Their Finest Hour -歴史・ミリタリー・ウォーゲーム/歴史ゲーム -

歴史、ミリタリー、ウォーゲーム/歴史ゲーム/ボードゲーム

大河ドラマ「太平記」25話「足利尊氏」:高氏と義貞、実際に会ってみるとわだかまりは解けたように思えたが・・

前回のあらすじ

後醍醐帝の愛妾阿野廉子原田美枝子)は自分の子に皇統を継承させるべく、皇子護良親王堤大二郎)を追い落とそうと画策していた。

一方の護良親王は、武士の頭領たる足利高氏真田広之)を嫌い、高氏の事を「第二の北条氏」と言い、足利討伐まで口にするようになっていた。

後醍醐帝(片岡仁左衛門)は信貴山から下りてこない護良親王を宥めるため、親王征夷大将軍に補任し、足利高氏は左衛門督とした。

ようやく朝廷に登った護良親王に対して、後醍醐帝は新しいまつりごとのため高氏と力をあわせて欲しいと言う。

 

護良親王の上洛に伴い京に進出した僧、”殿の法印”(大林丈史)の手の者が土蔵破りの罪で、京の治安を担当していた足利直義高嶋政伸)に捕らわれた。
大塔宮派(護良親王)からは保釈の強い要請があったが、直義は突っぱねる。

怒った”殿の法印”は護良親王の知らぬところで勝手に、足利高氏暗殺を計画し、実施者として楠木正成の弟楠木正季赤井英和)を巻き込んでいた。

暗殺計画の話を聞いた護良親王は驚くが、止めることはしなかった。

 

大塔宮派は、さらに足利高氏に競わせるべく、鎌倉に駐屯していた新田義貞根津甚八)に対し、上京しなければ恩賞にありつけないと脅し、上京を促した。

 

新田義貞が上京するという報せを聞いた高氏は、義貞が勝手に鎌倉を離れる事に失望の色を隠せない。
高師直柄本明)は、義貞が自ら鎌倉を捨てたのは足利家にとって好都合だとする一方で、義貞が大塔宮派に入ることを憂慮していた。

 

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処刑とその波紋

捕縛した土蔵破り犯等が大塔宮派に属するものとわかった後も、直義は方針を変えず、法に乗っ取り処刑を決行する。

 

高師直の報告を受ける足利高氏
「全ては直義に任せて置いたのじゃが、ああまでするとは思わなんだ。いかにも奴の潔癖さよ。
「まこと、されど京童にはおおむね芳しき評判にござりまする。さすが足利よ、と快哉を叫ぶ者多く、強盗、追い剥ぎ、安閑と夜を過ごせぬと不満を高まっていた折から、まこと時季を得た御沙汰でござりましょう。
「宮方もこれに懲りて、おとなしゅうしてくれるとよいがの。」
油断は禁物でござりましょう。表面、なりは潜めましょうが、足利への逆恨みの余り、良からぬ事を企むやら・・あるいは殿のお命を・・

「・・ああまでするとは思わなんだ」という高氏の、直義へのコメントもどうなの?という印象はあるが、高師直の冷静な分析には毎度感嘆する。結局、高師直のような知恵者が、新田義貞護良親王の周りにはいなかったということも、この後の顛末につながってくるのであろう。

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処刑の報を聞いて”殿の法印”はもとより、護良親王も激怒する。 
「高氏をいささか甘く見ておった。これは我らへの宣戦布告じゃ。もはや躊躇は無用じゃ。」
「されば正季と共にしかるべき手配をすすめておりまする。近々必ず・・」
”殿の法印”がすかさず応じる。
「高氏め!」目を剥き唸る親王

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佐々木道誉のとりなし

佐々木邸にて月見の酒宴に招かれた高氏。他に招いた客もない二人だけの酒宴に、何の話だと訊ねる高氏。佐々木道誉陣内孝則)が口を開く。
「実はのぅ、親房卿(北畠親房近藤正臣)の使いで参ったのじゃ。親房卿がのぅ、御辺と大塔宮の対立にいたく心を痛めておられる。御辺、大塔宮と会うて話す気はないか?
「会う?」
「ご両者が対立したままでは、ご新政の行く末に大きな障りとなるであろう、と案じられておられるのじゃ。近々帝は、親房卿の元にお忍びの行幸をなされることになっておる。その宴に御辺と大塔宮を招きたい、とお考えなのじゃ。ま、いずれ正式な使いがまいろうが、その前に伝えてくれとのご意向じゃ。」
「いや、お招きがあればまかるにやぶさかではござらぬが、さても、何故、御辺に?」
ありていに申せば、大塔宮を立ててくれということでござろう。御辺も存じおろうが、親房卿は大塔宮の従兄弟かつ舅じゃ。宮がかわいいのじゃ。帝も承知なされておるというぞ。」
「帝が?」
「驚くことばかりじゃが、それもこれも皆、御辺の力を怖れてのことぞ。今や武士の大半は源氏の頭領よ、器量のものよ、と足利殿になびいておるでの。

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北畠親房卿の宴

後醍醐帝主催で開催された戦勝祝の宴を「成り上がりの公家と卑しい武士」しかおらず趣もなく、胸糞悪く、退屈で、時間の無駄であった、散々にけなしていた北畠親房が、後醍醐帝のお忍びでの行幸を得、自邸にて開催された宴。
招かれているのは、大塔宮護良親王足利高氏佐々木道誉ら。

御笛を担当する後醍醐帝も加わった楽が奏される中、庭に設えられた中央の舞台で北畠顕家後藤久美子)が舞を舞う。

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宴のさなか、帝に呼ばれる高氏。
「高氏、参れ。・・無礼講じゃ、もちっと近こう参れ。」
後醍醐帝の座に進みいる高氏を、目を剥いてにらみつけ凝視する護良親王
「高氏、今宵は無礼講じゃ。なんぞ申すことがあろう。思いの丈を述べよ。許す。」
「はっ」やや困惑したのか何も言わない高氏。
「申すことはないか?ならば朕より訊ねる。諸国の武士を集めて何とする?

心配そうに、また口をはさむタイミングをはかるように高氏を見やる道誉。だが道誉の心配も気にせずに堂々と答える高氏。

「こは異な事を仰せられまする。武士が上洛いたしたのは、此度の合戦の恩賞を求めての事。皆、帝のために働いたものばかりにござりまする。
北条の残党の帰参も許しておるようじゃが・・。
「万事、ご新政のためにござりまする。無益な血を流し、民を戦の渦に巻き込むは、帝のご本意ではあらせられますまい。北条に与したる者とて、帝に背いての事ではござりませぬ。そは武家の悲しき習いにござりまする。いたずらに厳しく処せられたるは、かえってご新政の差し障りにもなりましょう。万事ご新政によかれ、と微力を尽くしおる次第にござりまする。

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高氏の説明に深く頷く帝。護良親王のほうを見やり、声を掛ける。
「どうじゃ、会うてみれば憎み合うほどのことではあるまい。」
はて、麿には東夷(あずまえびす)の腹のうちは読めませぬ。
と答え、帝のほうに身体を向け、
お上は、御心が広すぎるようにござりまする。」と帝に直言する護良親王

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「護良!!」これには帝が怒鳴り声を上げる。
朕はそなたの父ぞ。父の思いがわからぬか?そなたと高氏が睨みあうていたら、延喜、天暦の如き世にはならぬ。・・・両人に酒を・・
朕が新しきまつりごとを寿ぐのじゃ。」

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渡された杯をそれぞれ飲み干す、護良親王と高氏。
やれやれといった複雑な表情を浮かべ、あわせて杯を干す道誉。
後醍醐帝は宴を設けとりなしの機会を供した親房にうなづく。うなづき返す親房。

ja.wikipedia.org

 

凶行

事は宴の帰路に起こった。

松明を持ち、供一人を連れた高氏に矢が射掛けられる。運良く矢は外れるが、黒装束の者数人が高氏を取り囲み、塀に追い詰められる高氏。

が、そこに騎乗の将が駆けつけた。楠木正成武田鉄矢)であった。
少し遅れて、足利家の手のものをも駆けつけ、人数が逆転したことで、賊は一斉に逃げ出す。

賊の退散を見届け、すぐさま馬を下り、高氏の足元に伏する正成。
「・・足利殿、お許しくだされ。恥ずかしき限りなれど、さきほどの刺客、我が舎弟正季にござりまする。
・・弟はそれがしと違って、血気盛ん。短慮な気性なれば誰にそそのかされたか。足利殿は未来、必ず朝廷の大害になる。今のうちに一命を縮めよう、などと口走るようになりまして・・。舎弟正季の重々の不届き、正成いかなる責めにも受ける所存にござりまする。」ひたすらに謝り倒すばかりの勢いの正成に対して、高氏が応じる。
「お互い武門、狭量な輩、御し難き猛者、身内にも路頭にもたくさんおりまする。今夜の事はお忘れくだされ。・・・さぁ、お立ちくだされ。」

賊を見失いもどってきた足利家のものにも口止めをする高氏。
この足利家の者たちは高師直に命じられ、密かに高氏の護衛にあたっていたと言う。

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「武士とはやっかいなものでござりまするな。思わぬ事で都に出て参った。どーうにも馴染めぬ。河内に帰りたい。」帰路の道すがら高氏と正成が語り合う。
「河内にいても、都にいても武士は武士にござろう。」
「いや、河内の暮らしには根がありました。田畑を耕し、百姓とともに雨に感謝し、日照りを嘆き、情けがありました。都にいても民には民の暮らしがあり、情けがありましょう。なれど都の武士はさにあらず。名誉よ意地よ、と角つき合わせ刃を交え、果ては合戦に及ぶ。・・・いやいやなにも足利殿のことをとやかく言うておるのではござりませぬ。それがしのごとき、田舎武士の胸の内、お笑いくだされ」
「武士がお嫌いか?」
「はい。好きになれませぬ。思えば・・思えば田楽一座に身をやつし、一座と共に旅をしたあのひととき、あの時が一番楽しい時でござりました。連中はいい、好きな時に好きなところに行ける。何ものにも囚われない。・・・いっそこのまま一座に埋もれてしまおうかと、幾度思うた事か・・もし帝の勅を賜っておらざれば・・・あぁ・・いやいや・・・己のつまらぬことばかり申し上げて・・・月の光は人の心を惑わせるかのようにござりまするな。どうぞお聞き捨てくだされ。」
「なんの、これで今宵は格別の夜になり申した。」

このドラマにおける楠木正成という男は、後醍醐帝から勅使を受けた直後も挙兵か否かでひたすら迷い、迷い、逡巡する。
その後も、迷った際に自分が幸せになるような選択肢を取らない印象がある。

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新田義貞殿が上洛されるとか。いかなる器量の方かお会いしたい」最後にそう言い残し正成は辞去する。

 

新田義貞の上洛

鎌倉では新田義貞が足利家嫡子千寿王と高氏妻登子(沢口靖子)の元に、上洛のためのお暇の挨拶に来ていた。
一族をあげて上洛するという義貞に対して、登子が「北の方様も?」と訊ねたのに対し、「あれは都にあわない、国元におく」と義貞は答えた上で、告げる。

「・・・この狭い土地に相互がひしめきあっておっては紛糾沙汰は増すばかりであろう。後は若御料が良しなに治められ。」
「わが殿もさぞや新田様のご上洛を待ちかねておりましょう。」と登子。
大塔宮より直々上洛の催促がござってのぅ。」と脇屋義助石原良純)がやや得意げに口にする。これには脇に控えた足利一族の重臣が顔を見合わせ、微妙な空気が流れる。

「高氏殿に会うたら御台様も若御料もつつがなし、と答えましょうぞ。」
空気を察して、断ち切るように義貞が言い、登子が応える。
「・・鎌倉の事はどうかご懸念なく、ご上洛くださいませ。」

義貞一行の辞去後、鎌倉の足利一族の重臣が噂する。
「どこまでも我が殿は、御運が強うござりまする。願ってもない結果になり申した。
「左様、この東国に気長な根を張られたら、末始終、目の上の瘤ともなる新田殿也と思うておりました。」
我から根も土も捨て上洛召されるとはさても戦の他は先の見えぬお方よ。
さりながら大塔宮の催促と言われたのが、気にかかりまする

出演者一覧から推測すると同席した足利一族の重臣細川和氏細川頼春、細川師氏の三兄弟と思われる。

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大塔宮派の懐柔

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京では大塔宮派の面々が新田義貞の上洛を待っていた。
「よくぞまいったのぅ。そなたの心意気嬉しく思うぞ。」
護良親王は高座から降り、義貞の元に駆け寄る喜び様。

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「早速、帝への拝謁の儀を取り計らうようにいたそう。案ずるには及ばぬ。」
注がれた杯を飲み干した義貞を、”殿の法印”がおだてる。
「さすがは鎌倉攻めの総大将。器量の大きい飲みっぷりじゃぁ!」
「まこと良き潮に上洛のあったものよ。」四条隆資も唱和する。
「左様、今を外せば十分な恩賞につかれたかどうか」と赤松則村
「それは何故でござりますか?」聞き返した義貞に”殿の法印”が答える。
「決まっておろう、足利高氏よ。六波羅攻めの功を独り占めしたばかりか、鎌倉攻めの功も独り占めしようと画策しておる。小狡い奴よ。
「されどこの義貞の鎌倉攻めの功はすでに帝の相聞にも達しておるはず。」
「そのとおりじゃ。されど帝とは言え、心は動くもの。身近にあるのと無しとでは自ずと違ってこよう。」と言ったのは、四条隆資。
「帝は高氏の力を過分に思うておられる。」
義貞の耳元でささやく”殿の法印”。

大塔宮派の面々が口々に言い募り、義貞の思いはぐらつき、だんだんと心配になっていく。

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おおい、やめぃ。高氏の名など耳にするなりおぞましいわ
不意に声を上げたのは護良親王。声もかすれ気味で酒に酔っている様子。不安そうな表情を浮かべる義貞に愛想笑いをする。

 

