る。
「すでに鎌倉では帝にご出家をお勧め奉るとか、恐れ多くも島へお流し奉るべしとか、聞き捨てならぬ論もあるやに聞き及んでおりまする。今出来得る限りの手をうつべきときかと・・」
「左様、あくまで朝廷の威を失わず、しかも日野俊基らの謀叛には何ら帝はご関知無しとする」別の若手公卿が主張に、
「朕のために矢面に立つ日野俊基を見捨てよ、というか?」
帝の問いに黙って平伏する公家たち。

後醍醐天皇は人払いをして乳父にて腹心の吉田定房垂水悟郎)だけを残す。
定房は帝の問いに答える。北条を倒し政を朝廷に復するは誰もが思っていることだが、中には時を待たねばならないことがある、と説く。今はその時ではないと
朕には六波羅を抑える兵すらない。・・時至らず、か・・。鎌倉に詫び状を・・。
日野俊基を見殺しにのう・・
と帝は落胆する様子を見せる。

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吉田定房タカ派の若い公家の意見に引きずられないようにやんわりと帝に説く。穏健派と言うことなのだろう。
後の元弘の乱(1331年)の際に吉田定房は討幕の謀を幕府に密告し、その結果後醍醐帝は隠岐島島流しとなっている。

 

捕縛

日野俊基は粗末な身なりに身をやつし京都市中の貧家に隠れているところに”石”が花夜叉の手紙を届けに来る。だがすでに六波羅の追手が現れていた。
別の隠れ家に移動するように促す”石”に俊基は言う
「お気持ちだけうれしくいただきます、と花夜叉様へお伝え下さい。・・身共は逃げるつもりも毛頭ござらぬ。・・(処罰されるのは)身共一人であればそれで良い。いずれ別の者が北条を倒しましょう。そうなると必ず、良い世の中になる」
良い世の中って、どういう世の中なんですか?
米を作るものが家を焼かれずに済む世の中です。母親が子を残して殺されることの無い、穏やかな世です。糸を紡ぎたいものが紡ぐことができる世です。
まじまじと俊基の顔を見る”石”。
そこに薬売りを装った六波羅密偵が戸外で口上を述べ始め、俊基は立ち上がる。
「なにか、ワシにできることはございませんぬか?」
”石”があわてて訊く。
願えればこれを河内の楠木正成殿にお渡しいただきたい」と俊基は造りが豪奢な短刀を”石”に差し出す。
「これが日野俊基でございます、とお渡し願えるかの。・・そう伝えていただければ、全ておわかりいただけるはず。」
外に出た俊基が六波羅密偵たちに取り巻かれそのまま連れ去られるのを、”石”は見送った。

六波羅探題。上機嫌な北条則貞の見送りを受け探題から出る高氏。
「足利殿、もはや京に長居は御無用ぞ。謀叛人日野俊基もさきほど我が手のものが捕らえたとのことじゃ。心置きのうお帰りなされよ。」

探題の門外には右馬介らが待っており、そこで馬上で縄をかけられひきたれらていく日野俊基の姿を目にすることになった。

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追い出されるように京を出た高氏と右馬介は藤沢の手前まで戻っていた。

「鎌倉へ戻り、また将軍の御座所に相勤めるか?朝、格子戸を開け、蹴鞠をし、執権殿や長崎殿の顔色を伺い、汲々として・・
都を見る前なら・・
日野殿に会い、帝を拝し、淀の津を見る前なら、執権殿の顔色も伺ごうたやもしれぬ。長崎殿の顔色も・・。
右馬介、いかが致せばよい?ワシは都を見てしもうたぞ。
都で白拍子に会うた。佐々木判官殿の屋敷で一夜だけ・・
朝、目を覚ますと、煙のように消えていた・・。それだけのことよ。
だが、白拍子の顔と名がこの頭から消えぬのだ。藤夜叉というその白拍子舞が、一夜の事よ、と消えてはくれぬのだ。
日野殿も、淀の津も、此度の騒動も何もかもこの頭から消えぬのだ。
教えてくれー。右馬介。いかがいたせばよいのじゃ。

高氏はここまであまり自分の心情を口にしてこなかっただけに、この長ゼリフは印象的。

そこへ武者に率いられた兵達が高氏一行を取り巻き、そのまま鎌倉侍所に連行されることとなる。

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長崎円喜の深謀

執権北条高時片岡鶴太郎)を前にして一連の対応について報告を行う、長崎円喜、その子高資(西岡徳馬)、金沢貞顕

詮議・密議・協議のシーンが続いたこのエピソードにおいてもここからの応対が白眉と言ってもよい丁々発止のやりとりになっている。
本来、内管領は北条家の家臣に過ぎないのだが、執権自体も内管領の意向に背くことが難しい状態になっているのが伺い知れる。
また享楽的な高時の言動とそれを演じる片岡鶴太郎の演技も見どころ。