内裏に参代した義貞は従四位上に任じられる。
陰からその様子を見る阿野廉子勾当内侍宮崎萬純)。
「・・あれが義貞か、使えようか。・・いかほどの力があるものかのぅ?」
「鎌倉を攻め落としたという、恐ろしげなお方には見えませぬが・・」

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高氏と義貞

新田義貞は、六波羅奉行所に高氏を訪ねる。
急に禁裏に召された事で帰着が遅れ、義貞を待たせてしまったことを詫びる高氏。
「上洛してすぐにこちらへ、と思うたのだが諸事取り紛れ遅くなり申した。」と詫びる義貞。
「新田殿、十五年の思いがようやくかない申した。一重に新田殿のお陰じゃ。あらためて御礼申し上げまする。」居を改め義貞に礼を言う高氏。
「足利殿にこそ、我らは・・」あわてる義貞。
「今にして思えば、遠い昔の事のようでござるが、新田殿と共に北条殿と戦う約束をしてからまだ半年もたっておりませぬ。・・されど人の心が変わるには十分な時間でござりまする。今では北条一門の世に苦しんだ事を忘れ、皆、ご新政の世に浮かれてござりまする。否、新しき世を楽しむは別に悪しき事ではござりませぬ。責めようとは思いませぬが、ただ、我らの戦いは、恩賞を求めてのことであったのか、と。北条の世に我慢がならぬ、その決起故に、勝ち目があるかどうかもわからぬ戦を戦ったのはござりませぬか。
高氏の話す事に思うところが色々とあったのかもしれないが、最後にクスリと笑うと義貞が口を開く。
「それがしの仮病から始まった戦であった・・」
「新田殿の顔を見て、懐かしさのあまり日頃の胸のつかえをついつい吐き出してしもうた。昨今の都のむきは腹膨れることばかり。お許しくだされ。」
「久方ぶりにお会いして足利殿の胸のうちにはいまだ熱い血がたぎりよるとわかって、この義貞ほっと致しました。もしや都の水で冷やされたか、と。」
「いやいや、琵琶湖の水につけられても決して冷えるものではござりませぬ。」
「こは大した自信でござる」
「この高氏、立ち上がるは遅けれど、見かけによらず頑固者にござりまする。」
「わかっておりまするぞ。」
二人して笑い出す。

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 「さあさあ鎌倉攻めの武勇などお聞かせくだされ。稲村ヶ崎の海を鎮めたる話などもひとつ、細やかに・・」
膳が用意されると、高氏が義貞に酒を勧める。

ナレーションも被り、高氏と義貞の間にあったわだかまりも解けていくようであった、と説明される。

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偏諱(へんき)

8月下旬、高氏は従三位に任じられ武蔵国国司北畠顕家陸奥国司、新田義貞越後国司となった。

「そちの名、高氏は北条に名付けられたそうじゃのう。いかにも見え悪しき名じゃ。されば、朕の諱(いみな)、尊治の一字をとらせようぞ。この後は”そんし”と書いて尊氏と読む。・・頼りに思うぞ」と後醍醐帝。

高氏29歳の事であった、と解説される。

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右馬介の暇乞い

3月の出陣以来、各所で活動をしていた一色右馬介大地康雄)は5月の鎌倉陥落以降姿をくらましていたが、突然、高氏の元に戻り高氏に暇乞いをする。
驚く高氏にその理由を言う右馬介。

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北条家の打倒という初志を叶えた高氏の周囲にもはや自分は不要ではないか、と。

暇の上、何をするのだ、という問いに対し、「出家を致そう、かと」と答える右馬介。

北条を敵と思い28年生きてきたが、その敵が”あえない最期”を遂げた。

今後は父母・兄弟の霊を弔い生きていくべきと考える、と右馬介。

見損のうたぞ!と声を上げる高氏。

北条を倒すだけではなく、新しい世を作ることが必要ではないか、と

戦はまだ終わっていない、むしろこれからじゃ。、帝の政をを助け、これまで以上に力が必要

これからもこの高氏に力を貸して欲しい

そなたと共に新しい世を生きたい、と。

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感想

これを書いているちょうどその時に坊門清忠役で出演されていた藤木孝さんの訃報を聞きました。独特の声音で、公家らしく政治的な遊泳をする心を読ませない役です。ドラマの上では、これからいろいろとやらかす役どころのようなので楽しみにしていたところでした。ご冥福をお祈りします。

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新田義貞が政治感覚もないまま鎌倉を捨て上京し、海千山千の大塔宮派の口車に乗って取り込まれていく一方、高氏と会ってみればかつての思いが蘇った、という話。

ただやはりこの後、新田義貞はずっと高氏に対して敵対行動をとっていき、楠木正成と並んで高氏の対抗馬となっていく。

ここまでのところあからさまな対抗意識から対立する護良親王を除けば、敵対していく、楠木正成新田義貞、また北畠顕家といずれも高氏と関係は悪くはなく、むしろ互いを知りたる仲間という扱いで描かれている、これがどうして敵対していくことになっていくのか、これも見どころとなっていくのだろう。

 

右馬介についてはドラマ開始以来、ずっと高氏を支え続け、高氏の影として、単なる腹心という役割から諜報活動、秘密工作などなど裏方の活動において万能の存在のような扱いを受けてきた人物である。もちろん架空の人物である。ストーリーが進むにつれて、右馬介はじめ藤夜叉(宮沢りえ)、”石”(柳葉敏郎)、またしばらく登場していない花夜叉(樋口可南子)など架空の登場人物はだんだんとストーリー内の居る場所を失いつつあるのかもしれない。

 

 

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「BAPTISM BY FIRE」(MMP)を試す (3)事前準備篇

9月千葉会での対戦に向けた準備です。
ゲームはMMP社「BAPTISM BY FIRE」。副題にカセリーヌ峠の戦いとあるように、1943年2月から3月にかけての北アフリカ戦線チュニジアが舞台です。
このゲーム、MMP社が発売しているゲームシリーズの中で、BCS(Battalion Combat Series)のシリーズ2作目にあたります。1ヘックス=1キロ(ゲームによって異なり、本作では1ヘックス=1.6キロ)、1ユニット=大隊規模となっており、同じMMP社のOCS(Operation Combat Series)よりも1レベル細かいスケールになっている模様です。

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ドイツアフリカ軍団とカセリーヌ峠の戦い

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中学生の頃、初めて買ったウォーゲームだった「第三帝国」のドイツのユニットの中で装甲軍団の中にあった”DAK”がドイツアフリカ軍団だ!と発見した時の思いは今も覚えています。まぁ、「第三帝国」のゲーム内では軍団名は飾りでしかなかったんですけどね。

思いだけは深い北アフリカ戦線なのですがゲーム自体はあまりプレイしていません。実際にプレイまでいったゲームはエポック/国際通信社「ドイツ装甲軍団」の中の「エルアラメイン」くらいです。

プレイはしていないけれどもゲームは持っている、という話はよくある話でいわゆる”積みゲー”な訳ですが、カセリーヌ峠の戦いを扱ったゲームが5つもあります。

  • 3W/HJ「Decision at Kasserine(邦題:チュニジア大突破)」(1983)
  • GDW「Bloody Kasserine」(1992)
  • MMP「TUNISIAⅡ」(2016)
  • MMP「BAPTISM BY FIRE」(2017)
  • DG「Decision at Kasserine」(2020)

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Front box cover

 

残念ながらどのゲームがどのような特徴があってと語ることができればよいのですが、残念ながらそこまで研究できていません。
同じMMP社から同じ戦場を扱ったゲームが2年連続でリリースされたように見えますが、「TUNISIAⅡ」はOCSと呼ばれているシリーズOperational Combat Seriesで本作よりはユニット毎の単位が大きいようです。
5番目の「Decision at Kasserine」は1作目のホビージャパンが発売していた「チュニジア大突破」の新バージョンなのですが、コマンドマガジン誌(154号)の新作ゲームコーナーでは、前バージョンからの拡張要素が少ないということで、ホビージャパン版を持っている人にはうれしくないといった主旨で、あまりよい評価をもらえていなかったですね。それが理由という訳ではないのですが、まだパッケージを開けていないです。

 

チュニジア戦線

1942年11月、一時はナイル河まで一息のところまで侵攻したドイツアフリカ軍団は、新任のモントゴメリー将軍率いるイギリス第8軍の反撃を受け、エル・アラメインからの撤退を開始する。(ロンメル元帥の撤退命令は11月4日)

同じく11月8日、フランス領モロッコアルジェリアに対しアメリカ・イギリス連合軍による上陸作戦「トーチ作戦」が開始される。上陸当初、反撃したヴィシーフランス軍は連合軍との停戦に応じる。
ドイツ軍はチュニジア防衛のため第90軍団を新編。11月後半には東進してきたアメリカ・イギリス連合軍と戦闘にはいるが、ここではドイツ軍が勝利を収め、連合軍は装備を失い後退する。

チュニジアの雨季である12月は泥濘のため活動が低下していた両軍も、1月になり活発化させた。ドイツ軍第90軍団は第5装甲軍(アルニム上級大将)に再編成される。
ロンメル元帥のドイツアフリカ軍団はリビア国境を超えチュニジアまで後退してくる。ここでドイツ軍は、チュニジア防衛のためアルニムとロンメルの二人の将帥を抱えることとなり、指揮権が絡む争いの伏線となる。

1943年2月14日、ドイツ軍は「春の風」作戦を開始する。

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2月14日4時、第10装甲師団と第21装甲師団の140台の戦車を含む4つの戦闘グループが、Sidi Bou Zidを攻撃するために前進した。
第10装甲師団の戦車が2つの戦闘グループ(Kampfgruppe ReimannとKampfgruppe Gerhardt)に分かれてFaïd峠から西に向かって前進したことから始まった。アメリカ軍 A戦闘団は、105mm M101榴弾砲搭載のM4 シャーマン戦車によりドイツ軍を攻撃したが、ドイツ軍は88mm砲で反撃した。午前10時までに、ドイツ軍はDjebel Lessoudaを周回し、Sidi Bou Zidの北側で合流した。

第 21装甲師団の Kampfgruppe Schütte と Kampfgruppe Stenckhoff はMaizila峠を南に確保し、Kampfgruppe Schütte は北に向かい、第 168RCT の 2 つの大隊 をDjebel Ksairaで交戦させた。Kampfgruppe Stenckhoff は北西のBir el Hafeyに向かい、午後には西からSidi Bou Zidに接近するために旋回した。Kampfgruppe Schütte からの激しい砲撃を受けて、トーマス・ドレイク大佐は退却の許可を求めた。フリーデンドールはこれを拒否し、陣地を維持したまま増援を待つように命じたが、増援は到着しなかった。午後 5 時までに、Kampfgruppe Stenckhoff と第10装甲師団は、Djebel Hamraまで約24 km西に追いやられたA戦闘団を攻撃したため、同部隊は44 台の戦車と多くの銃を失い、歩兵部隊はDjebel Lessouda、Djebel Ksaira、Djebel Garet Hadidの高台に置き去りにされた。

夜間、第 1 米装甲師団司令官オーランド・ウォードは、2 月 15 日のSidi Bou Zidへの反撃のために、C戦闘団をDjebel Hamraに移動したが、進撃路は平坦で露出された土地であり、移動の早い段階で爆撃を受けた上に、80 台以上のパンツァー IV 号戦車、パンツァー III 号戦車、タイガー I 号戦車を擁する 2 つの装甲師団の間に挟まれていることに気づいた。C戦闘団は46台の中戦車、130両の車両、9門の自走砲を失い退却し、Djebel Hamraをわずかに確保しているのみとなる。
夕方までに、アルニムは3つの戦闘グループにSbeitlaに向かうように命じ、退却中のA戦闘団とC戦闘団の残余部隊と交戦した。2月16日、集中的な航空支援を受け、ドイツ軍は新手のB戦闘団を撃退すると、Sbeitlaに進入した。

と、ここまでが春の風作戦の前半部分。
上記の作戦地図でいうと、ドイツ・イタリア枢軸軍はマップ右下から侵攻を開始する。付近まで進出していたアメリカ軍のCombat Command(諸兵科連合)をあっという間に退けた。モロッコアルジェリアに上陸して以来、戦闘らしい戦闘もないまま進撃を続けてきた、戦闘経験値が少なかったアメリカ軍に対して、歴戦の枢軸軍が放った一撃、これが本ゲームの題名の由来になっている「戦火の洗礼」ということなのでしょう。
有名なカセリーヌ峠は、マップやや左上の山間部、赤い矢印が左右から伸びていて2月18日の表示がある部分。ここで枢軸軍は作戦目標を迷ってしまう・・。というかロンメルが調子が良いことを言い始めて意見が割れてしまう。これがまた別のゲームの題名になっている「カセリーヌ峠の決断」というところ。

 

 

 

マップ

フルマップ2枚分です。

春の風作戦開始時に枢軸軍の部隊は、マップ右下より進入してきます。

セリーヌ峠は左側をカバーするマップの中央部分、2つの山地の間にある街道付近が該当します。

戦場は広いのですが、補給線に関わるルールの関係で街道を大きく外れての進撃は難しく、進撃ルートは限定されることになります。

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なんか中途半端ですがここまで

(つづく)

 

 

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ロンメルとアフリカ軍団戦場写真集

ロンメルとアフリカ軍団戦場写真集

 
アフリカ軍団 (歴史群像コミックス)

アフリカ軍団 (歴史群像コミックス)

  • 作者:小林 源文
  • 発売日: 2006/04/01
  • メディア: コミック
 

 

 

大河ドラマ「太平記」24話「新政」:腐臭を放つ人々が新政に集い始め、”美しい世”は早くも腐り始める・・

前回のあらすじ

後醍醐帝(片岡仁左衛門)は籠城戦を行っていた伯耆国からの還幸の途中、鎌倉滅亡の報せを受ける。各地で幕府軍と戦っていた宮方の武将達は次々と後醍醐帝還幸の列に加わっていくが、中でも楠木正成武田鉄矢)ら楠木党は列の先頭にて都入りする名誉を得た。
謁見の席で後醍醐帝は、足利高氏真田広之)に対し、六波羅攻めの功を労い、「武士の束ねを任せる」と告げる。

 

功があった公家・武家による宴にて、高氏は楠木正成に再会し、自分の迷いを断ち切ってくれたのは正成からもらった手紙のお陰だと礼を言うが、正成はその手紙は自分ではなく”車引き”が書いたものだと煙にまく(当時、正成は幕府の包囲を突破するため、猿楽一座の”車引き”に身をやつしていた事から)。

高氏と正成は語り合い、都の月がいつまでも陰らぬように祈ろうと言い交わすが、正成は早くも暗雲を感じ取っているかのような発言をする。

 

志貴山に篭もったままで宴を欠席した大塔宮護良親王堤大二郎)は、舅であり親王の後ろ盾である北畠親房近藤正臣)邸にこっそりと来訪し、宴の様子を親房に訊く。
親房は「成り上がりの公家と田舎者の武家による趣の欠片もない退屈な宴」であったと言う。
親王は、「足利高氏こそ次なる北条家だ」と名指しで非難し、”足利討滅”を激しく主張していた。
親房は、高氏については直接対抗するのではなく、鎌倉に居る新田義貞根津甚八)と競わせることで巧みに操るのが肝要と献策する。

 

後醍醐帝から遣わされた使者を通して、戦が終わったので、また僧籍にもどれという後醍醐帝の言伝に護良親王は激怒する。

坊門清忠藤木孝)は親王の勘気を鎮めるための施策が必要と言い、後醍醐帝は思案の結果、護良親王征夷大将軍足利尊氏を左兵衛督に任じると宣言した。

 

高氏が征夷大将軍に任じられなかった事について、弟直義(高嶋政伸)は怒り、一方の高師直柄本明)は淡々と分析してみせる。
・・我らは帝のために北条家を倒したのではなく、足利一族や武家の行く末のためであった。担いだのは今の帝ではなく、作り物の帝でもよかったようなもの・・。一族の願いは殿も重々承知であろう・・と。

高氏は師直の発言をたしなめ「時には退いて、力を貯めることも必要。また何よりも帝の新政を見てみたい」と二人に告げた。

 

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感想

北条氏がまだ全盛の時も北条の仕打ちはひどいなという描写がなかった訳ではない。だが今回ほど、上にも下にも腐臭を放つ人々がわらわらと登場するのは、さすがに凄まじいものがあった。

高氏が見てみたいと言った「美しい世」を体現する後醍醐帝によるご新政は早くも腐りはじめていた。革命の高揚と混乱の中で、我も我もと集った人々の中に腐っているような人々も混じっていたというところだろう。

あまりにもひどいキャラクターばかり登場したのでいつものような仔細にストーリーを追うのではなく、先に感想をまとめたい。

■ ノーブルすぎて現実が見えていない後醍醐帝

後醍醐帝は公家一統のまつりごとの実現を目指し、自ら綸旨を発する独裁を始めたと説明がなされるが、結局のところ周りしか見えていなかったのだろうという印象。

大塔宮護良親王と高氏との対立は征夷大将軍任命問題で露見したため、後醍醐帝も認識がある訳だが、愛妾阿野廉子原田美枝子)と自らの子である大塔宮護良親王との皇統を巡る対立は見えていない模様。

この両派がそれぞれ公家や武将を引き込み、それぞれの派閥としての企てと、さらには参加した個々人の思惑や企てが入り混じりはじめたので上から下からとんでもないことになりはじめていく。

後醍醐帝には、足利高氏楠木正成のように帝の理想に共感して革命にくわわったものばかりではないということの理解があまりなかったのかもしれない。

今のところ、足利一党と、楠木正成本人はこの動きから距離を置いているのだが、どのように作用していくのかが今後のストーリーのドライバーとなっていくのだろう。

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大塔宮護良親王派の面々(ただし新田義貞はまだ未加盟)。ここに出ていないのは四条隆資とか。

 

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阿野廉子派の人々。後醍醐帝に近いというところは有利な点。

 

■ 美しくない事柄から距離をおこうとする足利高氏

足利高氏は周りが見えているのだが、美しくないものからは距離を置こうとする。
ひとつに自らが陰謀に加わったり、裏で暗躍したり、相手に対して卑怯で悪辣な施策を積極的に推進するといった役回りはできないというは大河ドラマ主人公ゆえのキャラ造形上の制約を抱えているのかも知れない

が、もともとこのドラマにおける高氏は、ずっと「美しさ」という事にこだわり続けている。吉川英治の原作ではここまで「美しさ」にこだわっていた記憶はないので、ドラマオリジナルの設定なのだろう。

かつて父貞氏(緒形拳)が健在な頃、「美しいだけでは北条は倒せぬ」と言われていたにも関わらずだ。

一種の理想主義者なのかもしれない。人々を束ね、革命を指導し成就させる人物というのはこうした理想主義者である必要があるのかもしれない。

さらに言うと高氏の理想主義のしわ寄せが弟直義や、高師直にいき、最終的には「観応の擾乱」につながっていくのかもしれない。
いずれにせよ、「美しさ」にこだわる高氏がどうなっていくのかを見ていく。

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高みの見物ではなく、美しくないものには近づかない高氏(でも高師直との会話などからすると、いろいろ気づいている風はある)。

 

足利直義と不知哉丸/足利直冬との出会い

貴族や武士という支配階級での争いの影響を受けているのが藤夜叉(宮沢りえ)に代表される庶民階層。かつて住んでいた伊賀の家は焼かれて、隠れ住んだ三河一色村も戦火に焼け出され、京に流れ着いて鰻売りをしている、藤夜叉は語っていた。

今回、藤夜叉の子不知哉丸、のちの足利直冬と高氏の弟直義との出会いが伏線として置かれたのはよかった。

”石”(柳葉敏郎)について行くことを拒否していた藤夜叉だが、不知哉丸が偶然にも足利家中のものと関わりを持ったことに驚き、”石”にと共に和泉に行く事に同意する。これも日野俊基からずっと続いた伏線だ。

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まさに運命の出会い

 

■ 兄弟物語

このドラマでは結構兄弟キャラが強調される。おそらく後の「観応の擾乱」における高氏と直義の争いを踏まえて、他家の兄弟はどうなのか、といったところから描いているのだろうと思う。
が、足利直義以外の弟キャラはロクなのがいない。いずれも小人物だが偉大な兄の足を引っ張るような事をしているので挙げておく。

まず新田義貞の弟は脇屋義助石原良純
幕府滅亡後の鎌倉で、足利家中のものと新田家家中のものとが起こす諍いについて、鎮めるどころかいっしょになって足利家へ対向しようとさえしている。

もうひとりは楠木正成の弟、楠木正季赤井英和。完全な脳筋男としてこれまでも思慮が足りない事事を起こしてきたが、今回、護良親王の取り巻きの破戒僧”殿の法印”の元で足利高氏暗殺を企んでいることが判明。
”石”はこの正季の手のものなので、主人とどっこいどっこいの思慮が足りない人物といったところ。

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兄弟物語① 脳筋 楠木正季・・・思慮深い兄正成とは正反対の脳筋派。今までも正成の静止にも耳を貸さずに数々の無茶をしてきた。ただ最期は兄に従い、共に果てることとなる。

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兄弟物語②:脇屋義助・・・現時点不明だが兄義貞を上回る器ではないことは確か。新田義貞と行を共にするが、最期は別のタイミングで戦死する。

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兄弟物語③ 有能 足利直義・・・京都市中警護を司り、近頃悪相になっているシーンが多いが有能。有能が故に後の悲劇が起こったのかもしれない。

■ 恐妻家新田義貞

今回のエピソードでも異彩を放ったのが地元の上野国から鎌倉に来た新田義貞の正妻保子(あめくみちこ)。派手派手なピンクの袿に、グリーンの派手な小袖姿で現れ、大きな声でまくしたてる。いつも冷静な義貞が保子の来着を聞いて動揺するのがおかしかった。
まぁ先の話しだが、義貞が勾当内侍に耽溺してしまうのも仕方ないや、と同情してしまう。

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新田義貞足利高氏に対して様々なコンプレックスを感じているのは常々描かれてきていたが、保子の発言の数々は、無自覚に義貞のコンプレックスを逆なでしてしまう。

互いに認め合い尊重しあっていたはずの高氏と義貞がたもとを分かつことになる遠因のひとつにこうしたコンプレックスと無自覚に圧力をかける保子の存在、さらに今回護良親王派の企てから発せられた親書のことが影響してくるのだろう。
こうした要因の積み重ねがどのように作用していき、義貞の野心に火をつけ、膨張の末、ついには高氏の対向軸に変わっていくのか、注目点のひとつだろう。

正妻保子に話しを戻すと、義貞のために新調したという、亀の意匠がはいった直垂のセンスが悪いこと。加えてサイズも大きめで合っていない。

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ドラマ中では語られていないが保子の実家は東北の安東一族らしく、セリフの中でも、「此度の勝ち戦、里の父はさすが婿殿とことの他の喜び様でござりまする。
とあったりする。

「思えば、頼朝公のご勘気を被って以来、140年、新田は源氏の嫡流なれど無位無官。足利殿に遅れをとって参りました。ようやく殿のお力で汚名を濯ぐことがかない、国元の者は皆沸き返っておりまする。妾(わらわ)も鼻が高うござりまする。

恩賞もさぞや、と皆待ち焦がれておりまする。楽しみでござりまする。

「・・将軍ともなればさぞたいそうなもので・・」
「待て待て、ワシは将軍ではないぞ」と義貞が否定するにも
「ではもしや足利殿が?・・」

「では殿は執権でござりまするな。」

「まぁ、帝は何をしておられるのでござりましょう?殿を放っておかれるとは

「いつもながら甲斐のないお答え」

「では鎌倉をお捨てになられるのでござりまするか?」

「帝に拝謁してはっきり申し上げるがよろしい。新田義貞ここにあり、と。北条を滅ぼしたるは新田義貞なり、と。・・足利殿に遅れをとってはなりませぬぞ!」 

言っているセリフひとつひとつこれでもかと義貞のプライドを逆なでしていくようなものだ。ひたすらしゃべりまくる保子に対して、口数少なく応える義貞がひたすら可笑しいシーンであった。

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言わずもがなだがこの義貞正妻保子の描写は、高氏の正妻登子(沢口靖子)と対比されていることは言うまでもない。
本エピソードの冒頭、鎌倉市中で新田家の家中のものと、足利家の家中のものとが市街で争いを起こそうとしているところに通りかかり、それを止める登子。

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こちら輿に乗っているのは高氏正妻の登子。実家であった赤橋家は北条一族滅亡により断絶してしまったので、いまや寄るすべのない立場にある。

 

足利と新田の確執・・

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鎌倉では攻略戦で実質的な指揮をとった新田義貞率いる新田家と、嫡子千寿王を送り込むことで源氏方の武将の多くを引き込む要因となった足利家のそれぞれの部下が市中のあちこちでいがみあい、ケンカをするような事態になっていた。
名代となっていた千寿王の人気がそれに拍車をかけた。

新田義貞に、弟義介が言い立てる。
「・・足利の奴原は何につけ、若御料、若御料と申立て、我らの気持ちを逆なで致します。」
「それがなんぞ、ご当主高氏殿ご不在なれば是非もなかろう。」
義貞は冷静でとりつくしまもない。
「兄者、足利殿は嫡子千寿王を参陣させたのであろうな?」
「言うまでもないこと。この義貞と力をあわせて、北条を討つと誓こうた証じゃ。」
義助には、それだけとは思われませぬ。足利殿は鎌倉攻めの功を我らより掠め取らんとして・・
浅ましき事を考えるではない。鎌倉は任せる、と足利殿ははっきり申された。さばかりならず、今日あるは新田のお陰と、申された。ワシは足利殿を信じておる。
「さらば何故、近辺に武士を集めおるのでござりましょうや。日に日に足利方に居を移すものが増えておりまする。千寿王の人気はいや増すばかり。のみならず、細川和氏なる後見がなかなかの食わせ者と見受けられます。ゆめゆめご油断はなりませぬぞ。」
鎌倉攻めはすでに帝の相聞にも及びしこと。その功、この義貞にあること明白じゃ。案ずることはない。

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宮将軍の上洛

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征夷大将軍に任じられた大塔宮護良親王堤大二郎)が、叡山から上洛するにあたって、出迎えに参られるか?という高師直からの問いに対して、高氏(真田広之)はおどけて答える。
ワシの顔を見て宮将軍の馬が驚いてもいかん。宮が手綱さばきを誤られても大事じゃ」「げにも・・」

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このあたりこの主従の息はぴったりだ。真面目な顔をして高氏は続ける。
市中の警備を厳しくするよう直義に申してある。家中のものも軽はずみは慎むようにいたせ。

 

里内裏にて、千種忠顕本木雅弘)を相手に政務を執り行う後醍醐帝。
「忠顕、北条の領せし土地の調べはいかに?」帝が訊ねる。
得宗の所領はまことに膨大でござりまする。増して北条一門あわせますれば、その数、目もくらむばかり。それらの多くは、交通、交易の要衝でござりますれば、北条一門の権勢凄まじき様が、よう偲ばれまする。さぞや御家人共の恨みも深かったことにござりましょう。
帝からの問いに答えになっていない、説明のための内容のようなセリフ。

やがて帝の前に、大塔宮護良親王が現れる。
「都の風雅に親しんだか?」
親しむ風雅はもはや都にはござりませぬ。目に映るは、右も左も田舎武士。息も詰まる蒸し暑さにござりまする。
征夷大将軍は武士を好まぬと申すか。こは異なるものよのぅ」
「東夷(あずまえびす)は嫌いでござりまする。」
「困ったことよのぅ。・・護良、そこが高氏を嫌う気持ちはわからぬではない。が、戦の時はすでに終わりぞ。早う山のアカを落とし、朕の新しいまつりごとに力を貸してくれぃ。」
「かたじきなきお言葉、なれど、この護良、お上のご新政の行く末を思えばこそ」
世は公家一統の世ぞ。皆、朕の王土に生くるもの。朕の新しきまつりごとには、そこの力も、高氏の力も共に大切と思うておる。そがわからぬそこではあるまい?