「・・幕府より奉行2名を遣わし、帝ご謀反の真偽を入念に質させんと存じまするが」
長崎円喜
「それは良い。その議は許す。
・・して、奉行を送り、帝ご謀叛と判明せしときはいかがいたす?」高時は訊く。
「関東より軍を差し向け、帝の退位を迫ります。」勢いよく答える長崎高資

対する高時はゆっくりとした口調で下問する。
「それはいかがかのぅ?迫るまでは及ぶまい。うーん、及ばん、及ばん。
思うてもみぃ?朝廷に謀叛があったとて、帝に兵はおらぬ。なにができる?
軍を差し向ければ金がかかる、帝が退位すれば次の帝を選ばねばなるまい。
・・面倒よのぉ・・」
「ご案じなされますな。」長崎円喜は高時の口調にあわせるようにゆっくりと応える。
「面倒な議はこの円喜が考えまする。」
「この高時が14で執権についた時から、面倒は円喜がずーっと考えてくれた。円覚寺におわす母御前もそうじゃ。母御前と円喜はワシの恩人よ。」応ずる高時。
「ははーっ、ありがたきお言葉。」芝居がかったように大仰に平伏する円喜を白白と見る長崎高資

「さりながらその面倒の上に、足利の小セガレを捕らえて騒動に致す。いかに円喜とて面倒がすぎぬか?由来、高時は騒々しいのが大のキライじゃ。」

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思わぬ方向に高時の話がとんだということか複雑な表情を見せる長崎円喜。そっと円喜の表情を伺う金沢貞顕の様子から、事前に金沢貞顕から高時に対して、足利高氏捕縛の件に何かしら請願があり、それを受けた高時による遠回しの意見につながったのが想像される。

「・・あーぁ、そっとできぬのか?もっとそっと」と高時。
長崎円喜さすがに一筋縄ではいかない。淡々と説き始める。
「幕府がこれまで150年、曲がりなりにも世を平らかに治めて来られたのは何故でござりましょうか。・・大きな敵を作らぬよう、公平に人を遇したこと・・。」
声を大きくして、
「それでも敵ができるようなら、大きくなる前に早めに潰してきたこと。
足利がここまで勢力を大きくしてきたのはなぜか?これまで北条が潰してきた有力御家人の残党を所領に匿い養ってきたからだと説明する円喜。
「それは何故?」思わず訊ねる高時。
「わかりませぬ。・・だが此度の事でそれがわかるやもしれませぬ。」
笑みをたたえ答える円喜。

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高氏捕縛の件は足利屋敷にも届く。愕然とする貞氏。
高氏は侍所に連れゆかれた、侍所の周りは幾重にも兵がとりまき近づけない、次々にはいる報告に、「馬を引け!」叫ぶ貞氏。
牢内の高氏のシーンで終了。

感想

顔見世興行的な華やかさがあった前回から打って変わって、正中の変を受けた朝廷・鎌倉方また足利家といった各所での影響が描かれる。冒頭の出兵シーン以外、派手な場面はなく各所各人の思惑・陰謀渦巻く暗いストーリーが展開される。が、情報量は多く、セリフ一言一句まで見逃せない・聴き逃がせない内容であった。
(こりゃあ、普通の視聴者はついていけないのではないかと心配になる・・)

  • 佐々木道誉の鎌倉・宮方への二股掛けと裏切り、高氏を巻き込んだ真意
  • 足利が武士の棟梁と世にいわれ、また鎌倉方が鵜の目鷹の目で足利家を監視し続ける訳。(1話冒頭の足利家に庇護を求める武家のエピソードにもつながる)
  • 皇統をめぐる朝廷自体の内紛。決して一枚岩ではない朝廷と、後醍醐天皇の立場
  • 北条家内管領として実質的に北条家を牛耳る長崎円喜の謀
  • 高氏の疑惑をネタに足利家の真意を試そうとする長崎円喜
  • どこまで本気かわからない執権北条高時のセリフと円喜との鞘当て

 これが例えば戦国時代や幕末が舞台であったならその後の顛末も想像がつくのだが、鎌倉末期から南北朝時代には馴染みがないため、ひとつひとつの展開が新鮮だ。

「争い事は嫌いじゃ」「なるだけ事を荒立てないでおけ」、と独特のイントネーションで話す片岡鶴太郎北条高時 役)。1話の闘犬のシーンもそうだったが、どこまでが本音なのかわからない不気味さをたたえ好演。
対するフランキー堺長崎円喜 役)も顔は笑っていても目は笑っていないという典型。
足利の小倅の件は不問にしろという北条高時に対して、長崎円喜は反論し、長年の足利の疑惑とここが足利を追い込む好機とまで言う。主従とは言え、単に世襲で継いできただけの関係なので、お互い相手にスキを見せると食ってしまわんとするような関係が垣間見える。

 

 

 

「戦車戦」(HJ)を試す(3)シナリオ4「デブレツェン」(続き)