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不知哉丸と直義

二条河原、橋下。鰻売の藤夜叉と不知哉丸親子。
”石”は前回のような直垂姿ではないが全体にこざっぱりとした格好をしている。
”石”はかつて助けた日野俊基が書いてくれた土地を譲るという主旨の書付けを元に、和泉に行くように藤夜叉を誘っているが、藤夜叉は頑なに断っている。

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市中の巡察の途中、直義は路傍にうずくまる少年を見つける。
不知哉丸であった。足をくじいた不知哉丸の手当をし、飯を食わせる。
不知哉丸が足利家の丸に二つ引きの紋を知っている事に驚く直義。
直義は不知哉丸を送り、二条の橋のたもとで、藤夜叉と初めて顔を合わせることになる。名乗った直義に驚いたのは藤夜叉。「足利様の・・・」

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藤夜叉は戻ってきた”石”に、和泉に行くことを了承する。
「・・ここにいること、足利のお殿様にしられたくない。・・わたし不知哉丸と二人生きていくつもり。
・・そうねぇ、足利のお殿様のいる町で、同じ空の下にいて、同じ空気を吸うられるといいなぁ、と。
・・ここにいたら、いつかお殿様に会いそう」

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京の治安

幕府瓦解後の混乱の中、京では盗賊・火付けが横行していると解説される。

六波羅奉行所に蔵破りの罪で4人の僧形の悪党が縄をかけられ、直義の前にひきすえられていた。悪事に及ぶものは斬首と言われる中、不敵な笑みを上げ、直義を睨み返す。
その様子に、単なる強盗ではなく宮将軍の手のものではないか、と部下が耳打ちする。

 

やがて土蔵破りはやはり宮将軍の手の者であることがわかる。
護良親王の部下の僧”伝の法印”が高氏のところに犯人を引き渡せと押し通そうとしてきた。

高氏のセリフ中に登場する僧”伝の法印”は悪名高い破戒僧。六波羅探題攻略の際も護良親王の軍の一隊として市中に入り、さんざん略奪悪行を重ねたことが伝わっている。

 

高氏からの相談に直義が答える。

都の安寧を守るは我らの勤め、宮であろうが、武家であろうが、上に立つものが無理を通せば道理が立ちませぬ。引き渡すべきではない、と存じます。」直義はまっすぐだ。
「そう一途に申すな。宮がお身内を引き連れての上洛とあらば、いささか市中も騒がしくなると思うていたが・・
市中の警備は直義に任せられると兄上は仰せられた。直義はなによりも市中の平和が大事と考えまする
「ワシも同じじゃ」
「されば迷うこともござりませぬに・・。」
高氏は頷き同意した。

 

話しついでに直義は、市中で会った不知哉丸の話題を持ち出す。
「そなたの口からわっぱの話しを聞くとはおもわなんだのう。これはそろそろ嫁を娶らねばならぬかのぅ」
にわかにうろたえる直義。
「あのぅ、足利の人気が都のわっぱにも聞こえておると言いたかっただけじゃ。されば、足利たるもの、身を慎まねばならぬ、と・・」
「何をそうむきになっておるのじゃ?」からかうように言う高氏。
二人して笑い出す。

こういう何気ない会話を自然に演じるこの二人、上手いわ。と思わせてくれる良いシーン。

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陰謀~足利高氏暗殺計画~

護良親王派のものが親王を囲み酒宴を行っている。
”殿の法印”、赤松則村、四条隆資・・。

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囚われた部下を足利家のものが返してくれない、宮将軍の手のものと知るとますます高姿勢になった、と訴える”殿の法印”。
「・・弟の直義が高氏に輪をかけた無粋の堅物でやっかいこの上もない輩。」と四条隆資(井上倫宏)が唱和する。
「まこと、都の風に馴染まぬ東夷(あずまえびす)よ。」護良親王も言う。

護良親王は、北畠親房近藤正臣)からの献策だとして、足利高氏には新田義貞をぶつけ、うまく操れという策を開陳する。その上で、鎌倉にいる新田義貞を呼び寄せたいと言う。
これに対して、赤松則村からは東国の武家にとって鎌倉は特別な土地なので、新田義貞もなかなか鎌倉から離れないのではないかという意見が出される。

「・・上洛せざれば恩賞にありつけぬと、大げさに言うてやれば良い。帝に拝謁せざれば、恩賞の綸旨は下されぬ、とな。さすれば、あわてて上洛すること必定じゃ。」言ったのは四条隆資。
護良親王もこの意見に大いに賛同し、新田義貞あてに書状を遣わすことになる。

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そこへ護良親王に近寄った”殿の法印”から驚くべき事が告げられる。

「宮、さりながらこの法印。義貞の上洛を待つばかりでは気持ちが収まりませぬ。それまでにも高氏の命を・・。

タイミング良くのこのこ現れたのが楠木正成の弟、楠木正季赤井英和)。

「正季殿、よきところに参られた。例の話しじゃが・・」
さっそく”殿の法印”が、正季に切り出す。
「心得ております。日時はいつ?」応える正季。
これには今度は護良親王が驚くが、法印が言う。
「この法印、勝手に動きますること、是非ともお許しいただきとう存じます。」

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独断専行とはまさにこの事。

「そは性急な!」四条隆資も驚く
「宮将軍はご存知なきこと。法印と正季二人の企みとして、貫き通す所存。」

いやいや、そうはいかないだろう、というところだが・・

正季、正成は存じておるのか?」さすがの親王も腰がひけたのか、正季に訊ねるが、脳筋弟は何の思案もなくしゃあしゃあと答える。
兄は兄、それがしと思いは別にございます。帝の新しき世に高氏は必ずや害となりましょう。害は一刻も早く除くが肝心。

赤松則村も驚きの顔を浮かべる。正季の何の思案も窺えない答えに、護良親王は目を剥いたままで何も言えないまま、杯を干す。

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ここまで意気軒昂に高氏討伐などと主張していたはずの護良親王が、部下の”殿の法印”による高氏暗殺計画を聞いた途端に動揺し始め、何も言えないままに酒に口をつけるしかなかったというシーンは傍目におかしかった。
のこのこやってきた楠木正季脳筋全開に、自分は兄正成とは違うので、兄者の意見など聞いていないと言い始め、法印自身も「法印と正季の二人による企てと貫き通す」などと殊勝を装って全然言い訳にならないような事を言うに至っては、あまりの中身に親王自ら突っ込みたくても突っ込むことすらできない・・と風が読み取れた。
いっしょに怪気炎をあげていたはずの赤松則村もさすがの展開に”ドン引き”状態などと、早くも護良親王陣営が喜劇になり始めていた。こんなところに政治感覚もないまま、巻き込まれる新田義貞にはひたすら同情してしまう。

今まで楠木正季と高氏との直接的な関わりと言えば、高氏若かりし頃、日野俊基に連れられて行った”淀の津”で会っているくらいか・・(第3話)。
ただその時は名乗っていないので、正季側に認識があったかは不明。

その後は正成を介して、高氏が伊賀の関で正成を見逃したり、高氏の挙兵により、千早城の囲みが解けたりと間接的な関わりはあったはず。

「害となる」と言われるほどの事はなかったような・・

 

新田義貞の上洛

山伏姿で京に姿を表した一色右馬介大地康雄)。
市中で、武士数人に追われる女を助けると、商売女で
商売の邪魔をするな、と逆に怒られてしまう・・。

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暴漢等から助けたはずの女性からあれはプレイだったと言われて「いけず」と頬を張られてしまう、むさい山伏姿の一色右馬介

 

六波羅の高氏の元に新田義貞上洛の情報がもたらされる。

「・・すでに一族をあげて準備を始められた由にござりまする。」鎌倉の細川和氏からの情報が高師直から報告される。

「大塔宮の強い誘いに応じられたとのことでござりまする。」
鎌倉の守りは何よりも大事。されば新田殿に任せたのじゃが。」
高氏も失望の表情を隠さない。

義貞が鎌倉を出ると聞いて、あからさまに機嫌が悪くなる高氏。

さりながら新田殿の評判は我が千寿王殿に比して、はななだ芳しからざるものでござりまする。このままでは足利の風下に立つとの、あせりがあるのでござりましょう。
・・新田殿が大塔宮につかれるとなりますると、都の情勢はややこしくなりまするなぁ。

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高師直有能。
残念ながら新田義貞方にはこれだけの感覚をもった部下はいないし、義貞自身の感覚も田舎侍の域をでていないように感じられる。

離れていると思いがまっすぐに伝わらなくなるもの。良い折じゃ、新田殿とお会いできる日を楽しみに待つとしようぞ。

 

 

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新田義貞 (上巻) (新潮文庫)
 

 

大河ドラマ「太平記」23話「凱旋」:共通の敵がいなくなった途端に新たな波乱の兆しを見せる・・

前回のあらすじ

挙兵からわずか半月弱で急速に勢力を得た新田義貞根津甚八)率いる謀叛軍は勢いのまま北条氏の本拠地鎌倉を囲んだ。

執権赤橋守時勝野洋)は裏切り者の汚名を濯ぐため死を決した突撃を繰り返し、最後は自害する。北条家内では得宗北条高時片岡鶴太郎)が鎌倉脱出を拒否したため、北条一族は鎌倉に残り死守することを決める。

北条軍の必死の抵抗にせめあぐねる中、新田義貞は海にせり出した稲村ヶ崎を、越える作戦を行う。新田軍が夜半に一斉攻撃を掛けた中、潮が引いたタイミングで自ら率いた一隊は岬を越え、鎌倉市街に突入した。
市街地での戦いは乱戦となり、浮足立った北条軍は追い詰められていった。

最期を悟った北条一族は東勝寺の広間に集まる。
高時が一人、舞う中、戦闘で深手を負っていた長崎高資西岡徳馬)が自害する。
やがて火が迫り、外で戦いの喚声が聞こえるようになる中、高時が腹を切り、愛妾顕子(小田茜)が後に続いた。あとは広間に集まっていた武将、局、女房たちが次々と自害していく。金沢貞顕児玉清)は嫡子貞将に脇差で胸を刺させることで果てた。ひととおり人々が折り伏したことを見届けた後で、長崎円喜フランキー堺)は自ら腹を切り、最期に自分の首に刃をあてた。二百数十人が死を選んだという。ここに北条一族は滅亡した。

鎌倉と北条一族の滅亡を知らせる右馬介の手紙を読んだ足利高氏真田広之)は、勝利よりもこれからのことに思いを馳せていた。

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後醍醐帝の凱旋

六波羅陥落の報せを受け伯耆国船上山から出た後醍醐帝(片岡仁左衛門)は、5月末、摂津国福厳寺に到着したところで鎌倉幕府と北条一族の滅亡の報せを受ける。

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自然と笑みが漏れやがて哄笑する後醍醐帝。

「新しき世じゃ。・・隠岐の1年、無駄ではなかった。」

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後醍醐帝の還幸の列には道すがら、宮方として戦った御家人・豪族達が合流していく。西宮では楠木正成武田鉄矢)が自軍を率いて駆けつけていた。

「正成、近う」
輿の御簾の奥から後醍醐帝が声をかける。
刀を杖のようにつきながら片足を引き摺り歩く正成。
「正成か、笠置以来じゃのう」懐かしげに声をかける帝に正成が答える
「・・半年余りの囲みが解けたのが20日前。とるものもとりあえず馳せ参じ候・・」
言上を述べる正成。
負けぬ戦が実ったのぅ?・・・そちの言葉、忘れた事はない。・・・そちなくば、今日の朕はあるまい
帝は上機嫌に気さくに声を掛ける。
「かたじけなきお言葉。身に余る光栄に存じ奉りまする。」
「・・戦はもうよい。都に戻れば、公家一統の新しい世じゃ。・・いずれ恩賞は望みに任す。・・正成の軍は列の先に立ち、都入りの先陣を務めよ。」
後醍醐帝は、きらびやかさの欠片もない傷だらけの装束の楠木正成とその部下達に、自ら京に戻る行列の先頭を担わせることで最高の名誉を与えた。

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京・東寺では足利高氏真田広之)と佐々木道誉陣内孝則)が陣幕を引いて、帝を迎え入れる準備中。

「・・あれから色々と迷うたからのぅ。ははは」といつもの高笑いを見せる道誉。
道誉が”あれから”というのは、隠岐島流しになった後醍醐帝を佐々木道誉が護衛した件。道誉は後醍醐帝に色々と心尽くしを行い、最後には後醍醐帝から「公家に生まれ直せ」とまで言われた。罪人であるはずの帝に対する厚遇の件は長崎円喜・高資父子の耳にも入り、道誉は高資に怒鳴られ脅されることとなった。最後は後醍醐帝暗殺まで使嗾された。

御辺だけではない、みんな迷うた。迷うた結果がこれじゃ。
高氏の表情もいつになく晴れ晴れとしている。

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武士の束ね

東寺で引見する後醍醐帝。
後醍醐帝の御座の前で名乗る高氏。
「・・その方が足利高氏か。」
「はっ」おそるおそる帝を仰ぎ見る高氏
六波羅攻め、真に見事であった。」
「都はすでに静謐。帝を平らかにお迎えすべく、万端整えてござりまする。何事もご懸念無き様。」
「長い旅であった。都へ戻るが楽しみぞ。この後も頼りに思うぞ。」
「身に余るお言葉かたじけのう存じたてまつりまする」
そちが動けば、国中の武士が動くそうじゃのう?
「はっ・・。それがしにいかほどの力がござりましょうや。さりながら、北条殿に代わる新しい世を待ち望んでいた者には、すこしく響いたやも知れませぬ。」
「新しい世とな?」
「帝のまつりごとをお助けし、帝の元に作る世でござりまする。」
じっと高氏を見つめる後醍醐帝だったが、高氏の傍らに佐々木道誉が居るのを見つけると声を掛ける。
「そこは佐々木か?」
「はっ、佐渡の判官にござりまする」いつもの芝居じみた大仰な動作で伏する道誉。
帝も笑いながら、「まだ公家には生まれ直しておらぬようじゃのう?」と訊ねる。
「そこも六波羅攻めには功をあげたか?」
足利勢と共に駆け回っていた、と答える道誉に、帝は「似合わぬことよのぅ」と笑う。

足利治部太夫、武士の束ねがその方に任せる」後醍醐帝は最後にそう告げた。

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二条河原

隠れ住んでいた伊賀から、北条氏の追手を逃れるため、一色右馬介の勧めにより三河に避難。だがその三河一色村も戦火で焼かれたと藤夜叉(宮沢りえ)と不知哉丸は京に出ていた。二条河原で琵琶湖で取れた鰻を商っていた。

河原の住人、河原者ということなので当時多く発生していた流民となっていたのであろう。伊賀を逃れたのは、足利高氏の縁故者ということで北条家の束縛から逃れるためであったが、直接元弘の乱に関係なさそうな三河にも戦火が及んでいたとなると、単に鎌倉や京都だけが戦場ではなく、全国規模で戦が起こっていたということなのかもしれない。

一刀差しで烏帽子に直垂姿の武士に不知哉丸がぶつかる。先に気づいたのは不知哉丸の方、声をかけられた”石”(柳葉敏郎)は驚いて、不知哉丸に案内されるまま藤夜叉と再会した。
武士姿は、楠木正季の手の者となっているからだと説明する”石”。
”石”は藤夜叉に対して、かつて日野俊基からもらった「土地を譲る」という書付けを元に和泉に移り住んでそこで暮らそう、と誘う。
「この土地さえ手に入れば、苦労しなくて済む」

かつて元弘の乱の初期において、”石”が反幕府の活動家であった日野俊基を助けた際、日野俊基から、この土地をお前にやろうと書付けをもらっていたもの。”石”はその書付けを、後生大事に懐に持ったまま、隠岐の帝脱出の手伝いや、赤坂上の籠城戦を戦っていたらしい。

最初の頃に比べると宮沢りえ柳葉敏郎も上手になったものだ。ドラマとして見れるようになった。最初はひどかったからなぁ・・・。

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功のあった公家・武家が集まった宴に、大塔宮護良親王だけは参加していなかった。

高氏の座の元に千種忠顕本木雅弘)が酒を持って現れる。
「まこと、足利殿は強い。西国の武士とは戦ぶりが違うておる。」
漏れ聞こえた千種忠顕の言葉に顔をしかめる西国の武士代表の赤松則村(渡辺哲)と名和長年小松方正)。

阿野廉子原田美枝子)の元には佐々木道誉が張り付いていた。
「判官殿には騙されまいぞ」と阿野廉子
「これはしたり」と笑うのは道誉。こうした社交性では道誉の右に出るものはいない。

奥から姿を表す勾当内侍宮崎萬純)。
「さても美しきお方よのぅ」と早速に目をつける道誉。
「これ、内侍に手出しはなりませぬぞ。あれは思いを寄せても詮無き女性じゃ。以前より西園寺殿やら近衛の中将やらのきらめく殿方に想いを寄せられても一向に知らぬ顔。嫁に行かぬのか、と訊けば、行かぬ、と申す。殿方はまるで木のようなおなごじゃ、とお嘆きじゃ・・」阿野廉子が言う。

そうこうする中、高氏の元、楠木正成が現れる。
「ご挨拶が遅れ申した。それがし楠木正成でござりまする。」
足利高氏にござりまする。」
互いに杯を交わす。
「それがし、2年前伊賀を通りました時、白拍子一座に会い申した。その折、ひとつ舞を覚え申した。お近づきのしるしに披露いたそう。」
酔ったのか高氏。立ち上がるとかの艶笑譚の夜這いの踊りも舞始める。
「足利殿が、珍しや、はやせはやせ」と道誉がすかさず声をあげる。

佐々木道誉という男、こういう周囲の空気を読むことに長けている。
ここはいまや盟友といってよい高氏のため、場を盛り上げようとしたといったところだろう。

〽冠者は妻設けに来にけるや 冠者は妻設けに来にけるや
〽構えて二夜は寝にけるは・・構えて二夜は寝にけるは・・
〽三夜という夜の真夜中に、袴どりして逃げけるわ・・

座が盛り上がる中、一人退出する男、北畠親房近藤正臣)。

 

その後、庭で月を見上げながら語り合う高氏と正成。
「都の月は良いものでござるな。」
「ああ、ほんと雲ひとつなく、都の月はいつもかくありたいもの」
「楠木殿に礼を申さねばならぬと思うておりました。」
「なんと申される。それがしのほうこそ。」
あの折、それがしは迷うておりました。その迷いを断ち切ってくれたのが、御辺の文でござった。
大事なもののために死するは、負けとは申さぬものなり。
照れたようにひげを触る正成。
「それがしは左様な文は書きませぬぞ。そは車引きの文でござりましょう。」
「いや、あ、左様でござった。・・・我らにとって、戦は勝たねばならぬものでござった。戦とはそのようなものだ、と教わってまいった。」
御辺はそれがしの如き田舎武士とは背負うておるものが違いまするからのう。足利殿がいついかに動くか、国中の武士は、耳をそばだて目を注いでおる。辛い立場にござりましょう。迷うで当たり前でござりまする。」
「されどようやく、楠木殿と同じ月を同じ場所で眺めることがかのうた。車引き殿に感謝せねばならぬ」
足利殿は、まことに無垢なお方じゃ。帝はほんに力強い味方を得たものようのぅ。都の月がいつまでも陰らぬように祈りましょうぞ。」
陰りまするか?
陰らせてはなりますまい。のぅ?

当世最強の武将二人の会話は含蓄があってそのやり取りは注目であった。
二人ともなにかしらの予感めいたものをすでに感じていたのか、月の陰りが語られる。

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密談

宴を先に抜け帰宅したのは北畠親房
玄関では嫡子北畠顕家後藤久美子)が出迎え、宴を欠席していた宮将軍こと護良親王堤大二郎)が来訪している旨を伝える。

「宴はいかがであった?」親王が訊ねる。
「いたって退屈なものにござりまする。無駄な時をすごしてまいりました。」
「そちに宴はあわんと見るなぁ。」
「いえいえ、古の如き、趣のあるものであれば何事のこともござりませぬが、卑しき武士と成り上がりの公家どもがあさましき浮かれようには胸糞が悪うなりまする。

 

なぜ高氏が六波羅にいる?なぜ彼奴に御教書なるものを出すことが許されるのか?
護良親王の怒りの矛先は高氏に向いている。
「不思議なことでござりまするなぁ。誰が認めたものでもござりませぬに。」親房も相槌を打つ。

御教書(みぎょうしょ)とは三位以上の位のものが出した通達文・命令など。
六波羅探題の陥落から1ヶ月近くたつ中、政治的な空白を出さないためにも、足利高氏六波羅に居を構え、御教書を発信していたのだろう。護良親王はそれを誰が許したのか、と怒っている。

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「かの者は天下の形成を見るに敏なるものを備えておるに思われます。なによりもまず六波羅を抑えたるは、兵法家としてもなかなかのものでござりまする。」
と親房。さげずんではいるものの、高氏の力量は認めている様子。
「は、しょせん、東夷(あずまえびす)であろうが」
「さりながら、楠木正成などとはいささか器量が違うようにござりまする。それが武家の頭領としての器量かと、公家の間にも日増しに声望が高まってござりまする。
「ほーぅ、ずいぶんと褒めるものよの。顕家、そなたの父はいつから高氏贔屓になった?」
「いいえ、父は思うたままを申したまででござりまする。」親王に話を振られて答える顕家。
「では、そなたはどう思うた?」
「道理をわきまえたもののように思われまする。」

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「下山なさりませ。心あるものは皆、宮のご上洛をお待ち申し上げておりまする。」
ころあいを見計らって、親房が言う。
されば、高氏はいかにする?
高氏の礎はいまだ盤石とは申せませぬ。鎌倉には新田義貞あり。東夷の頭は二つござりまする。この二つの頭を巧みに操ることこそ肝要かと
親房の思わぬ献策に複雑にうなずく親王

「いまのままでは上洛するわけにはいかんぞ。父帝が高氏とこの護良といずれを取るのかはっきりと見きれぬことには動くわけにはいかぬ。
「比べるものにはござりませぬ」
「さにあらず、父帝の陰にはもうひとり手強いおなごがいる。三位局(阿野廉子のこと)様にござりまするな。あれには三人の王子がいる。あれの狙いはわかっておる。
「宮!」強い言葉で諌める親房。
「しばし粘ってみようぞ。それもまた一計。そう思わぬか、親房?」
「自重なさりませ。血気にはやってはなりませぬぞ。」
親房の言いように笑い出す護良親王

 

足利高氏護良親王

高氏は鎮守府将軍に任じられ、各地の武家からの恩賞の審査に足利家家中で対応している様が描かれる。
鎌倉幕府の各役所の瓦解後、それらが担っていた行政処理機能を引き継ぎ運営できている組織力という点で足利家に並ぶところはなかったのだろうなという印象。大河ドラマといった歴史ドラマではなかなかこういう描写ってないように思う。
足利家中が単な武装集団ではなく、行政処理能力を備えていて、さらには従来は足利家の領地のみを対応していたのを日本全国の行政処理の対応をしているという点で、素晴らしい組織力であるように思われる。
まぁもっとも建武の新政がこの後瓦解する原因のひとつに、訴訟沙汰の処理遅延や処理遅延などから武士階層の支持を失った事があったように思うので、これら裏方の部分がどのようになっているのかも注目したい。

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護良親王が拠点としてた、信貴山中の毘沙門堂に使いとして来たのは後醍醐帝の腹心というべき公家坊門清忠藤木孝)。

何を考えているのかわからない。護良親王からあれだけ怒鳴られると並のものであれば震え上がりそうなところを、顔色ひとつ変えない胆力。これはまたクセのあるキャラが登場した。

護良親王に対して、事が治まったので再び頭を丸めて寺へ帰るようにという帝からの伝言を伝えに来る。
あまりの言いように高笑いをあげる親王
「・・そしてまた乱となりせば、再び髪を伸ばせばよい、とのご沙汰なりと申されるか?」
「これはお戯れを・・」
護良親王の混ぜ返しを顔色も変えずに平然と返す清忠。
「戯れではない!」大声をあげる親王

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「よく聞け、清忠。麿(まろ)が還俗し、天台座主の座を捨てたは、決して遊戯にあらざりしぞ。世を思い、父帝の理想を具現せんと思えばこそ、この手に剣を握ったのじゃ。そがわからぬそちではあるまい!」
「さればこそ北条が滅び、至上のご新政が始められし今、宮には再び沙門にお戻りいただく・・」淡々と返す清忠。
「愚かな!!!」一言一言大仰かつ、声が大きい。
「・・北条は確かに滅んだ。されどはや次なる北条が、洛中に奢っておるではないか。」
「こはいなお言葉・・。次なる北条とは誰を指してのご憤りで?
高氏よ!
「は?」
「驚くには及ぶまい。高氏こそ、獅子身中の虫ぞ。されど帝は、高氏を遇し、この護良には僧に戻れとは・・・なんたる・・・清忠、帝に伝えよ。高氏の誅伐さえ果たされるなら、この護良、山も下りよう、髪も剃ろう、となぁ
「はぁーっつ」間延びした応答でなんとも心のこもらない平伏をする清忠。

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征夷大将軍

信貴山から戻り参代の上、後醍醐帝に報告する清忠。
「・・高氏を誅伐せよ、と申したか・・」後醍醐帝は嘆息し、思うところを述べよ、と控えている者たちに下問した。
「宮はいささか、我らとは思いが違うておられるやに思われます。戦は終わったばかり、苦しき日々を堪え、ようようお上の思いが、かなわんとする今に、無用な混乱を起こしてはなりますまい。」模範的な回答を返したのは千種忠顕
「それがしは異論がござる。帝がおわせなんだ間、諸国に令旨を発し、お味方を口説き回られたのは、宮でござりまする。」と赤松則村
「赤松、そなたの宮への思いはわかりますが、六波羅を落としたのは、そなたの力だけではあるまい。足利殿や千草、あったればこそ。」口を挟んだのは阿野廉子
「足利の軍勢の強きは確かでござる。されど、かやつは最後の寝返り者、しかるに功を一人占めせんと六波羅奉行を自ら称し、諸国の軍勢を集めておりまする。」と赤松則村は言う。

のちに赤松則村は倒幕の論功行賞の中で冷遇された事が原因(?)で、足利高氏の忠実な協力者になるのだが、まだこの時は反高氏派だ。

「民の暮らしを何よりも第一に思いまする。都人は、平穏を望んでおりまする。」
最後に口を開いたのは名和長年

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左から坊門清忠藤木孝)、赤松則村(渡辺哲)、名和長年小松方正)、千種忠顕本木雅弘

「そのとおりですよ。戦を好むものがいずこにおりましょう。宮もせっかく叡山に戻られれば良いものを」ここぞとばかりに反大塔宮の意見を言う阿野廉子
「そはさりながら、このままでは宮はいきりたつばかり。高氏誅伐はもっての他なれど、なんぞ宮のお心を鎮める手をお考えいただかねば・・」第三者的立ち位置を崩さない清忠に、しばらく考えていた帝が答える。
「護良を征夷大将軍とする。ならば上洛を否と申すまい。どうじゃ清忠。」
「はっ、妙案にござりまする。」
「足利殿は?」阿野廉子が帝に訊く?
「都の守りを司る左兵衛督(さひょうへのかみ)、これならどうじゃ?」と帝。
「お上がよろしければ・・」
「護良が申せし事、決して他言するでないぞ。よいな?」
帝が皆に言い渡す。

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これは足利討伐が奏上にあがったという事を、高氏が聞くという伏線なのか?