HJ社の往年の戦術級ゲーム「戦車戦」の中から両軍80余両の戦車・自走砲が登場するシナリオ4「デブレツェン」をソロプレイ。

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第6ターン

イニシアティブのダイス結果はギリギリ、ドイツ軍となった。
このゲーム、イニシアティブを取るのと取らないとでは大違い。ここまでのところの印象では非イニシアティブ側はかなり不利になる印象。

射撃フェイズは先手、移動フェイズは後手とすることで前のターンで有利な射撃位置に移動しておき、射撃で先に相手を撃破してしまえば、反撃されずに済む。
もちろん移動フェイズで臨機射撃を被る可能性はあるので一概には言えないが、臨機射撃を行うユニットはそれまでに射撃も移動も行っていない必要があるため実施できるユニットは多くはないだろう。

プレイに戻る。
上方左側マップでは残ったJS2と近接してきたティーガーパンターとの最後の射撃戦が行われ結果、射撃が先行したドイツ軍が残ったJS2 2両を撃破した。
ソ連軍の第1梯団は全滅となった。

上方右側のマップでも、予め配備されていた88ミリ高射砲やパンターなどからの遠距離射撃によりソ連軍第2梯団の車輌が少しずつ削られていた。
ドイツ軍側の車輌や砲は稜線や陣地の防御効果を得られるように配置されているため、基本となる砲力が同程度であったとしてもソ連軍は不利。吹きさらしの平地を接近していく他はない。

移動フェイズにてソ連軍の第3梯団が、市街地マップの左端から登場。
市街地を直接守るドイツ軍は歩兵部隊と対戦車砲、マーダーとⅢ突少数なので脆弱。
まだ双方十分に視界内にないため、本格的な衝突は次のターンとなる見込みだ。

ソ連軍損害

  • JS2 2両  (第1梯団全滅)
  • SU85 1両
  • T34/85 2両

ドイツ軍損害 なし

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中断・感想戦

ここで時間的制約もあり、また展開として反省点が多くなってきたので中止。

両軍とも彼我の車輌の性能についての認識不足から最適な戦術をとれなかった点が大きい。
特にソ連軍はJS2がドイツ軍のティーガーパンターに比べて圧倒的に強いという点を活かし、徹底的にアウトレンジ戦術をとるべきだったのを、前進を優先してしまい安易に接近戦に持ち込まれてしまったのが悔やまれる。20ターンもあるのでもっとどっしりと攻めてよかった。
第4梯団のT34/76は、10両という数に頼んで安易で単調な攻撃を繰り返してしまい、低いキルレシオのまま全滅するに至ってしまった。確かにT34/76の場合はドイツ軍の主力車輌には太刀打ちできないため最終的な生存は難しいが、機動力と数の優位性、またドイツ軍主力の側面から登場するという点を活かして撹乱するような動きができたように思う。

ドイツ軍からするとJS2に対してはティーガーパンタークラスでも接近しないと撃破できないことを考慮すると、JS2を擁するソ連軍第1梯団の登場位置にもっと近い場所に配置し登場早々に近距離での砲戦を行う必要があるだろう。離れていると接近していく間に撃ち減らされていく可能性が高い。
そうなるとソ連軍第1梯団のJS2以外の車輌とも近接戦を行う必要があるためドイツ側も相当の損害を覚悟しないといけないだろう。
またこうした前進配置を行った場合、ドイツ軍の主力は中央部や市街地から離れることになるため、ソ連軍の第2、3梯団への対処に難点がでてくる可能性は高い。

今回のリプレイでドイツ軍は、ソ連軍第1梯団登場時点で左翼のグループを全滅できたり、また第2梯団以降の登場が少しずつ遅かったり、またここまでイニシアティブのダイスで負けていないなどダイスの目に助けられた点が少なくないように思う。

 

ゲームとしては戦術級入門として予想以上によかった。
ダイスを振る回数が少ないため、今回のような多数のユニットが登場するシナリオでも、単調にならずにまたサクサクと進行させることができた。
少ないとは言え戦車以外の対戦車砲や歩兵も登場させている点を評価したい。

一方で気になる点をあげると、
6面ダイス1個で全て解決するシステムのため目によってばっさりと結果の白黒が分けられてしまう。戦車等の性能も同様で数値によってデジタルに性能が評価されている点。
マップが単純すぎてせっかくの歩砲装の混合戦術が活かせない(もっともマップが単純なためLOSで悩む点が少ないという利点はある)。

対戦プレイは行うにはいまさら感があるが、戦術級入門用としては「ぱんつぁー・ふぉー!」あたりよりはバランスはとれているように思う。(「ぱんつぁー・ふぉー!」はキャラゲーとして入門者を呼び込みやすい点はあるが)。

今回のシナリオはまたいずれ気が向いたら再チャレンジしてみたい。またもっとこじんまりした、歩砲装の複合部隊によるシナリオも試してみたいという気はしている。

 

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