官位の件、すぐさま足利家にも伝わる。
親王征夷大将軍?」この手の口火を切るのは大方、直義(高嶋政伸)の役目のようだ。
「兄上、なぜでござりまするか?征夷大将軍は頼朝公以来、源氏の頭領が受け継ぐべき職でござりましょうぞ。」
「直義、申すな。ご新政は始まったばかり、帝のご深慮の結論じゃ。我らがいきりたってはご新政が実らぬ。」
「さりながら殿、我らは帝のために戦ったのでござりましょうや。我らが北条殿に背いたのは、足利一族や武家の行く末を慮ってのことではござりませぬか。北条殿を倒すためなれば、今の帝にあらずとも、担げる帝であれば、いかなる帝であってもよろしかったのでは。たとえ、木の帝であれ、金の帝であれ・・
淡々と話しだしたのは高師直柄本明)。あわてて高氏、直義とも止める。
「師直!!そなた」
「これは師直一人の考えでござる。殿に押し付ける考えは毛頭ござりませぬ。されど、一族の願い、殿には重々おわかりのことと存じます。

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長崎円喜に続く現実主義者高師直の面目躍如。淡々と爆弾を申し述べた。

「攻めるばかりが兵法にあらざるぞ。時には退いて、力を貯めることもまた、大事なことぞ。そう思わぬか?
・・それに何よりも、帝のご新政を見てみたいのじゃ。北条とは違う、新しいまつりごとを見たいのじゃ。」

 

感想

北条氏という共通の敵がいなくなった後での各人各様が描かれる回。新政篇の第1回。

六波羅奉行所を任され直義や高師直といった家中のもの総出で行政処理の実務に邁進する高氏らに対して、新たな敵方となるキャラが続々と登場、または本性を表し始めた。

高氏に対していきなり対立モードで対応するのが、護良親王
その熱量・熱血気質なキャラは今までのキャラとも違っていてユニーク。強いて言うなら大声をあげて相手を威圧しようとする点で、長崎高資に似ていなくもないが、さらに中身がない。さらにその身振り、声音、セリフ内容などなどから勧善懲悪系時代劇の主人公にも見えなくもない。

その傍らになるのか、近藤正臣演じる北畠親房、さらに今回初登場の坊門清忠藤木孝)の二人、いずれも声音が独特。本心を表さない。少なくとも足利高氏の味方にはなりそうもないところも共通。

武家の中でも、名和長年赤松則村の二人はワレこそは、という野心を隠していない点で油断はできない。

新政組ばかりの活躍が目立ったエピソードだったが、最後に高師直が爆弾を放った。

いずれも建武の新政篇の導入となるエピソードなのでこれらの伏線が今度どのように展開されていくのか楽しみである。

 

 

 

yuishika.hatenablog.com

 

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南朝の真実: 忠臣という幻想 (歴史文化ライブラリー)

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破軍の星 (集英社文庫)

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北畠顕家を主人公とした小説。
このドラマでは美少年伝説を元に後藤久美子を配役するという変化球になっているため逆になかなかキャラに迫りにくい状況(演技力の点でも、またシナリオの中でのキャラ造形としても)になっているのが残念。北方謙三はどこまでいっても北方謙三なのだが、ドラマでは見えてこない部分を見る上ではよいかも。

 

FALLING SKY(GMT)を試す 準備篇

GMTのCOINシリーズから「FALLING SKY」をプレイしようと春頃から準備をしていたのですが、諸処の事情により中断再開を繰り返し、ようやくまた再開したところです。

ゲームの舞台はカエサルの「ガリア戦記」の世界。
紀元前1世紀のガリアを舞台に、カエサル率いるローマ共和国ケルト人のArveni族の若き王Vercingetorix率いる反ローマ連合、ケルト人のライバルであり一般的には親ローマ派のAedui族、さらにAmbiorix率いるBelgic族までがプレイヤーが操作する国。それにゲルマン人がそれに絡むという内容です。
ゲームシステムはおいおい紹介するとして・・今回は準備の話。

画像

準備というのがマニュアルと、COINゲームの真髄と言うべきカードの訳です。
ところがこの翻訳作業が手間を要する。
んで、思い余って当時ツイートしたのが次。 

 

DeepLを使っています

マニュアルのほうはDeepLという強力な翻訳エンジンを利用できるようになったので、ゴリゴリと訳しているのですが、DeepLは文章は訳せても歴史や古代の地名といった特殊な固有名詞になると役にはたたなくなります。

(DeepLの名誉のために言うと、英文中にアルファベットで書いてある現代中国の地名や人名などについてもはきちんと漢字に置き換えて訳してくれるなど、現代つかわれている固有名詞は対応しているっぽいぞ。)

www.deepl.com

 

カードの翻訳、特にカードの題名の訳が難易度高い

やはりハードルが高いのがカードのほう。各カードの題名になっている単語が果たして人名なのか、地名なのか、はたまた慣用句などの文化的な起源があるものなのか等、さっぱりわからない。

上記のツィートをした際に、ある方から大技が提案され、非常に感心して自分でもいくつかは試してみたのです。

大技というのは、ラテン語ガリア戦記原文にあたって全文検索をしてあたった単語を、今度はガリア戦記の日本語訳につきあわせしているというもの。確かにいけます。ラテン語ガリア戦記も日本語版ガリア戦記もネットで公開されているのです!
が、いかんせん、時間がかかる。


今は、わからない単語があればとりあえずグーグルに入れてみる。ヒットしたサイト(だいたい外国のサイト、英語・仏語、なかにはハンガリー語とか)からそれっぽい意味を拾ってみる、ということをやっている。
英語のサイトはともかくそれ以外の言葉のサイトであれば、グーグル翻訳かまたしてもDeepLのお世話になっている。
この後、カードの題名とカードの中身にちぐはぐなところがないかどうか等をチェックして、訳語として適当かの判断をしたいと思っている。
 

とりあえず現在は、カードの題名を一通りと内容の半分くらいまでは訳した。
「FALLING SKY」の特徴として、カードの題名に人名や地名などの固有名詞が登場している場合が多く、またいずれも馴染みが薄い言葉である。
ガリア戦記」自体が教養の一端となっている欧米のプレイヤーであれば馴染みもあるのだろうが、普通の日本人にはなかなかとハードルはある印象。

カード77枚のうち、人名や固有名詞っぽいカードだけ拾い上げてみると次のようなものがあった。

まずはローマ人・・・これらはだいたい日本語ウィキもあるので日本語訳も作りやすい

1.CICERO  キケロ

3.POMPEY  ポンペイウス

6.MARCUS ANITONIUS  マルクス・アントニウス

14.CLODIUS PULCHER  クロディウス・プルケル

 

ローマ人以外の人名・・・よほどの有名人以外は日本語ウィキはないため発音不明

19. LUCTERIUS  ガリア人

26. GOBANNITIO  Arveni族

31. CONTUATUS & CONCONNETDUMNUS  カーナッツ族の族長

34. ACCO  セノネス族の族長

38. DIVICIACUS  Aedui族のドルイド

43. CONVICTORITAVIS  ケルト

45. LITAVICCUS  Aedui族

55. COMMIUS  アトレバテス族の王

56. AMBIORIX  エプロネス族の王

60. INDUTIOMARUS  トレヴェーリ族の王族

61. CATUVOLCUS  エプロネス族の王のひとり

64. CORREUS  同上

70. CAMULOGENUS  アウレルシの長老

 

地名などの固有名詞

5. GALLIA TOGATA  アルプスのこちら側のガリア、という意味らしい

7. ALAUDAE  不明

9. MONS CEVENNA  セヴァンヌの山

11. NUMIDIANS  ヌミディア

12. TITUS LABIENUS  しし座

25. AQUITANI  ガリアの中でもスペイン寄りの地方

28. OPPIDA  都市名

37. BII  ボイイ族

41. AVARICUM  地名

51. SURUS  シリア人

58. ADUATUCA  地名

67. ARDUENNA  地名(アルデンヌ)

68. REMI  不明

69. SEGNI & CONDRUSI  セーニ族・コンドルシ族

 

いずれもまだカード内容との突き合わせや裏付けの確認はこれからなので、完成に向けては変わっていく可能性はある。

 

DeepLの活用

非常に強力な翻訳エンジンなので、最初の粗訳で使ったり、答え合わせに使ったりと活用しているが、和訳で使う時に気をつけることを書いておく。

入力された英文他の文章途中に入力ミスや意味不明の単語、またはカンマやピリオドの入力漏れなどがあるとその部分を翻訳せずにすっぽり飛ばして訳している場合がある。
綴りのミスや意味不明の単語の場合はアンダーラインが引かれて見直しを促してくれるが、カンマ、ピリオドの漏れや、綴りはあっているが入力ミスがあった場合などはアラームなども出てこない。また文章途中に頭が大文字の単語がはいると固有名詞と判断して訳していない場合がある。コピペした際に、文章としては続いているが途中に改行がはいっていると文章がそこで終わると認識している場合があることも注意。
いずれにせよエンジンの出力結果を鵜呑みにせずに、訳し漏れた文章がないかチェックが必要。一部分だけの違いで文章全体の意味が異なってしまう場合があるため注意が必要。

 

DeepLも全ての文書を全部飲み込んでくれる訳ではないので、1ページをさらに複数のパートに分けて翻訳させている。毎回、訳しているので、訳語のブレは多分にある。なのでひととおりDeepLを通した後は、逐次文章のチェックをする予定である。

 

いちおうプレイ目処は10月目標。
いつになるかわからないが次回はゲームシステムの紹介をしたい。

 

以下は過去に書いたCOINシリーズの記事。

 

yuishika.hatenablog.com

yuishika.hatenablog.com

 

yuishika.hatenablog.com

 

 

 

Falling Sky: Gallic Revolt Against Caesar [並行輸入品]

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  • メディア: おもちゃ&ホビー
 
ガリア戦記 (講談社学術文庫)

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  • 作者:カエサル
  • 発売日: 1994/04/28
  • メディア: 文庫
 
ガリア戦記 (平凡社ライブラリー664)

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ASLSK シナリオS77 DUTCH TRUCKS をプレイする(1)シナリオ訳出・背景等

先ごろ発売されたアドバンスドスコードリーダー スターターキット(Advanced Squad Leader Starter Kit)シリーズの拡張キット#2より、シナリオS77です。

1942年の蘭印戦です。上陸直後、町を占拠した日本軍に対して、オランダ植民地軍が軽戦車や装甲車からなる装甲部隊をもって逆襲、突破を図ってくるというシチュエーションのシナリオです。
一方の日本軍は、速射砲や聯隊砲をもって迎撃しなければなりません。

yuishika.hatenablog.com

 

今回の記事はシナリオカードの訳出とシナリオ背景になります。

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ASL SCENARIO S77 DUTCH TRUCKS

ジャワ スバン 1942年3月2日

シンガポールスマトラの陥落、ジャワ沖海戦の大勝の後、1942年3月1日、日本軍はジャワのオランダ領東インド諸島に侵攻した。日本軍主力の第2師団は本島西部のメラック(Merak)とバンタム湾(Bantam Bay)に上陸しバタビア(Batavia:現ジャカルタ)に向けて進撃を開始した。第230歩兵連隊を基幹とする東海林支隊は、重要拠点であるカリジャチ(Kalijati)飛行場を占拠するため、東側のEretan Wetanに上陸した。
上陸成功後すぐに東海林支隊はイギリス軍の粘り強い抵抗を排除し*1、東海林大佐を含む司令部要員が近隣のスバン(Soebang)に3月2日午前5時に到着する間には、飛行場を占領した。
東海林支隊の兵達が朝食の準備と装備の手入れをつつ、勝利を喜んでいる時、Wulfhorst大尉率いるKNIL軍(王立オランダ領東インド軍)の機動部隊(Mobiele Eenheid)は、戦車と機械化された歩兵による反撃を開始した。
KNIL軍第1戦車小隊の戦車を伴う攻撃により最初は衝撃を受けたが、東海林支隊の司令部部隊と予備部隊は町を捨てることなく迎え撃ち、数台の車輌、歩兵が搭乗した上部開放型の装甲車輌を破壊しKNIL軍を退けた。KNIL軍の残った歩兵は車輌から下車し第2戦車小隊の支援を得ながら町への侵入を試みた。

勝利条件

オランダ軍はマップ北端より12ポイント以上を脱出させると勝利となる。VPは以下の通り。

分隊:2VP、半個分隊:1VP、指揮値-1指揮官:2VP、指揮値0、+1指揮官:1VP

稼働する主砲を搭載したAFV:5VP、主砲が非稼働のAFV:4VP

ターン

全4.5ターン(オランダ軍先攻で6ターン目の日本軍プレイヤーターンにて終了)

バランス調整

日本軍:戦闘序列に2-2-8操作班1ユニットとATR1ユニットを追加する

オランダ軍:勝利条件をVP12以上ではなく、VP10以上に変更する

配置

日本軍:第38師団、第230連隊の一部[ELR:4]

マップl、mのヘックス番号5以上に配置

オランダ軍:機動部隊の一部[ELR:3]

第1ターンにマップ南端より進入
第2ターンにマップ南端より進入

シナリオ特別ルール

  1. 太平洋戦域の地形(8.2)は、疎生ジャングル含めて有効
  2. 第1ターン以降、オランダ軍の帰還(Recall)状態にないAFVは移動する際はDRにて8以下の数値を出さなければならない。移動フェイズの最初に隣接しあっているAFVがあればそれぞれの車輌において−1のDRMを適用することができる。そのAFVがDRに失敗した場合、移動することができず、機動中(Motion)であった場合はすぐに停止しなければならない。
  3. オランダ軍の(G)分隊は、未熟兵ペナルティは受けない。

顛末

完全に警戒していた日本軍は、第2戦車小隊の車輌のいくらかを破壊するることで、オランダ軍歩兵の町への侵入を阻止した。歩兵の支援がなければ町の確保は難しく、第1、第2戦車小隊の残余の車輌は撤退した。
その日遅く、第3戦車小隊は撤退を支援するため歩兵と攻撃を行った。この一連の攻撃におけるオランダ軍の損失は大きく、13両の戦車、装甲車、また装甲トラックが破壊され、50人を越える死傷者が出た。
3月9日、ジャワ島の連合国ABDA軍は降伏した。
日本軍第2師団と第230歩兵連隊は、後日ガダルカナル島に派遣され、そこで蹉跌をきたすこととなる。

登場兵器に関するノート(追記)

オランダ軍側に3種類の車輌、日本軍側に3種類の砲が登場しますので、それぞれNOTEの内容を記載します。 

VCL M1936(b)

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1935年、オランダ軍はVCL B型 1935年式軽戦車を73両、ヴィッカーズアームストロング社に発注した。その後の戦争の拡大に伴い、受領したものは25両以下に留まり、また納入された型も VCL Model1936となった。
KNIL軍(オランダ植民地軍)の機動部隊”Mobiele Eenheid”は、ジャワ島のKNIL軍における唯一の装甲部隊で、7両からなる小隊2個と3両の予備を保有していた。KNIL軍が降伏した際、日本軍は15両を鹵獲し利用した。

【特別ルール】

なし

 

CTLS-4(a)

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1940年、KNIL軍は装備の機械化プログラムを開始したが、欧州や祖国自体が積極的に戦争の準備をしているか、戦争中であったため、代替の車輌の調達元を見つける必要が生じた。残った調達先はアメリカであったが、アメリカの多くの工場もすでに、アメリカ軍の軍拡や新しくはじまったレンドリースプログラムのため押さえられていた。調査の結果、まだ調達の余裕がある先として、Marmon-Herrington社が見つかり、1940年、KNIL軍は新たに生産にはいる新型の軽戦車600両を発注した。その最初の納入がCTLS-4軽戦車であった。
同車は操縦者の配置によって2つのバージョンがあった(欧州の民生車輌における操縦者の配置が右側・左側で異なることに対するための対応であったという話がある)。こうした設計と生産の問題から最初の発注は太平洋戦争が勃発した直後まで遅れた。
日本軍は1942年オランダ領東インドに侵攻したが、最初の24両のMarmon-Herrington CTLS-4軽戦車がジャワ島のオランダ軍に納入されたのは2月中旬であった。納入時点では車輌には装備はなかったが、30口径のブローニングM1919機関銃に似た機関銃がオランダ空軍から調達され、車輌に装備された。最初の7名の乗員の訓練は日本軍の侵攻直前の2月27日に始まった。
1942年3月8日、KNIL軍が降伏し、日本の占領軍はこれらの車輌が新品の状態であるのを見つけ、すぐさま利用に供した。

【特別ルール】

CMG(共軸機銃)については射界の制限がある。
車体射界の左側方向への射撃ができない。加えて砲塔射界について、砲塔の向きを変える際に、左側領域を通る形での射界変更はできない。詳しくは図面を参照すること。
これらの制約については、ユニット裏面に”Port VCA NA”と記載している。

 

Harmon-Herrington III(b) 装甲車

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リビアの砂漠におけるイギリス軍の運用終了に伴い、イギリス軍はKNIL軍に対して本車両の払い下げを行った。日本軍の侵攻前までにおよそ50両が到着していたが、供与された車輌からは主兵装が取り外されていたため、KNIL軍は砲塔にヴィッカーズ製の機関砲を2門取り付けた。”Depot Vechwagen”隊は、10両を装備していたが、1942年3月5日、バンドン郊外の戦闘でそのほとんどを失った。

【特別ルール】

徹甲弾(AP)による破壊確認表(AP to Kill Table)の機関銃(MG)の欄を利用する際には、2回の破壊確認を行う。射撃側の選択により1回のDRとしても良い。

 

八九式重擲弾筒

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八九式重擲弾筒、通称”Knee-Motor”は距離600メートル以内(十一年式曲射歩兵砲の最短射程距離が約600メートルであった)における歩兵の間接射撃能力を向上させるために開発された。1929年に採用され、旧式で射程の短い十年式擲弾筒から置き換えられた。八九式は発射筒内面にライフリングを持ちトリガー式であること、また射程距離の変更はノブを回して発射ピンを発射筒内で上下させることで可能であることが特徴であった。フィンが付いた推進剤がはいった容器を取り付けて発射する通常の対人榴弾、煙幕弾の他、推進剤無しでの煙幕弾や対人榴弾の発射が可能であった。兵士たちは分解して足に縛り付けて運搬したことから、日本軍では”Leg Mortar"として言及されていた。それが翻訳される中で”Knee Mortar”とされたことから連合軍兵士の中には基盤部分を自分の太ももに当てて発射すると誤解し、多くの大腿骨骨折を生んだ。
歩兵小隊あたり八九式は2門配備された。1940年には増強され、3門、また場合によれば4門が配備された。また大隊司令部にも配備された。八九式は、陸軍、また海軍特別陸戦隊の両方で使用された。

【特別ルール】

以下の特別ルールは榴弾・煙幕弾に適用する。

  • 2ヘックス以内の射程で榴弾(HE弾)を発射する場合、ROFは”1”に低下する。また”空中炸裂(Air Burst)”は無効となる
  • WPは射程が1~5ヘックスの時のみ発射できる。この射撃においてROFは”1”に低下する。 準備射撃フェイズ(PFPh)に発射したとしても拡散状態になる。また空中炸裂(Air Burst)は無効となる。
  • 煙幕は射程3~10ヘックスにおいてのみ発射できる。

 

九四式37ミリ速射砲

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この砲は歩兵支援と対戦車防御に使用された。小型軽量で人力または駄載での移動が可能であったが、車輌牽引の考慮はされていなかった。多くの歩兵師団では連隊毎に4~6門の九四式を装備した中隊が編成され、他に師団所属の偵察部隊(訳注:捜索聯隊?)に小隊がおかれた。独立混成旅団や独立混成連隊では、各独立歩兵大隊に歩兵砲中隊が配属されていたが、その中に九四式装備の速射砲小隊が置かれることがあった。その他、九四式を8門装備した独立速射砲中隊や、12門装備した独立速射砲大隊が多数編成されていた。1個小隊は2門の砲を装備していた。
ノモンハンの戦いにおいてソ連製戦車に対して威力不足が露呈した後、日本軍はドイツからPak35/36 37ミリ対戦車砲を購入した。細かな改造を施した後、一式速射砲として採用したが、実際に戦闘で用いられる事は多くはなかったようだ。

【特別ルール】

なし

 

四一年式山砲

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この砲の元は、クルップ社製1908年型山砲である。日本軍は軽量になるように改造を施し、 ライセンス生産を行った。当初は師団砲兵として山砲連隊に配備されたが、1936年には歩兵部隊に展開され、各歩兵連隊には4門の本砲を装備する1個中隊が配備された(2個中隊が配備されたケースもあった)。このため、本砲は”聯隊砲”として知られた。海軍特別陸戦隊においても、2門の本砲を装備した1個ないし2個の聯隊砲小隊が配属されていた。ただし1943年までには海岸防御また高射砲に置き換わることが多かった。
設計が古いにも関わらず、本砲は生産が続けられたため、連合国軍は頻繁に遭遇した。このゲームでは独立混成旅団や独立混成連隊で利用された砲、また師団砲兵として整備された野砲兵連隊に配備された四一式山砲も代表させている。

【特別ルール】

1944年、HEAT弾の取り扱いが可能となるため、砲の口径部分に”*”マークを記載している。

 

マップ

オランダ軍はマップ下方から侵攻。
日本軍は赤線より上のエリアに配置

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シナリオの背景

東海林支隊の戦い

日本軍として登場する東海林支隊は第38師団第230歩兵連隊を基幹とする部隊です。
第38師団は中国大陸における警備任務を目的に編成された師団で中国戦線を戦い、開戦劈頭には香港攻略を成し遂げた歴戦の部隊です。その後、蘭印作戦に投入。師団の主力はスマトラ島の攻略を担当しますが、うち第230歩兵連隊がジャワ島攻略に回されます。

東海林支隊はシナリオカードにあるように飛行場の確保のためジャワ島攻略の主力第2師団の上陸からも離れたエレタン(Eletan Wetan )に上陸します。そこから南に行ったところがバンドン、中間点になるのがシナリオの舞台となるスバンです。

東海林支隊の戦いぶりは日本語ウィキではなく英語ウィキのほうに詳しいので引用します。

1942年3月1~3日に、オランダ領東インドにおいて日本軍とオランダ植民地軍(KNIL)との間に発生した一連の戦い。
奇襲的な上陸の後、東海林俊成大佐が指揮した日本軍はオランダ軍が増援を繰り出す前に上陸したその日のうちに飛行場を急襲し占領した。翌日、オランダ軍は飛行場奪還のため反撃を開始し、成功寸前までいったものの最終的には失敗した。翌3月3日より大きな規模でオランダ軍は反撃するが、日本軍の航空支援のため失敗し、オランダ軍はバンドンに撤退した。

en.wikipedia.org

 

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シナリオカードにもあるように、第38師団、第2師団はその後、ガダルカナル島に投入され、壊滅的な損害を受け撤退することになります。 

 

王立オランダ領東インド軍(KNIL:オランダ語:Koninklijk Nederlands Indisch Leger

今回シナリオにおいて、オランダ植民地軍として登場する軍です。
第二次世界大戦後、インドネシア独立戦争において独立を阻止する側として戦争を行います。

ja.wikipedia.org

 

シナリオについて

日本軍の戦闘序列、8個分隊、3個操作班、MMG、LMG、各一丁。八九式重擲弾筒2門、聯隊砲1門、九四式速射砲1門です。

オランダ植民地軍は、6個分隊、Hermon-Herrington装甲車2両、VCL M1936 3両、CTLS4 3両の計8両。第2ターンに増援、9個分隊となっています。

マップは広くないこと、またオランダ軍の車輌には走行可能チェックが必要ですので、それほど縦横無尽とまではいかないかも知れません。

 

 

yuishika.hatenablog.com

 

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*1:補足:飛行場自体にはイギリス陸軍部隊、空軍、また高射砲部隊の数百名がいたが、空軍は日本軍の上陸に伴いバンドン近郊の飛行場に移動した

「耳川の戦い」(国際通信社:コマンドマガジン153号)を対戦する。(3)第2戦目(2020年9月)

耳川の戦い」(国際通信社:コマンドマガジン153号)を対戦しました。
お相手はコマンドマガジン154号に掲載されていた若武者記事に登場する千葉会T君です。

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午後からの参加であったこともあり半日もあればプレイできる本ゲームをということで、プレイしました。まさにゲーム会向けの作品です。

T君が島津軍、当方は大友軍を担当しました。

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両軍の初期配置図です。
上側が北方向、大友軍、下側が南方向で島津軍になります。

今回の対戦で島津軍がとった作戦を理解するためAARに入る前に、本ゲームの勝利条件を確認しておきましょう。

勝利条件

獲得ポイント数の比較により判定する

■ ユニット除去による得点(両軍とも)

■ 大友軍の得点

  • ゲーム終了時に島津軍が高城へ連絡線を引けない
  • ゲーム終了時に高城のヘックスを支配している
  • ゲーム終了時に島津軍の本陣を支配している
  • ゲーム終了時に大友軍ユニットが財部川・高城川の南側に存在する(ユニットあたり)
  • ゲーム終了時に城を包囲している

■ 島津軍の得点

  • ゲーム終了時に大友軍の各軍団の本陣のいずれかを支配している(支配数毎)
  • ゲーム終了時に高城に連絡線を引ける
得点比較以外には以下の条件でサドンデスが発生

○ サドンデス処理の条件

 - 大友軍のサドンデス勝利
  • 島津4兄弟(義久・義弘・歳久・家久)のうち3ユニットの除去
  • 高城の開城
 - 島津軍のサドンデス勝利
  • 大友軍4軍団の各大将計4ユニットの除去

ルール紹介、また8月のリプレイは次の記事。 

yuishika.hatenablog.com

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第1ターン(チット数:大友軍4、島津軍2)

島津軍の最初の活性化部隊となった「本隊先陣(茶色)」がいきなり予想外の動きを見せた。

「本隊先陣」は初期配置で高城川の北側に3ユニットを有している。大友軍の最初の活性化が「田北勢(濃緑色)」であった場合はこの島津の「本隊先陣」の前衛3ユニットは即刻粉砕される可能性もあったわけだが、今回は大友軍の最初の活性化は「臼杵勢(緑色)」となっため、生き延びた。

そこでどうするか。

目の前に敵がいるなら突撃だ!、とばかりに前衛3ユニットは間近の「田北勢」に向かって前進。続いて「本隊先陣」の主力も一斉に高城川を越えて大友軍に向かって前進してきた。

1~2ターンの間は両軍とも陣形を整えることを優先させるであろう、なーんて悠長な事を考えていたところにがつんとあたってきたわけだ。
島津軍が大きく前進した結果、両軍の前線も高城川をはさんだラインよりもかなり北側の東西(横方向)に走る街道沿い近くまであがることになった。早くも両軍衝突。

島津軍は「先遣隊(青色)」についても、盤面左右に分かれている軍団の状況など顧みずにそのまま大友軍に向かって全力で前進。

 

第2ターン(チット数:大友軍5、島津軍3)

島津軍の積極攻勢は2ターン目も続く。
両軍の戦線が北側にずれこんだため、大友軍の中で交通渋滞が起き、最後尾にいた主力「田原勢(白色)」が前線に登場できない!

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2ターン終了時:1枚目の写真と南北が逆になっているので注意。手前が大友軍、奥側(上)が島津軍。

 

第3ターン(チット数:大友軍5、島津軍4)

大友軍が”全軍攻撃”を実施。
中央部で両軍の複数の軍団のユニットが入り乱れる状態になる。
島津軍の最強軍団「本隊(黒色)」も渡河してくる。もっとも、近くに位置していた大友軍「佐伯勢(橙色)」にあたってくるかと思っていると、「本隊」の先頭集団はそのまま高城の西側の丘陵地を越えて北上する進路を選んだ。

その方向には、大友軍のうち「田原勢」と「佐伯勢」の本陣ヘックスがある。ゲーム終了時点での本陣ヘックスの支配は、各10ポイント。島津軍はそれを狙ったわけだ。

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第3ターン終了時:大友軍左翼(西側)で、「臼杵勢(緑色)」と島津軍「先遣隊(青色)」の半分が戦闘にはいるが、ユニット数で大友軍が優勢。中央部の乱戦は継続中。右翼は本文の通り、島津軍「本隊(黒色)」が前進、そのまま丘陵地を抜けて行こうと前進。「本隊」の後続部隊は、大友軍「佐伯勢(橙色)」と接敵。

 

第4ターン[チット数:大友軍5、島津軍5] 

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第4ターン終了時:大友軍右翼で、島津軍「本隊(黒色)」が北進を続けた結果、南北に長い陣になっている。島津軍は中央部で大将クラスのユニットの除去(討ち死)が出始め、指揮系統に支障が出始めた。

 

第5ターン[チット数:大友軍6、島津軍6] 乱戦ターン開始

このターンより乱戦ターンということで、両軍のチットは混ぜられてランダムに活性化が行われるようになるが、大勢が決したということでこのターンにて終了。

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第5ターン終了時:

 

 

感想戦

序盤で見せた島津軍の突貫には驚かされた。

チット引きの順番の関係で中央部の大友軍の「田北勢」「佐伯勢」の準備が整っていないうちであれば、1ターンにして島津軍もここまで前進できるんだ、ということを示すような前進であった。その後も島津軍は「本隊先陣(茶色)」「先遣隊(青色)」「本隊(黒色)」のいずれもひたすら前進を指向していた。

結果、主戦場が高城川の北側になることとなった。まさに「攻撃は最大の防御なり」を地で行く展開であった。

だが、島津軍は戦術面で失敗する。

遮二無二に突進した結果、最良の陣形を形づくるよりも移動力を最大限使うことを優先したような行動になってしまい、個別戦闘において有効な攻撃を繰り出せなかった。

前半戦において活性化できるチット数は常に島津軍のそれよりも大友軍のほうが多いため、前進してきた島津軍に対して、大友軍は複数回の行動によりより多くの打撃を島津軍に与えることができた。

1~2ターン目まで島津軍で戦闘に突入したのは「本隊先陣(茶色)」だけなのに対し、大友軍は「田北勢(濃緑色)」と「佐伯勢(橙色)」の2軍団で対応した。しかも序盤は大友軍のほうが活性化チット数が多いため、それぞれ複数回攻撃ができるなど、島津軍「本隊先陣」は集中攻撃を受けることになった。

もともとこのゲームの両軍のユニット数は30ユニット余りで拮抗しているため、除去ユニット数が不均衡になると一挙に戦況が傾いてしまう嫌いがある。この点、拮抗状態が崩れるのは目に見えていた。

 

作戦面でも島津軍の失敗があった。

島津軍の最大の衝力である「本隊(黒色)」は高城川を渡河後、高城の麓までたどりついた。ここで「本隊」全軍をもって東側に転回し、大友軍「佐伯勢(橙色)」を攻撃していれば、高城との連絡線を確保しつつ、ユニット数の優位性を生かして「佐伯勢」を圧迫し、さらには島津軍中央戦線の「本隊先陣」や「先遣隊」にかかる圧力を分散させることができたのではないかと思われる。

が、「本隊」はその半分の勢力をそのまま高城の西側の山地にはいり、北上するという進撃を選んだ。
勝利条件に大友軍の各軍団の本陣ヘックスを支配すると、1ヘックスあたり10ポイントを得られるという項目があり、この時「本隊」が通った進撃路の先には、大友軍の「田原勢」と「佐伯勢」の本陣ヘックスがあったためその得点を狙ったのだった。
だが、急ぎ後退してきた大友軍「田原勢(白色)」により、その狙いは阻止された。

前者、戦術面において、遮二無二の突撃ではなく陣形を考えながらの前進であったなら、また後者作戦面においては、「本隊」の戦力を集中して投下できていたら、また違った局面になった可能性はあると考える。

あともうひとつ言うならば、島津軍の特徴である”吊り野伏せ”は有効に活用できていなかった。本ゲームに関する前回記事に書いたように、個別ユニットの攻撃力が小さい島津軍にとって”吊り野伏せ”の活用は必須であり、”吊り野伏せ”により相手ユニットに損害を与えるためにはそれなりの準備(吊った後の包囲)が必要。

 

最後に

ここまで数回プレイした中での本ゲームの教訓を備忘として書いておく。

  • 川で守らない(大友軍)
  • 城攻めは行わない(大友軍)
  • 「全軍攻撃」のタイミングは第3ターンか第4ターン(島津軍・大友軍)

第2ターンに奇襲的に発動するのはありかもしれないが、どちらの軍の場合も、戦力が整っていないタイミングなので、使うのはもったいないかな。
余裕があるのであれば第5ターン以降までとっておいてワイルドカード的に使うというのもいいかもしれないが、タイミングを計算できない、と消去法で考えると、第3ターンか第4ターンがベストタイミングとなる。

  • 吊り野伏せの活用(島津軍は必須)
  • 混在配置(検証中)(島津軍・大友軍)

左翼は○○勢、右翼は○○勢ときれいに色別に配置するのは絵的には美しいが、ゲームシステムを考えると、適度に混ざっておいたほうが良いように思う。1ターンの間に同じ目標に対して複数回の攻撃を集中させることも可能かな、と。当然、指揮範囲の問題や、攻撃に参加できるユニット数が限定されるなどの制約もあるので、これは検証要。

 

 

 

コマンドマガジン Vol.153『耳川の戦い』(ゲーム付)

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「歴史群像 163号(2020/10)」を読む

隔月刊誌「歴史群像」最新号(2020年10月号)です。

■ 本誌としては珍しいゲーム関係の記事

ボードゲーム関係の記事が2つあり、「歴史群像」としてはボードゲーム記事自体珍しくユニークな内容であったのでまず紹介したい。

1つ目は有坂純氏による記事「ミニマル・ウォーゲームのすすめ」。

戦争や争いを題材にゲームとして扱うにあたってのアプローチとして、『歴史的あるいは仮想的な戦闘をシミュレーティング』するとか、『戦闘そのものを具体的に模倣』するのではなく、『あらゆる戦闘が共通して持つ原則や構成要素-機動、攻勢、戦力の集中、奇襲、予備等々-のみを抽出してモデリング』し、かつ碁石やトランプを用いて遊ぶゲームの紹介がされている。そのアプローチが、いわゆるシミュレーションゲーム/ウォーゲーム、さらに広義なボードゲームをやる身として非常に面白い記事であった。

2つ目の記事は、前号の付録であった「ノルマンディの戦い」と「米軍空挺部隊の戦い」の2つのゲームをデザイナーの山崎雅弘氏が、豊富な写真と共にプレイ事例を8ページに渡って紹介した記事。こうしたシミュレーションゲーム/ウォーゲームを未経験のプレイヤーも想定読者としており、二人用ゲームを一人でプレイするソロプレイとはどういうことなのかといったところから丁寧に説明してあったのが印象的。

興味があってシミュレーションゲームやウォーゲームに接した人だけではなく、毎号本誌を買っていた購読者やたまたま買った雑誌に付録としてゲームが付いていたといった外部要因でゲームに接することになった人たちにも積極的に紹介しようという動きは非常に良いと思う。いくらボードゲームブームが来ていると言っても、まだまだ”以前と比べると”というレベルであり、さらにはシミュレーションゲーム/ウォーゲームジャンルに至ってはその中のごく一部のマイナー領域にすぎないので、メジャー誌でとりあげられる意義は大きい。

次に必要なのはフォローアップとしてここからゲームの世界にはいった人たちがどこに行けばいいのかを紹介する記事かな。これで次に行くのが「艦これ」や「ワールドオブタンクス」や「信長の野望」「大戦略」ではあまりにもさみしすぎる。

 

■ 枢軸ファンとしては憂鬱な特集記事

戦艦ビスマルク最後の大砲撃戦

第1特集は「ライン演習」に始まるドイツの戦艦「ビスマルク」の最期の出撃の話。昔々、少年向け戦記もの単行本を持っていたな、と思いながら記事を読んだ。
この出撃によってドイツ海軍は単にビスマルクという艦隊戦力を失っただけではなく、英海軍が行った追跡作戦により、外洋で活動する戦闘艦の支援を行っていた補給艦などの支援艦艇群が壊滅したという指摘は気付かされるところがあった。

単艦で通商破壊戦を行う長期出撃を行う戦闘艦、さらには戦闘艦を補給などの面で支援する支援艦の話って谷甲州の「航空宇宙軍シリーズ」にそのような作品があったような・・と思い出し、ビスマルクの航海に材を取ったのか、と今更ながら気づいた。

比島航空決戦1944-1945

第2特集の「比島航空決戦1944-1945」は、フィリピン戦を航空戦という側面で描き出し読み応えがあった。
フィリピン戦といえば「台湾沖航空戦」での大誤報(結果、以降の日本軍の作戦計画すらも誤った方向に変えてしまったほどの)や「レイテ沖海戦」の壮絶な判断ミス、さらには末期の悲惨な戦いなど色々思うところはある(あと、特攻作戦の開始なども)。
「台湾沖航空戦」での損害はフィリピンの軍備計画にも影響を与え、また同じような過剰な戦果報告はその後も続いたという。
一方で、新鋭機「四式戦」の大量投入、また出撃距離が南方での戦い(例えばソロモン海での航空戦など)に比べると短いことなどから、1944年の秋時点では一時的に制空権をとりかけたこともあるとまである。

少しだけ触れられているが、温存されていた「雲龍」「天城」「葛城」に爆装零戦を搭載した機動部隊による特攻作戦(出撃命令まで出ていた)や、「雲龍」に「桜花」を搭載してマニラに輸送する作戦(「雲龍」が撃沈される)などもあったようだ(艦艇ファンとしては前者の作戦など胸アツなところが多々あるが・・)。

こうした一連のキャンペーンがどのような顛末をたどったのかはぜひ記事を読んでほしい。
また多数現地に配備された陸海軍の飛行隊に所属したパイロットや、地上要員がどうなったのかも含めて。

 

■ 日本史ファンとして

戦国大名 大内氏の滅亡

大内氏と言えば、かつて散々プレイしたエポック社製「戦国大名」では名前がはいったユニットを用意してもらえずランダムに能力が決まる程度の大名であり、また毛利元就大友宗麟などが活躍する一つ前の世代といった印象があるので、要はとても地味な印象の大名だったが、実際どうだったのか、という記事。
大内氏の起源・隆盛にはじまり、末期に毛利氏などに領地を蚕食される様子などかなり詳しく紹介されている。

佐賀の乱(前編)

幕末から明治維新、さらには西南戦争といった反新政府対明治政府の内戦までをゲーム化したいというアメリカ人と話をしていると、彼の整理では、西南戦争で薩摩軍を率いた西郷隆盛や、佐賀の乱を起こした江藤新平は「反幕府」だが武士社会を壊す近代化には反対する「反近代化」というグルーピングをされていた(落とし込むゲームシステムとして、GMT社のCOINシリーズのシステムが想定されていた)。

ゲームデザインはともかくとして、日本人でも、西郷隆盛西南戦争はまだしも(例えば、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」や、大河ドラマもあったため)、佐賀の乱江藤新平になるととんとよくわからない。今回の記事は前後編の前編、最新研究と軍事的視点からということ。 

 

■ 世界史ファンとして

赤軍大粛清

延々と加古隆の「パリは燃えているか」のメインテーマが頭の中でリピートし続けるような記事。スターリン体制化における大粛清、さらには赤軍大粛清を紹介しながら、後に第二次世界大戦における名将のひとりに数えられるジューコフがなぜ大粛清を逃れ得たのかというテーマが描かれる。

済州島4・3事件

1910年に日本に併合された韓国が解放されたのは言わずとしれた1945年。その後、日本の歴史の本に韓国朝鮮が登場するのは1950年の朝鮮戦争の勃発なので、1945年から1950年の5年間に何が起こったのかは教科書的知識からすれば全くのミッシングリンクになっている。

この記事で取り上げられるのは1948年に済州島で「反共」の名の元で行われた軍・警察による住民虐殺。犠牲者数はこの記事では25000人から30000人、ウィキペディアではあ60000人(島民の5人に1人)とされている。
済州島のおかれた地理的・歴史的経緯、また日本統治時代に触れ、解放後の事件を描いていく。

歴史の因果を考えると日本も決して他人事とは言えず一方で、なぜに韓国また済州島でこれほどまでの犠牲者を伴う事件が発生したのかを考えさせられた記事であった。

女王ブーディカの反乱

このキャラって、Fateにでてこなかったかと思い調べるといた。グッズも販売されているところを見ると人気キャラのようだ。ただキャラデザは初見だったので、他のキャラと混同していたようだ。ちなみにFGOはプレイしたことはない。

紀元1世紀のケルト人イケニ族プラスタグス王の王妃。皇帝ネロの治世。
夫プラスタグス王の死後、ローマ帝国は王国を併合し属州とし、またローマ人による土地の簒奪、重税、高利貸など民衆を苦しめたことから反乱を起こしたという。 

FGOアーケード】アルテラ、狂ランスロット、ブーディカが実装! セプテムは4月11日に開幕 - ファミ通.com

 

 

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歴史群像2020年8月号はアマゾンで見るとKindle版しか出てこないので、ゲーム付録の入手は難しくなっているのかもしれない。

加古隆の「パリは燃えているか」のサントラはメインテーマの様々なアレンジバージョンが収録されていたりするので、どっぷりと「映像の世紀」の雰囲気に浸れます。 個人的にはおすすめのアルバム。